2023年5月7日日曜日

イエスという道

 2023年5月7日 小田原教会 江藤直純牧師

使徒言行録:7:55-60;  ペトロの手紙一:2:2-10;  ヨハネ福音書:14:1-14

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 一月前のことです。4月4-5日、長年親しくしていた方の御葬儀に伺いました。2日の日曜日、小田原教会から帰宅して間もなく、長女の方からお電話があり、先ほど急なことだったが父が亡くなったと告げられ、かねてから葬儀説教は江藤先生にと言われていたのでぜひお願いしたいとの依頼を受けました。長野県まで出向き、葬儀説教をしてきました。

 93歳で召されたその方が葬儀で読んでほしいと遺言に書き残してあった聖書の箇所がヨハネ福音書14章1-3節でした。先ほど皆で聴いた本日の福音書の日課の冒頭の部分です。若い頃心臓の大病をなさったとき、手術の前に見舞いに来てくださった牧師先生がこの箇所と詩篇23編を枕元で読んでくださり、さらにそれを紙に書いて病室の壁に貼ってくださったそうです。その方は手術の前も後も何度も何度もそれを読み、その聖句によってやっと心の安らぎを得、我と我が身を神さまにお委ねすることができたのでした。それ以降60有余年の間、その聖句は常にその方と共にあり、葬儀の席でも読んでくれと望まれたほど大切な大切な聖句だったのです。私はその聖句に導かれながら、その方の生涯を振り返り、どんな苦労の中にあっても、たとえ「死の陰の谷を行くときも」、「わたしは災いを恐れない」(詩23:4)との信仰をもって生き抜かれたことを証ししました。

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハ14:1)、愛する父、おじいちゃん、また親しい友の死と地上での別れのときに、参列した者は皆、もちろん私自身も、この聖句によって慰められ励まされたことでした。ヨハネが伝えるこの言葉はイエスさまが最後の晩餐の席で弟子たちに語られた最後の教えの一つです。

2.

 この「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と言われた後に主は何と語られたのでしたか。2節3節はこうでした。「わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのところに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」

 行くとか戻ってくるとかがもっぱら話題になっています。行く先は明らかに「父の家」です。「天国」と言ってもいいでしょう。ところが、このことが弟子たちには少しもピンと来ないのです。ここの直前の13章36節では、ペトロが「主よ、どこへ行かれるのですか」と問います。14章の5節ではトマスが「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(14:5)と訊ねます。さらにはフィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください」(14:8)と重ねて質問します。いよいよ逮捕、裁判、処刑の直前です。よりもよってイエスさまの生涯のクライマックスに差し掛かろうとするこの時にです。この時になってもなお、弟子たちは肝心のことが何も分かっていないことを露呈しているではありませんか。どこに行くのか、どうやって行くのか、行った先はどういうところか。矢継ぎ早に投げかけられる質問にイエスさまは端的にこう答えられます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」(14:6)。さらに父との関係では「わたしを見た者は、父を見たのだ」(14:9)とこれまた簡潔にずばりと言われました。「私が道である」、だから、この道を歩けば良いとおっしゃるのです。

 聖書でも「道」という言葉は非常に大事ですが、私たちが使う日本語でも「道」は深い意味があります。単なる道路という以上の意味があります。柔術、剣術でもよいし、そうも言いますが、やはり柔道、剣道、空手道、ひっくるめて武道といいます。柔術の道、剣の道と言いたいのです。スポーツ系だけでなく、茶の道を茶道、生け花の道を華道と言います。お茶の入れ方、味わい方のハウツーではなく、曰く言いがたいのですが、何かしらそれ以上の次元を指すために茶道、華道と「道」を付けます。宗教でも神道と言います。神(かん)ながらの道、神のみ心のままであること、その道を神道と言います。仏教は仏道とも言います。仏教、仏の教えと言っていいのですし、実際そう言っていますが、仏の道、仏道というときには知的な教えだけでなく、もっとその実践、生き方そのものにスポットライトが当たります。ですから、キリスト教もキリスト道と言っていいのですし、事実そう呼んだ人もいました。それでも普通は、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教とどれも○○の教え、○○教と言います。

 もうこの言い方が定着しているから今更変えることは難しいですが、私の個人的な好みを言えば、キリスト教よりもキリスト道のほうが好きです。道は眺めたり、調べたり研究したりするだけでなく、覚えるだけでもなく、実際にそこを歩くこと、もっと広く言えばそれを生きることと深く結びついているからです。人としての道も人道と言います。

 ですから、「わたしは道である」と言われると、なんとなく分かる気はするのです。でも、説明しろと言われてもそう簡単ではありません。イエスさまが道だとはどういうことでしょうか。

3.

