2025年8月3日日曜日

ゴールから今を見ながら生きる

 平和の主日 

2025.8.3.小田原教会       江藤直純牧師

ミカ書 4章1-5 

エフェソの信徒への手紙 2章13-18

ヨハネによる福音書 15章9-12


1.

 「人の一生は遠き道を重荷を負うて歩むがごとし。急ぐべからず」。この言葉はもっと先もあるのですが、最も有名な出だしのところだけ紹介します。遠き道を坂道と言い換えて伝わっているのもあります。これは徳川家康の遺訓として知られています。子どもの時から散々苦労をして、遂に信長、秀吉のあと、その後265年続く徳川幕府と三百余の藩による封建体制を築き上げた人の言葉として説得力を持って受け入れられてきました。人生に苦労、困難、悲劇はつきもの、しかし、それにめげずに、急がず焦らず挫けないで、一歩一步歩んで行くように、絶えず「前を向きながら」「ゴールを目指して」歩いて行くようにとの勧めは、家康が好きな人も嫌いな人も、人生訓としては納得し共感し受け入れるのではないでしょうか。

 人間だれしも生きていく中では、ときに下を向くときはありますけれども、なんとか後ろは向かないで、「前を見ながら」歩いて行くものです。いつもいつもはそうできなくても、そうやって生きていきたいと願います。「上を向いて歩こう」という大ヒットソングもありましたが、下ばかり見ないで、上を向いて希望を持って、しかしいざ歩き出すときは「前の方を見ながら」「ゴールを目指して」足を踏み出すのです。前を見るというのは、言い換えれば、夢を見る、希望を見る、明るい将来を見ると言うことでしょう。つまり、「ゴールを見据えて、それを目指して」ということです。人生に何かを期待するとも言い直すことができるでしょう。それが人間らしい生き方です。そういう人生を送りたいものです。

2.

 しかし、前を向いて歩こうと思っても、前を見ながら生きていこうと思っても、希望を持って、期待を胸に抱いて「ゴールを見ながら、ゴールを目指して」生きていこうと思っても、そんなことなどとてもできないと思っている人たちも現実のこの世界にはいます。それはけっして気が弱いからでもなく、努力が足りないからでもなく、どれほど必死に歯を食いしばって一生懸命頑張っても、前が見えない、前を見ながら「ゴールを目指して」歩いて行くことなどできない人たちがいるのです。人生に何かを期待することができない人たちがいるのです。

たとえば、77年前に国連総会が開かれました。それまでパレスチナ人は1900年近くそこに住み、支配者はローマ帝国、ビザンツ帝国、ムスリム、十字軍、アイユーブ朝、オスマン帝国、イギリス等々に変わったりしましたが、ともかく穏やかに住んでいたところに、第二次世界大戦後の1948年に何とイスラエルという国家が新たに作られたのです。その地に住んでいたユダヤ人だけでなくヨーロッパ各地或いはロシアその他のパレスチナ以外の外国に住むユダヤ人たちがやってきて、イスラエルという国家を作ったのです。しかもそのときの国連の決議ではイスラエルとパレスチナという二つの国家が作られ共存することが宣言されたのですが、それにもかかわらず、ついぞその約束は守られることはありませんでした。

