2023年4月2日日曜日

明るさの中の闇、暗さの中の光  江藤直純牧師

 2023年4月2日 主の受難     ルーテル小田原教会

イザヤ50:4-9a;フィリピ2:5-11;マタイ26:14-27:66

1.

 毎週毎週教会で、しかも全世界の教会で、さらには過去二千年間にわたって、私たちの主、世界の救い主はこの人の下で苦しみを受けたと公に告白されるとは、ご本人からしてみれば、「頼むからもう勘弁してくれよ」と言いたくなるのではないでしょうか。「ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け、十字架につけられ」これは使徒信条の一節です。ニケア信条では「ポンテオ・ピラトのもとで私たちのために十字架につけられ、苦しみを受け」という文言で唱えられています。主イエスの受難の元凶はピラトだと言っているようです。たしかに彼は当時のローマ帝国のユダヤ属州総督で、主イエスの死刑の最終的な責任者でした。歴史上の実在の人物です。当時の制度では、ユダヤ人には死刑の判決を下し、執行する権限はなく、ただ総督にのみあったのですから、「ポンテオ・ピラトの下で」と言われても仕方はないでしょう。

 しかし、マタイ福音書が書き記している裁判の成り行きを見れば、彼にすべての責任を負わせることは適切ではないでしょう。むしろ、彼はなんとかしてイエスさまの死刑を避けようとしていたようです。しかし、祭司長や長老たちに扇動されて興奮した群衆の「イエスを十字架につけろ」(27:22,23)という叫びに気圧されて、「群衆の前で手を洗って」「わたしには責任がない」(27:24)と猿芝居を打った上で、処刑を許したのでした。

 それでは、イエスさまの十字架刑の責任は群衆にあるのでしょうか。僅か数日前には「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」(21:9)と歓呼の叫びを挙げていたあの群衆に。

 いえいえ、愚かな彼らを巧みに扇動したユダヤ社会の指導者たち、祭司長や長老や律法学者たちにこそ十字架の責任があるのではないでしょうか。彼らは群衆を扇動したばかりか、総督ピラトさえも脅して死刑の判決を勝ち取ったのです。あるいは、無抵抗のイエスさまを十字架に釘付けし、槍で脇腹を刺すという処刑の実行者である兵士たちが責任を負わされるのでしょうか。

 前の晩にゲッセマネの園で「苦しみもだえ」「汗が血の滴るように」落ちる中を「いよいよせつに祈っておられた」(ルカ22:44)イエスさまと共に祈ることができず眠りこけてしまった弟子たちは主の十字架の苦しみと無縁でしょうか。この方のためならたとえ火の中水の中にでもと力んでいたのに、イエスさまを守ることができなかったばかりか、巻き添えを恐れてゴルゴダの丘から逃げ出した弟子たち、その代表格でありながら三度主を否んだペトロやその他の弟子たちは何の責めも負わないでいいのでしょうか。

 そして、忘れてはならないのが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネのどの福音書も十二弟子の紹介の時に、その最後に決まって「イエスを裏切った」と書き足しているイスカリオテのユダです。とくにヨハネ福音書には彼への悪意、憎しみが籠もっているようです。『広辞苑』を引くと、「ユダ」の項では、十二使徒の一人で裏切ったと記した後、②「転じて、裏切者、背教者」と書かれています。そうならば、この人こそが主イエスが十字架にかけられたことに最も重い責任があるのでしょうか。世間でも教会でもそう思われているようです。

2.