 さて、「キリストの道」あるいは「イエスの道」と言ったときにどのようなイメージを持たれますか。信仰の道、祈りの道、やはり何かしら型があるような気がします。一日の初めに心を静めて、短くても聖書を読む。祈る。寝る前にも一日を振り返って祈る。食事の前には感謝の祈りをする。日曜日は教会に行き、礼拝をする。聖餐式を重んじる。神さまに向き合うだけではなく、人間に対しては隣人愛を実践する。明治以来のプロテスタントの伝統には禁酒禁煙もありました。茶化して言うのではありませんが、謂わば「清く、正しく、美しく」ということをモットーにして生きる。それがキリストの道であり、それから逸れるとキリスト者としての生き方としては失格とレッテルを貼りがちです。こうなると、それを厳密に守ろうとすると修道士、修道女のような生涯を送るのがキリストの道であるということになりそうです。アッシジの聖フランシスコがいつの世でも敬われ、憧れの対象とされるのももっともです。彼が作ったとされている「平和の祈り」はいつ唱えても感動を覚えますし、少しでもいいからこのように生きたい、それこそキリストの道だと思うのです。

 そのことを重々承知の上で、しかし、今朝はあえて踏みとどまって考えたいことがあります。キリストの道、イエスの道とは、私たちがなんとかしてアッシジの聖フランシスコに代表される愛と信仰の道を生きることに限られるのだろうか、と。

 たとえば、マグダラのマリア。イエスさまの伝道旅行に付き従い、十字架上の死を最後まで間近で看取り、日曜日の早朝に復活の第一の証人とされた彼女は、実は「七つの悪霊を追い出していただいた」(ルカ8:2)者だったとルカは記しています。七つの悪霊に取り憑かれていた間、彼女はどんなに苦しい歳月を送っていたことでしょうか。おそらく想像を絶する悲惨な生活を送っていたのでしょう。

 では、彼女が救われたのち、イエスさまに仕え、弟子共同体のお世話をするようになってから初めて彼女はキリストの道を歩き始めたのでしょうか。彼女の側からすればたしかにそうです。わたしたちも普通はそう思います。

 しかし、イエスさまの側から見たらどうでしょうか。彼女は主との出会いの前から苦しみながら、迷いながら、挫折しながら歩いていました。彼女からすれば一人でもがき苦しんでいたことでしょう。しかし、一人っきりで歩いていたのではありませんでした。そのたどたどしい歩みに向こうから近寄り、寄り添い、喜びや悲しみを分かち合いながら、そして倒れそうになる時には傍らから支え、時に分かれ道では選ぶべき行方を示してくださるお方と共に歩いていたのです。ある時そのお方の存在にハッと気がつき、それからは自覚的に「イエスの道」を歩きました。でも、その前もイエスさまは彼女とこの道を歩いていらっしゃったのです。それが「イエスの道」でした。イエスさまは自らこの道を選び、歩き、生きていらっしゃったのでした。

 もう一例。ヨハネ8章には有名な「姦通の女」という小見出しがついた出来事が記されていることはご存じのとおりです。姦淫というならば男も女もともに処刑されるはずなのですが、男は逃げてしまったのか、目こぼしをしてもらったのか、ともかく神殿の境内に引き連り出されたのはその女性だけでした。石で打ち殺せと叫ぶ人々が取り囲み、律法学者たちやファリサイ派という選りすぐりの宗教家たちが、どちらに転んでも窮地に追いやられるような狡猾な問いを発してイエスさまに迫ったときに、あの「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハ8:7)という全く意表を衝く言葉を投げかけて、この女性を救われたのでした。

