2021年12月6日月曜日

「道備えという生き方」 江藤直純牧師

 待降節第2主日 2021年12月5日 小田原教会

マラキ3:1-6;フィリピ1:3-11;ルカ3:1-6

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなた方にあるように。

1.

 頑強そうな体つき、伸ばし放題のひげ面に眼光鋭く見詰める二つの目、服装はと言えばらくだの毛衣と革の帯、食べ物はいなごと野蜜。「荒れ野に叫ぶ声」という形容がまさにピッタリの、年の頃30歳ほどのこの男性の名はヨハネ。ザカリアの子ヨハネ、最近は洗礼者ヨハネと呼ばれています。

 人里離れた荒れ野に住んでいるからと言って、俗世間を離れて暮らしているからと言って、彼はけっして世捨て人でも隠遁者でもありません。人間嫌いでもありません。彼のほうから町や村に入っていかなかったにせよ、遠くや近くの町々村々の人のほうから彼のもとに訪ねてくるのです。しかも、彼の厳しい言葉遣いで語る話は、少しも耳障りのよいものでも、心温まる人情物語でもないのです。その真逆です。「悔い改めよ。悔い改めよ。罪の赦しを得るために悔い改めの洗礼を受けよ」と叫んでいるのです。聞けば震えあがらんばかりの鬼気迫る声です。「悔い改めよ。悔い改めよ」。魂を揺さぶります。

 来週の福音書の日課は、彼のもとに集まった人々に彼が何を語ったかが記されており、さらには彼が領主ヘロデの結婚問題で激しく責め立てたので、ヘロデが彼を逮捕し牢につないだことが述べられています。挙げ句の果てにヨハネは首を刎ねられてしまいます。人々には彼の「悔い改めよ」との迫りがどれほど重く厳しかったかが想像できます。

 このように話すと、わたしたちがよく知っている洗礼者ヨハネのイメージはいっそう強められます。人間の不義を少しも許さず、倫理的に正しい生き方をどこまでも求めているようです。そうすることが神の前に生きる人間の在り方だと主張しているようです。そうしなければ神の前に出る資格はないと言っているようです。

 たしかにそのような印象を受けます。そのことを否定するものではありません。しかし、彼ヨハネが宣べ伝えた「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」とはどういうものなのか、今朝はそのことに深く思いを巡らせてみましょう。

2.

 ふつう「悔い改め」という言葉を使うのは、よほど悪いことをしたときに、そのことを深く反省し、後悔し、もう二度としないという決心をするときでしょう。とんでもない罪を犯したときもそうでしょうし、人を傷つけたり、取返しの付かない失敗をしでかしたりしたときもそうでしょう。ですから、日常会話でそう頻繁に使う言葉ではないと思われます。

 ところで、この悔い改めと訳されている言葉は日本語の聖書ではほとんどが「悔い改め」という言葉を当てていますが、一つだけ岩波訳は「改心」、心を改めるという訳語を当てています。同じ岩波訳でマルコとマタイでは「回心」、心を回すという訳語を用いています。「悔い改めよ」は「回心せよ」となっているのです。けれどもルカだけはとくに倫理的側面が前面に押し出されているという理由で、あえて訳語を変えて心を改める方の「改心」を選んだと注に書いてあります。

 では、原語のギリシャ語ではどうなっているかを見てみますと、「メタノイア」という言葉なのです。辞書を引きますと、「心の変化、悔い改め、改心」、そして「転向」と書いてあることに注目したいのです。名詞のメタノイアの元になった動詞では「考え直す、心を変える、悔い改める、改心する」などと記されています。

 なんだか大学の講義みたいになってきましたが、申し上げたいことはただ一点だけです。それは「メタノイア」は、ふつうはいわゆる悔い改めとか改心と訳されていますが、大元は「心を変える、転向する、向きを変える」という意味だったということです。心を変えれば当然そこから悔い改めにつながっていきますが、そもそもは心の向きを変えること、いのちの方向転換をすることだというのです。

 「心の向き」とはどういうことでしょうか。いくつか例を挙げてみましょう。

 皆さんは「成長」という言葉を聞くとどんなイメージを持たれますか。どんな印象を持たれますか。「柱の傷はおととしの5月5日の背比べ・・」。最近は子どもが歌う童謡には入っていないかもしれませんし、マンションの壁に傷をつけることも許されないでしょう。でも、ここにいらっしゃる皆さんには懐かしく思い出される端午の節句の頃歌う歌ですね。子どもの背が伸びることは成長の目に見える証しです。子どもに背の高さを追い抜かれるとホンネでは親は嬉しくなるものです。日本経済がかつてのように成長しないことに先行き不安を感じることもあるでしょうが、この場合も経済の規模が右肩上がりに大きくなっていくことが成長と思われています。これまた上向きの動きのことですし、背の高さも経済活動も成長するということは基本的に善、良いこと、プラスのイメージで捉えられています。

 ところで、先日若松英輔という人の本を読んでいたときに「植物的成長」という言葉に生まれて初めて出くわしました。「植物的成長」、これは木を見ればすぐに分かることですが、木の成長とはただ上に上に伸びていくことだけではありません。木は、ご存じのとおり、上に伸びると同時に、いえ、上に伸びるためには、下に向かって伸びていき、さらには地下で横にも広がっていくのです。下に、地下に、見えないところに潜っていくというか伸びていくことが上への成長のためには必須のことなのです。なるほど、これが植物の成長なのだと気づかされましたし、このことは植物の成長だけでなく人間の成長にとっても同じことが言えるのではないかと思わされたことでした。これはものの見方の大きな転換でした。

 ずっと以前に読んだ新聞記事に、ある人が「ウサギとカメ」の話しをある子どもにしたときのビックリした思い出が書いてありました。どなたもご存じのウサギとカメの話しですから今更ストーリーをおさらいする必要もないでしょう。油断をして眠ってしまっていたウサギと違ってカメは一生懸命歩き続け、ウサギを追い越し、とうとう先にゴールインしてしまったのです。わたしが中学生の時に英語で読んだこの話は、今も忘れない次の一文で締め括られていました。Slow and steady wins the race. ゆっくりこつこつであっても地道に努力すれば最後には競争に勝利するとでもいった意味でしょうか。こういう教訓、人生の教訓が子ども向けのお話しにも込められているのですね。

 この話をした大人がビックリしたのは、それを聞いた子どもが怪訝な顔をしてこう尋ねたからでした。「ねえ、おじさん。そのカメはどうしてウサギを起こしてあげなかったの?」。そんなことをしたら、カメは競争に負けてしまうではないかなどと言ったとしてもその子はきっと納得しないことでしょう。その子どもにとっては、カメには別の選択肢があったと思えて仕方がなかったのです。

 それからまたずっと後に、ある知的障害者の施設から募金のお願い状がわたしのもとに届きました。その募金趣意書にはいわゆるお願いも書いてありましたが、園で暮らしている子どもや青年たちのエピソードも綴ってあって、こういうことを大事にしている施設だから支援を頼むということでした。そのエピソードの一つはこうです。地域のスポーツ大会に施設の青年もマラソンに参加したそうです。ところが彼は運動は得意ではなく、後のほうを走っていたところ、前を走っていた地元の青年が急にお腹が痛くなってしゃがみ込んでしまったのです。するとあとからやっと追いついてきた施設の青年は近寄ってしゃがみ込んでいる青年の背中やお腹を懸命に優しくさすっているというのです。暫くしてからやっとその人は起き上がり、施設の青年は彼と一緒にゆっくり歩いてゴールに向かったそうです。もちろんその時二人は他の選手たちからずっと遅れてビリだったのです。募金趣意書には園長先生がそのエピソードを嬉しそうに、むしろ誇らしそうに綴っていたのでした。

 ウサギとカメの話しを不思議に思って訊いた子どもも、マラソンで勝つことよりもお腹が痛くなって困っている人を助けようとした青年も、いわゆる競争社会ではおそらく勝利とは縁がないかもしれません。勝ち組ではなく負け組でしょう。でも、彼らには、彼らが大切にしているもう一つの価値観がある、彼らが生きているもう一つの世界がある、彼らにとって大切なもう一つの人間関係がある――わたしはそのことに改めて気づかされたのです。

 人生で何が大切なことか、どちらの方向を向いて生きるか・・・そのことを深く考えます。その時に、こっちではない、あっちの方向に向きを変えよう、方向転換をしよう、そう決心することが「メタノイア」なのです。

3.

 そう言えば、「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」を訴えたヨハネが言うところの「罪」ということもこの際考え直さなければなりません。罪というとわたしたちはすぐに犯罪ということを連想します。悪いことをしてしまったときそれを罪と言います。行為の倫理性、心情の道徳性と結びつけて罪を捉えがちです。それは間違ってはいませんけれども、実は肝心要のことではないのです。

 またまたギリシャ語ですが、罪の原語は「ハマルティア」と言います。辞書を引くと、「失敗、過ち」そして「罪、罪の行い」などと説明されています。しかし、その動詞の形ハマルタノウは「標的に当て損なう、し損じる、誤る、過ちを犯す」となっています。ハマルティアとは「弓を引いて矢を放っても標的に当て損なうこと」、端的に言えば「的外れ」のことなのです。飛んでいく矢の方向が間違っていると、的にはけっして当たらないのです。問題は標的に正しく向き合っているかどうかなのです。正しく向き合っていないならば、的に当たらないのです。まじめかどうか、一生懸命かどうかではないのです。標的に当たるためには正しい方向を向いていないといけないのです。ですからそこで必要なことはほかでもありません、「メタノイア」なのです。方向転換です。

 洗礼者ヨハネが声をからして多くの民衆たちや兵士たちに、指導的な宗教家たちに、さらには権力をもつ領主にさえも訴えていたのは、生き方の向きを変えよ、人生の目標目的に到達したければ方向を根本的に転換せよ、自己中心ではなく神中心に生きよ、そのことが人間にとって根本的に大切だということに気づきなさい! このことでした。もろもろの行為はそれに伴って出てくるものなのだから、結果として出てきてしまった行為の一つひとつの是非善悪の反省とそれによる悔い改めだけを考えるのではなく、大元の生きる向きを転換するのだ! このことでした。

 では、どうしたらその方向転換「メタノイア」ができるのでしょうか。ルカは4節から6節にかけてイザヤ書にある預言者の言葉を、ヨハネの登場の記述の直後に、語っています。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」。でこぼこの道を、ぐねぐねと折れ曲がった道をまっすぐで平らな道にせよとの主の言葉は、いつ、どんな状況で語られたのでしょうか。ルカが引用しているのはイザヤ書40章の3節から5節です。その預言の言葉が語られた状況は1節と2節に明らかです。旧約の1123頁です。小見出しは「帰還の約束」です。帰還とはどこからどこへ帰ることでしょうか。イザヤ書にはこう記してあります。「慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ」。なんとこれは「慰めの言葉」だというのです。主は何とおっしゃるのでしょうか。「苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と」。苦役の時、すなわち紀元前586年からほぼ半世紀の間、正確には48年間にわたって、バビロニア帝国にユダヤの主だった人々は連行され、バビロン捕囚と呼ばれる民族的な大きな苦しみを経験したのですが、神さまはそのもととなった罪を赦し、故国に帰ってよいと解放してくださったのです。だから「慰めよ、わが民を慰めよ」なのです。彼女の、神に背いた民族としての罪と咎は「償われた」と宣言してくださったのです。「罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた」のだから、さあ心安んじて故国に帰還し、今度こそ神の御心を心とし、神の御旨に従い、神を中心とした新しい生き方を始めなさいと慈しみ深く語りかけてくださったのです。

 そのような神の恵みが、神の赦しの愛がすでに与えられているのだから、あなたたちは神さまのために広く、まっすぐで、平らな道を備えよと預言者は語るのです。もう一度言いますが、神のあなたがたへの赦しの恵みと愛、これが先で、だからあなたがたは神へと方向転換をし、メタノイアして、それにふさわしい生き方をしなさいと招いておられるのです。そのことの象徴が広くまっすぐな平らな道です。

 でも、そのようにイメージでやや抽象的に語られても、今ひとつピンと来ないのももっともです。ですから、わたしたちの生きる道とは何かを聖書の中に見出しましょう。するとあるではありませんか。ヨハネ福音書の14章の6節にこう書いてありますね。「わたしは道であり、真理であり、命である」と。わたしとはイエスさまのことです。イエス・キリストは道である。この道へと方向転換し、この道を歩いて行けば、さっそうとでものろのろとでもとにもかくにもこの道を歩いて行きさえすればいいのです。「わたしは道である。・・わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」(ヨハ14:6)。言い換えれば、わたしを通って行けば、必ず父のもとにたどり着ける。父なる神の側から近寄ってきてくださる。だから、さあ、この道へと、この方向へと生き方を転換しよう、「メタノイア」しよう――洗礼者ヨハネはこう呼びかけているのです。そうすれば、「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」(ルカ3:6)のです。アーメン

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

2021年11月8日月曜日

「ごく僅かはたくさん」 江藤直純牧師

聖霊降臨後第24主日 2021.11.7.小田原教会 江藤直純牧師

列王記上17:8-16;ヘブライ9:24-28;

マルコ12:38-44

1.

 この10月はいつもにも増して賑やかなというか騒がしい一月でした。一週間前に国政選挙があったこともありますが、それ以上にマスコミを賑わせたのは二人の若者の結婚を巡ってでした。轟々たる非難を浴びて、あたかも彼らが国中の総反対を押し切ったような報道ぶりでした。しかし、いざ信念を貫くと、その結婚を祝福したいという国民のほうが反対の人たちよりも倍以上も多い世論調査も発表されました。

 わたしは今この場でこの事件の是非善悪を滔々と論じようとは思いませんし、そうするのが良いとも思っていません。ただ、ネットや一部マスメディアのセンセーショナルで声高な論調もたしかにありましたが、静かに見守っていた人々もいたということ、別な言い方をすれば、一つの事柄をどの角度から、どの視点から見るかによって、また、いったい何が最も大切なことかという観点から考えるかによって、出来事の見え方は全く変わってくるということを改めて知ったのでした。

 わたしたちの日常には、社会全体が大騒ぎをするようなこともあれば、ほとんどの人の目にも触れず気も引かない出来事もあります。それは今の時代ももちろんそうですが、昔もまたそうでした。そのとき、わたしたちは大きな、勢いのいい風潮に付和雷同して、上っ面の見方にとどまってしまうか、それともそれとは全く違った見方、考え方を、たとえそれがどんなに少数であっても、することができるか、今日の福音書の出来事から自分を見つめ直してみたいと思います。

2.

