2025年10月5日日曜日

微塵ほどでも

 2025年10月5日 聖霊降臨後第17主日 小田原教会

江藤直純牧師

ハバクク書 1章1-4節, 2章1-4節 

テモテへの手紙二 1章1-14説 

ルカによる福音書17章5-10節


1.

 聖書の世界にお米はでてきません。小麦大麦は穫れるのでパンを作って食べます。ですから、「一粒の麦」という有名な聖句も生まれました。桜や梅の話しはありませんが、レバノン杉やイチジク桑の木など大きく育つ木が有名です。からしはインド原産の和ガラシ、オリエンタルマスタードとは別種の、中近東や地中海地方や北米に成育する洋ガラシ、カラシナが登場します。そのカラシナ或いはクロガラシの種がわずか0.5ミリほどの小ささで、世にある最も小さな種と思われていました。そんなごくごく小さな、微塵のような種からでも大きく成長するので、からし種は信仰や神の国を象徴的に表わすものとして親しまれてきたのです。

 今朝の福音書の日課をもう一度聴きましょう。「使徒たちが、『わたしどもの信仰を増してください』と言ったとき、主は言われた。『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」(ルカ17:5)。マタイ福音書にもよく似た主イエスの教えが記されています。「イエスは言われた。『信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、「ここから、あそこに移れ」と命じても、その通りになる。あなたがたにできないことはなにもない」(マタイ17:20)。また同じマタイにはこういう教えも残っています。「イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。『天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」(13:31-32)。

     2.

 たしかにこの譬え話では信仰がからし種に譬えられています。あれほど小さいからし種があんなに大きく成長し、その結果、たとえば大木が地から抜け出て海に移って根を生やすとか、どっしり構えた山を動かすことができるとか、驚くほど大きな働きをすることができると言われています。ということは、弟子たちや群衆に向かって、イエスさまは、あなたがたは信仰を持っているのだから、たとえその信仰が小さいもののように見えたとしても、何も心配しないで、その信仰に頼って大きな働きをしなさい、からし種一粒ほどの信仰がありさえすれば、将来は希望に満ちているのだよと力強く励ましてくださっているのでしょうか。そうならば、これは何とありがたい教えでしょうか。なんと大きな励ましでしょうか。私たちの将来は何と明るく望みに溢れていることでしょうか。信仰者として自信を持って生きていこうという熱い思いがムクムクと湧き上がってきます。

 こういう聖書理解は聴く者を喜ばせ、力づけます。実際このような説教を私も何度も聞いたり読んだりしたことがあります。二千年前、イエスさまからじかにこの譬えを聞かされた弟子たちはどんなに嬉しくなり、勇気百倍になり、イエスさまの弟子であることを誇らしく思ったことでしょうか。

 ところが、私たちはそのような解釈と結論を文字通りそのまま受け止め、受け容れてよいかどうか、ここでちょっと踏みとどまってみたいと思います。そのためには、この譬え話の部分だけを切り抜いて聞くのではなく、この譬えが語られた状況とはどのようなものであったのか、譬えを話された弟子たちとはどのような人たちであったのか、譬えを語られたイエスさまは彼らをどのように見ておられたのか、そのことが分かるように譬え話の部分の直前と合わせて、全体を丁寧に読んでみましょう。

 マタイ17章の「からし種」の譬えが語られた段落全体はマタイ17章14節から20節までですが、その段落には新共同訳には「悪霊に取りつかれた子をいやす」という小見出しが付けられています。出だしのところにはこう書いてあります。「一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、言った。『主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中で倒れるのです』」(マタ17: 14-15)。こんなことを冷静に淡々と話すことができるはずがありません。現に息子は「ひどく苦しんでいるのです」、そうです、てんかんの発作がまたまた起こったのです。今日は火の中や水の中ではなかったかもしれませんが、地面に倒れて悶え苦しんでいるのです。父親は、助けてください、お願いですとひざまずいて必死に嘆願しているのです。

 彼は息子の発作を目の当たりにして、まずイエスさまの弟子たちを見つけて駆け寄り、是非とも息子を癒してくださいと願います。しかし、結果はダメでした。「お弟子たちのところに連れて来ましたが、(お弟子さんたちは息子を)治すことができませんでした」。こうなったら最後の手段とばかりに、先生であるイエスさまのもとに駆け寄ったのです。

 イエスさまは嘆かれます。でもそれは父親に対してというよりも実は弟子たちに対してだったのでしょう。「『なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか』」、そう言われてから、すみやかに癒しを行われます。父親が息子を連れて来たところで、「イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、その時子供はいやされた」(17:17-18)のです。父親が大喜びしたことは間違いありません。

