2023年8月6日日曜日

礼拝メッセージ「主の平和」

2023年08月06日(日) 平和の主日  岡村博雅

ミカ書:4章1~5 

エフェソの信徒への手紙:2章13~18 

ヨハネによる福音書:15章9~12

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵と平安とが、皆さま方にありますように。アーメン 

 ルーテル教会は毎年8月の第一主日を「平和の主日」として記念します。第一朗読のミカ4章の平和についての神の言葉が読まれます。3節「……彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国にむかって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。

 「もはや戦うことを学ばない」と告げるミカと同時代の預言者イザヤもまた同じメッセージを語っています。ミカもイザヤも紀元前8世紀の預言者です。ミカとイザヤはその当時のエルサレムの人々が犯した罪を容赦なく告発しました。そして神の裁きを受けて、エルサレムの都はやがて完全に破壊されると預言しました。

 その一方で、やがて人々が神のみ心に背いたことを回心し、神から赦していただいた後に、真の平和に導かれることを預言します。

 過ちは裁かれる。しかし、神は真の平和が実現する日に向かってたゆみなく私たちを導き続ける。敗戦後の日本を考えるとき、この預言者が告げたメッセージはこの日本において曲がりなりにも実現していると思います。それは憲法によって戦争することを捨てさせられたからではないかという思いを持ちます。

 しかし人間は貪ることを捨てられない。ウクライナで、ミャンマーで、また中東でも、アフリカでも覇権をめぐる戦いが続き、混迷の度を増していると感じられます。そんな中ですが、主イエスが弟子たちに目を覚ましているようにとたびたび言っておられるように、私たちはこの世界に「主の平和」がなることを願って、目を覚まして祈り続けてまいりましょう。そして神のみ心に叶うことをたとえ小さなことであってもなしていきましょう。預言者の告げた神の言葉は揺るがない励ましです。

 また、平和の主日には、使徒書としてエフェソ2章13~18を読みます。そこには「実に、キリストはわたしたちの平和である」2:14と記されています。キリストは自ら十字架を負うことによって、敵意を滅ぼし、神と和解させてくださいました。使徒パウロは今やわたしたちはキリストと一つの霊に結ばれて、父なる神に近づくことができると証しています。わたしたちは主キリストと一つの霊に結ばれる者だということ、これも大きな励ましです。この恵みを本心から受け止めましょう。

 主イエスが自ら十字架を負ってまでも平和を実現し、私たちを救おうとしてくださる、それほどまでに私たちを強く愛するというその動機はどんなものでしょうか。それを証ししているのが今日の福音書箇所です。

 主イエスは「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(15:9)と、私たちの一人ひとりの命を尊び、慈しむ父なる神の愛を強調します。この愛は、また、私たちにおいては他者の眼差しに答えるという愛です。

 先日、この平和の主日のことを思って、「黒い雨」という1989年、戦後44年目に公開された映画をDVDで見ました。被爆者の日記を原資料にした、井伏鱒二の小説を映画化したものです。

 原爆の投下によって広島の人々に何が起きたのか、これでも控えめに描いていると感じる瓦礫と化した広島市内、多くの怪我人や遺体を間近に見ながら、閑間重松(シズマシゲマツ) 、シゲ子夫妻と姪の矢須子の3人は徒歩で重松の職場である工場にたどり着きます。矢須子は海から市内に戻る途中空から降ってきた黒い雨に打たれていましたが、被爆した閑間夫妻共々特に大きな症状もなく、工場で寝泊まりしながらそのまま終戦を迎えます。

 映画では被爆時のまさに地獄の有様が描かれ、それから5年後の平和な山村の美しい自然と日常が対照されながら進められていくために,原爆の悲惨さと恐ろしさがいっそう際だちます。

 5年後、福山市の田舎で暮らす閑間重松、シゲ子夫妻と姪の矢須子、そして近所の人達の日常の交流が淡々と描かれます。重松の知人から結婚適齢期を迎えた矢須子に縁談を持ちかけられても、矢須子が原爆投下後に広島市内にいたことを正直に告げると相手の家族から断られてしまうということが続きます。