 今日の登場人物は、一人の名もなき女性です。「貧しいやもめ」です。岩波訳では「赤貧の寡婦」と書いてあり、寡婦に「やもめ」とルビが振ってあります。「乞食の寡婦」とも訳されています。現代社会の中で夫に先立たれた女性の多くは経済的にも社会的にもさまざまに困難を背負っていますが、二千年前の、今よりももっともっと男性中心の社会で夫に死なれた女性が一人で生きていくのに、もしかしたら子どもを抱えて生きていくのにどれほど大きな苦労を強いられていたかは想像に難くありません。

 その彼女がエルサレムにあるあの壮麗な神殿にやって来たときの話しです。彼女はなけなしの財布から最後の二枚の小銭、レプトン銅貨二枚をそっと賽銭箱に入れます。その横でこれ見よがしにジャランジャランと大きな音を立てながら賽銭を放り込む金持ちの男たちがいました。そして、それをじっと見ていたイエスさまがいらっしゃいました。

 これ以上話を進める前に、当時のエルサレム神殿での賽銭についてご説明をいたしましょう。エルサレム神殿は町を取り囲む城壁の中での最大の建造物です(『コンサイス聖書歴史地図』「キリスト時代のエルサレム」参照)。先ず紀元前10世紀にソロモンの神殿と呼ばれる壮大な神殿が建てられ、紀元前6世紀にはバビロン捕囚から解放されて帰国した人々が破壊されていた神殿を再建しました。世に第二神殿と呼ばれるものです。紀元前1世紀にはヘロデ大王が全面的に改装・拡張しました。イエスさまがエルサレムに上り、宮清めをしたり群衆に教えを語ったり崩壊の予告をしたのがこのヘロデの神殿です。

 聖所と至聖所があり、その前にエルサレムの庭と呼ばれる男性だけが入れる庭があり、その外側に女性の庭と呼ばれる庭があります。そこは神殿本体の中で女性が入れる最も奥まったところです。ここに多くの柱廊が立っており、ぐるりと建物が取り囲んでいます。女性の庭と呼ばれていますが、ここは女性だけでなくもちろん男性も入れます。そのまた外側にイスラエル人が入ることができる区域と、「隔ての中垣」で区切られた異邦人の庭と呼ばれる区域があり、参拝に来た異邦人はここまでしか入れないのです。これら全体を回廊が取り囲んでおり、これがいわゆるエルサレム神殿です(「キリスト時代の神殿の丘」参照)。ここは普段も賑わっていますが、今日は三大祭りの一つ、過越祭が目前でしたから、さぞや大賑わいであったことでしょう。

 本日の出来事の舞台はここです。賽銭箱は女性の庭の柱廊の前に13個並べてあったのです。7つは目的別の賽銭箱、6つは自由な賽銭箱です。賽銭箱というと、わたしたちは神社やお寺にある、長方形で、上の面は賽銭が滑り落ちるけれども、外からはお金を取り出すことはできないように桟が覆っている木の箱を思い浮かべることでしょう。エルサレム神殿の賽銭箱はお金を入れる上半分の形が全く違います。金属製でラッパのような口を開いていて、そこから硬貨を投げ入れると、管を通って箱に落ちていくまでにチャリンチャリンとかガランガランとか音を立てるのです。ですから、たくさんの硬貨を投げ入れれば、大きな金属音がするし、僅かな軽い銅貨入れれば微かな音しかしません。紙幣、お札というものがない時代です。銀貨が主ですが、価値の低い小銭は銅貨です。重さや大きさも違います。

 さらに、ちょっと信じられない気がしますが,ある文献によれば、賽銭箱の横に祭司が立っていて、投げ入れる人にいくら献金するのかを尋ねて、投げ入れる前に大声でいくらいくらと言うそうです。金額が公表され、多量の硬貨がジャランジャラーンと大きな音を立てながら落ちていくとき、たくさんの賽銭を入れる金持ちの表情はどんなでしょうか。満足げな、得意げな、誇らしげな顔を容易に想像できます。しかも、そのような金持ちが何人もいたのです。「大勢の金持ちがたくさん入れていた」とマルコは記しています。

 そして、赤貧洗うがごとしと言った、乞食のような、貧しいやもめの人が金持ちたちの横で賽銭箱の前に立ったとき、その人はどういう思いがし、どういう仕草、振る舞いをし、どんな表情になっていたでしょうか。これまた、わざわざ想像力を働かせるまでもなく、彼女の顔を思い浮かべることができるのではないでしょうか。人と目を合わせないように、じっと俯いて小さな銅貨をそっと滑り落としていたことでしょう。

3.

 そもそも人はなぜ賽銭をあげるのでしょうか。手許の国語辞典には賽銭のことをこう説明しています。「神仏に参詣したときに、供えるお金」。もっと詳しく知りたくて、『広辞苑』を引いてみました。すると、「(賽)は神仏にむくいる意」と先ず漢字の説明がされていて、それから「①祈願成就のお礼として神仏に奉る賽物の銭。」そして「②神仏に参詣して奉る銭」とありました。第一義的には「祈願成就のお礼」、お礼参りのしるしだそうです。二番目が主には参詣のときにするのが願いごとならば、その願いを叶えていただきたくて捧げるお金なのでしょう。

 あの金持ちにはお礼をする理由が十分にあったでしょう。なぜなら彼はすでに人も羨むほどの金持ちなのですから。しかも宗教的にもファリサイ派などとして尊敬を集める立場でした。さらには、それゆえに社会的にも指導的・支配的な地位を勝ち得ていました。宗教的、経済的、社会的に高い評価を得ているのですから、それは神の恵みの賜物だと受け止め感謝して、多額の捧げ物、賽銭をしても言わば当然でしょう。彼らは自分がどんなに恵まれているかをひけらかして、これ見よがしに派手に賽銭を投げ入れているのです。謙遜にではなく、自慢げに,傲慢そうに大きな音を立てています。金持ちにとっては、大きな賽銭をすることは十分にペイしているのです。いい取引ではありませんか。

 それでは、あの貧しいやもめはどういう理由で、レプトン銅貨二枚を賽銭として捧げたのでしょうか。そうしてしまえばもはや財布の中は一文無しになってしまうような状態です。いったい何に対してお礼をしようというのでしょうか。神さまの恵みを受けているならば何故どうして、若くして夫に死なれ、経済的にどん底の状態に陥り、社会的に見れば最下層に属すことになったのでしょうか。「神さま、なぜですか」さらに「世の中、神も仏もあるものか」と恨み言を呟いて、神殿に背を向けても少しもおかしくない境遇です。

 すでにお恵みに十分に与っているからお礼の意味で賽銭をするのではなく、この状態から何とか救い出していただきたくて、心の底からの願い事を叶えていただくための捧げ物だということでしょうか。ごく僅かですが、これでよろしくお願いしますと言っているのでしょうか。たしかに、そう考えられないこともないかもしれません。

 しかし、そうは言っても、たったレプトン銅貨を二枚捧げて幸運を買おうというのでしょうか。レプトンとは「ローマの銅貨で、1デナリオンの1/128」なのです。1デナリオンは当時の労働者の一日分の賃金です。今日の豊かな日本と二千年前のイスラエルでは比べものになりませんが、2021年度の神奈川県の最低賃金は1040円です。8時間働いて得るのは8320円です。その1/128は僅か65円です。こういう言い方は適切ではありませんが、たった65円で夢のような願い事を叶えてくださいとは、いくらなんでも虫が良すぎるのではないでしょうか。このやもめは本気でレプトン銅貨二枚で神さまに取り引きを持ちかけているのでしょうか。そんなはずはないでしょう。金額はごくごく僅かだけれども、彼女にとってみればそれは生活費のすべてだから、自分の財産のうちの賽銭の割合、率から言えば、あの金持ちと比べればずっと高い比率で賽銭を上げているという計算、理屈を彼女は腹の中で考えているのでしょうか。そんなにしたたかとはとても思えません。

 たしかにイエスさまは、こうおっしゃいました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」と。そう言いながら、彼女の信仰を高く評価し、神さまの祝福があることを宣言なさいました。

 ありがたいことです。感謝すべきことです。イエスさまはそう言って彼女を受け止め、受け容れてくださいました。しかし、彼女の真意は? 別の味方をしてみましょう。

4.

 先週の礼拝でわたしたちが思い起こした宗教改革者マルティン・ルターは、他の人間との比較ならばいざ知らず、完全な義である神さま、まったき愛である神さまの前では、自分という人間はなんら誇るところのない人間であること、否、それどころか、むしろどこまでも自己中心的な罪ある人間に過ぎないこと、どんなに努力しても自力では自分の救いを勝ち取ることなど決してできない人間であることをはっきりと認めざるを得ない人でした。ですから、救いのためには自分が持っているものはゼロでしかない以上、神さまの前に差し出すことのできるものと言えば、ただ一つだけです。それは何かと言えば、自分の破れ、欠けです。自分の弱さであり、醜さです。そうです、神さまに対しては誇ることなどなにひとつできはしないのです。持っているのは、自分の罪だけなのです。

 あの金持ちの男たちのように、賽銭をジャラジャラと大きく派手な音を立てて投げ入れては、周囲の人に向かって、ということは実は神さまに向かって、自分の豊かさをひけらかし、富を振りかざし、優越感に浸るのではありません。彼女が音もしないようにそっと入れたごく僅かの賽銭、レプトン銅貨二枚とは、自分の持っている物は無に等しいのですと、周囲の人にも、そしてなにより神さまに向かって、自分をさらけ出して告白しているのと同じではないでしょうか。自分は無です。ごく僅かであっても神さまに差し出して、これで救いを与えてくださいとお願いできるような物は何も持ってはおりません。ですから神さま、どうかそのようなわたしを憐れんでください。主よ、憐れみたまえ。そして、わたしを救ってください。わたしにできることは只一つです。あなたの御手にわたし自身をお委ねすることだけです。貧しいやもめの信仰とは、そういうものではなかったでしょうか。そうでなければ、ごく僅かなレプトン銅貨二枚を投げ入れるなど、世間的に見ればただ恥をさらすだけのことをどうしてわざわざ人前でするでしょうか。

 賽銭箱の前でこのことの一部始終をご覧になっていたのがイエスさまでした。

この出来事が起こった数日後、イエスさまは捕らえられ、裁判にかけられて、ゴルゴダの丘の上で十字架刑に処せられ、わたしたち人間の罪を一身に引き受けて贖いの死を遂げられました。それは、無に等しい者、ゼロでしかない者、否、マイナスの存在、罪ある者を救うためにです。自分が無であり、罪人であり、恵みによってでしか救われないことを知っている者こそ、最も救いに近い者です。最も神に近い者です。他の誰が気づかなくてもキリストはその人をご存じです。骨の髄までご存じです。それだけでなく、その人を受け容れ、愛し、救いへと導かれます。永遠の命という、これ以上ない豊かなキリストの富を与えてくださるのです。あの貧しいやもめはキリストのものなのです。アーメン

2021年10月4日月曜日

人間の願望と神の深慮 江藤直純牧師

 2021年10月3日・小田原教会

創世記2:18-24;ヘブル1:1-4;マルコ10:2-16

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1. 結婚と離婚を見直す

 今朝の旧約聖書の日課、つまり創世記2章と福音書の日課、マルコ福音書の10章を読んだときに、ずいぶん昔のことですが、神学校の寮で聞いたある神学生の他愛もない言葉遊びを思い出してしまいました。文語風に言うと、「神合わせたもうものを、人離すべからず」との御言葉を、すました顔をしてその裏返しをこう言ったのです。「神合わせられなかったものを、人結びつけるべからず」と。深く考えずにすっと受け取ると、「なるほど、そうだね。おもしろいね」となります。

 しかし、今になって考えると、人間の社会におそらく歴史と共にある結婚という現象と離婚という出来事とのある真実を指摘しているように思えるのです。キリスト教の結婚式で新郎新婦が結婚の誓約を神と会衆の前で述べたあとに、牧師が二人をおごそかに祝福し、そのあとに必ず語る聖書の言葉がこれです。「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。そう宣言されることで、本人たちもそこに集った者たちもみな、この結婚は「神が結び合わせてくださったもの」だと信じ込むのです。そう信じるのはそうであってほしいとの人間の願望の反映という面があるでしょうが、はたしてこの結婚は神のご意志だとの保証はどこにあるのでしょうか。牧師がそんなことを言ってどうするのかとお叱りを受けるかもしれませんが、私は今冗談を言っているのでもなく、屁理屈を言っているのでもありません。現実を見ながら、結婚とはなんだろうと真面目に考え直してみたいのです。

 現在の日本では結婚する人の数は減ってきましたが、それでも年間に60万組ほどが婚姻関係に入ります。それでは離婚の数はどれくらいだと思われますか。この一年間に届けられたのは約20万組です。身の回りで実感する割合よりもずっと多い気はしますが、これは統計が示す事実です。わたしたちの暮しの実態です。

2. 新約聖書に見る結婚と離婚

 ヨハネ福音書が記すイエスさまの最初の奇跡は、カナでの婚礼の際に水をブドウ酒に変えられた出来事でした。このことからイエスさまが若い二人の門出を祝福されていると理解されています。

 洗礼者ヨハネがヘロデ・アンティパス王によって斬首されたきっかけは、異母兄弟の妻だった女性へロディアに横恋慕し、離婚させて彼女と再婚したことをヨハネに非難されたからだと伝えられています。幸せそうな結婚もあれば、悲劇につながる離婚もあるのです。

 今朝の福音書の日課が描き出しているのは、イエスさまに表向きは教えを乞うような素振りをしても、ホンネは難癖をふっかけて困らせようとしているファリサイ派の人々です。彼らが持ち出したのが離婚の是非でした。申命記24章には離婚をする場合に踏むべき段取りが規定されているのです。そうすれば離婚は合法的なのです。それでは、創世記2章の「神が合わせられたものを人は離すべからず」はどうなるのでしょうか。

