2023年12月25日月曜日

馬小屋で生まれるということ

 2023年12月24日 主の降誕主日(小田原教会)江藤直純牧師

イザ9:1-6; 詩96; テト2:1-20; ルカ2:1-20

1.

 2週間ほど前だったでしょうか、パレスチナから送られてきたテレビのニュースで、瓦礫の中に赤ちゃんの人形が写っていて、司祭と言ったか牧師と言ったかが、「今イエスさまがお生まれになるなら、その場所は瓦礫の只中でしょう。ちょうどこのような姿で」といった趣旨の話しをしていました。暖かなエアコンが効いている部屋で、きれいで柔らかな毛布の中に寝かされている赤ちゃんを見慣れている私たちは、瓦礫の只中に寝かされている赤ちゃんイエスさまなど想像することができません。

 しかし、二千年前のパレスチナ、現在ヨルダン川西岸地区と呼ばれる地域の一角にあるベツレヘムという小さな町でお生まれになったイエス・キリストのベッドは宿屋の外の馬小屋の飼い葉桶だったと言い伝えられています。絵本の中に描かれている美しくも神秘的な場面です。十代半ばのうら若い母親マリア、母子をしっかりと守ろうとしている青年ヨセフ、三人を優しく見守っている馬やロバ、神さまの祝福を伝える天使たち・・・。そのとおりなのですが、しかし、彼らの置かれていた現実はといえば、絵本が描き出す貧しくも美しく幸せそうな様子よりもずっと過酷なものでした。

 二千年の後、同じパレスチナで、家も学校も病院さえも破壊され、多くの人々が殺され傷つけられている町中の至るところが瓦礫の山と化しているその只中で眠っている赤ちゃんイエス、二千年前の場面といくらも違わない、忘れたくても忘れられない今年のクリスマスです。そのことを胸に刻みながら、クリスマス物語をご一緒に聴いていきましょう。

2.

 なぜこの時期に親子三人は北のガリラヤ地方のナザレではなく南のユダヤの片田舎、ベツレヘムという町にいたのでしょうか。これは誰もが知っての通り「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」(ルカ2:1)からです。強大なローマ皇帝の権力を考えると、庶民が抗うことなどできません。ヨセフの遠い先祖がダビデなのでその出身地ベツレヘムで登録をしなければならず、彼は身重のマリアと共に何日も何日もかけて旅をしなければなりませんでした。

 けれども、ローマ帝国はそれはそれは広大な領土を持っていました。人口調査のために膨大な人と時間とエネルギーが必要だったでしょう。何ヶ月ももしかしたら一年以上もかかる大仕事でしょう。

 では、ヨセフとマリアはなぜこの時期に先祖の地、ベツレヘムまで旅をしたのでしょうか。すでに妊娠していることが分かっていたマリアを連れての長旅を何も好き好んで臨月のときにすることはないだろうにと疑問に思いました。大きなお腹を抱えてガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで移動するのが大変だと思えば、つわりが一段落して妊婦が安定期に入ってから旅するか、あるいはお産がすんでしばらく経って母子ともに落ち着いてからおもむろに登録のための移動をすればいいではないかと考えます。

 なのに、彼らはわざわざこの時期に長旅をしてベツレヘムへ行って、そこにいるうちに案の定「マリアは月が満ちて、初めての子を産んだ」(2:6)のです。そうすると、ヨセフとマリアは意図的に出産直前の時期を選んだのではないかと疑ってしまうのです。何故? 理由は簡単です。郷里の人たちに出産を知られたくなかったからでしょう。ヨセフもマリアもそれぞれ天使のお告げを受けて、神の子を宿すことと産み育てることを決心をして、受け容れたのですが、それでもやはりなるべく人目に触れたくはなかったのではないでしょうか。正式に結婚する前に身籠もることもお産することも当時は御法度だったからです。しかもヨセフは身に覚えがなかったのですから。

