2024年2月6日火曜日

そのために私は来た

 2024年2月4日 小田原教会  江藤直純牧師

イザヤ:40:21-31; 詩編:147:1-11, 20c; Ⅰコリント:9:16-23; マルコ:1:29-39

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 今は小学校から習っているようですが、私たちの頃は中学に入学して初めて学校で英語を習いました。そこで文法というものを教わりました。英語という言語の構造、仕組みやそれぞれの言葉の機能とその使い方などを初歩から少しずつ学んでいきます。その中には名詞や形容詞などと並んで動詞というものがあります。動詞の中で小学校では聞いたことのなかった不定詞というものが出て来て、しかもそれには名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法という三種類があるということでした。

 今朝私たちは礼拝をしているのであって、英語の文法の授業を受けているわけではありませんから、ここまでの話しはどうでもいいのです。ただ、申し上げたかったことは、不定詞の副詞的用法とはどういうものかということを理解するために教科書に出て来た例文の一つがなぜか今も私の印象に残っていたので、それをご紹介したいのです。

 その例文はこういうものでした。Do you live to eat, or eat to live? 直訳すれば、「あなたは食べるために生きるのですか、それとも生きるために食べるのですか」です。食べるために、おそらくは美味しいものを食べるためにあなたは生きるのですか、それとも生きるために、何かをやりたくて生きるためにあなたは食べるのですか。この単純な文は英文法の勉強のためのという以上の、人生の勉強のための貴重なヒントを与えてくれたと思えるのです。つまり、人生は何のために生きるのですか、という問いを投げかけているのです。

 元日の夕方突然襲ってきた地震と津波によって何百という尊い命が失われ、営々と築いてきた穏やかな生活は脆くも崩れました。日本だけでなく、パレスチナのガザではこの3ヶ月ほどで二万を大きく超える無辜の市民の命が奪われ、その半数近くは子どもたちで、至る所で住宅も公共施設も瓦礫の山と化しました。そういう現実を目の当たりにすると、人生は何のために生きるのかなどと悠長に考えてはいられない、考えようが考えまいが人の命なんか儚く脆いものさ、所詮考えるだけ無駄というものさ、と呟く人がいても非難できない気もします。

 しかし、命と人生を脅かす悪の力が存在するからこそ、それに打ち負かされないためには、あるいは倒れそうになっても立ち直るためには、人の命あるいは人生は何のためにあるのかということをしっかりと捉えておく必要があるでしょう。根本的な意味とか目的というものが明確であることが、命とか人生というものを重んじる大前提になるのです。

2.

 今朝与えられた三つの聖書の日課はこの問題を考えることへと私たちを導いてくれると思われます。まずはマルコによる福音書1章の「多くの病人をいやす」という小見出しが付いた記事から見ていきましょう。

 イエス様がガリラヤで伝道を開始され、湖のほとりで4人の漁師を弟子となさったあとのことです。カファルナウムという町に行き、安息日に皆が集まっている会堂に入り、そこで聖書に基づき神と人間について教えられ、また汚れた霊に取り憑かれた男をいやされました。教えといやしです。人々は皆驚き、大きな評判が立ちました。

 一行は会堂を出たあと、最初の弟子であるシモン、のちのペトロと、その兄弟アンデレの家を訪問なさいます。もう一組の兄弟ヤコブとヨハネも一緒でした。ところがそこではシモンのしゅうとめ、つまり同居している彼の妻の母親が熱を出して寝ていました。きっと微熱などではなく高い熱を出して苦しんでいたものだと思われます。だからこそ、その場に居合わせた人々はイエス様にお願いをしたのです。「是非とも先生のお力で直してやってください」と。人は心も病みますし、体も病むのです。生きていくのには心も体もどちらも大事なことです。