3. 創世記に見る最初の男と女――人間関係の原型

 創造主である神さまは、ではそもそも一体どういうお考えで最初の人間アダムにもう一人の人間を創造されて共に生きるようにされたのでしょうか。ここを深掘りしなくてはなりません。アダムは真面目で働き者ではあったでしょうが、神さまは彼の生活をご覧になって「人が独りでいるのはよくない」と仰います。「人が独りでいるのはよくない」。ここで言う「ひとり」とは一人二人三人の「一人」ではなく、孤独の独の「独り」です。独は独でも独立の独ではありません。他の人との交わりがない生き方、それは本当の意味での人間の生き方ではないのです。空間的に離れていて一人暮らしをするという意味ではありません。他の人と無関係に、或いは他の人に無関心に生きているという意味での「独り」でいることが問題だと言われているのです。

 良く言われることですが、人という漢字は二人の人が支え合っている形からできたと言われていますし、人間という熟語は人と人との間、つまり人間関係を生きているのが人間の本当の在り方だと暗示しているようです。だから独りで生きている人間に向かって、神さまは「この人に合う助ける者を造ろう」と決心なさったのです。「この人に合う助ける者」、それは、他の翻訳を見ると、「ふさわしい助け手」と訳してあるのもあれば、英語には「パートナーであるヘルパー」という訳もありました。

 「彼に合う」あるいは「彼女に合う」、「ふさわしい」、「パートナー」などと訳されている原語が表わそうとしている意味は、相手と真正面から向き合い、相手に深く関わり、相手をいいところも悪いところもひっくるめて全部をよく理解し、心から共感し、互いに受け容れる存在のことです。なくてはならない人生の相棒・同伴者であり、あたかも二頭の牛が一本の軛につながれて共に労苦し、共に重荷を負い合うような存在です。ローマ書の言葉を借りるならば、その人が喜んでいるときに共に喜び、悲しんでいるときに共に泣く、そういう存在なのです。瞬間的な快楽だけでなく、長い長い時間を共に過ごしながら、しばしば忍耐を重ねながら、いのちを共有している存在です。ということは、言葉の最も純粋な意味でその人を信じ愛する存在と言えます。これが一方的にだけではなく相互にそうなる関係が求められています。「二人は一体となる」(2:24)という印象的な言葉が表現しているのは、二人の人間が互いに相手にとってそのような関係にあるということでしょう。

 「助ける者」「助け手」「ヘルパー」という言葉を、仕事や生活をする上での便利なお手伝いさんと取っては大きな間違いでしょう。たしかに具体的な援助者、助手としての働きもするでしょうし、それも実際必要ですが、何を助けるのかということについて、わたしはこう思っています。アダムが、またイブが相手にとっての「助ける者」「助け手」というのは、その人がいてくれて、その人が関わってくれて、その人が愛してくれることによってはじめて、わたしが真のわたしになっていける場合、その人はわたしが生きていく上での真の「助ける者」「ヘルパー」だということなのです。相繋がり合い、相補い合い、独りのときにはけっしてなれなかった新しい自分になっていくことを助ける者です。独りのときにはできなかった新しいもの、新しいいのち、新しい人生の価値を生み出すことを助ける者なのです。

 このような掛け替えのない人生の相方が人間に必要だとお考えになり、そのような存在となるようにパートナーを創造されたのです。「二人は一体となる」ためにです。そして、これこそが夫婦だけでなく、人間関係の原型と言えるのではないでしょうか。

 ところが、神さまのお考えはそうであったのですが、現実の人間はすぐに正体を現してしまいます。創世記の第3章の「蛇の誘惑」と小見出しが付けられた出来事を思い出してください。一体となったはずの二人は、まんまと蛇の誘惑に負けて、神からの戒めを破って禁断の木の実を食べてしまいます。しかも、それだけではなく、神さまに問い詰められると、男はその罪を女になすり付けてしまいます。こんなことを信じ愛する人にされたら、百年の恋も一瞬に冷めてしまうでしょう。

 「堕罪」と後に呼ばれることになるこの出来事があっても、神さまは二人を別れるようにはされずに、楽園を追放されたあとの苦難に満ちた人生を二人して生きていくようになさいました。これ以後の旧約39巻に描かれている波瀾万丈の歴史は、ある意味人間の罪の歴史でありましたが、同時にそれは神さまがなんとかして人間を罪から救い出そうとする歴史でもあったのです。

4. 真のパートナー、花婿キリスト

 人と人との交わりの不完全さ、そしてその背後にある人と神との関係の不完全さをどうやったら補い、正し、克服できるのでしょうか。神による救済の歴史の最後の最後の手段として神さまが選ばれたこと、それは神が人間となること、そして人間が求めてやまない交わりを神自らが人間となって交わりを生き抜き,死をもって完成させることでした。ご自身で「その人に合う」「ふさわしい」「パートナー」となって、その人の足りないことを補い、罪を贖い、本来のその人となって新しいいのちを生きるように「助ける」、それがイエス・キリストなのです。

 宗教改革者マルティン・ルターはその代表作『キリスト者の自由』という書物の中で、「喜ばしい交換」という興味深い言葉を使って、主イエス・キリストとわたしたち人間の関係を非常に印象的に描き出しています。これはルターが強調する「恵みにより、信仰を通して成就される義認」についての説明の一節です。義認というのは、罪人がキリストの十字架によって神さまに義しいと認められる、つまり、救われる、分かり易くいえば、神との正しい関係を回復していただくことですが、それがどうやって可能になったかの説明です。その時にルターはその際、中世以来の花嫁神秘主義と呼ばれるやや神秘的な比喩と、誰もが知っている婚姻法を用いたのです。

 彼はこう書いています。「信仰は、魂が神のことばと等しくなり、すべての恩恵で充たされ、自由で救われるようにするばかりでなく、新婦が新郎とひとつにされるように、魂をキリストとひとつにする」と。ひとつにされると何が起こるのでしょうか。ルターは続けます。ひとつとなった両者は「両方の所有、すなわち、幸も不幸もあらゆるものも共有」するようになると言うのです。ですから、「富んだ、高貴である」新郎キリストが所有するものは信仰ある魂のものとなり、「貧しくいやしく、悪い娼婦である」魂が所有するものはキリストのものとなると言い切ります。キリストの所有とは「いっさいの宝と祝福」であり、魂のそれとは「いっさいの不徳と罪」でしたから、結婚によってその逆転が起こるのです。そのことをルターは「喜ばしい交換と取り合い」と呼んだのです。

 結婚とか新郎と新婦という比喩を用いてのキリストと罪人、神と人間の交わりと救いの描写はまさに創世記2章に示された「二人は一体となる」ということの現実化です。キリストこそが「彼に合う」「ふさわしい」「パートナー」であって、その人抜きでは、その人の「助け」なしではけっして誰もなりえないところの新しい人間――罪赦され、自由にされ、神の前でまた人々の間で愛と真実をもって生きる新しい人間――になることができるのです。まさに、キリストは神からの恵み、神からの賜物です。さらに、キリストはいまだ完成に至らないわたしたちの地上での歩みに同伴してくださり、私たちが出会う人との交わりの在り方、関係の生き方を身を持って示し、模範となってくださいます。

 生身の人間同士の交わりの最も凝縮された形の一つが結婚で生まれる夫婦という人間関係でしょう。社会という集団の最も基礎となる単位は夫婦なのです。最小基本単位なのに、その夫婦は血縁などまったくなく、もともとは赤の他人です。これからは変わっていくでしょうが、少なくともこれまでは男と女というように性も異なります。そのようなまったくの他人同士、異なる存在である二人が「一体」となっていくためには、一人ひとりがどのような生き方、在り方をしなければならないかを主イエスは身を持って示してくださいました。

 でもそれは自分自身が一人の完全な人間になれということではありません。日本の古い言い伝えにある「割れ鍋に綴じ蓋」という表現はなかなかいいと思うのです。ひびの入った鍋、欠けたところのある鍋と壊れたのを繕い直した蓋というような二人であっても、補い合えばちゃんと役に立つ道具になれるのです。聖書の言う「彼に合う」「ふさわしい」「パートナー」となり、相手のいのちと生活の「助ける者」「助け手」として生きることです。

 今日の福音書にはモーセの律法に離婚が合法的に認められる手続きにも触れてありました。結婚は神さまと人々の祝福を受けて出発しますが、その関係を全うすることがどれほど難しいかは見聞きしているとおりです。見えてこない、聞えてこない苦しみもキッと経験しているでしょう。そもそも「神が合わせられたもの」だったかどうかも確かではないかもしれません。そのような中にあって、主イエスは離婚に至らざるを得ない二人を断罪するのではなく、理解し、受け容れ、支え、新しい人生へと送り出されるのです。そこでもまた「ふさわしい」「助け手」になってくださるのです。なってくださっているのです。私たち人間同士の関係はどこまでいっても不完全、未完成であっても、そのような人生の営みを紡ぐ私たち一人ひとりに対して、どこまでも「ふさわしいパートナー」、なくてはならない「助け手」となり、どこまでも「一体」となってくださっているのです。そのようなお方がいらっしゃることを信じ、そのお方に信頼して、そのお方に少しでも倣って、生きていこうではありませんか。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2021年9月6日月曜日

江藤直純牧師:「エッファタ(開け)」との御言葉は誰に向けられたのか

2021年9月5日・小田原教会 聖霊降臨後第15主日

イザヤ35:4-7a; ヤコブ2:1-10,14-17; マルコ7:24-37

1.

テレビドラマは3ヶ月おきに、あるいは6ヶ月おきに次から次に新しい番組や、何年も続いているシリーズものが登場します。実にさまざまなキャラクターが現れますが、私の見るところ、大きく分けると二つのジャンルが圧倒的に中心のようです。その二つとは、一つは刑事ないし検察、弁護士、警官が主役のもの。もう一つは医師と看護師の物語です。刑事たちは人間が紡ぎ出す社会悪を正し、医師たちは人間の体の、あるいは心の病を癒します。それがドラマチックに、また魅力的に描き出されていきます。人間の癒し、これは人類の歴史とともにある、永遠の課題です。だからこそ宗教も深く関わっています。

2.

四つの福音書の中で一番古いマルコによる福音書には、合わせて十五の癒しの出来事が記述されています。場所はカファルナウムやゲラサやその対岸あるいはベトサイダ、ゲネサレトなどガリラヤ湖の周辺の町や村、またそのずっと北の、もはやユダヤ人の住まない異邦の地ティルス地方等々、さらにはぐーんと南の都エルサレムがあるユダヤではエリコが一箇所挙げられています。癒す相手は主としてユダヤ人ですが、今日の登場人物のひとりのようにギリシャ人の女性も稀に含まれています。

彼らが苦しみ悩んでいた病気あるいは障がいの種類もさまざまです。「汚れた霊に取り憑かれた」人、その結果精神を病み、あるいはひきつけ、痙攣を起こしている人、また高熱に苦しんでいた人、視覚障害者、聴覚障害者、片手の萎えた人、婦人科の病いに長年苦しんできた女性、病名不明だが命取りになる病い等々。

それらへの癒し方も多種多様です。汚れた霊に向かって「出て行け」と叱りつける場合や、手で触れたり、当時の医者がやっていたような仕方で患部を治癒したりする場合もあれば、病人のほうからイエスさまの衣服に触れて癒していただく場合もありますし、さらには患者は遠隔の地にいたのになぜか瞬時に治った場合などもあります。

本人が必死で助けを求めてきた場合もあれば、親や友人たちが懇願しあるいは連れて来た場合もあれば、イエスさまのほうが近寄られた場合もありました。群衆の真ん中で癒しを行なわれた場合もありましたし、群れから離れた、人目に付かないところでそっと癒しを行なわれた場合もありました。そういう場合には癒しの出来事が起こったことを内密にするよう口止めされたことも何度もありました。もっともそれは守られませんでした。

癒しが起こった場所、相手の症状、癒しの方法などどれも千差万別です。しかし、確かなことは、それらが実際に起こったということです。だからこそ、目の当たりにした人々はこのことを口伝えに広めないではいられなかったのです。

新約聖書は当時の世界共通語とも言うべきコイネー・ギリシャ語で書かれていますが、イエスさまや十二弟子たちが日常的に話していたのはヘブライ語に近いアラム語でした。そのアラム語の言葉がギリシャ語聖書に何カ所か残っているのは、その時それを語られたイエスさまのイメージとなさった癒しの業が分かちがたく結びつき、しかも非常に印象的だったからでしょう。中でも最も有名な言葉といえば、癒しの場面ではありませんが、十字架の上で最後に叫ばれた「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)」(マタイ27:46)でしょう。そしてマルコが癒しの出来事の時に書き残したのは、「タリタ・クム(少女よ、私はあなたに言う、起きなさい)」(マルコ5:41)と「エッファタ(開け)」(同7:34)です。使徒パウロのギリシャ語で書かれた手紙の結びにある「マラナ・タ(主よ、来てください)」(Ⅰコリ16:21)もアラム語です。

今日の日課に記されている耳が聞こえず舌の回らない男性の癒しの際にイエスさまが発されたこの「エッファタ(開け)」という言葉が残っているのは、この出来事がよほど印象深かったからでしょう。

3.