 ですから、マリアは世間の冷たい、蔑みの眼差し、非難の目に晒されることを覚悟しなければなりませんでした。そうならば、そのような出産が話題になることをなるべくなら避けたかったに違いありません。だから選りも選ってあの時期のベツレヘム行きだったのではないかと私は推測するのです。私が申し上げたいことは、神の子イエスさまはマリアのような立場の人の許をあえて選び、そのような困難な状況を生きている人に寄り添い、苦労と共に、その人の生きる喜び、生きる希望と力の元となられたということです。

 赤ん坊の誕生ということに優る喜びはないし、周囲の人々に祝ってもらえるときにその喜びは二倍にも三倍にもなるでしょう。しかし、馬小屋にお祝いに真っ先に駆けつけてくれたのは社会の最底辺の羊飼いたちでした。彼らが社会の最底辺というのは厳しい労働とか経済的な貧しさのゆえにというだけではありませんでした。仕事柄律法の定めに従って安息日を重んじ、礼拝や祭儀を行うという宗教生活を規則正しく守るという暮しができないがゆえに、彼らは宗教共同体でもあるユダヤ人社会では最底辺の人間たち、「地の民」と呼ばれて見下されていたのでした。でも、事実は最底辺の人たちこそが主イエスにとって最も近しい存在だったのです。それが、羊飼いたちが真っ先にお祝いに駆けつけてくれたというエピソードが象徴的に表わしていることなのです。

 黄金、乳香、没薬という高価な贈り物を持ってはるか東方の学者たち、つまり外国人の学者たちが長い長い旅を押して訪ねて来てくれた話しもクリスマスには欠かせません。木星と土星のまれにしか起こらない接近を天文学、占星術、諸外国の宗教に関する知識を総動員してその意味することを探り当て、多大な費用を惜しまず大きなラクダの隊列を組んで砂漠を越えて、命懸けの旅をして新しい王の誕生を祝いに来たのです。国も人種も宗教も異なるけど、彼らは真理を探究する人たちでした。しかし、これもまた裏返せば、同じ神の民、同じ信仰を持つ同胞たちの中にはそういう人はおらず、神の民には受け容れられず、歓迎されなかったということを表わしています。ヨハネ福音書は印象的に「言は、自分の民のところに来たが、民は受け入れなかった」(ヨハ1:11)と記しています。

 マタイ福音書には、王としての地位が脅かされることを恐れたヘロデによってベツレヘム周辺一帯の二歳以下の男の子が皆殺しにされたという残虐な話しが語られています(マタ2:16-18)。二千年後の今も多数の幼な子が戦争の犠牲になっています。赤ちゃんイエスは命の危険と死の恐怖と悲しみに襲われているその子たちと運命を共有したのでした。

 さらに天使の導きで親子三人はエジプトに脱出します(マタ2:13-15)。今風に言えば、故国での家族や友人たちとの平穏な生活を捨てて、命からがら難民にならざるを得なかったのです。私の所属する教会にもアフリカのある国から家族を残し一人で逃れて、日本で正式の難民としての認定を国に求めて辛抱強く戦っている人がいます。国連の調べでは、人種、宗教、国籍、政治的意見、特定の社会集団に属するなどの理由で難民となっている人の数は、2019年末の時点で7950万人でした。その後ウクライナ戦争なども起こりましたから、現在は優に8千万人を越えているでしょう。推定ではその内の40%が18歳未満だと言います。そのように現在も世界の各地で貧しくても安心して生きれる場所を必死で求めている数多くの難民たちがいます。イエスさまはその一人となられたのです。

 クリスマスの物語は、少し見方を変えれば、救い主イエスさまがいったいどこでお生まれになったのか、どんな人たちと共にいて、どんな苦しみや悲しみをその人たちと分かち合われたのか、出会った人たちはいったいどうやって救われ、新しいいのちを生きるようになっていったのか、そういうことを考える材料に富んでいます。

3.

