復活節第三主日 2025.5.4.小田原教会 江藤直純牧師
使徒言行録 9章1-6
黙示録 5章11-14
ヨハネによる福音書 21章1-19
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
1.
イースターの翌日、御国へと召された一人の方がいました。全世界の戦争と暴力の犠牲者、貧困の犠牲者、差別と抑圧の犠牲者たちに最後まで寄り添い続け、平和と和解と正義を訴え続け、そのために神に祈り続けた方でした。混迷の世界にとっての良心と言える方でした。ローマ教皇フランシスコ。小さき者たち、今風に言うならば小さくされた者たちのために仕え続けたアッシジの聖フランシスコから採ったとも、最初の日本への宣教師となったフランシスコ・ザビエルから採ったともいわれるその教皇の霊名が表す通り、世界中の小さくされた人々への奉仕と福音宣教のために生涯を捧げた方でした。
大きな働きをなさった方として歴史に名を遺すでしょうが、しかし、ウクライナでもガザでも平和と和解への道はいまだ先が見えません。そういう場合に世間ではよく「志半ばで亡くなってさぞや残念な思いでしょう」と言ったりします。その人の人生を個人という立場で考えればそう言えるかもしれません。
しかし、私は別の見方ができるだろうと思います。ローマ教皇は考えられないほど大きな責任を「一個人として」一身に背負って生きたというのではなく、使徒パウロが言うように、教会という「キリストの体」の「一つの部分として」生きたのです。ローマカトリック教会という14億人の信徒を擁する世界最大の教会の、そのまた教皇としての最高の霊的指導者という役割を与えられて生きたのですが、それでもそれはやはり「キリストの体の一部」です。もっと言えばどこまでも「細胞の一つ」です。もちろんその細胞がないと全体は困ります。なくてはならない存在です。ですが、その細胞は絶えず新陳代謝をしながら、キリストの体を形作り続け、キリストの体の働きを担い続けているのです。教皇も、そして私たちも、そのようないのちを、頭(かしら)が主イエス・キリストであるところのキリストの体の細胞といういのちを生きるようにされているのです。そうであるならば、御旨によって地上での生と役割を終えて御国に召される日が来ることは、悲しむべきこととしてではなく、感謝して受け入れるという受け止め方もあるのではないでしょうか。教皇フランシスコはそのように地上の生と死を受け止め、いのちの創造主にして救い主である神の御手にすべてを委ねて、安らかに眠りに就いたと思いたいのです。キリストの体はこれからもずっと続き、キリストの体の働きはさらにますます続いていくのです。
2.
ところで、フランシスコ教皇はローマカトリック教会の第266代の教皇と言われていますが、では初代の教皇とされているのは誰でしょうか。フランシスコの棺が安置されていたのはバチカンのサンピエトロ大聖堂、26日に葬儀ミサが執り行われたのはその前のサンピエトロ広場ですが、この大聖堂はどうしてここに建てられているのでしょうか。
カトリック教会は初代の教皇を使徒ペトロだと信じています。そしてサンピエトロ大聖堂――サンピエトロとはイタリア語ですが、英語ならばSaint Peter、日本語ならば聖ペトロです――が建てられている場所は紀元64年にローマの皇帝ネロの迫害によってペトロが殉教した場所、彼が葬られた所だと言われています。4世紀の皇帝コンスタンチヌスがそこに教会堂を建て、多くのキリスト者が礼拝に訪れる聖地となり、ローマ帝国の滅亡の後の中世では放置され荒廃した時期もありましたが、ルネサンス期に教皇ユリウス二世が大改築を計画し、一世紀以上の歳月をかけて1626年に完成したものが現在のサンピエトロ大聖堂です。
サンピエトロ広場に立って目の前の壮大な大聖堂を見るとき、また中に入って荘厳な礼拝堂を見るとき、使徒ペトロのことを思い出さないではいられません。
イエス・キリストの公生涯、神の国の福音の宣教、十字架の死と復活の出来事を描いた四つの福音書を読むとき、どの福音書にも弟子たちのことがあれこれ出て来ますが、必ずと言っていいほどいつもその輪の中心にいたのはペトロでした。多くの登場人物の中でもその言動、そのキャラクターがいちばんはっきりと描かれています。知的なとか宗教的、倫理的なとかというよりも、まことに人間味溢れる、熱い心の持ち主で、行動的な人でした。強さも弱さも併せ持った人、そして主イエスの一の弟子でした。
今日、復活節第三主日の日課はガリラヤ湖畔での復活されたキリストの顕現です。これは三度目だということですが、そこにはキリストが大漁の奇跡の後、彼らと朝の食事をなさったことが描かれています。それに続いて15節以下にヨハネ福音書だけが記している非常に印象的なエピソードが収められています。それがイエスさまとペトロとの会話です。しかもたんなる会話ではなく、読む者にエッと思わせ、この会話の意図はいったい何だろうかと考えさせないではおかない不思議なというか意味深長な会話です。読んで意味が分からないような難しい言葉遣いがなされているわけでもありません。旧約聖書や当時の時代背景に十分通じていなければ理解できない類いの話しでもありません。僅か5節の短い会話ですが、だからと言って簡単に読み過ごすことはできない何かがあります。私たちもご一緒に読み、考え、キリストの御心に聴き入ってみましょう。
3.