ところで、もう二十年くらい前のことになるかと思いますが、教会の先輩の女性がスイスのジュネーブから帰国後に私は大変興味深いことを伺いました。彼女はルーテル世界連盟のある集まりに参加してきたのでした。教会は障がい者をどう理解し、どのように関わり、どういう社会を作っていくべきかということが主題であったそうです。ご自身身体障害を抱えているその方はその会議で理論的にも実践的にもさまざま意見を交わして来たのですが、この会議の中の聖書研究の指導者から次のような問いかけがあったそうです。それは「さて、皆さん、天国には障がい者はいるでしょうか、それともいないでしょうか」という、まったく意表を衝いた質問でした。

ここにいらっしゃる皆さんはどうお考えになりますか。皆さんならどう答えますか。私はその話しを聞いたとき、一瞬ウッと詰まり、考え込みました。「天国に障がい者はいるか、否か」。天国というものがヨハネ黙示録に描かれている新しい天と新しい地と同じならば、そこでは神さまは「彼らの目の涙をことごとく拭い去ってくださる」のであり、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(黙21:4)と約束されているのです。ですから、これまで地上で障がいの故に言い尽くせないさまざまな苦労を味わい、悲しみも嘆きもさんざん経験した障がい者は天国ではすっかり癒されているだろう。そうならば、天国には障がい者はもはやいなくなっているだろう――そう考えて少しも不思議ではありません。「天国には障がい者はいません」、そのように答える人は少なくないのではありませんか。

しかし、この問い掛けをした聖書研究の指導者は問いに続いて、思いがけない視点を示されたそうです。「もしも天国には障がい者はいないと言うのならば、今地上にいる障がい者はほんとうはその存在はないほうがいいということですか」。この問いは驚きです。論理的に考えれば、現実の地上にはさまざまな理由で、あるいは理由も原因も分からないけれども障がい者がいるけれども、理想的な状態である天国にはそのような不都合な実態は解消されているほうがいい、つまり障がい者はもはやいないほうがいいということになりませんか。「かわいそうな障がい者」のことを真面目に考えればそうなるのではありませんか。理詰めでそうなるばかりではなく、感情的にもそうなってほしいという願望があるのではないでしょうか。

それはそうだろう、障がい者の苦労を、あるいは障がい者の親の苦労を少しでも知っているならば、そう考えるのが当然だろう――そう仰る方も世間にはきっとたくさんいらっしゃるでしょう。生活の困難、社会的な偏見や差別、それらが天国にまで引っ張られてはあまりにかわいそうではないか――そういう思いをお持ちの方も少なからずいらっしゃることでしょう。そして、そう思わせる現実が過去にも今も確かにあるのです。

もちろんこの話しは非常にデリケートですし、たくさんの難しさも含んでいますし、一刀両断でケリを付けることは困難な点があることをよくよく承知の上で、しかし、あえて申し上げれば、この指導者の方の問い掛けは無視できません。無視できないどころか、いやでも応でも真剣に考えなければならないと思います。天国にいないということは地上にもできるならいないほうがいいということになりはしないでしょうか。

もう二十三年も前のことになりますが、一冊の本が大きな関心を呼びました。『五体不満足』、乙武洋匡(ひろただ)という生まれつき重い障害をもった、ユニークな方が書いた本です。読んだことのない人でも彼が言った「障がいは不便です。しかし、不幸ではありません」という言葉を記憶している方もいらっしゃるでしょう。その後の彼にさまざまな評価があることを踏まえてもなお、与えられた身体を自分自身として受け入れ、逞しく生きていくその生き様を見るとき、「障がいは不便であっても不幸ではない」という言葉には、負け惜しみとかきれい事と言い切ることはできない、障がい者本人だけが言える重み或いは真実があると思います。

我が子に知的障がいがあっても、それゆえに子育てに苦労はしても、その子を慈しみかわいがり、自分の生き甲斐と思う親は多いのです。相模原のやまゆり園の事件のあと、犯人とも何度も何度も文通をしてきた哲学者の最首悟さんは重い知的障害を持つ一人娘の人格をこよなく尊び、その世界を尊重し、その生き方を支えてきました。その姿は書物だけではなくテレビの映像でもごく自然に公開されてきました。ある臨床心理士の方が千人を超すダウン症の親の意識調査をした結果を読んだことがあります。「さまざまな苦労はあったものの、この子と一緒に生きてきてよかった」と肯定的に受け止めている方が九割もいらっしゃったのです。もちろん、そう思えない一割の親がいるということも忘れてはいけませんが、普通「かわいそうな子」「かわいそうな親」と外から決めつけがちな私たちですが、この結果は真剣に受け止めなければならないもうひとつのたしかな事実です。

みんなにヒロノブ君と呼ばれていた私の友人とは、十代前半で初めて知り合ってから六十歳で亡くなるまで教会を通しての長い付き合いがありました。親もなく、施設で一生を過ごしたのですが、彼に接する人を心から信頼して疑うことを知らず、たえず「アリガトウ」と言う優しい心根の人でした。純真という言葉がぴったりでした。障がい者を天使扱いする気など毛頭ありませんが、私など自分の内面と比べるとき恥ずかしくなるようなピュアな人でした。パラリンピックに出場したアスリートたちから多くのメッセージを受け取ったことでしょう。

挙げていけばキリがありませんが、こういう人たちは実際存在するのです。思い切って言えば、このようないのちのありよう、人間の生き方が、地上からなくなったほうがいいとは間違っても言えないのです。様々な心身の条件・状態の下でさまざまにいのちが輝いているのです。もしもいなかったら、「健常」と言われる人たちだけだったとしたら、私たちの人間理解はどれほど浅薄なものだったことでしょうか。

障害という言葉はどういう意味合いを込めて作られ、使われてきたのでしょうか。障害という単語を国語事典で引いてみると、その一番目に出てくるのが「物事を予定通り進める上で邪魔になるもの。【その用法例】重大な障害にぶつかる。障害になる。障害を除く(乗り越える)。」とあります。その次に「身体の一部に正常に機能しないところがあること。【用例】には身体障害者、胃腸障害、意識障害、視覚障害、言語障害」などが挙げられています(『新明解国語辞典』)。障害の「障」も元々の用字の「碍」(石偏に㝵ガイ)もどちらも「さわり」「さしつかえる」の意味です。もしも、道を歩くときに差し支えになるものを障害物と呼ぶのと同じ感覚で、その存在が、その人にとってではなく、社会にとって差し支えがあると見做された人が障害者と呼ばれたとするならば・・・これは一大事ではありませんか。

4.

いささか極端な話をしたかもしれません。しかし、これらのことを心に留めておいて、マルコ福音書、とくに七章の主イエスの癒しの業をもう一度見直してみましょう。

マルコ福音書に書き留められている十五件の癒しの記述の中で、癒しを実行したイエスさまの感情、心の中の思いが記されているのは、私が気がついた限りでは三回だけです。一章四十節以下で「重い皮膚病を患っている人」が自ら近づいてきてひざまずきます。彼は「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言って主にお願いをします。その病者の相貌や貧しげな服装をご覧になったからでしょうか、心底へりくだった真剣な懇願の姿勢と言葉の故でしょうか、「イエスが深く憐れんで」手を差し伸べてその人に触れ、清めの言葉を発して、癒しをなさったのでした。「イエスが深く憐れんで」と訳されているギリシャ語スプラングニゾマイという動詞ですが、そのもととなった名詞スプランクノン、つまり肝臓や腎臓といった内蔵は、昔の中東の人たちにはそこが感情の座と思われていたので、スプラングニゾマイは直訳的に言えば「はらわたが痛む」です。そこからかわいそうに思うとか同情するとか憐れむという意味になりました。岩波版の新約聖書では、この箇所は「そこでイエスは、腸(はらわた)がちぎれる思いに駆られ」と訳されています。この深く激しい感情は何に起因し、誰に向けられているのでしょうか。

マルコ三章一節以下の「片手の萎えた人」が人々によって連れて来られたときのイエスさまの対応は、もちろん癒されるのですが、記録されているところによれば、「そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら」手を伸ばすように命じて癒されたのでした。ここでのイエスさまの怒りと悲しみの原因は何か。それは、人々が「安息日にこの人の病気をいやされるかどうか」を試し、事と次第によってはイエスを訴えるための罠として病者を利用したからでした。この人の病は癒されましたが、人々に向かっては怒りと悲しみとを隠そうとされませんでした。

七章三十一節以下の本日の日課ではこれまた少し違った記述がなされています。耳が聞こえず舌の回らない人を人々が連れて来たときに、イエスさまはこの人だけを群衆の中から連れ出して、指を両耳に差し入れ、唾をつけて舌に触れたあと、「エッファタ(開け)」とおっしゃって癒されたのですが、実は今読み飛ばしたことが一つだけあります。指で耳と舌に触れたあと、「そして、天を仰いで深く息をつき」、それから「エッファタ」と仰ったのです。「深く息をつき」、こう訳されたステナゾウという動詞は溜息をつく、嘆息する、呻くという意味です。一体なぜイエスさまはさあ今から人助けをするための肝腎要の瞬間に嘆息し、呻かなければならなかったのでしょうか。ある学者が推測するようにそうすることが癒すために集められた力を爆発させるための呪文のような意味があったのでしょうか。ここ以外の十四箇所では癒しの場面でイエスさまが嘆息するとか呻くとか深く息をつくという描写はないのです。

重い皮膚病の人に、穏やかに言えば「深く憐れみ」、強く訳せば「腸がちぎれる思いに駆られ」たのは、病気に対してであると同時に、差別と偏見、排除をしている社会に対しての憤りと悲しみの故ではないでしょうか。片手の萎えた人の場合、彼への心からの同情のゆえではなく、主イエスを陥れるために病気と病人を利用さえする親切ごかしの人々の思惑に対して怒りと悲しみを顕わにされたのに違いありません。そう考えると、「深く息をつき」は生理的に酸素を大きく吸い込むためではなかったでしょう。その人が生まれてこの方が聾唖という言わば不条理とも言える身体的な条件の下であってもなお、周囲が共同体の中でその人をあるがままに受け入れて、その人らしい生活を送れるように、また、与えられた能力を発揮できるように、互いにふさわしく支え合う生き方をしていたのならば、必ずや、その人もまた、たとえ独自の在り方であっても、穏やかな、心豊かな、満ち足りた生き方を全うできていたことでしょう。そのことをご存じのイエスさまは、それが未だ叶っていない現状を目の当たりにして、「深く息をつく」のです。「嘆息」し「呻き」をあげないではいられないのです。イエスさまの魂の苦悩です。悲しみと憤りのない交ぜになった思いでしょう。神の創造の賜物として、神の愛の対象として、造られ生かされているのですから、天国を待たずして、この地上で病者も障がい者も幸せに生きていけるように願っていらっしゃるのです。なのに、現実は!だからイエスさまは「嘆息」し「呻き」声をあげないではいられなかったのではないでしょうか

そのように「深く息をつく」イエスさまは、それでもなお、癒しの業をなさるのです。そのときにはっきりと声に出しておっしゃった「エッファタ(開け)」という言葉は、その耳が聞こえず舌の回らない人に向かってだけではなく、固唾を呑んで待っている群衆にも、そして私たちにも、病者や障がい者と共に生きるようにとの神さまの声を聴くために心の耳を開くように、また愛の言葉を話すために舌を解きほぐすようにと強く語りかけてくださっているのです。私たちもまた、いえ、私たちこそ癒されなければなりません。主は命じられます、呼びかけられます、「エッファタ(開け)」と。アーメン

2021年8月2日月曜日

江藤直純牧師「ぼくのできることから」

 小田原教会・2021年8月1日【平和主日】

ミカ4:1-5;エフェソ2:13-18;ヨハネ15:9-12

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

8月になりました。この月は多くの日本人が何らかの形で「平和」に思いをいたし、「平和」を祈る季節です。オリンピックも古代ギリシャの時代から、たとえ戦争をやっていても、それを中断したと言われています。本来の意味で「平和の祭典」であるべきものです。今年、日本ではその8月とオリンピックが重なっています。

ところで、上皇陛下は天皇ご在位のときから、自分には平和を祈念する日が4つあると言われていました。ヒロシマとナガサキの原爆投下の日と終戦記念日或いは敗戦記念日の三つだけではなく、もう一つ、6月23日の沖縄慰霊の日を加えた四つだと仰り、事実それらの日を非常に大切になさっていました。

「六二三、八六八九八一五、五三に繋げ、我ら今生く」これは2014年度の朝日歌壇賞を受賞した岸和田市の西野防人(さきもり)さんという方が詠んだ短歌です。朝日の「天声人語」で取り上げられて有名になったので、記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。「ろくにさん」6月23日、「はちろくはちく」8月6日、8月9日、そして「はちいちご」8月15日です。そしてその後の「ごさん」は5月3日、憲法記念日です。わたしにとっては、悲惨な戦争の記憶から平和を目指した憲法を実現していくことの大切さを自覚させられた短歌でした。

戦争の被害は沖縄、広島、長崎の三箇所だけではなかったのは言うまでもありません。全国に及びました。わたしの故郷の熊本でも空襲はあり、東京では10万の死者を出した有名な大空襲が起こり、横浜もそうでした。この近くでも藤沢も平塚も空襲があったとネットで知りました。ひとたび全面戦争が起これば無傷ですむところなどどこにもないのです。日本では戦後76年目を迎えても、未だ戦闘が続いているところが世界のあちこちにあることも忘れてはいけません。

世界大戦の悲劇を二度と繰り返してはならないと決意して設立された国際連合の本部があるニューヨークには、国連ビルのすぐ近くに「Isaiah Wallイザヤの壁」と呼ばれる記念碑が建てられ、そこには何と聖句が刻まれているのです。それがイザヤ書2章4節です。「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。この言葉はイザヤの少し後の時代のミカ書にもそっくりそのまま収められています。今朝の旧約の日課ミカ書4章3節にも記されています。預言者に示された終わりの日に関する幻がこれでした。紀元前8世紀の人々も、20世紀の人々も、そして21世紀に生きる私たちもこの幻が実現する日の一日でも早いことを祈り求めるのです。


2.