 それどころかイスラエルは圧倒的な武力でもって何度も近隣諸国と戦争をし、領土を広げ、パレスチナの領土にも入植地を増やしていき、ヨルダン川西岸地区などでは天井のない牢獄と言われる8メートルの壁で取り囲んだ地域に閉じ込めました。そして2023年10月7日のパレスチナ自治区のガザ地区を支配していたハマスによる奇襲攻撃の後のこの1年10ヶ月の間、イスラエルは残虐さを極めてガザを徹底的に攻撃し、ついに先週虐殺された民間人の数は6万人に達し、現在も多くの子どもたちは食糧不足、栄養不良により餓死の危険に晒されています。グティアレス国連事務総長が紹介した現地の話しは胸を打ちます。「子どもたちは天国に行きたいと話している。少なくともそこには食べ物があるから、というのです」と(7/30朝日新聞)。町の中のおよそ建物という建物は病院も学校も含めて破壊され尽くされているという惨状が繰り広げられています。ここには住む家もなく、命を繋ぐ食糧もなく、命の安全を守るための停戦の気配も全く見えず、住民たちの生存を確保しようとの国連や世界各地からの支援も不十分な中で、かろうじて生きているパレスチナ人たちにとっては明るい希望を懐いて「前を向いて」生きていくということはいったい全体可能でしょうか。難民キャンプで生まれて、難民キャンプで育ち暮らして、難民キャンプで死んでいく人々にとって、「前を向いて」生きていこうとしても、どうもがいても「前」は、「明るい未来」も「希望」も「期待」も苦労の先の「ゴール」も、少しも見えないのです。「平和」は全く見えないのです。

 連日の報道でご存じのとおり、ガザの実情はあまりに悲惨で、世界中を眺めても抜きん出て悲劇的です。しかし、これ以上あれこれ実例を列挙することはしませんが、世界には武力による侵攻、民族間の争い、軍事独裁と民主化運動の対立、様々な意味での少数派への差別、著しい貧困、有形無形の暴力による抑圧等々のせいで、たとえ危険も苦労も避けられなくてもせめて何とかして「前向きに」生きていこうとすることすら困難な人々はたくさんいるのです。百や千或いは万の単位の数ではなく、百万いや千万の単位で、この世界を「前向きに」生きていきたくてもそれが全く無理な状況に置かれている人々が現実にはいるのです。「そんなにいるの? 僕には見えないよ」という人は、そのような人たちに目を向けていなくて、あるいは見えかかっても目を逸らすか閉じるかしている人です。「そういう人の話は聞いたことがないな」という人は、そういう人についての関心が薄く、なにか聞こえてきても注意を払わなかったり耳を塞いでしまったりする人なのです。私は自分だけいい子になってそういう人のことを批判をしているのではなく、実は私にも、また私たちにも大なり小なりまわりには「見えない隣人」がいたり「聞こえない隣人の声」があったりするのです。それは嫌でも認めざるを得ません。

3.

 今申し上げようとしているのは、苦労や困難があっても、「重荷を負うて」坂道を登っていくような人生であっても、この坂道を越えたら穏やかな生活が待っているとか楽になれるという「前」が、「明るい未来」や「希望」「期待」「ゴール」が微かであっても見えていれば、人はある程度の、いやかなりの現在の大変さは耐え忍ぶことができるということです。たとえ時間がかかっても先が見えていさえするなら、今を我慢しながら生きていけるのです。しかし、文字通りお先真っ暗、闇の先に微かな明かりさえも見えない場合はどうなるのでしょうか。希望、或いは願望、期待を持つことができない状態、ゴールが見えない状態に陥ったらどうすればいいのでしょうか。

 長い間、若い人に是非読んでほしい書物の中の一冊に必ずと言っていいほど選ばれていた本、ある全国紙が調査した二十一世紀に伝えたい本の第三位に読者が選んだ本、それがヴィクトール・フランクルの『夜と霧』です。ユダヤ人であるというたったそれだけの理由でアウシュヴィッツの強制収容所に入れられました。今のガザの住民たちのようです。あるいはもっと悲惨な状況だったかもしれません。全部で六百万人とも言われる無辜の人々がそこで殺されていたのに、フランクル自身はかろうじて生き延びて、戦後に精神医学者として強制収容所での自己の体験を元にして「人間とは何か」についての深い省察を行った名著が『夜と霧』です。

 看守の胸先三寸でたちまち死と結びつく恐怖や四六時中人格の全き否定に晒される状況にあって、人々は自己防衛のために感情を麻痺させて生き延びようとします。そのような状況の只中でフランクルは「生きる意味」を求めます。その生きる意味こそがおよそ真っ暗闇のような、ゴールなどまったく見えない過酷な環境の中で人を生かす力となったのです。苦難をも含めた過酷な生きることの中で彼がたどり着いたことは、人間にとって肝腎なことは、我々が「生きることに、或いは人生に何を期待するか」ではなく、「生きることが、人生が我々から何を期待しているか」ということでした。未来で我々を待っているものは何かを知り、その義務を果たすことであると知るのです。今の人生の先にゴールを見ようとするのではなく、ゴールの方から今を見ながら生きていくことを勧めたのです。

4.