「食事が終わると」(ヨハ21:15)と書かれていますし、最初の問いの中に「この人たち以上に」という言葉がありますから、他の6人の弟子たちも近くにいたことでしょうが、「イエスはシモン・ペトロに・・言われた」と記されていますので、この会話はイエスさまとペトロの二人だけの会話だったに違いありません。ペトロにお命じになる内容を他の弟子たちにもよく聞かせようという意図をお持ちだったと想像することもできなくはないですが、私にはここはイエスさまが真剣にペトロ一人と向かい合い彼に語りかけ、ペトロもそれに負けないほど真剣にイエスさまに向かい合って必死で答えていると思えてならないのです。なぜなら、ここで交わされている会話はイエスさまにとってもペトロにとってもそれほど重要なこと、強い表現を使えば、命を懸けた内容だったからです。三度繰り返された会話はこうでした。
最初は、「ヨハネの子シモン、(あなたは)この人たち以上にわたしを愛しているか」というのがイエスさまからの問いでした。それに対してペトロは、この問いに多少驚いたでしょうか、それでも自信をもって答えます。「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」。お尋ねになるまでもないではないですか。言うまでもないことです。私はあなたを愛しております。彼はそう答えました。そうするとイエスさまは彼の答えに満足されたとは書いてないですが、大事な務めを彼に託されます。彼の目をしっかと見詰めながらだったことでしょう、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われました。ペトロは内心おおいに喜んだことでしょう。
第一と第二の問答の間にどれくらいの時間が空いたでしょうか。畳みかけるようにすぐに二度目の問いを発されたのでしょうか。しばしの沈黙があったでしょうか。イエスさまはもう一度尋ねられました。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と。シモンというだけでよさそうなものをヨハネの子シモンと呼びかけられているところから、イエスさまの問い掛けは親しい者同士の気の置けないやり取りというのではなく、問う側の真剣さが感じられます。なぜまた?と一瞬戸惑ったりしたかもしれませんが、ペトロもその真剣さを感じて、襟を正して答えます。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。一回目の答えと一言半句違えずに復唱します。さっき申し上げた通りです。これが私の本心です。そういう思いがこもっている、これまた真剣な口調ではないでしょうか。それを聞かれて、イエスさまは「わたしの羊の世話をしなさい」とお命じになります。小羊と羊、飼いなさいと世話をしなさいと言葉遣いに微妙な差はありますが、意味するところには何の違いもありません。ペトロはホッとし、またそう言っていただいたことに安堵し、大切な務めを与えられたことを喜んだことでしょう。依然として彼は、自分にだけ問われたこと、自分の愛の告白が受け入れられたこと、そして羊を飼うという極めて大切な務めを授けられたことに喜びと誇りを感じ取っていたことでしょう。
それなのに、イエスさまはペトロに対して三たび問いを投げかけられます。チョットだけ間を置いたかと思いますが、三たびお尋ねになります。しかも同じ言葉、同じ内容の問いです。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と。さすがのシモンも同じ問いを三度も繰り返されては喜んではいられません。福音書記者は「ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」と記しています。ペトロならずともだれでもきっとそう感じることでしょう。もう二度も繰り返し申し上げたではありませんか、聞いておられなかったのですか、信じてはくださらないのですかとの思いを持ったことでしょうが、しかし、ペトロは悲しい気持ちを振り絞ってもう一度言います。「主よ、あなたはなにもかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」。彼のせいいっぱいの愛の告白だったでしょう。それに対して、イエスさまはもう一度言われます。「わたしの羊を飼いなさい」と。
そもそもイエスさまはペトロが御自身を愛しているかどうか不確かだったのでこの問いを問われたのでしょうか。そうではないでしょう。ペトロをよくよくご存じの主ですから、彼がどう思っており、なんと答えるかは先刻ご承知だったはずです。そうならば、一度尋ね、一度答えれば、それで十分ではないでしょうか。イエスさまの気持ちもペトロの気持ちも明白ではありませんか。そして、そのペトロに与えられた羊を飼うようにとの命令もはっきりしています。お命じになった内容は明白です。それならば、なぜイエスさまは同じ問いを三たび繰り返されたのでしょうか。どうしてペトロに三たび愛の告白をさせられたのでしょうか。そしてなんのために羊を飼いなさいと三たびおっしゃる必要があったのでしょうか。三たびということにどういう意味が隠されているのでしょうか。
4.
