2023年3月6日月曜日

「闇の中でも陽の下でも」 江藤直純牧師

2023年3月5日 小田原教会

創世記12:1-4a;ローマの信徒への手紙4:1-5, 13-17; ヨハネによる福音書3:1-17

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 おそらくありえないことではありますが、もしも「イエス物語」とか「イエスの生涯」というものを日本でNHKの大河ドラマのような形で制作・放映がなされたら、これは面白いことになるでしょう。空海とか親鸞とか日蓮などならば映画になったこともありますが、イエス・キリストを主人公にして日本で映画なりテレビドラマが制作されることは先ずありえないでしょう。アメリカでは「偉大なる生涯の物語」とか何本ものキリスト伝が映画化されました。日本でも「ジーザス・クライスト・スーパースター」というミュージカルが上演されたことがありました。

 映画やドラマでは誰が何の役を演じるのか、そのキャスティングに関心が集まります。登場人物をどのように描き出すかということとその役を誰が演じるかということは密接に結びついています。イエスさまと言えば長身、面長、金色の長髪と髭とハリウッド映画では決まったイメージがあるようです。しかし、私がアトランタにある黒人のための神学校に行ったとき、校舎の中に飾ってあったイエスさまの絵は真っ黒な、逞しい体格の、鋭い目つきの男性でした。そうか、黒人にとってのイエスさまとはこういうイメージなんだと思ったことが印象に残っています。洗礼者ヨハネと言えば、十代の頃に見たチャールトン・ヘストンこそまさにヨハネだと納得したものです。母マリアは、マグダラのマリアは、或いはペトロは、ピラトは・・。それぞれを日本人の俳優ならば誰が演じるのかは興味津々です。

 それでは、今日の福音書の日課に登場するニコデモという人には、誰が選ばれるでしょうか。彼は一般には聖書物語の中で地味な脇役、しかも一度きりしか登場しない、あまり目立たない存在のように思われます。この人のキャスティングを考える際には、いったいこの人はどういう人なのか、姿形もさることながら、どのような内面性、どのような思想や信仰を持ち、いったいどのような生き方をしていた人なのかを、知りうる限りの材料を集めて、想像できる限り想像をたくましくしなければ、その人を演じる俳優も選べません。

2.

 私にはニコデモは単なる端役ではなく、イエスさまと出会った多くの人々の中でも、無視できない、いえ、実に興味深い人物だと思えて仕方がないのです。福音書ではマタイ・マルコ・ルカの3福音書にはまったく出て来ませんが、ヨハネ福音書にはなんと3回も登場しているのです。3回です。お気付きでしたか。1回目はもちろん今日の日課、ヨハネ3章です。新共同訳聖書では3章の冒頭に「イエスとニコデモ」という小見出しが付けられていますが、私たちはついこれは1節から15節までのエピソードのことと思い、16節のあの有名な「神は、その独り子をお与えになったほどに(馴染んだ口語訳なら「賜ったほどに」)、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という、小聖書とも言われる珠玉のメッセージに注目して、ニコデモのことは忘れてしまいかねませんが、実は、この福音の核心とも言える、全福音書を凝縮したような聖句は、他でもないあのニコデモに語りかけられているのです。この事実だけでも、ニコデモの存在は無視できません。

 ニコデモは聖書に3回登場すると申しましたが、2回目はいつ、どこだったでしょうか。それはヨハネの7章です。6章で5千人に食べ物を与え、ご自身のことを「私がいのちのパンである」(6:34)と言われたあと、ユダヤ人たちがイエスさまを巡って様々に議論します。感心する者、敬意を懐く者もいたでしょうが、疑問を抱く者、批判する者、悪口を言い、敵対心を持つ者も明らかに増えてきました。そして7章に進むと、仮庵祭になってイエスさまがガリラヤからエルサレムに上り、神殿の境内で教えを述べられると、群衆の間でますます騒ぎは大きくなり対立も広がります。祭司長やファリサイ派の人々、最高法院の議員の間でもイエスさまを非難する人々が出てきました。そのような危険な空気が漲り、律法を振りかざして攻撃的な声が高まってきたときに、一人だけ冷静沈着に、しかし勇気を奮って、反イエスの感情を高ぶらせている人々に向かって「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっている」(7:51)と言って、暴走を食いとめたのがニコデモでした。正論によって踏みとどまらせられた人々がニコデモに対して嫌みや負け惜しみを言ったことも記されています。