 フランクルは精神医学者として直接的には宗教を語りません。「生きること」或いは「人生」、また「生きる意味」などという言葉がキーワードですが、今日私たちがこの「平和の主日」に聞いた御言葉を理解するのに大きな手掛かりを与えてくれます。

 旧約の日課のミカ書、使徒パウロの書いたエフェソ書、主イエスの言葉が記されているヨハネ福音書の三箇所です。ミカ書が語る「終わりの日」に起こることは人間の夢や願望ではありません。預言者ミカはサマリアやエルサレムに向かって、しっかりせよ、眼を開いて前を見よ、ゴールを見なさいと言っているのではありません。彼が幻で見た神の審判の徹底ぶりは驚くばかりです。「山々はその足もとに溶け、平地は裂ける 火の前の蝋のように、斜面を流れる水のように」、「わたしはサマリアを野原の瓦礫の山とする」(1:1.6)。人間世界の罪をこれでもかと暴きます。そうです。人々が陥っている状況は少しばかり反省したり、悔い改めたりして出直すことができ、希望を見出しゴールに向かって歩き出せるような生易しい状況ではないのです。

 では、預言者ミカの使命とは彼らは絶望的だと言って断罪することでしょうか。なんとか彼らなりにゴールを見つけ出し或いは創り出し、前向きに歩く、そんなことなど不可能だと切り捨てることでしょうか。いいえ、そうではありません。たしかに人間が思い描くゴールは見えません。実際それはありません。しかし、その代わりに、神さまが用意してくださるゴールがあると言っているのです。ミカ書4章の小見出しは「終わりの日の約束」です。終わりの日というと、終末のときです。鎌倉時代の仏教の感覚では終末の世とは末法の世、滅びのときです。しかし、聖書の世界では違います。終末の時とは神がなさるこの世界の完成の時です。世界とは具体的には私たち人間です。裁きと赦しにより不完全で罪に染まった私たちを完成なさるときだと言うのです。

 私たちの常識では罪人は裁かれ滅びに落とされるのです。それがゴールです。しかし、ミカが示す終わりの日は違います。「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい、多くの国々がそこに来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる」と(4:1-3a)。終わりの日は滅びの日ではありません。神は人間から断絶されて見えなくなるのではなく、逆に、すっくと高くそびえ、すべての人々から見えるというのです。争いを止めさせ、強きをくじき、悪を罰し、弱き者誤った者をも主の道へと招き入れられるのです。

 その結果何が起こるのか。「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(4:3b)のです。もはや争いのための武器は不要となり、それらを溶かして新たに鋤や鎌といった農業のための道具に作り直すようにしてくださるのです。命を滅ぼす武器ではなく、命を養い生かすための農具を作り出されるのです。そうなった以上「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(4:3c)のです。ここで創り出された平和は単に戦争のない状態ではなく、本当の平和シャロームの充満です。そこには敵意ではなく、和解があります。そこでは人々は確かに生かされ、一つひとつの命がみな尊ばれ、調和と協力が生まれるのです。もはや抑圧も搾取も暴力もなく、正義に満ちた世界が現れているのです。ですからそこでは人々は命の創造主、世界を治める神さまを崇め賛美し御心に従うのです。この神なしには平和も正義もありえないからです。それが真の平和シャロームです。これが神の用意されているゴールなのです。人間にはけっして作り出すことのできない、神が備えられたゴールです。

5.