 しかし、この段落はてんかんが癒されたところで終わっていません。一段落して、父親と息子も群衆たちも帰って行ったあと、弟子たちは「ひそかに」イエスさまのもとに来て訊ねるのです。「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」。彼らにしてみれば真剣な問いでした。主イエスの弟子として寝食を共にしながら信仰を学び深め、何度となく癒しのわざを目の当たりにして、またその手伝いをしてきていたのです。それなのにいざ自分たちが癒しをしようとすると癒せないならば弟子としての面目丸潰れです。「なぜ悪霊を追い出せなかったのでしょうか」、こう大真面目で質問したのです。

 それに対してイエスさまは「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない」(17:20)とおっしゃっているのです。これは、さあ、あなたがたの信仰を恐れず発揮しなさい。できないことなんか何もないのだからという激励の言葉でしょうか。

 最初に「あなたがたの信仰が薄いからだ」と断言されました。薄い、小さいと言われるということは、僅かではあるが少しはあると思っていらっしゃるのでしょうか。そう思いたいのですが、もしもあなたがたに直径1ミリ、いや実は0.5ミリほどのごくごく小さいからし種一粒ほどの信仰がありさえすればと言うのですから、実は弟子たちにはあのからし種一粒ほどの信仰さえも「ない」のだと厳しく言っておられることになりませんか。「はっきり言えば、あなたがたには信仰などと言えるものはまったくないではないか」と言っておられるのと同然です。薄くても僅かに信仰はあるとは言ってはおられないのです。

3.

 続いて、今朝の福音書の日課であるルカ17章で使徒たちが「わたしたちの信仰を増してください」と主イエスにお願いしたときの様子を見てみましょう。彼らはなぜ「信仰を増してください」とお願いしたのでしょうか。それは、当然自分たちなりに信仰は持っていると思っていたのに、これはさてこれは困ったぞ、自分の信仰をもっと強めなければ、もっと篤くしなければ、もっと深くしなければと思わずにはいられない状況に追いやられたことを自覚したからです。その理由が5節の直前に記されています。3節と4節を見るとイエスさまは言っておられます。「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」と。一度でもいやですが、二度や三度どころかなんと七回もあなたに罪を犯しても、七回、「悔い改めます」と言うなら、あなたはその人を七回赦してやりなさいと命じられたのです。

 「仏の顔も三度まで」という古い教えがあります。罪を犯した者が悔い改めるなら一度は赦してやりなさい。たとえそんなことがあっても、もしもまた罪を犯したら、もう一回は赦してやりなさい。人間ですから一度は悔い改めてもついまた罪を犯してしまうことはあるだろうから、寛大な気持ちでもう一度赦してやりなさい。そう教えられます。するとそうだ、そうしようと努めます。しかし、それでもその人がしばらくしたらまたもや罪を犯してしまうことが起こったとしたら、その時はもう仕方がないですね。仏の顔も三度までで、それ以上はもはや赦さなくてもやむを得ないと解釈されてきました。世の中には秩序も必要だ、優しさだけでなく厳しさもないといけないとか理屈も付けられます。

 しかし、イエスさまは驚くことに「七回罪を犯し、七回悔い改めたら、七回赦してやりなさい」とおっしゃったのです。さすがに赦しと愛が大切だと思っていた弟子たちでさえもその教えには困惑しました。ユダヤの伝統では七という数字は完全数だと言われています。ということは、七回ということは文字通り五回、六回の次の七回という意味というよりは、何度でも赦しなさい、極端に聞こえるでしょうが、無限に赦しなさいとの意味ではないでしょうか。七回までは我慢して赦しなさい、しかし、八回目は怒って良い、赦さなくても良いという意味ではないのです。

 そうは言っても、さすがにそれは神ならぬ人の身、自分に罪を犯す者を七回も赦すなんてそこまではいくら何でもできません、無理です、不可能です、と本音で頭を抱えてしまったに違いありません。弟子たちだけではなく、私たちだって困り果ててしまうことでしょう。それでも、イエスさまの教えには従いたいと思います。自分にできなくても、その教えが真実だと思うからです。そこで「信仰を増してください」とお願いしたのです。信仰の増加に難問の解決の手掛かりがあると思ったのです。

4.

 それは一見正しいと思えます。自分には今は不十分にしかない信仰を増してください。そうすることで大事な務めをやることをもっとできるようにしてください。能力を増してください。私をもっと大きな人間にしてください。もっと役に立つ人間にしてください。それは人間的にはプラス志向でふつうに考えればいいことのようですが、出発点が問題です。自分に罪を犯す人間を心底赦せ、しかも二度や三度でなく七回も赦せと言われたら、そのような意思も、そのような能力も自分は持ち合わせていないことが暴露されてしまうのです。自分という人間には人を赦す力などゼロに等しいのです。そんなことができる人間ではないのです。そのことがはっきり分かったら、信仰とは自分の宗教的な、精神的な能力のようなものだという思い込みからきれいさっぱり縁を切らなければなりません。