 そう評価し、そう判断することは簡単ですが、本日はこのユダという人間についてしばらく思いを巡らせてみましょう。先ず、いくつかの客観的な事実を確認しましょう。彼は正真正銘の十二弟子の一人でした。しかも、志願してきた「押しかけ弟子」ではなく(もちろん熱心さは当然あったでしょうが)、イエスさまがお選びになったから弟子になったのです。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか」とヨハネ6章(70節)にあり、さらに15章でも再度「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(16節)と仰っています。そのような「選ばれた」一人だったのです。

 彼の名は「イスカリオテのシモンの子ユダ」(ヨハ13:2)です。諸説あるにしろ、イスカリオテがイシュ・ケリヨトに由来するならば、ユダヤの村の一つ「ケリヨト」の「イシュ(人)」ということになります。すると、彼はイスラエルの南のユダヤの出身ということになり、十二弟子の大半は北部のガリラヤ地方の出ですから、やや珍しく思われます。彼がどういう経緯でイエスさまと出会い、その弟子集団に加わったのかは知る術がありませんが、きっとイエスさまの明確な選びがあったのではないかと推測されます。

 もう一つ覚えておきたいことは、ユダの弟子集団の中での役割は「会計係」だったということです。男だけでも13人、それにガリラヤ以来一行の世話をしながらずっと従っていた女性たちがおそらく5人以上はいた(ルカ8:2-3)ことを思うと、その大所帯の生活と旅を管理・手配し、経済的なやりくりの責任を負っていたとすれば、ユダはかなりの実務能力があり、また財布を預けられるだけの信頼を得ていたものと想像されます。漁師であり情熱的で一途なペトロなどのリーダーたちと比べるとかなり異色な存在でした。

 十字架の出来事から30年以上あるいは5,60年近く経った後、裏切り者という評価がすっかり定着してから書かれた福音書には、ユダへの手厳しい、ときに憎しみさえ込められた記述が見られますが、十字架に至るまでの数年の間はユダがいつも白い目で見られていたということはなく、弟子集団にとって、それだけでなくイエスさまにとってなくてはならない人間だったと思って間違いはないと思われます。ユダもイエスさまを敬愛していました。

 しかしながら、彼が最後の晩餐の席からそっと去ったこと、その前日か前々日に祭司長たちのところに行き、銀貨30枚で主イエスを売り渡す秘密の取引を交わしていたこと、食事の後の夜ゲッセマネの園での祈りの後、逮捕にやってきた人々に対して、接吻という親愛の情を表す行為によって、この人がイエスだと教えたことも取り消せない事実です。

 夜が明けたところで、イエスへの有罪の判決が下ったことを知ったユダは「後悔し」、もらっていた銀貨を返そうとし、受け取ってもらえないと、「神殿に投げ込んで」、「首をつって死んだ」(マタ27:2-5)のでした。これがユダのやったことです。しかし、「わたしは罪のない人」を死に追いやったことをすぐに後悔したことを思うと、もともとイエスさまへの深い信頼・尊敬・敬愛の念をもっていたことは疑えません。

3.

 さて、イエスさまがおめおめとこのユダに裏切られることになると予め分かっていなかったのならば、それはずいぶんとうかつだったのではないでしょうか。神の子なのに、と思われるでしょう。しかし、そうではありません。福音書を読めば、ほかの弟子仲間はだれ一人気づかなくても、イエスさまだけは彼の裏切りをご存じだったことは明らかです。過越の食事の中での会話にははっきりとそう書いてあります。「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」(マタ26:21)と。

 しかし、不思議に思えますが、その言葉を聞いても、その後ユダがそこを抜け出して行っても、11人の弟子たちの中のだれ一人として、彼が裏切りの実行のために動き出したとは気づかなかったのです。追いかけて止める人もいませんでした。今日の聖餐式の原型となるパン裂きとぶどう酒の回しのみが行われ、「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」(26:30)。弟子たちは悲壮な覚悟でというよりも、過越祭の食事を終え、昂揚した気分でまた明るい表情でふだんの祈りの場へと出向いていったのでした。

 イエスさまにとっての「御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され」ること、それで終わらず「三日目に復活する」(マタ16:21)ことは早くから覚悟しておられ、弟子たちにも二度三度と予告なさっていたことでした(17:22, 20:18-19)。イエスさまは口にこそ出してはいらっしゃいませんが、殺されるまでの過程で、弟子の一人が裏切るということも承知していらっしゃったかも知れません。誰かが引き金を引かなければならないのは自明だからです。