 エフェソ書ではさらに深く人間の争いの根源、人間関係に潜む、見えないかもしれないけど間違いなく存在する敵意というものの真の解決策が示されています。「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和です。キリストは・・・両者を一つの体とし神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェ2:13-16)。こんなことは私たちが想像し作り出せるゴールではありません。悲しいことに人間同士の敵意はなくなることはないのです。しかし、キリストによって、キリストの十字架によって、神の側から差し出された真の和解というゴールなのです。

 敵意がなくなるだけではマイナスがゼロになるところまでです。二度とマイナスに戻らず、それどころかゼロにとどまらずもっと豊かな関係になるために与えられた戒めが主イエス御自身から与えられています。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハ15:9)。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの戒めである」(15:12)。互いに愛し合え、勿論そうしたいけれどもそうはできないと嘆く私たちに、主は言われます。「わたしがあなたがたを愛したように」と。これは単なる愛のお手本ではありません。手の届かない高い要求ではありません。ここでは「わたしがあなたがたを愛したように」と訳されていて、それは愛し方の程度、愛するやり方を表わしているようですが、原語に当たってみると「丁度・・こうするように」という比較の意味もありますが、「・・ので」という私たちが互いに愛することの理由、根拠を表わしていると解釈することもできます。実際ほぼ同じような戒めを説いているヨハネの手紙第一を開いてみると、「愛する者たち、神がこのように愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」(4:11)とはっきりと互いに愛し合うことの理由、根拠として「神がこのように私たちを愛されたこと」を挙げているのです。このように愛されたとはどのようにでしょうか。それは「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました」(4:10)と記されています。ヨハネ福音書でも「わたしがあなたがたを愛したように」の言葉の直後には「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハ15:13)と同じことを別な表現で言っています。つまり、「わたしが(つまり神が)あなたがたを(つまり私たちを)愛したように」は「私があなたがたを愛したのだから」という意味を含んでいるのです。この戒めの根拠、理由が「わたしがあなたがたを愛した」ことなのです。その原事実があるのだから、「あなたがたも互いに愛し合いなさい」との新しい戒めを与えられるのです。それだけでなく、あなたがたは神に愛されたのだから互いに愛し合うことができるのだと言っておられるのです。できないことをやれと命令しておられるのではなく、できるのだからそうしなさいと招いてくださっているのです。そうやってマイナスはプラスになるのです。

 ミカの終わりの日の預言も、使徒パウロのキリストによる和解の宣言も、ヨハネ福音書が告げる愛の戒めも、どれも人間の夢や願望、そうであってほしいから創り出したゴールではありません。そうではなく、神さまの側で実現してくださったこと、また必ず実現される約束でありゴールなのです。そこに真実の平和シャロームがあります。この終わりの日に必ず実現され完成される神の平和シャロームを信じるときに、つまり神の設けられたゴールを信じるときに、私たちはそこから見た今、現在を希望をもって生きることができるのです。ゴールから今を見ながら生きる生き方です。祈りにより、また学びを通して、一つひとつの言葉と行動により、そして愛によって、どんなに現在の状況が厳しくても、それに挫けることなく、めげることなく、諦めることなく、けっして絶望することなく、今を生きることができるのです。したたかに、或いは楽観的に、そして積極的に、粘り強く真の平和シャロームを目指して生きていけるのです。

 平和について考え、平和を祈るこの主日に私たちは、神により、キリストによってこのようなゴールが与えられていることを、またこのような生き方が可能にされていることを感謝しましょう。そのような生き方へと招かれていることに喜んで応答していきましょう。アーメン

2025年7月6日日曜日

名もない働き人

 聖霊降臨後第4主日    2025年7月6日 小田原教会

江藤直純牧師

イザヤ書 66章10-14; 

ガラテヤの信徒への手紙 6章1-20

ルカによる福音書 10章1-11, 16-20


1.