 クリスマスの夜の物語は人の世の闇、世界の暗闇の部分を曝け出しましたが、同時にそこに一縷の光を見出すことができました。降誕なさった救い主はいったいどのようなお方なのか、だれのために生まれたお方なのかを明かしたからです。実はそれだけでなく、もう一つの明るい知らせもありました。それは、こういう人たちがいてよかったな、御心に適う人々がいるものなんだなと安堵できる知らせでした。それはどういう人たちだったでしょうか。

 30年ほど前に初めてフィンランドに行ったときは夏至の頃でした。6月24日は日本では聞いたことがなかった「ヨハネマス」という教会の祝日だったのです。クリスマスとはクリストマス、キリストマス、言うならばキリスト礼拝。ヨハネマスは洗礼者ヨハネの誕生を祝う記念日です。彼の母親はエリサベト、マリアの親戚にあたる人でした。長く不妊の女と言われていたけど、高齢になって身籠もった彼女は、若いマリアの訪問を受けました。おそらく自分の孫くらいの年の差があるマリアに対して、初めて妊娠した、しかも特別な事情のもとで妊娠したマリアに対して、その不安をおだやかに受け止めてあげ、自分の経験を語りながらマリアに母となるためのこまやかなアドバイスをし、最大の問題である神の子を産むという特別の使命について、自分の証しを通して祝福し励ましたのです。エリサベトの語りかけとそれに応えてマリアが歌った、のちにマグニフィカトと呼ばれるようになる「賛歌」(ルカ1:46-55)から想像できることは、エリサベトはマリアに「勇気を振り絞ってこの神からの大役を引き受けなさい」と言ったのではなく、「恐れや不安と共に自分自身を神さまにお委ねしなさい」ではなく、「恐れも不安もそっくりそのまま自分をお委ねしていいのだよ」というやさしい言葉だったことでしょう。

 故郷のナザレではなく、頼りになる親も親しい人も一人もいないベツレヘムで出産の日が来ました。ルカ福音書には簡潔に「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(2:6)とだけ記してあるだけです。未経験の青年ヨセフ一人ではオタオタするばかりで何の役にも立たなかったでしょう。しかし、たとえ客がいっぱいで出産のための暖かいきれいな部屋はなかったにしても、お産の時に必要なお湯を沸かしてくれる人や、赤ん坊を取り上げてくれる、お産の経験者の女性もきっといてくれたことでしょう。書いてなくてもそうだったに違いありません。貧しい庶民の中に何人かの善意の人たちがその場にいて、マリアを、つまりイエス様を助けてくれたに相違ないのです。天使とは神さまから遣わされた者です。エリサベトもそれらの手助けをした善意の人たちもマリアにとっては天使のような人たちだったことでしょう。

 「野宿をしながら、夜通し羊の群の番をしていた」(2:8)羊飼いたちは、天使のお告げを聞いて、ベツレヘムまでやって来て、何軒かの宿屋を訪れて、ついに布にくるまって「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」(2:16)のです。イスラエルという宗教的社会的共同体の最下層に追いやられていた「地の民」は、それを恨んで神も仏もあるものかと言って、そっぽを向いてもおかしくはなかったのでしょうが、彼らはそうはしませんでした。なぜでしょうか。天使たちは世の支配者層、多数派の人たちのためにではなく、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」(2:11)と言ったのです。羊飼いたちは「あなたがたのため」、つまり私たちのため、この私のために救い主がお生まれになったというお告げを聞いたのです。

 だからベツレヘムまで急いで行き、乳飲み子を探し当て、お祝いをし、神に感謝したのです。では、彼らからの贈り物は何だったでしょうか。博士たちのように黄金や乳香など高価なものなど貧しい羊飼いたちに贈れるはずもありません。ルカは書き留めていませんが、羊飼いにできるもの、羊飼いにしかできないものをプレゼントしたと、私は思うのです。それは羊のお乳です。出産という大仕事で体力を使い果たしたマリアにとって、これから毎日授乳をしなければならないマリアにとって羊のミルクは何よりの贈り物だったことでしょう。日常生活の中からの、労働の現場からの献げ物でした。

 もう一つ、羊飼いのエピソードで忘れてはいけないことは、馬小屋の光景を見たあと、「羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた」(2:17)ことです。知らせた「人々」とはどういう人たちでしょうか。羊飼いの仲間たちもきっとそうでしょう。顔見知りの村の人たちも間違いなくそうでしょう。なぜそう思うかと言えば、この出来事は私たちのため、この私のための特別な喜びごとです。そうならば独り占めしますか。いいえ、特別な喜びごと、この上なく価値のあることだからこそ、分かち合わないではいられなかったのです。自分が貧しいから手に入れたものは握りしめて独り占めするのではなく、逆にもう一人の貧しい人と分かち合うのです。

4.