 ユダヤ教の倫理・律法に従うならば、姦淫を犯した女性は罰せられるべきでした。それは神の民として守るべき戒め、生きるべき道、神の民の道から逸れていたからです。人の道からと言ってもいいでしょう。しかし、イエスさまはそういう彼女に最後にこう言われました。「わたしもあなたを罪に定めない」(8:11)。もちろんそういう生き方を奨励するわけではなくても、その時はそうせざるを得なかった弱さや欠けを持つ彼女を認め、受け容れ、赦し、愛してくださったのです。それが「イエスが生きた道」でした。それこそが彼女を、そして私を生かす「イエスの道」でした。それこそが「イエスという道」なのです。そうでなかったなら、「神の民の道」は生き残り、彼女は死ぬほかなかったのです。

 赦しの後、これから先どういうふうに生きていくことが求められているのでしょうか。「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(8:11)。イエスさまはこのようにおっしゃいましたから、「もう罪を犯さない」生き方こそが「キリストの道」「イエスの道」なのでしょうか。もちろん「もう罪を犯さないようにしたい」「もう罪を犯さないようにしよう」、そうです。人はだれでもそう望み、そう決心するのです。しかし、悲しいかな、この世に生きている限り人は「罪を犯さないではいられない」のです。倫理として、律法としての「キリストの道」からは逸れるのです。しかし、それにも拘わらず、いえ、それだからこそ、罪を犯してしまう私たちのために、寄り添いながら、受け容れながら、支えながら、愛し続け、赦し続け、生かし続けてくださるのが、「イエスという道」なのです。うまく律法を守れたなら受け容れ、うまくできなかったら裁き、断罪し、排除する道は「イエスという道」とは言えないのです。「イエスという道」とは倫理と律法とを全うしようにもどうしてもできない者をも愛し、受け容れ、赦し、生かす道なのです。主イエスはその道を歩き、生きておられるのです。

4.

 「イエスという道」を見える形にするとどうなるでしょうか。どういうイメージでしょうか。洗礼者ヨハネは預言者イザヤの言葉を引いてこう叫びました。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」(ルカ3:4-6)。狭いのではなく広い道、曲がりくねっているのではなく真っ直ぐな道、山あり谷ありではなく真っ平らな道、高速道路はまさにその典型です。

 マタイもマルコもヨハネもみな洗礼者ヨハネに託された使命を書き記し、そこに集まった人々にもまた私たちにも、この高速道路のようなイメージを示しながら、救い主をお迎えするために自分たち自身を見直し、悔い改めて、整え、主にふさわしい生き方をするように呼びかけました。それこそ主が通られるのにふさわしい道だからです。

 万軍の主、神の子の凱旋ならばこのハイウェイのような道こそ全くふさわしいでしょう。私たち自身もそのような道になりたい。そのとおりです。しかし、イエスさまご自身が地上の生涯の最後の最後に歩かれた道はどのような道だったでしょうか。イエスの地上の生涯の集大成ともいうべき最後の道はどのような道だったでしょうか。ゲッセマネの園で逮捕されてから、大祭司カイアファの屋敷へ、最高法院へ、総督ピラトの官邸へ、王ヘロデ・アンティパスの宮殿へ、再びピラトのもとへとたらい回しにされ、挙げ句の果てに死刑の判決が下された後、まさに人生の最後の最後に歩かれたのが、自分で十字架を背負いながらゴルゴタの丘まで続いた道でした。狭い、でこぼこした、石ころがゴロゴロとしたその道の一部は今なおヴィア・ドロローサ(悲しみの道)として覚えられています。預言者イザヤが、また洗礼者ヨハネが描いた燦然と光り輝く王冠をかぶった救世主が颯爽と通るハイウェイのような道路と何という違いでしょうか。

 しかし、これこそがイエスさまが歩かれた道でした。「イエスという道」とはこのヴィア・ドロローサだったのです。自ら私たち罪人のために十字架を背負ってゴルゴタへと一歩一步歩く道こそが「イエスという道」だったのです。それが救いをもたらすための道だったのです。その道を歩くこと、私たちのために、私たちと共に歩くことこそが「イエスという真理」「イエスという真実」だったのです。それ以外に神の御心に叶う正しさ、神の真理、神の真実はなかったのです。その道は、しかし、死と滅びに終わる道ではありませんでした。キリストの死が私たちの命となったのです。これこそキリストの復活の力です。それが「イエスという命」です。

 だから主はおっしゃったのです、「わたしは道であり、真理であり、命である」と。この「イエスという道」を私のために、私たちのために歩いてくださったのです。ですから、私たちもその道を歩かせていただきましょう。「イエスという真理・真実」に与り、「イエスという命」に生かされて生きていきましょう。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン


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