 しかし、繰り返しますが、イエスさまはご自身の十字架への道のりを自ら止めようとはけっしてなさいませんでした。十字架は生まれたときからイエスさまに与えられていた神からの使命だったのです。マタイ福音書は東の国からやってきた学者たちが持ってきた捧げ物の中に遺体に塗る「没薬」があったことを記しています。神の子は地上で十字架の死を死ぬことにより人々の救い主となることが定められていたのです。

 主イエスはユダがあれほど愛され信頼され期待されていたのに、最後の最後で悪魔に魅入られ裏切りの実行犯になったとき、万事を承知で「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」(ヨハ13:27)とおっしゃったのです。十字架は神からの使命だったからです。

4.

 神の国の福音を告げ広めるために、また愛と癒しのわざを行うために、イエスさまは弟子たちを召し集め、寝食を共にし、宣教の働きをつぶさに見せ、実際その訓練をなさって、後事を託すおつもりでした。そのために召されたのがペトロであり、ヨセフやヨハネであり、トマスであり、そしてユダだったのです。一人ひとり個性は違い、能力や得意とすることも弱いところも欠点も異なり、経歴もそれぞれですが、一つだけ共通のことがありました。それは、その誰もが間違いなくイエスさまに選ばれ、召し出され、弟子として訓練され、福音宣教へと派遣される人たちであったということです。端的に言えば、イエスさまに愛されていました。人間的な、或いは信仰的な不完全さを抱えていてもそうなのです。いいえ、不完全さを、弱さを、罪を抱えているからこそ、罪赦され、救われるのです。愛されるのです。彼らは、人が生きていくのにはどうしても神が必要であり、事実神の恵みによってはじめて生かされていることの生きた見本でした。

 弱さを抱えた弟子たちは、愚かさそのものの群衆は、憎しみに満ち満ちていた祭司長や長老たちは、自己保身に凝り固まっていたピラトは、そしてなかんずく悪魔に負けて主を敵に売り渡したユダは、だからこそイエスさまの赦しがどうしても必要であり、救いが与えられなければ生きていけないのです。愛されなければいのちが保たないのです。彼らがあのような彼らだからこそ、イエスさまの十字架が必要だったのです。ユダがあのように一時的であるにせよ悪魔に入り込まれ裏切りをしてしまうユダだったからこそ、十字架が、罪赦しが彼のために必要だったのです。

 私は思います、なぜ彼の名前はユダだったのかと。イスカリオテのマタイでもよかったはずです。ペトロでもよかったでしょう。でも、彼の名前はユダでした。ユダと聞いて何を連想するでしょうか。そうです、ユダヤです。ユダヤ人、神の民です。ユダはユダヤ人を、神の民を代表しているとは考えられないでしょうか。神の民とは全世界の人々、神の被造物である人間全体に祝福をもたらす(創12:1-3)ために選ばれた民のことです。ユダは選ばれかつ罪を犯す神の民を象徴的に表します。大きく言えば、全世界の人々の代表ということになるでしょう。

 主の死とは彼らに罪の赦しと救いをもたらすための十字架の死だったのです。そうであるならば、この十字架の死とそれによる罪の赦しと救いとが、その代表あるいは象徴であるユダに与えられないはずはないのです。ルカが書き残している十字架上の主の言葉の一つ、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:

34)の「彼ら」の中にユダが入っていないはずはないのです。むしろ、いの一番に入っているのです。もちろん、弟子たちも、群衆たちも、祭司長や長老たちもピラトも含まれます。ユダを演じ、弟子たちや群衆や祭司長・長老たちを演じ、ピラトを演じた私たちも同じことです。最後の晩餐にも招かれ、キリストの体とその血に与るのです。

 神の民を象徴的に表すユダが神の前の罪と神による罪の赦しを証ししているように、異邦人を代表するローマの軍人、百人隊長は十字架の一部始終を見て、「本当に、この人は神の子だった」(マタ27:54)と告白しました。異邦人である私たちもまたこの告白と賛美の列に加わりましょう。アーメン


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