 ニコデモという名前が3度目に現れるのは、十字架の処刑の直後でした。遺体の引き取りと埋葬のときです。マタイ・マルコ・ルカが揃って書き留めているのは、アリマタヤのヨセフという金持ちで議員であった人がその役を果たしたということですが、ヨハネ福音書だけはアリマタヤのヨセフが総督ピラトに願い出た時のことをこう記しています。「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らは(つまり、アリマタヤのヨセフとニコデモは)イエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の(安息日の)準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた」(19:39-42)。この葬りはアリマタヤのヨセフがいなければ起こらなかったでしょうが、ヨハネ福音書の記者はニコデモにも大事な役割を無言の内に演じさせています。しかもニコデモは予め香料を用意していたのです。ニコデモはヨセフと同じ気持ち、同じ考えだったに違いありません。

 3章、7章、19章に登場したニコデモは、それぞれの場で大事な役割を演じているのです。こうしてみると、ヨハネ福音書はニコデモに特別の関心を抱いていることが分かります。

 では、このニコデモという人はどういう人だったのでしょうか。3章1節には「ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった」と書いてあります。それだけではなく、イエスさまは会話の中で「あなたはイスラエルの教師でありながら」と言われていますから、聖書に精通し、人々の宗教生活を指導し、人々に尊敬されていた人だと想像できます。71人から成る最高法院サンへドリンの議員の一人であったということは、彼が単なるファリサイ派の一員で律法学者だったというだけでなく、社会的に高い地位の人だったことが伺えます。アリマタヤのヨセフも議員でした。

 さらにはイエスさまに問答の中で「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3:3)と言われたときに、「年をとった者が、どうして生まれることができましょうか」と聞き返していますが、この「年をとった者」というのが単に一般論としてのこととしてではなく、「私のような年をとった者が、生まれかわりたいと思っても、一体どうやって生まれかわることができるでしょうか」という実存的な、我が事としての真剣な問い直しだと解釈できるならば、ニコデモはそれなりに「年をとっていた」者だと推察できます。

 つまり、彼は祭司という職業的な宗教家ではないけれども、聖書とユダヤ教の伝統の深い知識を習得し、ファリサイ派に属する者らしく真面目に忠実な宗教生活を送っていた人であり、律法学者の一員として最高法院の議員に選ばれていたほどの人であり、それなりの年齢を重ねた人生の経験者であったことでしょう。更に言えば、アンチ・イエスの勢いに押されず、アリマタヤのヨセフと同じように「同僚の決議や行動に同意しなかった」(ルカ23:50)し、公開の十字架による処刑によって都中が興奮のピークに達した中で、堂々とピラトに申し出てイエスさまの遺体を引き取り、丁寧に埋葬をするという行動をとることができた人間だったのです。これがニコデモという人でした。ペトロ以下の十二弟子たちとはかなりタイプを異にする人物でした。

3.

 ニコデモがイエスさまを訪問したのは「ある夜」だったとヨハネ福音書は告げます。何故昼間ではなかったのか。夜陰に乗じてというのは、その行動が人の目に触れることを避けたかったからに他ならないでしょう。

 2章の13節以下によれば、ユダヤの三大祭りの一つである過越祭のために大勢の人が都に上ってきて、町は大賑わいになってきていたときに、イエスさまは選りも選って人々が集まっている神殿の境内で商売人たち、両替商たちを境内から追い出し、さらに46年もかかって造営された神殿を三日で建て直すと言われたので、町中は彼の話題でもちきりになっていました。

「そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた」(2:23)と書いてありますから、大評判になっていたことが分かります。しかし、彼をもて囃す人たちがいたと同時に、苦々しく思っている人たちも少なからずいたことでしょう。とりわけ、社会的・宗教的な支配層の人々、体制護持派の人たち、既得権益の持ち主たち、保守的な立場の人々は、ガリラヤの片田舎から出て来た、言うならばどこの馬の骨だか分からないのに民衆のヒーローになり始めた男のことを好ましく思ってはいなかったでしょう。

 だからこそ、社会的・宗教的に高い立場にあるニコデモは、昼日中に表立ってイエスさまを訪ねることは避けて、しかしそれでもなお会わずにはいられないので、夜、人目を忍んで訪問してきたのです。何のためでしょうか。宗教的な真理を巡って質問したかったのでしょうか。ニコデモの第一声はそうではありませんでした。

「ラビ(これは「先生」というよりももっと敬意の籠もったニュアンスの「師よ」という感じではないでしょうか)、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです」(3:2)。これは単なる美辞麗句ではありません。口先だけの挨拶ではなく、初対面ではあるけど「師」と仰ぐに相応しい方だと見定めた相手への、真摯で、誠実な、礼を尽くした向き合い方です。人間的に優れているという月並みな褒め言葉ではなく、「神のもとから来られた教師」また「神が共におられる方」というのはほとんど信仰告白です。何か質問をしてその答え次第では褒め言葉を言おうという上から目線の、高飛車な姿勢ではありません。彼の来訪の第一の目的はこの思いを伝えることではなかったでしょうか。

4.

 さて、これを受けて、イエスさまは単刀直入に対話に入られます。それこそニコデモが求めていた真理探究のための対話だったことでしょう。しかし、はっきり言ってイエスさまの最初の言葉はニコデモを驚かせ、面食らわせました。なぜなら、それは彼の理解をはるかに超えるものだったからです。高い知性と豊かな知識を持っているニコデモをしてもすぐには受け容れることのできないレベルの話しでした。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3:3)。

 人間は低いところから、つまり生まれたすぐのゼロの地点から、人生の高みへと少しずつ上って行く。そのために学問を積み、心身を修練し、祈りつつ真理と神秘を模索していく。様々な経験を重ねて人間と世界を知っていく。それの導き役をしてくれるのが宗教である。そのように教えられ、自分でもそう信じて、この道を歩いてきたのです。その結果、世間からは律法学者と認められ、イスラエルの教師とまで呼ばれるようになり、最高法院の議員にまで選ばれるに至ったのです。そのように自己認識しているニコデモはさらなる高みを目指して、今真に「師」と呼ぶべき方を見出したと思って、夜ではありましたが、この方をお訪ねしてきたのです。さらなる学び、更なる霊的成長のために足を運んできたのです。

 しかしながら、イエスさまの語りかけは全く想定外のものでした。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。この「新たに」という言葉は原語のギリシャ語ではもう一つの意味があります。それは「上から」とも訳せるのです。上から、つまり神の御心により、神の側からの働きにより、別な言い方をすれば、聖霊の働きにより、はじめて人は生まれかわるのだと仰っているのです。人間の側の努力によってではないのです。ましてや年齢が高いか低いかも関係ないのです。「霊から生まれる」(3:8)のです。

 一体全体どうやってそういうことが起こるのでしょうか。風が吹けば枝は揺れ、葉はそよぎます。霊が吹けば私たち人間は動かされるのです。私たちの内面も外面もそうです。神さまがそうしようと思われたら、霊は吹き、私たちは動かされるのです。私たちには無理と思えても、神には人を生まれかわらせることもおできになるのです。

 神さまがそうしようと思われたらと申しましたが、果たしてほんとうにそう思われるのでしょうか、思われないのでしょうか。つまり、神さまはどうなさろうというのでしょうか。神の御心とは何でしょうか。そのことをイエスさまはニコデモにはっきりと、断言なさったのです。14-17節にはこう記されています。「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」。さらに続けて言われます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。もう一度繰り返されます。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」。

5.