 では、どうすればいいのか。第一にするべきことは、自分には伸ばすべき宗教的能力、増し加えるべき精神的能力としての信仰というものはない!ということをはっきりと認めることです。自分にはそれがないならどうするのか。そのときできること、やるべきことは、自分ではなく全き真実であり全き愛であり全き赦しである神さまに自分を明け渡し、神さまに自分を支配していただき、神さまに自分を用いて神のみ業を行っていただくことです。神の力はたとえからし種一粒ほどの、まるで微塵のようなごくごく小さなものに見えても、それが神の力であるならば、悪霊を追い出すことだろうと、病を癒すことだろうと、自分に何度も罪を犯す人を何度も赦すことだろうと、必ずできるのです。それが神の言葉であるキリストが私の中で、私を通してなさることなのです。

 神の力をもたらす神の言葉は、つまりキリストは自由に動きます。第二テモテ書に記されているとおり、「神の言葉はつながれていません」(Ⅱテモ2:9)。さらに使徒パウロはこう告白しています。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストはご自身を否むことができないからである」(2: 11-13)。

 聖書の書かれたギリシャ語のピスティスという言葉は「信仰」と訳されますが「信頼」をも意味し、ときに「真実(信実)」を意味します。漢字の「信」もそうです。まこと(真実)なる神への全面的な信頼です。その意味で神への信仰をも表わします。そこにはもはや私たちの宗教的、精神的能力の意味はないのです。そのような真実(まこと)なるお方への信頼という意味での信仰がキリストによって与えられるように祈り求めましょう。

2025年9月7日日曜日

利他のいのち

2025年9月7日  聖霊降臨後第13主日 小田原教会

江藤直純牧師

申命記 30章15-20

フィレモンへの手紙 1-21

ルカによる福音書 14章25-33

1.

 長いこと黒人霊歌の一つとして親しまれてきた賛美歌に「弟子にしてください」という歌があります。「弟子にしてください、わが主よ、わが主よ。弟子にしてください、わが主よ。心の底まで弟子にしてください、わが主よ」。原語である英語では”Lord, I want to be a Christian”、直訳すれば、「主よ、私はクリスチャンになりたいのです」とでも言えばいいでしょうか。「弟子にしてください」のところは2節、3節、4節では「愛を増してください、わが主よ」、「清くしてください、わが主よ」、そして「学ばせてください、わが主よ」と切々と謳い上げています。純真そのものです。ひたむきな思いです。

 この道を生きる者になりたいと願う者にとっては主であり師であるイエス・キリストに向かって「弟子にしてください」と言わずにはいられないでしょう。ある人がキリスト教のことをキリスト道と呼んでいました。キリスト教というとどうしてもキリストの教えと思いがちですが、教ではなく道というと「全人格、全存在をあげてその道を生きる生き方をする」、あるいは「そういう生き方をする人になる」というニュアンスがでてきます。芸事も茶道、華道などと言いますし、運動も柔道、剣道、相撲道と呼びます。そこには師匠がいて弟子がいます。学問の世界もそうでしょう。宗教の世界ならばなおさらのことではないでしょうか。師匠のような人になりたいと願います。

 少しレベルは違うかもしれませんが、憧れているスターやアイドル、歌手や芸人という人たちと自分も同じような服装をしたい、化粧やヘアスタイルをしたい、歌い方やしゃべり方をしたいというファンの心理はよく見かけることです。真似をすること、真似ることと、まねぶ(学ぶ)ことは、学ぶ(まなぶ)ことと深く繋がっています。少しでも近くにいたい、一緒にいたいという「追っかけ」の気持ちは、もはやこの歳になっては自分ではしないものの、理解できます。

 福音書を読めば、ナザレのイエスを師と仰ぎ、その教えと心とを倣いたい、自分もそう生きたい、その道を自分も歩みたい、そういう人間になりたいと願う人たちのことをペトロを筆頭に「弟子」と呼んでいます。けれども、「弟子になりたい」という思いは、これは12人に限ってのことではなく、たくさんの人たちがそう願いました。今日の日課の冒頭には「大勢の群衆が一緒について来たが」と書かれています。「大勢の群衆」です。彼らもまた熱心にか漠然とか「弟子になりたい」と思っていたのでしょう。

 そういう人たちに向かってイエスさまはあたかも「弟子になりなさい」と積極的に招くのではなく、「弟子になるための条件」を示されます。しかも三つもです。これだとまるで「弟子になるなんてことは諦めなさい」とおっしゃっているかのようにも響きます。

 つまり、弟子になることに憧れている多くの人々に向かって驚くほど厳しい条件を示されたようにみえます。彼らはものすごく驚いたことでしょう。そんな、そこまではできないな、もう少し優しく言ってください、と呟いたことでしょう。でも、たしかにそうおっしゃったのです。イエスさまの真意はどこにあるのでしょうか。

2.