「ろくにさん」も「はちろく」も「はちく」も「はちいちご」も政府を代表する人の言葉の力のない型通りの挨拶には失望しますが、それに比べて、たとえ自分自身の戦争体験はなくても平和な未来を目指す少年少女のメッセージには毎度深く心を打たれます。たまたま手許に2013年の「ろくにさん」6月23日に沖縄慰霊の日記念式典で発表された小学1年生の男の子の「へいわってすてきだね」というメッセージがありますので、ご紹介したいと思います。お聞きください。

「へいわってすてきだね」

沖縄県与那国町立久部良(くぶら)小学校1年 安里有生(あさとゆうき)

へいわってなんかな。/ぼくはかんがえたよ。/おともだちとなかよし。/かぞくがげんき。/えがおであそぶ。/ねこがわらう。/おなかがいっぱい。/やぎがのんびりあるいてる。/けんかしてもすぐなかなおり。/ちょうめいそうがたくさんはえ、/よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。/みなとには、フェリーがとまっていて、/うみには、かめやかじきがおよいでる。/やさしいこころがにじになる。/へいわっていいね。へいわってうれしいね。/みんなのこころから、/へいわがうまれるんだね。

せんそうは、おそろしい/「ドドーン、ドカーン。」/ばくだんがおちてくるこわいおと。/おなかがすいて、くるしむこども。/かぞくがしんでしまってなくひとたち。

ああ、ぼくは、へいわなときに、/うまれてよかったよ。/このへいわが、ずっとつづいてほしい。/みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。

へいわなかぞく、/へいわながっこう、/へいわなよなぐにじま、/へいわなおきなわ、/へいわなせかい、/へいわってすてきだね。

これからも、ずっとへいわがつづくように、/ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

安里有生くんのこの詩には、平和は単に怖い戦争がなく、恐ろしい爆弾が落ちてこないこと、あるいは飢餓の苦しみや愛する家族の死がないことにとどまってはいません。もちろん、それらは平和のなくてはならない前提であり要素ではあり、戦争などがあるなら望ましい平和な状態にあるとは言えないのです。しかし、有生君の詩に謳われている平和は戦争がない状態以上のものです。「おともだちとなかよし」、そうです。豊かな、共に生きる人間関係です。「かぞくがげんき」、収入がどれ程多く経済状態がどれほどリッチかどうかは触れてありません。でも、「げんき」に明るく暮しているのです。「えがおであそぶ。ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいてる。けんかしてもすぐなかなおり。ちょうめいそうがたくさんはえ、よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。みなとには、フェリーがとまっていて、うみには、かめやかじきがおよいでる。やさしい心がにじになる」。笑顔で遊び、お腹は満たされているのは率直に幸福です。それだけでなく、地上や水中の動植物とも共生ができています。争いや憎しみや無関心ではなく優しい心、愛し慈しむ心がなによりなのです。「みんなのこころから、へいわがうまれるんだね」、有生君のこの言葉は真実を言い当てています。


3.

 すったもんだの挙げ句、7月23日に始まった東京オリンピックですが、その理念として打ち出されていることの一つが「多様性と調和」です。「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無などあらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合う」ことが声高く謳い上げられています。ということは、裏を返せば、人間生活の様々な面で多様性が認められておらず、調和が図られていない現実があるということです。

アメリカでのブラック・ライブズ・マターやその後のアジアン・ライブズ・マターも続いています。ブラックであってもアジア人であってもその命はかけがえもなく大切なものだと必死で訴えないと疎かにされる現実があります。

5年前の7月26日、相模原の津久井やまゆり園での障がい者無差別殺傷事件は今も深く心に残っていますが、つい先日もニュースを見て心を痛めたのは、やまゆり園の敷地に慰霊碑が建てられたのですが、そこには7人の犠牲者の名前が彫られているということでした。亡くなった入居者は19名です。覚えていらっしゃるでしょうが、裁判の時も、被害者の名前は、殺された19歳の女性一人だけが名字はふせたまま「美帆さん」と母親が明かし、負傷した24人の内でもたった一人だけが親の意向で姓名を明かし顔も公表されました。しかし、その二人以外の残りの多くの被害者は皆名前は公表されませんでした。慰霊碑に刻まれた7人の内5人の家族はその氏名が報道されることを望まないということです。殺されあるいは大けがをさせられたのに、障がい者であるがゆえにその氏名を世間に公表することが憚られる社会とはいったいどういう社会でしょうか。親御さんたちはどうしてそういう選択をしなければならなかったのでしょうか。

様々な面での違いが違いとして肯定されず、認められず、受け入れられないのです。むしろその違い故に偏見を持たれ、差別され、さらには排除される現実が21世紀の先進国と呼ばれるこのわたしたちの社会に存在するのです。これは平和とは呼べない現実です。「みんなのこころから、へいわがうまれるんだね」。この平和の最大の難敵、差別とか偏見、憎しみ、排除の気持ちはいったいどうやったら克服できるのでしょうか。

今朝の第2の聖書日課のエフェソの信徒への手紙の2章には、差別と和解、平和の実現についての大切なメッセージが語られています。14節に「御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」というくだりがあります。「隔ての壁」は文語訳や口語訳では「隔ての中垣」と訳されていたので、印象的に覚えておられる方もいらっしゃることでしょう。わたしは今回初めてこの「隔ての壁」あるいは「隔ての中垣」がもともとどのようなイメージで語られたのかを知りました。日本語訳の聖書はいくつもありますが、その内の一つ「フランシスコ会聖書研究所訳」という邦語聖書ではこの「人を隔てていた壁」について次のような興味深い注を付けていました。

「本節の『人を隔てていた壁』に関して、パウロが考えていたものにもっとも近いと思われるものは、エルサレム神殿内に築かれていた高さ1メートル半の石の壁である。この壁は、ユダヤ人のみが入ることを許された神殿そのもの、およびそれに続く中庭を、『異邦人の庭』から分離するためのもので、この境界を侵害した異邦人には、死刑が課せられた」と記されています。神殿があり、その目の前には男性のユダヤ人だけが入れる庭があり、その手前は「女性の庭」と呼ばれ、女性はそこまでしか入れませんでした。男女が厳しく区別されていました。

男女のユダヤ人が入れるところの外は「庭」がぐるりと囲んでいて、そこにソレグと呼ばれた背の低い仕切りあるいは壁が設けられていて、それより中には異邦人は入れないことになっていたのです。それが「隔ての壁」なのです。神さまの前にはすべての人間は平等だったのではなく、神の民と称されていたユダヤ人と唯一の神を信じない異邦人とはこれまた厳然と区別されていたのです。宗教の世界においてさえそうでした。いいえ、宗教の世界だからこそそのような区別あるいは差別が生じ、宗教の名によって正当化され、厳しく守られていたのです。人間の間の差別の正当化のために神さまが引っ張り出されてきていたのです。


4.

しかし、聖書が語ることはその真逆です。「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです」(2:12)と使徒パウロは言います。

新約聖書が描くユダヤ人は自らが神の民であることを誇り、律法を遵守することで神に近づけると高慢になっていました。それは取りも直さず、異邦人を見下し、律法を守れない人たちを貶むという、人間の情としてはありえても、間違いなく神の愛には反する大きな罪を犯していたことになります。ユダヤ人と異邦人が背中を向け合っていたのは当然の結果でしょう。しかし、神さまはそれを良しとはなさいませんでした。イエス・キリストは自ら十字架に架かることで、律法を守れない異邦人に救いの道を開いてくださいました。しかし、それだけではありません。神の愛に反する罪を犯しているユダヤ人の罪をも自らに引き受けてくださり、赦しを差し出してくださったのです。あとはユダヤ人が罪を悔い、差し出された神の赦しを感謝して受け容れるばかりです。もしもそうなると、神とユダヤ人、神と異邦人の和解が成り立つだけでなく、ユダヤ人と異邦人との和解も成り立ち、平和な関係が作り上げられるのです。エルサレムの神殿にあった「隔ての壁」は「取り壊される」のです。己の宗教的な正当化が他者の否定になるという人間の罪が思いがけない形で解決されるのです。「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(2:16)。

やまゆり園で何の落ち度もない、無抵抗の障がい者19名を殺害し、26名に大怪我を負わせた男の動機は「彼らには存在する価値がない」「生きている意味がない」という思いでした。そう言って憚らないのは、自分を神の高みにおいて、当然の如く自己を正当化して、他の人間たちを裁いているからです。これこそが罪です。とうとう後悔の素振りも見せず、死刑の判決を受けましたが、このような自分を神とするような姿勢では差別意識も敵意も拭い去ることもできず、悔い改めることもできず、神が良しとされるような人の道を歩むことなど思いも及ばない状態に陥っている人には、自力で救いを獲得することはできません。厳罰では秩序は保たれますが、救いはもたらされません。

だからこそ、彼の悔い改めと救いのためには、犯してしまい取返しの付かない罪の償いのためには、彼の罪を引き受ける十字架が必要だったのです。あの人だけでなく、他者を見下し、差別し、排除しようとする心の傾きは程度の差はあっても誰の心の中にもあるのです。わたしたちも、わたし自身も例外ではありません。わたしたちにも、このわたしにも十字架による罪の贖いと、それによる神との和解、そして関係が悪くなった人との和解が必要です。しかも、ありがたいことにそれは間違いなく与えられるのです。既に与えられているのです。「今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって」(2:13)神の前に立てるように救いが差し出されているのです。十字架によって初めて自分の罪に気づき、悔い改めヘと導かれ、それに全く価しないのに差し出された赦しを感謝をもって受け取ることへと誘(いざな)われます。神との間の和解です。それがすべての基礎です。

そこから初めて、人と人との和解と平和も可能になるのです。そのためにわたしたちがなすべきことは何か。それは今日の福音書に端的に書かれています。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15:12)。安里有生君が書いた詩の結びはこうでした。「これからも、ずっとへいわがつづくように、ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」。ぼくのできること、それはぼくの近くにいる人を愛することです。近くから次第に遠くの人のことまで愛していくのです。「へいわなかぞく、へいわながっこう、へいわなよなぐにじま、へいわなおきなわ、へいわなせかい」、隣の人と互いに愛し合うことから平和の波紋は広がっていくのです。そのための土台はキリストの十字架によってしっかりと与えられているのですから、そのことを信じて、有生君とともに決心しましょう。「ずっとへいわがつづくように、ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン


2021年7月11日日曜日

清重尚弘牧師「いま聞こう 正義の言葉を」

2021年7月11日  ルーテル湯河原教会    

マルコ6章14節〜29節

 今日の福音書の小見出しは。「洗礼者ヨハネ、殺される」とあります。まるで週刊誌の見出しのようなホラーじみたものです。中を読むと、さらに驚きます。ヨハネは獄中にあり、いきなり引き出されて、裁判もなく首をはねられ、盆に載せた彼の生首が宴会の席に居並ぶゲストたちの前に見せ物にされたと言うのです。なんという残虐、無法。しかし、このようなひどい事件は歴史上繰り返されました。今でも、世界を広く見渡すと、このような理不尽は横行していないと言えますでしょうか? 暴虐、暴力、虚偽、腐敗した権力濫用。人間の歴史は、罪から離れられません。今日の我が国でも、腐敗した権力の仕業がいま跋扈しています。殺人、暴力、不当政治力などなど。

 今こそ私どもが聴くべき「正義」のメッセージがこのヨハネの存在にあります。

 洗礼者ヨハネは、何者でしょうか? 

 来たるべきメシアに道を備える者と預言されていた人物、荒野に住んだ預言者エリヤの風貌の人、厳しい裁きを語った説教者、悔い改めの洗礼を授けた人、王権に対抗した革命家、殉教者、イエスに洗礼を授けた人、「みよ神の子羊」とイエスを指し示した人。

 このように特異、多彩な人物、ヨハネが発するメッセージは一体何なのでしょうか? 

 本日の旧約の日課を見ると、預言者アモスが王家が派遣した祭司アマツヤから追放を告げられて、対決している場面です。国家社会の正義、王権のあり方をめぐる対決なのです。このように、ヨハネも、ヘロデ王を正面から糾弾して、王に捉えられて今、獄中にありました。預言者アモスに重なる人物です。ヨハネは反王権の正義の戦いの途上で王の妻の恨みで、殺されてしまいます。ひどい事件です。ヘロデ王始めここに登場する人物は、この事件をどう見て振る舞っているのでしょう?ヘロデは、一方でヨハネの批判を受け入れず、投獄、しかし他方でヨハネを尊敬し、話を聞こうとしていた、とのこと。妻ヘロデイアはただ憎しみだけ。犯罪の元凶はこの妻です。娘(伝説ではサロメ)はただのロボット。客人たち、高官、将軍たちは責務を果たさず、王に忠告・助言することなく見物するだけ。王権を恐れて沈黙。一般の人々は、事件を知るべくもない。ヨハネの弟子たちは、遺体を引き取り、葬るのでした。このようにみてくると、この構造は、日常聞かされてる諸々の忌まわしい事件ととても似通っているように感じませんでしょうか?巷の事件から、国政レベルのスキャンダルに至るまで。人ごととは言えませんね。

 子供の頃は、ウソとズルは嫌われたものでした。昨今は、どうでしょう?平気でウソつくひと、隠す人。「僕も入れて」とお友達になる人々。一体どうすればこのような社会に正義を取り戻すことができるのでしょうか?

 本日のみことばは告げています。ヨハネに聴け!この正義の人を見よ!

ヨハネは、神の厳しい裁きを告げました。「悔い改め」を求めました。悔い改めの印の「洗礼」を授けたのです。

 悔い改めとは? returnです。ヘブル語のシューブ、「立ち帰ること」です。神によって我々は、神に向かって生き、神を向いて歩むものとして創造されました。なのに、我々は神から離れて、あらぬ方向へ歩んで来てしまいました。これが罪(ハーター:的外れ)です。そこからあらゆる不正義が生じたのでした。これが聖書の一貫したメッセージです。

ヨハネは「悔いあらため」を求めた預言者でした。悔い改めよ:return!  帰れ!

