2026年6月7日 聖霊降臨後第2主日 小田原教会
ホセァ5:15-6:6; ローマ4:13-25; マタイ9:9-13,18-26
江藤直純
1.
「あなたはどうやって信仰に入ったのですか?」、これはキリスト者となっている人だけでなく、信仰あるいは宗教に縁がなかった人もまた興味をもって尋ねる質問です。自分の信仰にとくに強い自信がないキリスト者は他の人が一体どうやって信仰に入ったのか知りたいものです。信仰を持っていない人は、そもそも自分は信仰などというものは持てないのに、あの人はいったいどうして宗教、それもキリスト教などに入ることができるのか不思議に思うのです。不思議に思うだけでなく、ほんの少しだけ羨ましい気持ちもあって、「あなたはどうやって信仰に入ったのですか?」と尋ねるのです。
福音書には何人かの人たちがイエスさまの弟子になった経緯が書いてあります。漠然と神さまの存在を信じるということではなく――それならば当時の人々はほぼ例外なくみんな神の存在は信じていたでしょうが――、のちに弟子となった人たちは、具体的にナザレのイエスという方を初めはこの方こそ信頼すべき教師として、次第に神の預言者として、さらには救い主、メシア、キリストとして、また神の子として信じるようになっていきました。その最初のきっかけが記されているのです。つまり、弟子になって、イエスさまにつき従っていく人生を歩き始めたそのきっかけが描かれているのです。
おそらく一番有名なエピソードは、やがて十二弟子の筆頭となったシモン・ペトロの事例でしょう。ルカ5章にはガリラヤ湖畔で網を洗っていたときに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」とイエスさまに命じられ、おそらく渋々だったことだろうと思われますが、そのとおりにしてみたら、なんと網が破れそうなくらいの大漁の奇跡を目の当たりにします。そのあとイエスさまが「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われて、シモンも仲間のヤコブとヨハネも「舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」(ルカ5:1-11)のでした。
洗礼者ヨハネの「見よ、神の小羊だ」という言葉に触発されて二人の弟子がイエスさまに従いました。イエスさまからの語りかけを受けて一晩寝食を共にしながら教えを聞き、その内の一人のアンデレが自分の兄弟のシモン・ペトロをイエスさまのもとに連れて行きました。その時イエスさまはこれからは「あなたをケファ―岩、ペトロ―と呼ぶ」と言われました。きっと他にもたくさん話しをなさったことでしょうが、聖書はただ一言、二人の関係を端的に表わす新しい名前を付けられたエピソードだけを記しています(ヨハ1:35
-42)。さらにはフィリポとナタナエルが弟子にされた顛末も述べています(1:43-51)。
これらの出来事の記述には共通点があります。一つは、彼らの出会いと弟子になった経緯でイニシアティブを取っているのはほかならないイエスさまのほうだということです。教会には「求道者(きゅうどうしゃ)」という特徴的な言葉があります。仏教で言えば「求道者(ぐどうしゃ)」です。宗教的な真理を探究し、神仏に至る道を真剣に探し求める人が求道者です。十二弟子になるくらいだからさぞや彼らは熱心な、真摯な求道者だったことだろうと想像しますが、実は福音書は彼らの求道の様子にはほとんど関心を示しません。ですからそこは何も書いてなく、ただイエスさまのイニシアティブ、語りかけ、招き、命令と彼らがそれに従ったという結論だけが書いてあるのです。これが最大の特徴です。
もう一つの特徴と言えば、招く側のイエスさまが語った非常に印象的な言葉が記されていることです。ルカ福音書ではガリラヤ湖で魚をとる漁師だったシモン・ペトロに向かって、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われました。この言葉を聞いた人は決して忘れることはなかったでしょう。ヨハネ福音書では「あなたはケファと呼ぶことにする」と言われました。初代教会の中で弟子たちがイエスさまに招かれ召されたときの思い出が語り継がれた中では、これらの印象的な言葉も併せて伝承されていきました。
2.