 ここで挙げられているイエスさまが言われた「弟子になるための条件」はいささか厳しすぎるのではないかと、その場にいた人たちばかりではなく、今ここにいて福音書の朗読を聞いた皆さんも、これは厳しい、厳しすぎる、自分にはできないなと内心密かに思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。自然な反応だと思われます。

 その三つの条件とは、こうです。第一は「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」(14:26)。第二は、こうです。「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」(14:27)。そして三番目は「自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない」(14:33)です。自分の愛する家族、また自分自身を憎め、自分の十字架を背負え、自分の持ち物を一切捨てよ、これは正しいか正しくないかと言えば正しいでしょう。しかし、正直厳しいですよね。受け入れ、実行するにはハードルが高すぎると思ってしまいます。まるで拒絶されているようです。

 「あなたの隣り人を愛せよ」との最も大事な掟での愛する相手には親しい家族は含まれないのでしょうか。「隣人を自分のように愛しなさい」とありますから、自分を愛することはキリスト教にあっても自明なことではないのでしょうか。それは否定されていないと思われます。なのに、自分の命を憎めとはどういうことでしょうか。

 十字架のことですが、主イエスがゴルゴタの丘をご自身が掛けられるべき十字架を背負って歩まれたことが肝腎のことであって、十字架はイエスさまの十字架に尽きると思うのは間違いでしょうか。人々の、私たちの罪を贖うために十字架を背負われた、それが十字架でしょう。それなのに、自分の十字架を背負ってついてきなさいと言われています。私たちも誰かの罪の贖いのために十字架を背負うべき、或いは背負うことができるのでしょうか。

 さらに自分の持ち物を一切捨てなさいとも言われています。自分の所有物を増やし富を蓄えなさいとはイエスさまが言われるはずもなく、むしろ天に宝を積みなさいと命じられていますが、だからといって地上の生活を送るためには無一物ではかえって周りの人々に迷惑を掛けることにならないでしょうか。

 これらの呟きというか言い訳というか疑問、或いは反論は、どこがおかしいのでしょうか。イエスさまの言葉についてのすっきりとした理解がなければ、胸を張ってイエスさまにつき従うことはできません。12弟子でさえイエスさまの地上の生涯の最後まで無理解や誤解を重ねたくらいですから、私たちもそういうことをやりかねません。失敗や誤解はつきものですが、だからこそこの機会にしっかりとイエスさまの言葉の真意を受け止め、すっきりとした理解を持って、いそいそとイエスさまに付き従って行きたいものです。そうする中で、及ばずながらもイエスさまの弟子の端くれに加えていただけるのではないでしょうか。

3.

 まず、ごく親しい家族を憎むこと、さらには自分自身を憎むこととは一体全体どういうことでしょうか、そこから考えてみましょう。「憎む」という言葉は憎らしく思うこと、忌み嫌うこと、愛することの正反対の感情を持つことといういわゆる普通の「憎む」という言葉の意味があります。しかし、いくつかの書物によれば、イスラエルには憎むという言葉の独特な使い方もあるというのです。それは憎むとは「より少なく愛する」という意味もあるとのことです。Aを愛しBを憎むとは、「AよりもBをより少なく愛する」ことだというのだそうです。驚きますが、もしもそういう意味でイエスさまがおっしゃったのならば、父母、妻子、兄弟姉妹を憎むというのは、だれかを、何かを最も愛して、父母妻子兄弟姉妹は「それよりもより少なく愛する」という意味になります。今日のイエスさまの教えの場合なら、イエスさまを最も愛しなさい、父母妻子兄弟姉妹はそれ以下にしなさいということになります。これにはビックリすると同時にちょっとホッとする面もあります。

 イエスさまとその他の親しい家族との相違とは何でしょうか。どうして親しい家族が二の次になるのでしょうか。家族は血の繋がり、血縁で結ばれています。夫婦は出会いがあり、やがて結婚という制度によって深い繋がりに入ります。その繋がりでは「家族愛」とか「夫婦愛」というものが生まれ育ちます。おそらく夫婦が人生の中で一番長く一緒に暮らすでしょうが、それ以外の親子兄弟姉妹でもかなりの年数を一つ屋根の下で暮らし、愛情を深めます。多くの場合、それらは美しいものです。

 しかし、メディアがよく報じているように、或いは文学が描き出しているように、正直に言えば、必ずしもすべてがすべて美しいばかりではありません。家族の絆が緩みまた解けることがあり、気持ちがすれ違いときに遠ざかることがあり、時には近い関係であるばかりにかえって憎しみが増し、人間関係が壊れてしまうことすらもあるのです。残念ながら旧約聖書の中にもそのような例はいくらでも見出すことができます。「人間的な愛」である限り、うまく行くこともあれば行かないこともあるのです。それを否定できません。それが人間的な愛の実相であり、現実であり、限界でもあるのです。

 それでは、家族よりもだれよりも最も愛すべき存在として挙げられているのがイエスさまであるなら、その方への愛はどうでしょうか。二千年前の男女の弟子たちや慕い追いかけた群衆たちは幸いでした。なぜなら彼らはイエスさまの生きたお顔、お姿を見、生の声を聞き、触れることもできましたからです。なかには弟子たちのように寝食を共にした人たちもいました。だから、家族を愛するようにイエスさまを愛することもある程度できたでしょう。しかし、私たちには天に帰られたイエスさまの姿形を見ることも、あたたかく柔らかいお声を聞くことも、触れることもできません。そうであるならば、私たちはイエスさまを人間としての感覚をもって、人間的な心情によって、家族や友人たちを愛するように愛することはどうしたらできるでしょうか。父母妻子兄弟姉妹より多く愛することを求められても、果たしてそれはできるでしょうか。彼らよりもより少なく愛することさえも難しくはないでしょうか。もしそうならば、私たちにはイエスさまの弟子になることはおよそ無理ではないでしょうか。

4.