 そんな中元気だった重松の友人たちが突然原爆症を発症し、短期間で亡くなります。落胆を越えて、矢須子がやっと結婚を望む悠一青年と出会えた矢先、矢須子の毛髪がごっそり抜け、偶然それを見たシゲ子がショックと原爆症で一月後に亡くなってしまう。矢須子も原爆症を発症し体調を崩すなか、悠一に付き添われて救急車で運ばれていく。重松は矢須子を見送りながら、矢須子の病気が治ることを祈るというところで映画は終わります。

 よく描かれた映画だと思います。広島の原爆が多くの人の命を奪ったことは知識として知っていましたが、一人一人の人生を変えてしまったことに改めて思いが行きました。戦争で心に傷を負った悠一とささやかな結婚の幸せを望む矢須子が、やっと新たな希望を見出した。しかしその途端、「黒い雨」による被爆で死んで行く。

 原爆は人から人生も希望もむしり取っていく。この8月、改めて戦争の悲惨さを目で見て感じ、聞いて感じ、平和への思いを新たにしました。

題名となった「黒い雨」とは、原子爆弾投下後に降る、原子爆弾炸裂時の泥やほこり、すすや放射能などを含んだ重油のような粘り気のある黒い大粒の雨です。

 広島でも長崎でも、黒い雨の降雨記録が残っています。黒い雨は爆風や熱線の被害を受けなかった地域にも降り注ぎ、広範囲に深刻な放射能汚染をもたらしました。

 しかし、国が定めた援護対象区域の外側で「黒い雨」を浴びた人たちは「被爆者」として認められず、認定を求めての「『黒い雨』訴訟」が続きました。それが2020年、広島高裁の認定地域を追加する判決により、国が新たに策定した「黒い雨被爆者」の認定制度により、広島県内では3000人以上が「黒い雨被爆者」として認められました。被害を訴え続けてきた「黒い雨被爆者」たちは終戦から75年あまりを経て、ようやく救済されました。

 戦後78年の今年でも、黒い雨を浴びたにも関わらず、その場所が援護対象区域の外側であるとして認定されず、未だに被爆者健康手帳を受け取れていない大勢のお年寄りがあり訴訟が続いています。原爆は長い年月に渡ってこういう被害をもたらし続けることから、決して目をそらせてはならないことを心に刻みます。

 核兵器そのものの問題に目を転ずれば、今ロシアは核の脅しをちらつかせており、プーチン大統領は隣国ベラルーシへの戦術核の配備を表明し、中国は核戦力を増強する構えを見せています。ある研究者がこう言っています。

 「核兵器は、第2次大戦後、一度も実戦で使われていないにもかかわらず、開発から80年近く経った今も大国の力のシンボルになっている。そのような兵器は、核兵器をおいてほかにない。人類が核兵器に意味を見いだしてきたからこそ、シンボルになったとも言える。そこにどういう意味を持たせるかは、まさに言葉の力の勝負になる。核使用のタブーを打ち破るような物語が現れたとき、どう思いとどまらせるか。そのために、原爆投下の先にある景色、物語を人類が共有していく必要がある」。

 つまり、いまだ原爆の惨禍を知ろうとしない人々にまず広島・長崎の被爆の実相を知ってもらい、真実の認識を世界の人々とさらに共有していく必要がある。その意味でも私たちの認識と祈りは核兵器のこれからに対して決して無力ではないばかりか、必須のものだということだと思います。

 映画の中で、天皇がラジオで降伏を宣言した日の場面で、人々は「どうしてピカドンが落ちる前に降伏することが出来なかったのか」と言い、「もう負けていることは敵にもわかっていた筈(はず)だ。ピカドンを落とす必要はなかったろう」と言い、「いずれにしても今度の戦争を起す組織を拵(こしら)えた人たちは……」と言いかけますが、当時のことです、それ以上は「言論統制」へのさしさわりを恐れて口をつぐみます。

 戦争を主導した人々は「正義の戦い」と称してそこに国民を巻き込んでいったわけです。同じ論理が核兵器の使用についても働いています。この「正義」の考え方にこそ問題があるのではないかと思います。

 私たちは「戦争を起す組織を拵えた人たち」の問題、核兵器を使おうとする人達の問題を自分のこととして受け止めて、神はどのように望んでおられるのかを一人ひとりがしっかりと考え、これからも祈り続け、言葉と行動にしてまいりましょう。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなた方に満たし、聖霊の力によって、あなた方を望みに溢れさせてくださいますように。アーメン 

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