それでは今日の福音書の日課のマタイという人が弟子の一人にされたときはどうだったでしょうか。二つの特徴はここでもいかんなく発揮されています。日課の冒頭を読むと、「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った」(9:9)とあります。マタイ(マルコ福音書とルカ福音書では「アルファイの子レビ」)がイエスさまの噂を聞き、関心を持っていたとか、彼の説く愛の福音に深く興味を抱いていたとか、実は悩みを抱えていたとか、もともと求道心が篤かったなどとは何も記されていません。ルカ19章に記されている徴税人のザアカイの場合は、「イエスがどんな人か見ようとした」とか先回りして「いちじく桑の木に登った」などと彼のイエスさまへの興味関心があったことが読者に想像できるのですが、マタイの場合は彼の側にどんな興味関心があったのかまったく分かりません。彼のことを求道者だったと呼ぶ材料がないのです。イエスさまの一方的な招きだけが書かれているだけです。きっと彼の心の奥深くには何らかの求めがあったことでしょうが、肝腎なことはイエスさまがマタイを「わたしに従いなさい」と一方的に、そして決定的に招かれたということです。ポイントはそこだけなのです。
もう一つの特徴があります。それは、そこに居合わせた人々に、またこの伝承を聞いた人々に強い印象を残したイエスさまの言葉です。マタイが徴税人仲間や世に罪人と呼ばれては貶まれている人々を自宅へ招いてイエスさまと食事を共にしていたときのことでした。それを見たファリサイ派の人々に鋭く非難されたときにおっしゃった言葉が三つの福音書すべてに記録されているのです。よほど皆の印象に深く残ったに違いありません。
こう言われたのです。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。・・・わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタ9:12-13)と。丈夫な人と病人、正しい人と罪人、この鮮やかな対比とともに、イエスという方が遣わされた目的、使命というものがくっきりと描き出されています。
3.
それにしても、たった一言「わたしに従いなさい」と言われて、マタイが「従った」と書かれているその意味は単純ではありません。手荷物が重いからあそこの角までついてきて手伝ってくださいなどといった軽い話しではありません。ルカ5章でシモン・ペトロとゼベダイの子のヤコブとヨハネが「わたしに従いなさい」と言われたときの反応はチョットそこまで付いていきますなどと言うことではありませんでした。「そこで、彼らは舟を陸に引き上げ」、つまり商売道具を放り出して、「すべてを捨てて」、つまり転職したなどという安易な話しではなく、生活の基盤も人生の目的も日常的な家族や友人関係もすべてを擲って、そうです、生きる道を根本から変えて、「イエスに従った」(ルカ5:11)というのです。マタイもこの一言で、収税所の長、特権のある徴税人という職も身分も財産も後にして、イエスさまに従ったのです。これは一大事だったのです。
「収税所」については、「ヘロデ・アンティパスの支配するガリラヤと、フィリッポスの支配するトランス・ヨルダンの境界にあった通行税などの徴収所のこと」らしいです。「カファルナウムの北東数キロメートルの湖岸近くにあったはず」と研究者は特定しています。「徴税人」とは今の税務署の署員とは全く違います。「ローマ属州ユダヤ・サマリア内ではローマの、ガリラヤ内では領主ヘロデ・アンティパスの、主に通行税、市場税等といった間接税を徴収したユダヤ人の徴税請負人のこと。徴税額を偽って私腹を肥やすのが常であり、また直接的・間接的に異邦人のローマに仕えていたために、民衆からは罪人として激しく憎まれ、社会的差別の対象であった」(岩波版『新約聖書』)のです。
そこから浮かび上がってくるマタイという人の人物像は、ローマ帝国という絶大な権力を後ろ盾にしているので誰も抗えない、その地位を悪用して同胞から税を多めに取り立てながら、それでもって私腹を肥やしている、したがって財力はある、裕福である、しかし、それゆえにユダヤ人からは恨まれ憎まれ嫌われていた、律法を守らないので罪人として宗教的には共同体から排除され、社会的には差別されていたというものでした。福音書の中ではいつも「徴税人や罪人」という言い方で一括りにされひどく貶まれていました。