 たしかに私たちにはイエスさまを人間的に愛することは難しいでしょう。では、イエスさまが示された弟子になることの条件を満たすことは諦めないといけないのでしょうか。

いえ、それでもできることが一つだけあると思います。それは「愛する」ことはできなくても、「愛される」ことはできるということです。私が主イエスを愛することはできなくても、主イエスが私を愛することは止められません。そうすると、私たちにはイエスさまから「愛される」ということが起こります。その事実を受け止める、受け容れる、自分を開く、自分を空にするのです。そうすることでイエスさまに「愛されている関係」はできるのです。愛するという主体的、能動的な行為をするのはイエスさまの側であり、愛されるという受動的な行為をするのは私たちの側なのです。そういう愛の関係ができるのです。

 だれもが知っているこどもさんびか「主われを愛す」、ご存じですね。「主われを愛す。主は強ければわれ弱くとも恐れはあらじ。わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、われを愛す」。ご存じでしょうか、韓国で作られ日本でもすごくポピュラーになった賛美歌「君は愛されるために生まれた」。愛する主体はイエスさま、私は愛されるという受動的な関係です。聖書は全編一つのことを言っています。それをギュッと凝縮して表現したのがヨハネ福音書3章16節です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。世を愛されたとは、私たちを愛されたということ、つまり私を愛されたというのです。しかも私たちが永遠の命を得るためにです。人を愛することで何か自分にとって益になるとか、得をするとか、快楽を得るとかが愛することの目的ではないのです。目的は神がではなく、人が永遠の命を得ること、真実のいのちを生きるようになること、神のようなまことの愛を生きる人生を送るようになることです。神の被造物である人間の幸い、喜びこそが神の愛の目的なのです。「利己」ではなく「利他」こそが神の願いなのです。神の本質なのです。

 「愛する」こととは「利他である」ことです。そのような神のいのちを注がれること、愛のいのち、利他のいのちに包まれること、満たされること、生かされ養われること、それこそが私たちに求められています。そのことを最も大切にするように命じられているのです。家族や隣人たちを愛すること以上に、いえ、彼らを愛する前にまず愛そのもの、つまり利他のいのちを受けることを大事にしなさい。そうです、神に、イエスさまに愛されることを最も優先させなさい。神の利他のいのちを受けなさい。そうすれば少しずつ少しずつイエスさまに真似るようになり、学ぶようになり、イエスさまの弟子になっていくのです。弟子にされていくのです。変えられていくのです。あの言葉は排除するような厳しい条件ではなく、利他そのものであるお方からの喜ばしい招きの言葉なのです。アーメン 

2025年8月3日日曜日

ゴールから今を見ながら生きる

 平和の主日 

2025.8.3.小田原教会       江藤直純牧師

ミカ書 4章1-5 

エフェソの信徒への手紙 2章13-18

ヨハネによる福音書 15章9-12


1.

 「人の一生は遠き道を重荷を負うて歩むがごとし。急ぐべからず」。この言葉はもっと先もあるのですが、最も有名な出だしのところだけ紹介します。遠き道を坂道と言い換えて伝わっているのもあります。これは徳川家康の遺訓として知られています。子どもの時から散々苦労をして、遂に信長、秀吉のあと、その後265年続く徳川幕府と三百余の藩による封建体制を築き上げた人の言葉として説得力を持って受け入れられてきました。人生に苦労、困難、悲劇はつきもの、しかし、それにめげずに、急がず焦らず挫けないで、一歩一步歩んで行くように、絶えず「前を向きながら」「ゴールを目指して」歩いて行くようにとの勧めは、家康が好きな人も嫌いな人も、人生訓としては納得し共感し受け入れるのではないでしょうか。

 人間だれしも生きていく中では、ときに下を向くときはありますけれども、なんとか後ろは向かないで、「前を見ながら」歩いて行くものです。いつもいつもはそうできなくても、そうやって生きていきたいと願います。「上を向いて歩こう」という大ヒットソングもありましたが、下ばかり見ないで、上を向いて希望を持って、しかしいざ歩き出すときは「前の方を見ながら」「ゴールを目指して」足を踏み出すのです。前を見るというのは、言い換えれば、夢を見る、希望を見る、明るい将来を見ると言うことでしょう。つまり、「ゴールを見据えて、それを目指して」ということです。人生に何かを期待するとも言い直すことができるでしょう。それが人間らしい生き方です。そういう人生を送りたいものです。

2.