 イエス様が高熱に苦しむシモンのしゅうとめを癒してくださったら、彼女は何をしたでしょうか。マルコは簡潔に「彼女は一同をもてなした」(1:31)と記しています。治癒していただき、感謝の気持ちからご馳走を作っておもてなしをしたと額面通りに取っていました。しかし、今回準備の過程でいくつかの日本語や英語の聖書を読み比べていて、新しい気付きがありました。それはいくつかの訳は「彼女は仕え出した」とか「仕え始めた」となっているのです。この過去形は「それ以来○○をするようになった」とも翻訳することが文法的に可能なのだそうです。そこからのインスピレーションです。もちろん体調が戻ったのでその日の夕食を作り始めたという意味にも取れますが、もう少し深く大きく解釈すれば、「その時を境として彼女は仕える、奉仕するという生き方を始めた」という受け取り方もできるということです

 たとえば、重い病気から健康を回復させてもらった若者が、その時から自分も医師や看護師になって人の役に立つ人間になろうと思って実際そうなったとか、おじいさんやおばあさんが福祉施設で最後までよく介護されるのを目の当たりにして、自分も福祉職に就こうと決心して、念願叶ってそういう人生を生きてきたとか、実際身近でも聞く話しではありませんか。シモンの義理の母親ももちろん人並みに親切やもてなしはしていたとは思いますが、自分が病気をいやされた経験から「仕える、奉仕するという生き方」を自覚的に、本気で生き始めたということではないかと私は受け取ったのです。

 改めて今自分に与えられている健康、命、時間、所有物のことを思います。それをどう使うかは私の自由です。義務も規則も命令もありません。まったく私の自由なのです。好きに選んでいいのです。その選択に際して、立ち止まってそれらを何のために使うかを考える、或いは誰のために使うかを考える、それは取りも直さず、自分はどう生きるかを考えるということです。

 そんな固っ苦しいことなんてと一般に思われがちです。しかし、今から87年前に初版本が出版された吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』はすでに岩波文庫版だけで180万部も売れ、岩波文庫の累積販売部数でNo.1だそうです。『漫画 君たちはどう生きるか』も既に235万部売れたそうです。今回アメリカでゴールデングローブ賞を受賞した宮崎駿の長編アニメも同じ題名です。若い人も大人もやはり考えないではいられないようですね、このテーマを、「自分はどう生きるか」ということを。あるいは「何のために生きるのか」ということを。

 自分の命をどう使うかという重いテーマをぐっと考えやすくするためでしょうか、日野原重明先生は「命」を「時間」に置き換えて問いかけておられます。「あなたは自分の時間を何のために使いますか」と。シモンの義理の母は「仕えるために」生きると決心したのです。生きるために仕えるのではなく、仕えるために生きる道を選んだのでした。彼女はイエス様に、具体的にはだれか自分の力や時間や心を必要としている人のために「仕えるために生きる」ことを始めたのです。その手始めが一行へのおもてなしだったのです。

3.

 さて、では、イエス・キリストという方はどう生きられたのでしょう。何のために生きられたのでしょうか。3年間だったと言われていますが、主イエスの公生涯(公になっている生涯)の、とくにガリラヤ地方一帯での生活と働きは今日の日課の後半、1章の35節から39節にギュッと凝縮した形で書かれています。それは三つのことに集約されています。

 第一です。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(1:35)。祈りは理屈の上では内面での行為だから時と所とを選ばないはずだと言うこともできるのかもしれません。たしかにテレビが大きなボリュームで流れているリビングででも、ギュウギュウ詰めの満員電車の中ででも、暑さの中でも寒さの中でも祈りができないことはないかもしれません。

 しかし、祈りは個人の黙想ではありません。自己の内部で完結している、自分ともう一人の自分との対話、或いは独り言ではないのです。祈りは神への語りかけであり、同時に神からの語りかけを聴くことです。その繰り返しです。自分ともう一人の自分との対話ではなく、自分と神との対話なのです。面と向かい合って、言葉を発し言葉を聴く、重ねて言葉を発し言葉を聴く、そうしながら自分の心を注ぎだし、また神の心を受け止めるのです。それが祈りです。ですから、それを妨げるものは何であれ避けたいのです。