 この福音の神髄をイエスさまは、なんとこの時点で、他ならぬニコデモに明かされたのです。十字架によって人が救われること、永遠の命を私たちが得るようにしてくださること、このことを宣言されたのです。それこそ新たに生まれかわらせようとおっしゃったのです。十二弟子のだれもまだ聴かされる前に、このニコデモに対して、ご自身の十字架の死によって私たちが救われるという使信を告げられたのです。

 この時点でニコデモが十字架の救いの秘儀をはっきりと分かったとは書いてはありません。ニコデモの福音の受容と信仰の告白が今ここでなされたとは記されてはいません。しかし、そんなことは受け容れられない、信じられないと言って、悲しみながら立ち去ったとも書いてはありません。そうならば、彼はきっとこの言葉を胸の底にしまって、その後もずっとそれを温めていたのではないでしょうか。だからこそニコデモは、最初に申しましたように、7章では、たとえ自分が不利になろうとも、イエスさまを擁護する言葉を臆せずに述べたのです。真昼の明るさの中ででした。そして何と、十字架の処刑が目の前で現実のものとなったときは、アリマタヤのヨセフと共に、勇敢にも遺体を引き取り、丁重に墓に葬ったのです。マタイ福音書はアリマタヤのヨセフのことを「この人もイエスの弟子であった」(27:57)と記していますが、それならば彼と一緒に敢えて葬りまでやったニコデモのことも「この人もまたイエスの弟子であった」と言えるのではないでしょうか。

 今私は、もう一人の男のことを思い出します。彼もまた大胆にもイエスさまのもとに近寄って来て、何をすれば永遠の命を得ることができるかと教えを乞うたところの議員であり、金持ちとも青年とも言われている男のことです。彼は、イエスさまからすべてを捨てて私に従えと言われたところ、「悲しみながら立ち去った」(マタイ19:32)と三つの福音書に記されています。青年か老人かは別にして、ユダヤ社会の中で支配層に属し、宗教的には熱心で、世間的な評価が真っ二つに分かれているイエスさまに謙遜にも救いを求めてやって来たのに、この人は悲しみながら立ち去りました。しかし、ニコデモはそうではありませんでした。立ち去らなかったばかりか、後には逆に一歩前に踏み込み、最後はグンと前に歩み寄りました。他の誰にもできないことをしたのです。

 富める青年と老ニコデモの違いは何だったでしょうか。二人とも自分のキャパシティーには収まらない、自分の常識では受け止められない言葉を投げかけられたのです。すべてを捨てて、自分に従えと言われた青年は、その言葉とその言葉を言ったイエスさまを捨てました。ニコデモもまた新たに生まれかわるよう求められたことは理解不能、実行不可能でしたが、しかし、その言葉を捨てずに、そう言ったイエスさまから離れずに、自分を開いたままにしておきました。「その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」、この私を愛されたとの神の言葉が自分に語りかけるままにしておいたのです。

 木が風に吹かれるままにしておくと、葉はそよぎ、枝は揺れます。人が霊に吹かれるままにしておくと、やがてその魂は揺さぶられ、動かされるのです。神の言葉が語りかけるままにしておくと、いつしか心と思いは新たに生まれかわらせられるのです。

 4世紀頃「ニコデモによる福音書」というものが書かれたと伝えられています。東方正教会の伝承によれば、ニコデモはキリスト教徒になり、ユダヤ人の手にかかって殉教の死を遂げたそうです。受洗や殉教の歴史的な真偽はわかりませんが、そういう後日談ができたのももっともだと頷けます。

 「イエス物語」という大河ドラマが制作されるときに、いったい誰がニコデモの役を演じるのが相応しいでしょうか。それはともかくとして、ニコデモのような生き方をすること、ニコデモのようなイエスさまへの関わり方をすることは、俳優ではなくても、たとえ僅かであっても、私たちにもできるのではないでしょうか。今すぐには分からないことを言われても、そうおっしゃる方に誠実に向かい合い、その方に心を開いておき、その方の霊が吹いてくるのに己を任せて生きる生き方を私たちもしたいものです。神の霊が私の心を、あなたの心をそよがせ、揺さぶり、動かし、やがて新しく生まれかわらせてくださるのですから。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン


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