 しかし、前を向いて歩こうと思っても、前を見ながら生きていこうと思っても、希望を持って、期待を胸に抱いて「ゴールを見ながら、ゴールを目指して」生きていこうと思っても、そんなことなどとてもできないと思っている人たちも現実のこの世界にはいます。それはけっして気が弱いからでもなく、努力が足りないからでもなく、どれほど必死に歯を食いしばって一生懸命頑張っても、前が見えない、前を見ながら「ゴールを目指して」歩いて行くことなどできない人たちがいるのです。人生に何かを期待することができない人たちがいるのです。

たとえば、77年前に国連総会が開かれました。それまでパレスチナ人は1900年近くそこに住み、支配者はローマ帝国、ビザンツ帝国、ムスリム、十字軍、アイユーブ朝、オスマン帝国、イギリス等々に変わったりしましたが、ともかく穏やかに住んでいたところに、第二次世界大戦後の1948年に何とイスラエルという国家が新たに作られたのです。その地に住んでいたユダヤ人だけでなくヨーロッパ各地或いはロシアその他のパレスチナ以外の外国に住むユダヤ人たちがやってきて、イスラエルという国家を作ったのです。しかもそのときの国連の決議ではイスラエルとパレスチナという二つの国家が作られ共存することが宣言されたのですが、それにもかかわらず、ついぞその約束は守られることはありませんでした。

 それどころかイスラエルは圧倒的な武力でもって何度も近隣諸国と戦争をし、領土を広げ、パレスチナの領土にも入植地を増やしていき、ヨルダン川西岸地区などでは天井のない牢獄と言われる8メートルの壁で取り囲んだ地域に閉じ込めました。そして2023年10月7日のパレスチナ自治区のガザ地区を支配していたハマスによる奇襲攻撃の後のこの1年10ヶ月の間、イスラエルは残虐さを極めてガザを徹底的に攻撃し、ついに先週虐殺された民間人の数は6万人に達し、現在も多くの子どもたちは食糧不足、栄養不良により餓死の危険に晒されています。グティアレス国連事務総長が紹介した現地の話しは胸を打ちます。「子どもたちは天国に行きたいと話している。少なくともそこには食べ物があるから、というのです」と(7/30朝日新聞)。町の中のおよそ建物という建物は病院も学校も含めて破壊され尽くされているという惨状が繰り広げられています。ここには住む家もなく、命を繋ぐ食糧もなく、命の安全を守るための停戦の気配も全く見えず、住民たちの生存を確保しようとの国連や世界各地からの支援も不十分な中で、かろうじて生きているパレスチナ人たちにとっては明るい希望を懐いて「前を向いて」生きていくということはいったい全体可能でしょうか。難民キャンプで生まれて、難民キャンプで育ち暮らして、難民キャンプで死んでいく人々にとって、「前を向いて」生きていこうとしても、どうもがいても「前」は、「明るい未来」も「希望」も「期待」も苦労の先の「ゴール」も、少しも見えないのです。「平和」は全く見えないのです。

 連日の報道でご存じのとおり、ガザの実情はあまりに悲惨で、世界中を眺めても抜きん出て悲劇的です。しかし、これ以上あれこれ実例を列挙することはしませんが、世界には武力による侵攻、民族間の争い、軍事独裁と民主化運動の対立、様々な意味での少数派への差別、著しい貧困、有形無形の暴力による抑圧等々のせいで、たとえ危険も苦労も避けられなくてもせめて何とかして「前向きに」生きていこうとすることすら困難な人々はたくさんいるのです。百や千或いは万の単位の数ではなく、百万いや千万の単位で、この世界を「前向きに」生きていきたくてもそれが全く無理な状況に置かれている人々が現実にはいるのです。「そんなにいるの? 僕には見えないよ」という人は、そのような人たちに目を向けていなくて、あるいは見えかかっても目を逸らすか閉じるかしている人です。「そういう人の話は聞いたことがないな」という人は、そういう人についての関心が薄く、なにか聞こえてきても注意を払わなかったり耳を塞いでしまったりする人なのです。私は自分だけいい子になってそういう人のことを批判をしているのではなく、実は私にも、また私たちにも大なり小なりまわりには「見えない隣人」がいたり「聞こえない隣人の声」があったりするのです。それは嫌でも認めざるを得ません。

3.