 聖書にはたくさんの人が登場します。新約聖書に限ってみても、その数はいったい何人ぐらいになるでしょうか。イエスさまを別にして、ペトロを筆頭とする十二弟子、ガリラヤからずっと従って来たマグダラのマリアをはじめとする女性たち、母マリアとヨセフ、洗礼者ヨハネとその両親、親しくしていたベタニアのマルタとマリアの姉妹、その弟ラザロ。さらにはイエスさまと敵対関係にあったファリサイ派や律法学者の人たちや最高法院の議員たち、その中ではニコデモとアリマタヤのヨセフの名前が明らかにされています。大祭司やヘロデ王や総督ピラトもいました。その他にも名前こそ分かっていませんが、福音書の中に印象的に記されている、主イエスに出会い、主イエスに癒され、救われた何人もの男女がいます。これらの人たちは、映画やテレビドラマならば登場人物の名前と俳優の名前が挙げられる、一人ひとりの人物です。

 もちろんのことですが、この他にも多くの人々が聖書の中には出て来ます。民衆とか群衆と呼ばれる人たちが何百、何千と現れます。映画ならばその他大勢として扱われ、劇団の人というよりもエキストラが動員されることでしょう。

 それでは、今日の福音書の日課に現れる一団の人々はどうでしょうか。ペトロやヨハネのように固有名詞を持ち、その人となりも役割もはっきりしているかといえば、そうではありません。では、群衆の一部、その他大勢かといえば、そうでもありません。この一団の人々が「七十二人」だったということだけは明示されています。彼らがやった行動も書かれています。一回だけですが、台詞もあります。なによりイエスさまが彼らに真正面から向き合い、大切な役目に任命なさいました。派遣先で何をどうするかをこと細かく指示されました。ご自分が行くつもりの町々村々に予め手分けして派遣されました。しばらく間を置いてから彼らが戻ってきて、その成果を報告すると、主は彼らに向かって大事なことを語りかけられているのです。

 ただ、なぜかこのエピソードはマタイ、マルコ、ヨハネ福音書には何の記述もありませんから、初代教会の誰もが聞き及んでいたのではなく、ルカが知りえた伝承にだけ語り継がれていたらしいのです。十二弟子のように全員の名前は語り伝えられていなくてもせめてその代表格の人たちだけの名前なりと分かればいいのにそれもなく、しかもルカの10章だけにしか現れず、この後の後日談も何も残っていません。ドラマチックというわけでもありません。そういうわけで、私もこの記事に、と言うか彼らに正直これまであまり深い関心を持つことはありませんでした。

 しかし、イエスさまがこれほど深く関わられたのですから、彼ら七十二人の名前も性格も分からないからとか、彼らがどこの出身でこの後どうなったかが記されていないからとかが分からないからと言って、私たちが無視していいわけがありません。

2.

 私がこのようなことを考えるようになったのはつい最近のことです。実は先週、たぶん一年ぶりに映画を観ました。「フロントライン」という題ですが、これは実話に基づいて作られた映画です。2020年2月3日、横浜港に入港した豪華客船ダイアモンド・プリンセス号を舞台にした、おそらく日本中の人が固唾を呑んで見守った、あのコロナ禍の最初期に起こった大きな事件です。なかなか事態の全貌が分からず、やきもきもしたものです。

 3711人という乗員・乗客が未知の感染症の見えない魔の手から逃れられるか、彼らを通してこの恐ろしい病が日本中に一気に拡散するか、前例のない大事件に死に物狂いで戦った人々の実話に基づく大規模な人間ドラマでした。本来は大地震やその他の災害の際に派遣される医療者たちのチーム、人呼んでDMAT。その神奈川県DMATの責任者の医師と、彼の呼びかけにすぐに応えて乗船した医師たち看護師たちの中の現場責任者と若い医師、厚生労働省のDMAT担当の官僚、乗船していたクルーの中の一人の若い女性の五人に焦点を当てて、23日間の苦悩と使命感と人間への愛を描ききった感動的な作品でした。