 だから「朝早く、まだ暗いうちに」なのです。そうです、世の中がまだ動き出す前の一人だけの静寂な時間においてです。だから「人里離れたところで」なのです。そうです、神と自分以外だれ一人として、何一つとして気を惹いたり心を騒がせたりする存在がない空間においてです。そこでただ神にだけ真向かって祈るのです。何一つ隠し立てすることなく、喜びも悲しみも、嘆きも怒りも、不安も疑いも言葉にし、時に言葉にならないままで思いを吐き出し、そんな自分への答に耳を傾けるのです。

 そのような対話の中で、「この神にとって」「一体全体自分とは何者であるのか」、「自分はどう生きるのか」、「何のために生かされているのか」ということを知らされていくのです。それが祈りなのです。祈りが土台、祈りが出発点なのです。私たちだけでなく、イエス様もまたそうであったに違いないと思うのです。マルコ福音書によれば、第1章に始まり、14章での逮捕・処刑を目前にしてのゲッセマネの祈り、15章の十字架上での絶叫のような祈りに至るまで公生涯の節目節目で主は祈りをなさってきました。

 第二は、言うまでもなく、神の福音の宣教です。ガリラヤでの第一声は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マコ1:15)でした。教えの形で、論争の形で、たとえ話の形などさまざまな形で語られたことはすべて、神の国の到来の告知であり、福音を信じることの喜びの宣言であり、神の恵みである福音にふさわしいように悔い改めること、そのように生きることの勧めでした。

 そして第三が病気のいやしや悪霊の追放です。心や体の健やかさが脅かされ、落ち込みくずおれて、自分が望む生き方ができなくなっている人々をその重荷や囚われから解放することです。第1章だけでも「汚れた霊に取り憑かれた男をいやす」「多くの病人をいやす」という二つの小見出しがついた記事が記されています。その中にはシモンの義理の母親のいやしも含まれています。第二と第三のことを総括して、「そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」(1:39)と言ってマルコは締め括っています。

 しかし、今ここではっきりと確認しておかなければならないことがあります。今のガリラヤでの活動の総括は、ただあれをしたこれをしたという行動のまとめに過ぎないのではないということです。その直前の38節を見落としてはならないのです。そこには主イエスご自身の言葉としてこう書かれています。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」(1:38)。私は宣教をする。宣教と表裏一体になっている悪霊追放をする、いやしのわざを私は行うのだ。「そのために」私は出て来たのだと高らかに、明確に、強い意志を込めて主は言われています。私は「そのために」生きる、生きているというのです。それが私の生きる目的なのだ、私の命、私の時間、私のすべてを「そのために」捧げるのだ、そう宣言なさっているのです。わたしは福音宣教といやしをするために生きるのだ、こう公生涯の初めにおっしゃったのです。ただ一人朝早く人里離れたところで神と向き合って、神に祈り、つまり神に語り掛け、また神からの語りかけを聴いて、イエス様はご自分のアイデンティティを確かめ、自分の生きる目的を明確に、揺るぎないものになさったのです。

4.

 生前のイエス様には直接まみえることはなかったけれども、ダマスコ途上で思いもかけず復活のキリストの自己啓示に出会い、180度の生の方向転換、回心を経験したのがサウロ改めパウロです。しかし彼はただちに福音の宣教者となったのではありませんでした。使徒言行録には記されていませんが、自筆の手紙であるガラテヤ書にはこう書いてあるのです。「その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐに血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くことをせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」(ガラ1:16-17)。砂漠のあるアラビアに退いたということは、彼がただ一人静かに神さまに向かい合って祈りに専念する時間を持ったということでしょう。どの位の期間だったのかは書かれていません。数週間か、数ヶ月か、数年か。しかし、間違いなく、その祈りの期間があったからこそ、そのあとの20年余りの、質量共にものすごい福音宣教に従事できたのだと思われます。3次におよぶ地中海世界、小アジアとヨーロッパでの福音宣教をやり、その結果として殉教の死を遂げたのです。世界宗教としてのキリスト教の基礎を築いたのです。