 今申し上げようとしているのは、苦労や困難があっても、「重荷を負うて」坂道を登っていくような人生であっても、この坂道を越えたら穏やかな生活が待っているとか楽になれるという「前」が、「明るい未来」や「希望」「期待」「ゴール」が微かであっても見えていれば、人はある程度の、いやかなりの現在の大変さは耐え忍ぶことができるということです。たとえ時間がかかっても先が見えていさえするなら、今を我慢しながら生きていけるのです。しかし、文字通りお先真っ暗、闇の先に微かな明かりさえも見えない場合はどうなるのでしょうか。希望、或いは願望、期待を持つことができない状態、ゴールが見えない状態に陥ったらどうすればいいのでしょうか。

 長い間、若い人に是非読んでほしい書物の中の一冊に必ずと言っていいほど選ばれていた本、ある全国紙が調査した二十一世紀に伝えたい本の第三位に読者が選んだ本、それがヴィクトール・フランクルの『夜と霧』です。ユダヤ人であるというたったそれだけの理由でアウシュヴィッツの強制収容所に入れられました。今のガザの住民たちのようです。あるいはもっと悲惨な状況だったかもしれません。全部で六百万人とも言われる無辜の人々がそこで殺されていたのに、フランクル自身はかろうじて生き延びて、戦後に精神医学者として強制収容所での自己の体験を元にして「人間とは何か」についての深い省察を行った名著が『夜と霧』です。

 看守の胸先三寸でたちまち死と結びつく恐怖や四六時中人格の全き否定に晒される状況にあって、人々は自己防衛のために感情を麻痺させて生き延びようとします。そのような状況の只中でフランクルは「生きる意味」を求めます。その生きる意味こそがおよそ真っ暗闇のような、ゴールなどまったく見えない過酷な環境の中で人を生かす力となったのです。苦難をも含めた過酷な生きることの中で彼がたどり着いたことは、人間にとって肝腎なことは、我々が「生きることに、或いは人生に何を期待するか」ではなく、「生きることが、人生が我々から何を期待しているか」ということでした。未来で我々を待っているものは何かを知り、その義務を果たすことであると知るのです。今の人生の先にゴールを見ようとするのではなく、ゴールの方から今を見ながら生きていくことを勧めたのです。

4.

 フランクルは精神医学者として直接的には宗教を語りません。「生きること」或いは「人生」、また「生きる意味」などという言葉がキーワードですが、今日私たちがこの「平和の主日」に聞いた御言葉を理解するのに大きな手掛かりを与えてくれます。

 旧約の日課のミカ書、使徒パウロの書いたエフェソ書、主イエスの言葉が記されているヨハネ福音書の三箇所です。ミカ書が語る「終わりの日」に起こることは人間の夢や願望ではありません。預言者ミカはサマリアやエルサレムに向かって、しっかりせよ、眼を開いて前を見よ、ゴールを見なさいと言っているのではありません。彼が幻で見た神の審判の徹底ぶりは驚くばかりです。「山々はその足もとに溶け、平地は裂ける 火の前の蝋のように、斜面を流れる水のように」、「わたしはサマリアを野原の瓦礫の山とする」(1:1.6)。人間世界の罪をこれでもかと暴きます。そうです。人々が陥っている状況は少しばかり反省したり、悔い改めたりして出直すことができ、希望を見出しゴールに向かって歩き出せるような生易しい状況ではないのです。

 では、預言者ミカの使命とは彼らは絶望的だと言って断罪することでしょうか。なんとか彼らなりにゴールを見つけ出し或いは創り出し、前向きに歩く、そんなことなど不可能だと切り捨てることでしょうか。いいえ、そうではありません。たしかに人間が思い描くゴールは見えません。実際それはありません。しかし、その代わりに、神さまが用意してくださるゴールがあると言っているのです。ミカ書4章の小見出しは「終わりの日の約束」です。終わりの日というと、終末のときです。鎌倉時代の仏教の感覚では終末の世とは末法の世、滅びのときです。しかし、聖書の世界では違います。終末の時とは神がなさるこの世界の完成の時です。世界とは具体的には私たち人間です。裁きと赦しにより不完全で罪に染まった私たちを完成なさるときだと言うのです。

 私たちの常識では罪人は裁かれ滅びに落とされるのです。それがゴールです。しかし、ミカが示す終わりの日は違います。「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい、多くの国々がそこに来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる」と(4:1-3a)。終わりの日は滅びの日ではありません。神は人間から断絶されて見えなくなるのではなく、逆に、すっくと高くそびえ、すべての人々から見えるというのです。争いを止めさせ、強きをくじき、悪を罰し、弱き者誤った者をも主の道へと招き入れられるのです。

 その結果何が起こるのか。「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(4:3b)のです。もはや争いのための武器は不要となり、それらを溶かして新たに鋤や鎌といった農業のための道具に作り直すようにしてくださるのです。命を滅ぼす武器ではなく、命を養い生かすための農具を作り出されるのです。そうなった以上「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(4:3c)のです。ここで創り出された平和は単に戦争のない状態ではなく、本当の平和シャロームの充満です。そこには敵意ではなく、和解があります。そこでは人々は確かに生かされ、一つひとつの命がみな尊ばれ、調和と協力が生まれるのです。もはや抑圧も搾取も暴力もなく、正義に満ちた世界が現れているのです。ですからそこでは人々は命の創造主、世界を治める神さまを崇め賛美し御心に従うのです。この神なしには平和も正義もありえないからです。それが真の平和シャロームです。これが神の用意されているゴールなのです。人間にはけっして作り出すことのできない、神が備えられたゴールです。

5.