こういう人間はどういう感情を持ちながら、生きていたでしょうか。富と力を併せ持っていたから幸福で満足していたでしょうか。財布と胃袋はいっぱいになっていたでしょうが、心の中はどうだったでしょうか。同業者以外に親しい仲間はなく、心を開いて語り合う友もなく、恐れられることはあっても親しまれたり信頼されたりする関係の人は一人もいなかったならば、また神殿や会堂での宗教的集まりに加わるのを拒まれていたならば、日々喜びをもって生きていくことはできなかったでしょう。身体的には健康であったとしても、精神的に不健康あるいは病んでいると言わないではいられない状態だったでしょう。富や力を持っていたのでしょうが、正しい人と見做されることはなかったでしょう。むしろ、神の前で罪人だと大多数の人々に思われていたのです。
マタイがそういう人であるということをイエスさまがどのようにしてお知りになったのか、人々の噂や評判を耳にしてそう推測なさったのか、あるいは自ら歩み寄りじかに話しかけてマタイの人となりを、自分自身でさえも意識していない、心の奥深くの悩み苦しみをも察知なさったからなのでしょうか、これは想像するしかありません。しかし、彼が病人であり罪人であることをズバリ見抜き、そういう彼をあたたかく受け容れたイエスさまは躊躇わずにこうおっしゃいました、「わたしに従いなさい」と。そこに込められているのは、今の生活から抜け出しなさい、これまでの生き方を離れて、私の示す道を歩きなさい、私と共に生きなさい、私に従い私の弟子になりなさい、あなたの人生には私が責任を持つと断固として言い切られたのです。誰からも一度も言われたことのない愛の言葉、愛の宣言でした。
どんなに驚いたことでしょう。そしてどんなに喜んだことでしょう。その表れとしてマタイはイエスさまを自宅に招き、その席に自分と同じような境遇に置かれている他の徴税人や罪人と呼ばれている人たちをも招いて一緒に食事をしたのです。ファリサイ派の人々からは非難されましたが、イエスさまはもののみごとに守ってくださいました。
4.
実は来週の福音書の日課には、主が12人を弟子として選ばれた記事が書いてあります。ペトロを筆頭にイスカリオテのユダまでの12人です。マルコにもルカにも同じように記されています。マタイの10章1節以下を開いてみてください。8番目にマタイの名前がでてきます。皆さんは他の11人と違う点がマタイにだけあることに気づかれていますか。兄弟とか親子の関係が記されている人たちもあれば、名前が同じシモンという場合のときには一人はペトロと呼ばれるシモンと書き、もう一人には熱心党のシモンと書かれています。ユダにだけはイエスを裏切ったと書いてあります。
では、マタイには?そうです、彼にだけは弟子になる以前の正体が分かるようにわざわざ「徴税人のマタイ」と書いてあるではありませんか。ペトロたちには漁師だったなどとは書いてなく、マタイ以外は誰にも前の職業は書いてありません。漁師ならともかく、マタイの場合は「徴税人」です。いわば不名誉な過去を敢えて公にする必要はないではありませんか。注解書や解説書を紐解いてもその理由に言及してあるものは見つかりません。そもそも新約学者たちはマタイ福音書の著者は「無名の人物」とし、十二弟子の一人のマタイだとは特定していませんが、教会は随分昔から伝統的にそう呼び習わしてきました。
でも、私は個人的にはマタイ福音書はあのマタイが書き著わしたと思いたいのです。あのマタイがごくささやかな形で、しかし万感の思いを込めて「マタイオス・ホ・テロウネイス」徴税人のマタイと書いたと、わざわざ「ホ・テロウネイス」徴税人と書き加えたと想像したいのです。何故、何のために。それはみんなに貶まれるような存在だったこの自分がイエスさまから「従いなさい」と招かれたお陰で、徴税人の生き方から抜け出し、弟子の端くれに加えていただいたこと、信仰と希望と愛を持って新しい生き方に踏み出すことができたこと、今の人生はすべてイエスさまからいただいた恵みの賜物であることを書き留めたかったからです。そうです、「ホ・テロウネイス」とたった二言書き加えることで、「徴税人のマタイ」と書くことでイエスさまの愛への感謝の表明をしたかったのです。私にとっての「ホ・テロウネイス」にあたる言葉を見つけ、書き留めましょう。アーメン
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