 マザーテレサはそういう貧しい人たちを見て、Small is beautifulと言いました。貧しく小さな人々、社会的に小さくされた人々は生まれつきbeautifulだと言っているのではないのです。彼らもふつうの人、大事なものを得たら独り占めしたくなるようなふつうの人なのです。しかし、愛の神さまがもう一人の貧しい人の中にいて、もう一人の貧しい人として彼に出会い、接してくださるときに、なんとその人の心の中に愛の気持ちが芽生えるのです。そうすると分かち合いの行動が出て来るのです。愛の神さまは人間の心に愛の息吹を吹き込んでくださるのです。ちょうど愛の神さまが追い剥ぎに襲われて半死半生で苦しんでいる人としてサマリア人と出会ってくださったときに、サマリア人の心にこの人を助けなければという気持ちを引き起こしてくださり、彼に身の危険も顧みずに、大怪我をしたユダヤ人を助けようという愛の心を沸き上がらせてくださったのと同じです。愛の救い主イエス様が誰かをとおして自分に出会ってくださるときに、私たちには、自分の心の中にはそれまで無かったあたたかさ、人の苦しみを感じ取る心、人への優しさ、思いやり、いのちを尊ぶ思いが吹き込まれます。愛の心が芽生えるのです。ささやかではあっても愛の行動へと駆り立てられるのです。愛を生きる人へと変えられていくのです。

 ですから、突然の天使のお告げに怖じ恐れ、戸惑い、これから起こることを思って不安に陥っていたエリサベトもマリアも変えられていったのです。常識に囚われ離別という選択肢を選びそうになったヨセフも変えられていったのです。自分たちのことで手一杯で、縁もゆかりもない赤の他人の世話をするゆとりなどなかったベツレヘムの宿屋の主人たちも先客たちも生まれてくる赤ん坊のために身を削って親切にするように変えられていったのです。羊飼いたちは自分が喜び拝み賛美するだけでなく、目の当たりにした大きな喜びの出来事を誰かと分かち合わないではいられないように変えられていったのです。自分たちの身の安全や世間の評判や小さな幸せよりも、神さまから託された子を産み守り育てるという大切な務めを、たとえそれが愛する息子の十字架上の死を見届けることになろうとも、その務めを全うすることへとヨセフとマリアは変えられていったのです。

 繰り返しますが、愛の神さま、愛の救い主イエスさまが、時に姿を変え、小さく貧しくなられて、私たちに出会ってくださり、触れてくださり、私たちの心の中に入ってくださることで、私たちは変えられていくのです。はじめはほんの少しであっても、神の愛を生きるように変えられていくのです。キリストに倣う愛の生き方がベツレヘムの馬小屋で始まるのです。

 相互不信と暴力が世界を覆う闇を一層深くしています。自己中心と高慢と神を無視し時に神に背く個々人の生き方は依然として私たちの間にしぶとく蔓延っています。しかし、ゴルゴタの十字架と空虚な墓の出来事により闇の力は打ち砕かれ、光と愛が勝利する神の究極の力が示されました。そのために、御子は天の高みから降り、地の最も低い所で生まれ、惨めさや悲しみや苦しみの極みを味わわれたのです。そうすることで人間への神の愛がもたらされました。私たちこそが飼い葉桶なのです。私たちのもとに主が来てくださって、神の愛を生きるように愛の息吹を体の内に吹き込んでくださり、愛の思いを心の内に芽生えさせてくださるのです。それがクリスマスなのです。神に感謝、アーメン


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