 言葉に尽くせない困難に向かって渾身の力を振り絞って戦い、ついに23日目に全員が無事下船できました。一人の死者も出すことなく。最後に舟から下りた人は船長だったとテロップに書いてありました。深い感動を持って見終わったのですが、そのあとでふと気づきました、3711人を無事救出するために神奈川県はもとより全国から馳せ参じた医療従事者は472人いたのだということに。素晴らしいリーダーシップを発揮した隊長と彼と一体となって働いた現場の責任者や若い医師だけでなく、病気の危険だけでなく社会の差別や偏見に負けずに戦った、数百の医療従事者たちがいたのです。不安に怯える乗客たちを流暢な英語で励ましたあの女性クルーだけでなく、一日三食を作って各客室に運んでいたキッチンのスタッフも、その他映画の中では脚光を浴びることは全くなかったけれども、顔も名前も働きも表に出ることはなかったけれども、その人たちがいなかったならばあの偉業はけっして成し遂げられなかった謂わば陰の働き人、無名の働き人がたくさんいたことに気がついたのです。それは主役の人たちの存在や働きの評価を下げるのでも何でもないですが、表に現れない働き人たちを忘れないようにしなければとの思いです。歴史に残る大きな働きの陰には、見えないところでの陰の働き人がたくさんいるということです。

3.

 七十二人の弟子たちがしたことは何だったでしょうか。先週の日課に登場した三人の人たちと違う点は、この七十二人は主イエスへの服従を自分から申し出たのでもなく、またイエスさまからの招きに留保を付けたのでもないようです。10章1節に書かれていることはただ「主はほかに七十二人を任命し」「二人ずつ先に遣わされた」ということだけで、彼らの申し出とか躊躇いとかは触れられてはいません。ということは、彼らが一言も発しなかったということではなく、イエスさまのイニシアティブがすべてだったということでしょう。彼らのしたことはイエスさまの召し、派遣をただ受け容れたということです。彼らの熱心さとか能力などよりも肝腎なのはイエスさまの召しだったということです。「収穫の主に願いなさい」と祈り求める姿勢を命じられました。「わたしはあなたがたを遣わす」とおっしゃるその言葉には、さらには「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」との言葉には、主は送り出される者の弱さなど百も承知でいらっしゃること、それでも彼らのやることの全責任はイエスさまが引き受けられるということ、なによりも伝道や奉仕の主体はイエスさまご自身であることが込められています。

 「財布も袋も履物も持って行くな」との指示には驚かされます。訪ねた先で「この家に平和があるように」と言えとおっしゃりながら、その挨拶が受け入れられるか否かは相手次第であって、その結果を心配するなと言われます。受け入れられたらもてなしを受け、その町の病人を癒し、またイエスさまがもたらされた肝腎の「神の国はあなたがたに近づいた」とのメッセージを宣べ伝えなさいと命じられます。たとえ、意に反してその人々が受け入れなかったとしても、気にしないでそこを去ればよい、ただし肝腎のメッセージ「神の国は近づいたことを知れ」だけはきちんと言いなさいと言われます。キリストの福音を受け入れるか入れないかは受け手の問題だから、なすべき事をなしたら、あとは遣わされた弟子たちにその責めは負わされないということです。

 さらに七十二人が帰ってきてその成果をイエスさまに報告したときに、主がおっしゃったことは、私は遠くからちゃんとサタンの敗北する様子を見ていた。あなたがたに働きの成果をもたらしたのは、あなたがたの力量ではない。「敵に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授け」ておいたのだと力強く語られました。彼らは、そして実は私たちもまたイエスさまに用いられるけれど、その導きも結果への責任を負うことも全部主が引き受けてくださっていることをこの七十二人の出来事は示しているのです。そのことが大事なのであって、彼らの名前や顔形や業績の記録などが残っても残らなくてもどちらでもいいことなのです。

4.