 主イエスが語った「神の国」のたとえは、迷い出た子羊が帰ること、家を出た放蕩息子の帰還、失われたコインが見つかること、みんな、あるべき元のところへ帰る、これこそ神の国へのreturnメタノイア、シューブです。

「悔い改め」については、ルターから大切なことを教えられています。ルターは「福音信仰を再発見した」といわれます。それを明確に公にしたのが「95箇条の提題」、「主が悔い改めよと仰せになるのは、日毎に悔い改めよとの意味である」と始まっています。リターンせよ!元に帰れ!そこに「福音」がある。ということですね。義である神は、元へ帰れ、と招いてくださるのです。悔い改めよ、とのヨハネのメッセージこそ、またルターの改革の真髄も、義の回復、神の元への帰還、を促す呼びかけです。その意味でこそ、ヨハネの出現、預言者的なメッセージは、まさにマルコ福音書の書き出しにある通り「福音のはじめ」なのであります。

 ヨハネの王権との戦いはヨハネが革命家だったからではないし、豪胆な強い性格だから出来たというわけではありません。彼はただひたすら誠の天地の王なる神への信仰ゆえに、それを否定する存在や力、王であろうと、人の心の中の罪の力であろうと、それと戦わざるを得なかったのでありました。私たちの戦いでもあります。ルターがウオルムス国会の審判で、教会の権力に抗して信ずるところに立ちえたのは、彼の闘志や体力によるのではありません。「私の良心はただ神の言葉にのみ縛られてるのだ」という理由からでありました。

 神のもとへと帰還することによってのみ、私たちの間に、正義の世界が実現し得るのであります。今こそ、私たちは静まって、ヨハネの告げる「正義の声」を受けとめましょう。

私たち主を信じるキリストの体である教会は、「地の塩」としての存在であり続けるよう求められているのであります。「主よ、來たり給え」と祈りつつ神の国を待ち望もうではありませんか。

2021年7月5日月曜日

江藤直純牧師「それでも彼らは遣わされる」

2021年7月4日・ルーテル小田原教会

エゼキエル2:1-5;Ⅱコリント12:2-10;マルコ6:1-13

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1. 預言者は故郷で敬われない

 今から45年前の2月の下旬に、私は神学校卒業後の牧師としての初任地は九州・熊本の大江教会であることを聞かされました。熊本は私が生まれ育った町です。大江教会は熊本市内に5つあるルーテル教会の一つです。私が18年間育てられた母教会は同じ市内の室園教会ですが、自転車で行けば20分もかからない距離です。この思いがけない発表を電話で知らされた母の驚いた声も忘れませんが、自分の内と外から聞こえてきたあの言葉も記憶に残っています。それは「預言者は故郷では敬われない」です。

 大江教会での3年1ヶ月間、それは幸いなことに、教会員の皆さんに暖かく迎え入れられ、今に至るまでの親しい交わりを得て、忙しくも楽しかった日々を新米牧師とその家族は過ごさせていただきました。

 では、「預言者は故郷では敬われない」というあの言葉はどうなったのでしょうか。聖書に書かれているあの言葉は。あの厳しい言葉は当てはまらないケースもある、あるいは間違いということでしょうか。それとも、私がまだまだ預言者にはなりえていなかっただけのことだったのでしょうか。

2. イエス様は排斥され危機一髪だった

 イエス様の場合はどうだったでしょうか。そもそもイエス様の故郷とはどこだったでしょうか。ルカ福音書には降誕物語を綴る中でこう書き留められています。皇帝の命令で人口調査があったので、「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町ヘ上って行った」(ルカ2:4)。そこでマリアは出産します。その後、「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」(同2:39)のです。ですから、出生地こそベツレヘムであっても、生まれ育ち、成人した後も、ヨセフの後を継いで大工の仕事を生業として働いたのは、ベツレヘムや都エルサレムからずっと北の方のガリラヤ地方の、湖からは少し内陸に入ったナザレという小さな町です。イエス様の故郷はナザレなのです。だから「ナザレのイエス」と呼ばれていたのです。

 しかし、四つの福音書を丁寧に読んでもナザレについての記述はほとんどありません。何度か訪れ、最後に十字架で処刑されたのは都エルサレムでしたが、三年弱と言われている公生涯の主たる宣教の地はガリラヤ地方でしたが、カファルナウムなどの地名は何度も出てくるのに、ナザレは少年時代に一度、成人してから一度です。しかし、その二度目の出来事はよほど印象に残っていたらしく、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書にかなり詳しく記されています。それが今日の福音書の日課の前半です。安息日、今の土曜日には人々は村や町のシナゴーグと呼ばれた会堂に集まって礼拝をします。そこでは聖書が朗読され、その説き明かしがなされるのです。すでに弟子たちを引き連れてガリラヤ中の町々村々を巡り歩いては、神の教えを語り、また病人などを癒やしておられて、その評判はいやが上でも高まっていたのです。その有名人が故郷のナザレに帰ってきたというのですから、多くの人々が一目見ようと会堂に集まってきました。普段の安息日の礼拝よりもずっと多かったことでしょう。今風にいえば三密も三密の状態だったことでしょう。

 マルコとマタイは「安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた」と簡潔に記していますが、ルカ福音書にはその日イエス様が読まれた聖書箇所の文言まで記されています。イザヤ書61章1、2節です。さらにルカによれば、巻物になった聖書を係の者に返して席に座られたけれども、「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」ので、そうです、皆はイエス様がこの聖句に関して何をどう語るかと固唾を呑んで耳を傾けていたので、イエス様は話し始められたのです。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と。それ以上は記録されていませんが、ルカはさらに「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。『この人はヨセフの子ではないか』」と書いているのですから、その教えは集まった人々をよほど驚かせたことでしょう。

 マルコの記述によれば、イエス様の教えに驚いて、「この人は、このようなことをどこから得たのだろう」「この人が授かった知恵と、その手で行なわれるこのような奇跡はいったい何か」と言ったのですから、驚くだけでなく心底感心もしたのでしょう。

 しかしながら、驚き、感心し、感銘を受けて、褒め称え、賛美し、自分たちもこのお方を師と仰ぎ、このお方に従っていこうと決心するということにはならなかったのです。彼らは続けてこう言って騒ぎ出したのです。「この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」と。この人は大工ではないか。俺だって大工だ、その出来栄えでは少しも引けはとらないぞ。あいつのことはガキの頃から知っているさ。ヨセフの倅のあのイエスじゃないか。子どもの頃から俺のほうが足は速かったぞ。あいつが鼻水垂らして泣いていたことだって知っているんだぞ。なのに、何であいつがこんな偉そうなことを言うようになったんだ。あいつにできるなら俺にだって・・。

その場でいったいどんなことを喚きだしたのか、そこまでは詳しく全部は記されていません。しかし、故郷の町の人々は、共感とかましてや尊敬ではなく、逆に反感を覚えたのです。マルコには書いてないですが、ルカによれば、イエス様は神の民への厳しい言葉も言われたので、なおさらのこと、恨みを買ったのです。妬みやそねみ、やっかみなどの感情が吹き出してきたのでしょう。福音宣教を始められたことも、癒しの業をなさったことも癪に障るのです。昔馴染みだったけど今や新しいヒーローとなったイエス様を素直に受け容れることはできなくなったのです。哀しい人間の性(さが)と言うべきでしょうか。

 使徒パウロが残した有名な教えに「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)という言葉があります。皆さんは、「喜ぶ人と共に喜ぶ」ことと、「泣く人と共に泣く」ことはどちらがやさしいとお考えでしょうか。どうでしょうか。「喜ぶ人と共に喜ぶ」ほうだと思われる方もいらっしゃることでしょうが、私は「泣く人と共に泣く」ほうがやさしいと考えています。悲しみ泣いている人に上から同情することはできなくはないのです。しかし、喜んでいる人と共に心底喜ぼうとすると、内心密かに感じている羨ましい気持ちや、さらには妬ましい気持ちなどが邪魔をすることがあるのです。だから、「喜ぶ人と共に喜ぶ」ほうがむずかしいのではないかと思っています。

 それはともかく、真の預言者、イエス様は人間的な先入観や感情に囚われている故郷の人々には受け容れられませんでした。人間的に見たら十字架上で惨めな死を遂げた人を神であるなどとおよそ認めることができなかったのと同じように、ヨセフの息子で、大工稼業をやっていた、小さな子どもの頃から自分たちがよく知っていたあのイエスを預言者として受け容れられないのももっともでしょう。

3. まして弟子たちならなおさらのこと

 主であり師であるイエス様がそうなのですから、ましてその弟子たちが周囲の人々から認められ、評価され、さらには尊敬されることなど期待できるはずもありません。そもそもイエスの弟子たちあるいは使徒たちとは一体全体どういう人たちだったのでしょうか。

 12使徒には含まれず、直弟子にもあたらないのに、最も有名で、最も大きな働きをしたのはパウロでした。新約聖書の中で最も多くの文書を書き残した人、私に言わせれば原始教会最大の伝道者、最大の牧会者、そして最大の神学者、それがパウロです。

 彼は、小アジア、現在のトルコのタルソスの生まれ育ちです。おじいさんの代にタルソスに移住したので、パウロは完全にギリシャ文化の真只中で成人したのです。タルソスは小アジアでも三つの指に数えられるほどの政治、経済、文化の中心地の一つです。ですからパウロは、ギリシャ語はペラペラで、ギリシャの文化にも宗教にも通暁していました。

 同時に生粋のユダヤ人です。自ら「ヘブライ人の中のヘブライ人」と誇らしげに語り、「律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者」と自負していました。有名なラビ・ガマリエルのもとでユダヤ教と聖書、律法についてのエリート教育を受けていたのです。もちろんヘブライ語もペラペラ。バイリンガルです。

 そして、三代目のタルソス市民として彼はローマ帝国の市民権を持っていましたから、政治的、法的に身分を保護されたれっきとした自由なローマ市民でした。ギリシャ文化を体得しており、ユダヤ教のエリート教育を受けており、ローマの市民権を持っているということが、広い地中海世界、ギリシャぎ・ローマの文化の世界、聖書的に言えば異邦人世界にイエス・キリストの福音を宣べ伝えるのにこれほど適した人は他にいませんでした。

 それと比べたら、12使徒あるいは12弟子たちは、ずいぶんタイプの違った人々でした。12弟子の筆頭格のシモン・ペテロとその兄弟アンデレも、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟もどちらもガリラヤ湖で親の代から、おそらくは先祖代々漁師を生業としてきた人々でした。漁に関してはプロでしょうが、家柄、学問、財産、また人柄は庶民というか普通の人間だったことでしょう。マタイあるいはレビと呼ばれていた男は徴税人だったと記されています。ザーカイのことを思い出していただければいいですが、ローマの政府を後ろ盾にして同胞のユダヤ人から税を取り立て、さらにはその一部で私腹を肥やす生き方をしていたのですから、ユダヤ教から見れば遊女、罪人と同等に見做され、会堂にもお出入り禁止です。しかし、人々に嫌われ貶まれてもローマという虎の威を借る狐よろしく権力機構の一端に入り込み、私財を溜め込むしたたかな男でした。シモンは熱心党のシモンと呼ばれていましたから、ユダヤ教に熱心という意味だったのか、テロも辞さない反ローマの民族主義者だったのか、おそらく後者でしょう。後世にはその名が語られるときは必ず「イエスを裏切った」という形容詞付きで呼ばれる男イスカリオテのユダはこのグループで会計係をしていたというから、数字に強く、頭の回転の速い人間だったのかと想像できます。その頭の回転の速さが、危険が身に迫ってきたときに自分の主を敵に密告して死へと追いやることになったのでしょう。

 これだけの乱暴な人物描写で断定的なことは言えませんが、この中の誰一人としてパウロのようないわゆる宗教家となる訓練を受けていたようには見えませんし、使徒となり伝道者となるための人間的な資質に恵まれていたとも思えません。弁舌爽やかだったとか、筆が立って書いたものが後世に残ったとかは学問的に確かめられていません。もっとも伝説では12使徒はみなのちに各地に伝道に出掛け、それぞれが殉教し、死ぬまで救い主の証しを立てたと伝えられています。

 ここで申し上げたいことは一つだけです。イエス様でさえ故郷ナザレで人々から排斥されたのですから、その弟子たちが自分たちのそれぞれの故郷でも同じ目に遭わなかったということはなかっただろうと想像できるということです。

4. それでも彼らは遣わされる

 前置きが長くなりましたが、ここまで話したことを念頭に置きながら、今朝の日課の

後半「十二人を派遣する」を見てください。「それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった」。もちろん弟子たちもお伴しています。集まった群衆の整理と世話をしながら、自分たちも先生の話される一言半句も聞き漏らさないように聞いたことでしょう。先生が癒しの業をなさるその一挙手一投足を瞬きもせずに見守っていたことでしょう。でも、肝腎なのはその後です。主イエスは次のことをなさいます。「そして、十二人呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた」のです。現場実習、インターンシップです。宣教研修です。でも初体験です。先生抜きでまだまだ未熟な自分たちだけで、教えと癒しの実践をするようにと現場に押し出されるのです。さぞや緊張したでしょう。うまく話せるか、ちゃんと癒やせるか、おおいに心配だったことでしょう。自信などというものは少しもなかったでしょうから。

 なにしろ、頼りとなるものは自分の中にはもちろん、手の中、荷物の中にも何もないのです。「旅には杖一本のほか何も持たず」「パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように」。えっ、杖一本と履物以外は何ひとつ持っていってはいけないのですか、と思わず声に出したことでしょう。「下着は二枚着てはならない」これはいわゆるアンダーウエアのことではなく、上下一体の服のことです。その上に羽織る上着はもとより服は一枚だけだというのです。

 つまり、素手で、身一つで行けということ。食糧も宿泊の予約も金もなく、ということは出会う人の好意だけを当てにして行けということです。もしも歓迎してくれる善人に出会わなかったら、と私たちならきっと考えるでしょう。彼らだって当然そう考え、不安になったことでしょう。いいえ、イエス様がおっしゃったことは、人間の善意に期待して行けというのではなく、そのような備えをしてくださる神さまだけを信頼し、神さまは必ずや必要なものを与えてくださることだけを頼りとして宣教の旅に出掛けなさい、ということです。事実、そう言って送り出されるのです。

 無茶苦茶と思うかもしれません。しかし、これは自分の命を神さまにお委ねできるかどうか、そうするかどうか、ということを迫っておられるのです。でも、可愛い弟子たちを旅先で飢え死にさせようと企む先生がいるでしょうか。イエス様はイジメやパワハラの元祖ではありません。その真逆です。実はイエス様は彼らを素手で送り出されたのではありません。与えられたものが一つだけあったのです。それは「汚れた霊に対する権能」です。人間を捉えて苦しめる汚れた霊に打ち勝ち、退け、人間を解放する神の力を一人びとりに授けられたのです。

 そして、何も持たせずに送り出すことで神さまへのまことの信頼を目覚めさせられたのです。お金とか食糧とか自分を守ってくれるものをなにがしか持っている限りは、本当の意味でひたすら神さまにのみお縋りする心は出てきません。無一物になって初めて命の主である神さまへの信頼と信仰とが心の中に生じてくるのです。

 そして、与えられたものはもう一つあります。12人それぞれに与えられたのは、旅のパートナーです。同伴者です。四国のお遍路さんが被る編み笠に書いてある「同行二人」という言葉は、私はいつも私の人生をイエス様が同伴してくださっていることのシンボリックな表現だと思っています。お遍路さんにとっての同伴者は弘法大師でしょうが。その見えない真実の同伴者を思い起こす縁(よすが)として、イエス様は目に見える同伴者としてもう一人の弟子と「二人一組」にして宣教の旅へと送り出してくださるのです。信仰の旅、人生の旅にも同伴者が与えられ、その人は一人では心許なくなりますけれども、互いに励まし合い、支え合い、そしてお互いに真実の同伴者を指し示す役を果たすのです。