ペトロにとって「三」という数字は、忘れようにも忘れられない経験と結びついています。大の男が号泣したあの出来事です。そうです、ゲッセマネの園の近くでイエスさまが逮捕されたあと、心配で心配で大祭司の屋敷まであとを追っていき、中庭にまでは入ったけれども、そこにいた人たちに「お前はあの男の弟子の一人ではないか」と詰問されたときに、一度ならず二度ならず三度までも「知らない、全然知らない、俺はあの男なんかと関係ない」と必死で否んでしまったこと、そのときに鶏が鳴いて、イエスさまが「あなたは私を知らないと言う」とおっしゃっていたことをハタと思い出して、号泣したのでした。
一番弟子、愛弟子、弟子の筆頭だと自他共に認めていたペトロでしたが、我が身を守るために愛する主を否認したのです。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マコ14:31)と言った彼でしたが、三たび否みました。裏切ったユダと五十歩百歩です。彼は思いがけず弱さを曝け出し、赦されることのできない罪を犯したのです。取返しのつかない過ちを犯してしまったのです。
ペトロに三たび「私はあなたを愛しています」と告白させてくださったのはほかでもない三たび裏切られたイエスさまです。三たび否んだペトロに自分自身の口で「私はあなたを愛しています」と告白させ、「あんな人のことは知らない、私と何の関わりもない」との三たびの否認を思い出させたうえで、その三たびの否認をその告白によって一つひとつ帳消しにしてくださったのではないでしょうか。三度も尋ねられて悲しくなったどころか、三度も愛の告白をさせていただいてありがとうございましたと言うべきところでしたが、しかし、彼は未だこの時点ではイエスさまの深いご配慮に気がついてはいませんでした。
否認の罪、裏切りの罪を赦してくださったばかりでなく、そのような弱さも欠けも罪も抱えているペトロに、彼と同じような弱さや欠けや罪を負い、悲しみや辛さの中にある人びとの「魂の牧者」になるというこの上もなく大切な務めを託されたのです。あんなペトロであるにもかかわらずではなく、あんなペトロだからこそその人々の、その羊たちの気持ちが分かるだろう、寄り添えるだろうと言って、「魂の羊飼い」に任じられたのです。彼が三度もみごとな主イエスへの愛の告白をできたからではなく、三度も告白をして三度の否認を帳消しにしていただかなければならなかったほどの者だからこそ、主イエスはそのペトロを罪を赦し魂を養う大牧者、まことの良い羊飼いイエス・キリストの務めの担い手に任じてくださったのです。赦された者が赦された恵みの証しとしてキリストの赦しを伝える役目を、彼らの弱い魂を守り養う役目を託されたのです。
ただし、ペトロはこの時点ではここまではっきりとイエスさまの深い御心を理解できてはいなかったでしょう。それでも良い羊飼いであるキリストはペトロがその受容、理解、深い信仰に至る前に恵みのわざをなさったのです。罪の赦しと牧会の務めを与えられたのです。それでいいのかと思われるかも知れません。その答えの鍵は日課の段落の結びにあります。イエスさまは彼を魂の羊飼いの役に任じられただけでなく、「わたしに従いなさい」とおっしゃったのでした。「わたしに従いなさい」、不十分なままですが、それでも歩き始めなさい、イエス・キリストの生き方にならって一人の小さな羊飼いとして生きなさい、主はそうおっしゃったのです。
20世紀の殉教者の一人に数えられることもあるディートリッヒ・ボンヘッファーは『主に従う』(岸千年、徳善義和訳。森野善右衛門訳は『キリストに従う』)という書物の中でこう言っています。「信じる者だけが服従する。そして服従する者だけが信じる」と。信じたので従う、信じる者だけが従うとふつう思いますが、ボンヘッファーは同時に従う者だけが信じると言ったのです。
ペトロもまたイエス様のみ言葉を信じ、主に従って生きていく中で、あの三たびの問いかけと三たびの愛の告白の本当の意味、つまり、自分が取返しのつかない過ちを犯していたのに三たびの愛の告白でそれを主に赦されたこと、いえ、正確に言うならば、先に主に赦されていたので三たびも愛の告白をすることを許され、それによって犯した過ちを帳消しにしていただいたことが分かっていきました。さらに三たびの「わたしの羊を飼いなさい」とのこれ以上ない貴い務めをなぜ自分に託されたのかという大きく深い御心を悟っていったのでした。いつ悟っていったのか、それは、弟子としての生き方をしている中でです。そうです。不完全でも不十分でもキリスト者として主に従う生き方をしている中でのことです。今日の日課には変化の様子は書かれていません。しかし、イエス様がペトロの殉教の死、キリストの証人としての死を予告なさっていらっしゃるのは、このあと彼が羊飼いとしての生涯を全うするということです。事実彼はそう生きて死にました。そのような弟子としての生き方、キリストの証人としての生き方、一人の小さな羊飼いとしての生き方の出発点、それがこの復活の主との会話、三たびの問いと三たびの答え、そして三たびの羊を飼うようにとの命令だったのです。この命令はキリストの体の務めです。ペトロに起こったことが私たちにも待ち受けているのです。アーメン
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン
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