 彼にとって福音宣教をするというとき、その内容と切っても切り離せないやり方がありました。それを彼自身の言葉で書き記しています。第一コリント書の9章、今日の使徒書の日課です。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」(Ⅰコリ9:19)。彼にとって宣教とは相手を洗脳することではありませんでした。一人でも多くの人をキリストに導くこととは、キリストと出会わせ、キリストの命に触れさせ、キリストを信じキリストと共に生きる喜びを味わってもらうことなのです。そのためには自分はなんと「すべての人の奴隷」になるというのです。

 すべての人の奴隷になるというと抽象的で分かるようで分かりませんから、パウロはもっと具体的に語ります。「ユダヤ人を得るため」には「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになる」。民族的人種的にというよりも宗教的文化的に「ユダヤ人のようになる」と言うのです。生まれつきのユダヤ人であるパウロにはそれは何ら難しいことではありません。しかし、ユダヤ宗教の本質である「律法に支配されている人」になれるかと言えば、パウロはそれから解放されたのですから、またもや逆戻りして「律法に支配されている人」になるのは苦痛のはずです。それでもなお、律法に支配されている人を得るために、私も律法に支配されている人のように生きようと驚くべきことを言うのです。「律法を持たない人」と言えば、非ユダヤ人、ギリシャ人をはじめとする異邦人のことですが、彼らを得るためには、私は神の律法を持っておりキリストの律法に従っているのだけど、あえて律法を持たない人のようになろうと言うのです。パウロほど強い人はいないかも知れませんがそれでも、弱い人を得るためには喜んで「弱い人」になろうと言って憚らないのです。

 私たちは誰でも自分のアイデンティティを確立し、自分の生き方を定め、その枠を固めて、他とは違った、自分らしい自分として生きることを目指します。それこそが一人前の人間になることだと教えられてきました。パウロだってそうだったでしょう。しかし、彼は相手を得るためならば、その人を生かし、その人を愛し、その人をキリストの命に触れさせ、その人と福音の喜びを分かち合うためならば、折角確立した自分らしさを手放し自分の特性を改めることも、自分流の生き方を変えることも、自分を守る枠組みを解き放つことも敢えて辞さないと言うのです。ふつうそんなことはできないし、そんなことをした人なんかどこにもいないと思われるでしょう。

 しかし、一人だけそういう人がいたのです。パウロはフィリピの信徒たちへの手紙の中で、当時教会で歌われていたであろうキリスト賛歌を引用しています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリ2:6-7)。そうです、相手を生かすためなら、相手を愛するためなら、相手を救うためなら、自分自身の大切にしているものを擲って少しも惜しくない方が一人だけいたのです。自分を捨てることで相手への愛を全うする、それが神の愛、それがキリストの本質でした。

 パウロはそれを知ったので、しかもキリストが自分を捨ててまで全うした愛の相手が、救おうとされた相手がこの自分自身だったということを知ったので、心を打たれたパウロは感謝をし、自分もイエスさまの生き方に倣おうと決心したのです。ですから、自分は律法に支配などされていないのに、律法に支配されている人のようになることを辞さなかったのです。律法を持たない人ではないのに、律法を持たない人のようにあえてなったのです。自分は弱い人などではないのに、喜んで弱い人になったのです。それはひとえにその人を得るため、つまり、その人を愛するため、その人にキリストに出会ってもらうため、キリストを信じキリストと共に生きる喜びを味わってもらうためでした。そうです、彼は「愛するために生きる」道を、「仕えるために生きる」道を選んだのです。だから福音宣教と奉仕のために生きたのです。それが彼の生きる意味、生きる目的になったのです。なぜなら、彼の主、救い主イエス・キリストがそのために来られたからです。私たちもパウロと共にイエスさまに倣いましょう。アーメン

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

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