 その結果はどうだったでしょうか。初めての先生抜きの宣教の旅の成果はどうだったでしょうか。「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」。多くの悪霊を追い出し、多くの病人をいやしたと書かれていますが、その「多く」が何人だったか、10人なのか5人なのかあるいはもしかしたら1人だったのか、それは分かりません。しかし、人数の問題ではないのです。確かなことは、イエス・キリストの弟子と名乗るにはあまりに未熟で、未完成で、欠けの多い者たちが、自分の資質や能力のゆえに主に用いられるのではないということです。主が必要な権能、力をお与えになる。その旅路に必要な備えを必ずしてくださる。主が良しと認められる結果を残せる。そのことをまだまだ訓練途上の弟子たちに主イエスは体験させてくださったのです。

 そして、言うまでもなく、あの弟子たちに起こったことは私たちにも起こるのです。安心して「同行二人」の人生の旅、信仰の旅また宣教の旅を続けて参りましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2021年6月6日日曜日

「蛇のせい、ひとのせい、神のせい」江藤直純牧師

 聖霊降臨後第2主日       2021年6月6日

蛇のせい、ひとのせい、神のせい

創世記3:8-15;Ⅱコリント12:2-10;マルコ3:20-35

江 藤 直 純

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1. エデンのリンゴ

 Adam’s apple、Pomme d’Adam 英語とフランス語ですが、どちらもアダムのリンゴという意味です。これは実は喉仏のことを指します。喉仏とは俗称ですが、喉の頭と書いて喉頭、その喉頭隆起、甲状軟骨の隆起したもののことです。これが特に成人男子に顕著に見られることと関係があるのでしょうが、西洋キリスト教文化圏ではこれをアダムのリンゴといいます。おそらく、アダムがリンゴを食べていたとき、神さまに声を掛けられてビックリしてリンゴが喉につかえてできたと思ってこの呼び名ができたのではなかろうかと勝手に推測しています。リンゴと言えば、新しいところでは、現在世界中で毎日のように目にするものに右側をかじられたリンゴのロゴマークがあります。アップルという会社が作ったコンピューター関連の器具に描かれていますね。

 この呼び方とかロゴの由来をご存じかどうかは別としても、クリスチャンであろうとなかろうと広く知られているのは、キリスト教では最初の人間、アダムとエバがエデンの園で神さまに禁じられていたリンゴを食べたので楽園から追放されたとか、このことが罪の始まりだ、原罪だとか教えているらしいということです。もっとも聖書――創世記ですが――にはどこにもリンゴとは書いてなくて、「園の中央に生えている木の果実」とだけ書いてあるだけですが、いつのまにかその木はリンゴということになってしまいました。その禁断の木の実を食べたせいで、人間には知恵が付いてしまったと思われています。

 聖書の冒頭の創世記では天地創造が、そしてその最後には人間の創造が語られています。最初の人間アダムはエデンの園に連れて来られて、そこで園を「耕し守る」役目を与えられます。その後、人が一人でいるのは良くないということでパートナーを与えられます。彼女はのちに命を意味するエバと名付けられます。

 この二人が経験した有名な出来事が創世記3章に描かれており、新共同訳聖書は「蛇の誘惑」という小見出しを付けています。6-7節にはこう書いてあります。「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」

 彼女は、園の木の果実は食べていいのだけれども、園の中央に生えている木の果実だけは食べてはいけないと神さまに禁じられていることを知っていたのですが、蛇のたくみな誘惑の言葉にまんまとひっかかって、自分も男も二人ともその果実を食べてしまったのです。さあ、問題はこれから先です。

 皆さんは聖書に親しみ、この話しもよくご存じでしょうから、この後の展開も結論もご存じのことでしょう。しかし、今日は日課の8節以下を少し丁寧に読み直してみましょう。彼らは楽園追放という罰を受けてしまいますが、そうなったのはいったい何が本当の問題だったのでしょうか。どうすれば良かったのでしょうか。何か別の展開の可能性はなかったのでしょうか。


2.二つの罪

 禁断の木の実を食べてしまった――これは誤魔化しようのない事実です。神さまがお命じになっていた戒めを守らなかった、もっとはっきり言えば、神の戒めを破ってしまったのです。なぜ神はそんな戒め、禁令を語られたのか。それは神さまには神さまの深い意図というかお考えがおありだったのでしょう。わたしはあれこれ推測はしても、正直言って正解を持ち合わせていません。また人間には人間の言い分があったことでしょうが、だからと言って、言い分がありさえすれば神の戒めを好き勝手に破っていいかと言えば、もちろんそうではないでしょう。

 ドラマは次のように展開します。先ず、神さまが近づいてくる足音が聞こえたので、男と女は「園の木の間に隠れ」ます。二人は自分たちが悪いことをした、罪を犯したという自覚があるのですね。

 神さまは彼らに向かって声を掛けられます。「どこにいるのか」。神さまは二人がどこにいるか分からないので大声で探していらっしゃるのでしょうか。全能の神さまならば二人がどこに隠れたか分からないというのはおかしいでしょう。それでは、なぜ「どこにいるのか」とおっしゃったのでしょうか。それは「隠れていないで出てきなさい」とう呼び掛け、促し、招きをなさっていらっしゃるからです。しぶしぶとではなく、自ら進んで現れること、もっと言えば、神さまの前に出て来て、自ら罪を告白し、お詫びすることを期待なさったからでしょう。

 しかし、男の反応はそうではありませんでした。神さまの声を聞いてすぐには現れません。もちろん返事をするのですから逃げおおせるとは思っていないのでしょうが、進んで姿は現わしません。隠れたままで、隠れていることの弁解、言い訳をするのです。「あなたの足音が聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから」と答えます。

 それを受けて神さまは、裸であることを誰が告げたのかと尋ね、「取って食べるなと命じた木から食べたのか」と問い詰められます。この問い掛けをなさったときの神さまのお気持ちはどうだったでしょうか。この問い掛けに対してどういう反応を期待しておられたのでしょうか。男の、そして女のそれに対する答は神さまの期待に適ったものだったでしょうか。

 男の答はこうです。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」。それを聞いて神さまが女を叱られると、女はこう答えます。「蛇がだましたので、食べてしまいました」。

 男と女の答は神さまを満足させたでしょうか。神さまは蛇を罰し、続いて男と女にも罰を与え、楽園から追放されます。明らかに御心には適わなかったのです。でも、彼らは噓をついたり事実を隠蔽したりしたでしょうか。「蛇がだました」「女が取ってくれたので食べた」というのは事実そうでした。噓はついていません。だのに、神さまは罰を下されました。禁止の命令に背いたので仕方ないと言えば仕方ないですね。しかし、罪を犯してしまった後、どうすればよかったのでしょうか。ほんとうにこの結論しかなかったのでしょうか。何か別の展開はあり得なかったのでしょうか。神さまが求めておられたものは一体何だったのでしょうか。

 違反の行為をした後の二人の最初の行動は、隠れることでした。そして、「どこにいるのか」との呼び掛けを聞いても、声だけ返事はしましたが、神さまの前に姿は現しませんでした。「どこにいるのか」という言葉は、彼らがどこに行ったのか分からないから探しているのではなく、自ら出てくるようにとの促しだったのにもかかわらず、彼らはその期待に応えませんでした。姿を現さなかったばかりか、罪を認めてそのことを悔い、謝ることもしませんでした。したのは、なんとかして自己正当化をしようという言い訳だけでした。

 女は罪を認めたでしょうか。「蛇がだましたので、食べてしまいました」。罪は蛇にあって、罪を犯すことになったのは蛇のせいだと言い、あたかも自分は蛇の被害者だと言っているかのようです。蛇がたくみにだましたのは事実ですが、その言葉に乗って、禁止命令を破ったことの責任を負おうとする主体的な姿勢は少しもありません。男もまた「女が、木から取って与えたので、食べました」と言って、今度は女のせいにします。いいえ、そればかりか、彼の言った言葉をよく聞くと、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が」と言っています。これではまるで一番悪いのは女を与えてくださった神さまだと言っているようなものではありませんか。自分は悪くない。悪いのは女だ、いいえ、女を与えてくださった神さま、あなたが悪いのだと言っていることになります。自分の責任などかけらも自覚していません。

 私たちは、男と女が犯した罪とは神さまが禁じられた戒めを破ったことだと思っています。禁断のリンゴを食べたことだと。それはたしかに一つの罪でした。守っても守らなくてもどちらでもいいことではなく、守るべきことを守らなかったのですから、これは紛れもなく罪です。

 しかし、わたしは思います、彼らはそのこと以上に大きな罪を犯してしまったのだと。それは何かと言えば、自ら進んで神さまと向き合って、神さまを信頼して真摯に自分の思いを打ち明けることをせず、さらには、自分の罪を認めて責任を負おうとせず、それを逃れるためにその罪を他者のせいにしようとしたことでした。蛇のせい、女のせい、挙げ句の果てはその女を与えてくださった神さまのせいにして、自己を正当化しようとしたのです。こちらのほうが禁令を破ったことよりもはるかに重い罪になるのではないでしょうか。

 もしも呼び掛けを受けた時に、すぐに神さまの前に現れ出ていたらどうなっていたでしょうか。もしも言い訳をせず、他者のせいにしないで罪を認め告白していたらどうなっていたでしょうか。もしも受けるべき罰を素直に受けようと自分を神さまに委ねていたらどうなっていたでしょうか。

 しかし、実際に起こったことはすべてその逆でした。そうまでされてしまっては、神さまは彼らを赦すことができないではありませんか。ですから、神さまは怒って、いいえ、実は、悲しみにくれながら、二人を罰し、楽園から追放なさったのだと思われてなりません。彼らが向き合うべきだった神さまとはそもそもどのようなお方だったのでしょうか。


3.「あなた」とお呼びする神さま

 今朝わたしたちは礼拝の冒頭に詩編を交読しました。それは詩編130編でした。どうぞ旧約聖書の973頁をお開きください。「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」との一節で始まるこの詩編は、教会讃美歌300番「悩みのなかより われは呼ばわる」と訳されているルターの作詞作曲の賛美歌の元歌としても有名です。

 詩人は「深い淵の底から」つまり困難の真只中から叫んでいますが、それは単に困り果て苦しみ悩んでいるというだけではありません。「深い淵の底から・・呼びます」とは自分の犯した、取返しのつかない罪の現実の最中(さなか)で叫んでいるということです。「あなたを呼びます」というのは、己の罪を承知で、あなたを信頼しているから縋(すが)ろうとしているのです。「この声を聞き取ってください」というのは、きっと聞きとってくださると固く信じているからこう嘆願しているのです。「わたしの声に耳を傾けてください」というのは、このお方は必ずやわたしの声に耳を傾けてくださるに違いないと確信しているから、こうお願いしているのです。

 3節、4節ヘと読み進めば、この詩人の思いはより明らかになります。「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐ええましょう」。そうです。義しさと聖さの極みである神さまの前ではどのような罪も見逃されるはずはなく、罪人はその罰を逃れることはできないと重々知っているのです。しかし、彼はそれと同じように、いえ、それ以上に大切なことを知っているのです。それは「しかし、赦しはあなたのもとにあ」るということです。神さまは罪を犯さないではいられないほどの弱さを持つ人間への愛と慈しみを持っていらっしゃるということです。この神さまは罪を赦し罪人を憐れみ救ってくださる恵みの神さまだということです。

 ですから、5節、6節で「わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待ち望みます」と謳い上げるのです。そして7節、8節は詩人の信仰の極致を謳っています。「イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに/豊かな贖いも主のもとに。主は、イスラエルを/すべての罪から贖ってくださる」。自分の罪を重々認識していて、罰せられずにはすまない自分だということを知っているのに、いいえ、知っているからこそ、彼は自分が信頼し信じてやまない主なる神さまに、罪を告白し、赦しを乞うのです。ルターもこの詩に深く共鳴し、あの「悩みのなかより」という賛美歌を作ったのです。

 この詩人の神さまへの信仰と信頼とは、あのエデンの園で罪を犯した男と女の神さまへの態度とどれほど隔たっていることでしょう。正反対と言っても言い過ぎではないでしょう。詩人の信仰とあの男と女の不信仰、彼の信頼と彼らの不信。両者は真逆でした。

 わたしがあえて大胆な推測を述べることを許されるなら、こう申し上げたい。「禁断の木の実を食べたあの男と女は、自分の罪を認め、神さまの前に進み出て、その罪を告白し、自らを神さまにお委ねしていたら、神さまはきっと喜んで彼らを赦してくださったに違いない」と。罪を非としながら、罪人を愛し、受け容れ、赦し、新しい命を生きるように導いてくださるお方こそが、聖書が示す神さまなのです。第2コリント書で縷々自らの弱さを告白している使徒パウロもそのような愛と赦しの神さまを信じていたのです。


4.イエスさまの宣言

 今朝の福音書の日課には「ベルゼブル論争」と「イエスの母、兄弟」という小見出しが付いた二つのエピソードが記されていますが、今日はその中の二つの節だけに注目しましょう。マルコ3章の28、29節です。そこにはこう記されています。「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する罪は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」と。

 人の子ら、つまりわたしたちが罪を犯してしまうこと、神さまへの冒涜の言葉を吐いてしまうことが大前提にされています。どう頑張っても罪を犯してしまうのです。冒涜の言葉を吐いてしまうのです。しかし、それでもなお、「すべて赦される」とイエスさまはおっしゃっています。創世記3章のあの神さまと男と女の会話を思い返すと、罪を犯したときに、神を冒涜する言葉を吐いてしまったときに、神さまに真正面から向き合わず、逃げ隠れようとしたり己の罪を認めずに、だれか他者のせいにしようとしたりしてしまうと、赦されることはありません。しかし、正直に、誠実に神さまに向かい合い、罪を認め、告白し、自分自身を神さまにお委ねするならば、きっと愛と恵みの神さまは赦してくださるのです。イエスさまは驚くほど明々白々に「すべて赦される」と宣言なさっているではありませんか。