 全責任をイエスさまが引き受けてくださると申しましたが、だからと言って無名の私たちはぐうたらの無責任でいいのかというと、それは違います。そこでいう責任とは、今日の社会で耳にたこができるほど聞かされる自己責任とか結果責任とかでいうところの責任ではないのです。自己責任とか結果責任とか、要は評価されるのもされないのもみんなあなたの出来次第、努力次第といった、孤立と競争を強いられ、挙げ句の果てにヘトヘトに疲れ切って、格差が広がる一方の社会で負け組に落とされて、寂しい人生を送って終わるときに使われるあの責任ではないのです。

 以前にもお話ししたかもしれませんが、責任という言葉の英語のリスポンシビリティはリスポンス(応答)とアビリティ(能力)が組み合わさった言葉です。リスポンド応答する力です。責任のドイツ語はフェアアントヴォルトゥンクですが、これまた応えること、応答することが元々の意味で、そこから責任の意味が出て来ています。応答すること、これはだれもが生まれながらに持っているはずの力です。赤ちゃんがお乳を飲み、言葉を覚え、立ち上がるのは本能のなせる業でしょうか。それもあるでしょうが、お乳を与えてくれ、微笑みと共に絶えず語りかけ、無条件で愛情を降り注いでくれる存在が在って初めて赤ちゃんはその愛に応えて成長するのではないでしょうか。堅い言い方をすれば人間の成長は育ててくれる人々の愛への応答のなせる業です。ひとりで、自力で生きて成長するのではないのです。

 ですから、私たちは何に応答するか、或いはだれに応答するのか、さらにはどう応答するか、それを見つけなければなりません。あの七十二人はイエスさまの召しに応答しました。それはいうまでもなく、まるで狼の群れの前の小羊のような、自ら誇るもの、腕力や能力、学力や資金力等々なにもないのに、そのような自分に目を留め、声を掛け、無償で恵みを与え、さらには弟子にしてくださったイエスさまに応答したのです。具体的には、自分はとてもその任に非ずと思われた神の国の到来の伝道と愛と癒しの奉仕の旅に二人組で出かけて、命じられたことをすることでした。苦労もしたでしょうが、彼らはそれをやったのです。イエスさまは彼らの報告を聞いて、働きを労い、祝福してくださいました。

 どう応答するかについて、いつどこで誰に対しても通用する教えとして、使徒パウロはガラテヤ書の中で端的にこう言っています。「互いに重荷を担いなさい」(ガラ6:2)、そして「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」(6:5)と。愛しなさいとか仕えなさいと言うといささか抽象的になりますが、「互いに重荷を担いなさい」「自分の重荷を担うべきです」だともっと具体的です。愛とか奉仕が実際にできているかどうかがはっきり分かる教えです。歴史に名前の残る人の働きも陰の無名の働き人もこの教えを実践したのです。

 ところで、後日談も何も残されていないと言いましたあの七十二人は全く消えてしまったのでしょうか。主の復活と昇天の出来事の後に、ペトロが百二十人ほどの人々に呼びかける場面が使徒言行録1章15節以下に記されています。それはイスカリオテのユダの欠けを埋めようとの提案です。「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼の時から始まって、わたしたちを離れて天に挙げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです」(10:21-22)と言って、その結果、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を候補として、御心を訊ねるためにくじを引いてマティアが選ばれたのでした。

 この二人以外にも何人も主と共にいて、寝食を共にしながら教えを受け、伝道と奉仕の働きに遣わされた経験を持ち、キリストの証人となった人たちの中には、もしかしたらあの七十二人の全員か一部かが入っていたのではないでしょうか。ルカ福音書と使徒言行録の著者は同一人物ですから、ルカ福音書の七十二人の弟子たちと使徒言行録の百二十人ほどの人々とがある程度重なっていることはありえることではないでしょうか。その推測が許されるならば、あの無名の働き人たちは信仰を持ったまま生きていて、教会の誕生のときもまた無名のままですが、なくてはならない貢献をしたことになります。恵みへの応答を続けていたのです。その名は地上の歴史書には残っていなくても、「天に書き記されている」(ルカ10:20)のです。私たちもまたその喜びに連なっているのです。アーメン