 しかし、赦されないときが一つだけあるともおっしゃっています。それは聖霊を冒涜する時だというのです。聖霊を冒涜するとはどういうことでしょうか。冒涜するとは、国語辞典を引くと、「神聖なものの権威をけがし、傷つけること」と説明してありました。神の権威をけがし、傷つけると言いますが、そもそも神の権威とは何でしょうか。それは、神さまだけがおできになること、これをなさるからこそ真の神なのだということ、つまり神さまの本質が愛であること、それゆえに神さまだけが罪を犯してしまう人間を赦してくさるということです。それこそが神さまがまことの神たる所以なのです。それこそが神の権威なのです。しかし、神が愛と赦しの神であることを否定するならば、それは神の権威をけがし、傷つけることなのです。それだけはしてはならないとイエスさまは厳しい言葉で戒めていらっしゃるのです。

 あの男と女は、罪を犯してしまいました。けれども、それでもなお赦されることができたのに、自らそれを投げ出してしまいました。詩編130編の詩人も同じように何かの罪を犯してしまったのですが、彼は神さまには赦しがあることを信じていましたから、あのような悔い改めと賛美の詩を声高らかに謳い上げることができたのです。

 わたしたちの前には、あの男と女の生き方と130編の詩人の生き方の二つがあります。わたしたちはそのどちらを選ぶのでしょうか。それよりも前に考えるべきことは、そのどちらを選ぶことを神さまはお望みになっておられ、どちらを選ぶことをお喜びになるのでしょうかということです。それに対する答は明らかです。それを身を持ってわたしたちに告げるために、主イエスさまは来られたのです。今もなお聖霊をとおしてその答を語り続けていらっしゃるのです。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2021年5月3日月曜日

「書いた、愛した、生きた」江藤直純牧師

 2021.5.2.小田原教会

書いた、愛した、生きた

使徒8:26-40,Ⅰヨハ4:7-21, ヨハ15:1-8

江藤直純

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

「生きた、書いた、愛した」。これは『赤と黒』などの小説を書いた、19世紀のフランスの作家スタンダールの墓に刻まれた有名な言葉です。日本ではこの順序「生きた、書いた、愛した」の順序でよく知られていますが、イタリア語で書かれた実際の墓碑銘は「書いた、愛した、生きた」の順です。「生きた」が最初に出てこようが最後に出てこようが、彼が自分の人生を振り返って、生涯を掛けてやったことは何かと言えば、軍人とか官僚とかにも一時従事しましたが、何よりも作家として長編短編の作品を多数書いたこと、そして何人もの女性を愛したことであり、そのようにして生を全うしたのだと総括したのです。実に簡潔に、明確に、印象的に自分の人生をまとめているのです。

これを真似して、スポーツ選手なら、「走った、愛した、生きた」とか「投げた、愛した、生きた」とか言えるでしょうし、ほかの職業に就いた人は「教えた、愛した、生きた」とか、「研究した、愛した、生きた」とか、「作った、愛した、生きた」とか、「育てた、愛した、生きた」などさまざまな変化形で人生を締め括ることができることでしょう。

○○をした、そして、愛した、そのように生きたと言うときの「愛した」ということはだれにでも共通でしょうか。その内容は同じでしょうか。スタンダールの「愛した」はおそらく情熱的な恋愛をいくつもしたという意味でしょう。あるいは、ある人は大好きな夫を或いは妻を生涯一筋に愛したと言うこともできるでしょう。特定の人間ではなく、芸術や自然や趣味を愛したという人もいるでしょう。それは人それぞれでしょうし、ほかの人がその愛をああだこうだと評価したり批判したりするべきでもないでしょう。その愛の対象は、ほかの人から見てどうであれ、なぜかこの人にとってはこよなく価値あるものであり、尊いものであり、その人を惹きつけてやまないものであり、好きにならずにはいられないので、この人はその人を、或いはそのものを、そのことを愛したのです。ああ、美しいなとか、きれいだな、かわいいな、或いは優しいな、とか不思議だなとか、おもしろいなとか感じて、愛するようになるのです。人間にはそのようななにか素敵なもの、価値あるものを愛さないではいられない能力というか性質というか本能が備えられています。そして、そのように「愛する」ことはとても良いことだし、人間的なことだと私も思います。


2.

わたしが十代の頃だったと思いますが、たぶん牧師先生に勧められて読んだ本に、北森嘉蔵先生というもともとはルーテルの牧師で戦後東京神学大学の教授になった方の『愛における自由の問題』というラジオでの講演がもとになった本がありました。その中に今でも忘れられない一節があります。そこではパスカルという哲学者の次の言葉が紹介してあったのです。「彼は十年前に愛した婦人をもはや愛さない。そのはずである。彼女は以前と同じではなく、彼も同じではない。彼も若かったし、彼女も若かった。今や彼女は別人である。彼は、彼女が昔のようであったなら、今もなお愛したかもしれない」。

北森先生はこの言葉が提示している問題、つまり、なぜ人はかつて愛した相手を今は愛さなくなるなどということになるのかということを手掛かりに、愛というものの本質を考えていらっしゃったのです。答は単純です。それは、相手に対する愛が、相手の持つ価値、値打ちというものに依存しているからだというのです。そして、簡単な例として、わたしたちが花を愛するのは、花が美しさという価値とか、香りの良さという価値を持っているからだというのです。それを持っているバラとか百合を部屋に飾ることはしても、そのような価値を持っていない道端の雑草を飾ったりはしないのです。枯れてしまった花を飾りません。その価値の故にその花を愛し、または愛さないのです。相手が人間の場合も同じだというのです。

つまり、パスカルが言わんとすることをきっかけに、相手が何かしらの価値を持っているから相手を愛するという愛は、たとえそうすることが人間にとっては自然であり本能にかなってはいても、はたしてそれはほんとうに自由な、何ものにも縛られない、自発的に湧き出した、そして報いを求めない愛だろうかと問いを深めていくのです。そうは言っても、と呟く方もいらっしゃるでしょう。好きになるとか愛するとかいう人間にとってごく自然な、本能的なことを小難しい理屈を並べ立てて議論しなくてもいいではないかとお考えになっても当然でしょう。

しかし、今朝わたしたちは第二の日課、ヨハネの手紙一の4章や、ヨハネによる福音書15章の中で何度も何度も「愛」とか「愛する」という言葉を聴きましたが、そこで聴く「愛」とか「愛する」は、わたしたちが日常生活の中で何気なく使っている「愛」とか「愛する」と同じ意味でしょうか。スタンダールが「書いた、愛した、生きた」と自分の墓碑銘に刻ませたときの「愛した」と、聖書が言っている「愛」や「愛する」とは同じ内容、同じ質でしょうか。さらに、ヨハネの第一の手紙やヨハネ福音書のメッセージと第一の日課、使徒言行録8章のエチオピア人の宦官がフィリポに導かれて読んだイザヤ書53章とはどういう関係があるのでしょうか。もう一度聖書を開き、御言葉に耳を傾けてみましょう。


3.

ヨハネ15章は、イエス様の告別説教と言われている、逮捕と十字架刑の前に弟子たちに語られたいくつもの教えの一部ですが、この15章は「わたしはまことのぶどうの木」で始まっており、5節で改めて「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と宣言なさっています。枝は木、つまり幹から生え出ており、その枝は豊かに実を結んでいます。先に幹があり、その幹から支えと水分と栄養分とをもたらされて枝は生きており、さらに実を結ぶことができるようになります。枝も実も言ってみれば木の一部だとも言えます。

3節を見ると、「わたしの話した言葉によって、あなた方は既に清くなっている」とあります。別の訳を見ると、「私があなたがたに語って来たことばのゆえに、あなたがたは既に清い」、あるいは「わたしが語ったことばによって、あなたたちはすでにきれいになっている」と訳されています。幹であるイエス様が語ってくださった言葉、愛と赦しの言葉によって、わたしたちはすでに清くしていただいているとおっしゃっているのです。

4節「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」は、「もしあなたがたがわたしにつながっているならば、もしそう努力するならば、わたしも、その努力に応えて、あなたがたにつながっていてあげよう」と言われているのではありません。「わたしに安心してつながっていなさい。すでにわたしはあなたがたとつながってあげているのだから」というニュアンスが聞こえてきます。だからこそ、続けてこうおっしゃっているのです。「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」と。しかし、心配しないでください。実は、私はあなた方としっかりつながっているのだ。既にそうなっているのだ。この事実が大前提なのです。だから、イエス様はこう言われます。「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と。

さらに、9節以下を見れば、実を結ぶとは愛することだということが分かります。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」で始まるヨハネの手紙一の4章7節以下では、「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです」と言われています。ぶどうの幹から枝へと水分も栄養分も送られていて、だから枝の先に美味しいぶどうが実っているのです。愛は神から出るものなのです。なぜなら「神は愛だからです」と8節は言います。

そこで肝腎なのは、神から出る愛とはいったい何かということです。9節には「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです」と神がなさったこととその目的が明瞭に記されています。この聖句を読む人はだれでも小聖書とさえも呼ばれるヨハネ福音書3章16節を思い出されることでしょう。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。17節にはさらにこう言われています。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と。これが神の愛だとヨハネの福音書も手紙も告げるのです。

4.

ここで第一の日課をもう一度開いてみましょう。使徒言行録の8章26節以下のフィリポとエチオピアの高官の出会いの場面です。エチオピア人は馬車の上で聖書を読んでいます。「彼は、羊のように屠殺場に引かれて行った。云々」。この箇所はどこでしょう。そうです。旧約のイザヤ書53章7節をお聞きください。「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように」。昔から「主の苦難の僕」と呼ばれてきたある人のことを、預言者イザヤは53章全部を使ってこれ以上ないくらい印象的に描写しています。長くなりますが、丁寧に読んでいきましょう。1節です。「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。」何の話しが始まるのでしょうか。次のような人のことです。2節「渇いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。」どんなに貧相だったことでしょうか。

さらに続けます。3節「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」あらゆる苦難、病い、苦しみを経験していたというのです。病気や苦難は、当時の考え方では、罪を犯したから神さまから罰を受けたのだ、だから自業自得なのだ、と思われていたのです。

しかし、真実はこうでした。4節「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。」ところが実は違うのです。5節「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。」それでどうなったのか。「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」のです。これがあの人物が苦難をたくさん背負っていることの真相だったのです。

53章の終わりのほうにはこう書かれています。「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しいとされるために、彼らの罪を自ら負った」「多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった」。

十二使徒の一人フィリポが霊に導かれて、エルサレムからエチオピアヘ帰る途中の高官に寄り添いました。そして、彼が読んでいた聖書の箇所、すなわちイザヤ書53章の主の苦難の僕に関する預言を、つい最近十字架刑に処せられたイエス・キリストと結びつけて説き起こしたのです。そして、このお方こそがまことの主の苦難の僕であること、この方の苦難と死によってわたしたちの罪が贖われ、赦しと平和と癒しが与えられたこと、今や甦られてわたしたちに新しい命を授けてくださることを語ったのです。エチオピア人はその場で水の中に入り、フィリポから洗礼を受けたのでした。

5.

ヨハネ福音書とヨハネの手紙が証ししている神の愛とはまさにこのことでした。神さまは立派な生き方をする、信仰深い、愛するに十分価する、大好きな人間を引き寄せてかわいがり、愛してくださるということが聖書の神さまの愛ではないのです。そういう人はほっておいても誰かに愛されるでしょう。しかし、もしもその人が立派な生き方から逸れてしまったり、信仰に迷いが生じたり、愛するに価しない存在にずり落ちてしまったりしたら、どうなるのでしょうか。わたしたちはしばしばそうなってしまうのです。わたし自身そうです。そのときには、もはや愛されなくなってしまうのでしょうか。もしもそれが人間の愛ならば、たしかにそうでしょう。

しかし、神さまの愛はそうではありません。主の苦難の僕が身を持って示した愛は、愛の対象の価値いかんに関係なくというか、価値がないにもかかわらず、自分自身がその人の苦難を引き受けてでも愛する愛でした。ヨハネの手紙にははっきりとこう書いてあります。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」

神さまはわたしたちを、罪があっても、弱さがあっても、不完全であっても、枝として幹にしっかりとつなぎ止めてくださいます。幹の語る言葉によってすでに清くしてくださっています。さらに、幹は大地から水分も栄養分も吸い上げ、どんなに細く小さな枝であろうと、そこへ水分も栄養分も送り込んでくださいます。そうであるならば、わたしたちにできること、わたしたちがするべきことはただ一つ。送り込まれる水分と栄養分とを使って実を結ぶことしかないではありませんか。たとえ、その実が小さくても、多少とも酸っぱくても、形が不格好でも、ぶどうの実を実らせるのです。ぶどうの実とは愛することだと聖書は言っています。幹から水分と栄養分とを送り込まれるので、枝は実を結ぶのです。神さまから愛を与えられるので、わたしたちも愛することを実行するのです。ヨハネの手紙は言います。「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」。ヨハネの福音書もこう言います。5節「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」。そして12節「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」。

この神の愛をわたしたちの人生の只中で受けて、それによって神と人とを愛するようにされるのです。わたしたちは一人ひとりに与えられた務めがあり、ライフワークがあります。それが何の働きをすることかは人一人ひとり違います。それでいいのです。しかし、それだけではありません。もう一つ、大事なことがあります。わたしたちは墓に「○○をした」と書くだけでなく、「○○をした、愛した、生きた」と書くようにしたいものです。遺された家族がそう書き、刻ってくれるようにしたいものです。

その時の「愛した」とは、いうまでもなく情熱的な恋愛を何度もしたという意味ではなく、たとえ派手さはなく、たとえそれで有名にならなくても、自発的な、無償の、見返りを求めないけど、だれかを生かすために愛するという意味です。このわたしも神さまから無償の愛をいただいたのですから、わたしみたいなものであっても、小さくても、不十分でも、不完全でもいいから、人に尽くすように愛してみましょう。ぶどうの枝はぶどうの木がしてくださったことをできるのです。そうされているのです。地上の生涯を終えるとき、神さまがあなたに「誰それよ、あなたは○○をした、愛した、生きた」と言ってその生涯を祝福してくださることを信じます。アーメン

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。