 エフェソ書ではさらに深く人間の争いの根源、人間関係に潜む、見えないかもしれないけど間違いなく存在する敵意というものの真の解決策が示されています。「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和です。キリストは・・・両者を一つの体とし神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェ2:13-16)。こんなことは私たちが想像し作り出せるゴールではありません。悲しいことに人間同士の敵意はなくなることはないのです。しかし、キリストによって、キリストの十字架によって、神の側から差し出された真の和解というゴールなのです。

 敵意がなくなるだけではマイナスがゼロになるところまでです。二度とマイナスに戻らず、それどころかゼロにとどまらずもっと豊かな関係になるために与えられた戒めが主イエス御自身から与えられています。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハ15:9)。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの戒めである」(15:12)。互いに愛し合え、勿論そうしたいけれどもそうはできないと嘆く私たちに、主は言われます。「わたしがあなたがたを愛したように」と。これは単なる愛のお手本ではありません。手の届かない高い要求ではありません。ここでは「わたしがあなたがたを愛したように」と訳されていて、それは愛し方の程度、愛するやり方を表わしているようですが、原語に当たってみると「丁度・・こうするように」という比較の意味もありますが、「・・ので」という私たちが互いに愛することの理由、根拠を表わしていると解釈することもできます。実際ほぼ同じような戒めを説いているヨハネの手紙第一を開いてみると、「愛する者たち、神がこのように愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」(4:11)とはっきりと互いに愛し合うことの理由、根拠として「神がこのように私たちを愛されたこと」を挙げているのです。このように愛されたとはどのようにでしょうか。それは「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました」(4:10)と記されています。ヨハネ福音書でも「わたしがあなたがたを愛したように」の言葉の直後には「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハ15:13)と同じことを別な表現で言っています。つまり、「わたしが(つまり神が)あなたがたを(つまり私たちを)愛したように」は「私があなたがたを愛したのだから」という意味を含んでいるのです。この戒めの根拠、理由が「わたしがあなたがたを愛した」ことなのです。その原事実があるのだから、「あなたがたも互いに愛し合いなさい」との新しい戒めを与えられるのです。それだけでなく、あなたがたは神に愛されたのだから互いに愛し合うことができるのだと言っておられるのです。できないことをやれと命令しておられるのではなく、できるのだからそうしなさいと招いてくださっているのです。そうやってマイナスはプラスになるのです。

 ミカの終わりの日の預言も、使徒パウロのキリストによる和解の宣言も、ヨハネ福音書が告げる愛の戒めも、どれも人間の夢や願望、そうであってほしいから創り出したゴールではありません。そうではなく、神さまの側で実現してくださったこと、また必ず実現される約束でありゴールなのです。そこに真実の平和シャロームがあります。この終わりの日に必ず実現され完成される神の平和シャロームを信じるときに、つまり神の設けられたゴールを信じるときに、私たちはそこから見た今、現在を希望をもって生きることができるのです。ゴールから今を見ながら生きる生き方です。祈りにより、また学びを通して、一つひとつの言葉と行動により、そして愛によって、どんなに現在の状況が厳しくても、それに挫けることなく、めげることなく、諦めることなく、けっして絶望することなく、今を生きることができるのです。したたかに、或いは楽観的に、そして積極的に、粘り強く真の平和シャロームを目指して生きていけるのです。

 平和について考え、平和を祈るこの主日に私たちは、神により、キリストによってこのようなゴールが与えられていることを、またこのような生き方が可能にされていることを感謝しましょう。そのような生き方へと招かれていることに喜んで応答していきましょう。アーメン

2025年7月6日日曜日

名もない働き人

 聖霊降臨後第4主日    2025年7月6日 小田原教会

江藤直純牧師

イザヤ書 66章10-14; 

ガラテヤの信徒への手紙 6章1-20

ルカによる福音書 10章1-11, 16-20


1.

 聖書にはたくさんの人が登場します。新約聖書に限ってみても、その数はいったい何人ぐらいになるでしょうか。イエスさまを別にして、ペトロを筆頭とする十二弟子、ガリラヤからずっと従って来たマグダラのマリアをはじめとする女性たち、母マリアとヨセフ、洗礼者ヨハネとその両親、親しくしていたベタニアのマルタとマリアの姉妹、その弟ラザロ。さらにはイエスさまと敵対関係にあったファリサイ派や律法学者の人たちや最高法院の議員たち、その中ではニコデモとアリマタヤのヨセフの名前が明らかにされています。大祭司やヘロデ王や総督ピラトもいました。その他にも名前こそ分かっていませんが、福音書の中に印象的に記されている、主イエスに出会い、主イエスに癒され、救われた何人もの男女がいます。これらの人たちは、映画やテレビドラマならば登場人物の名前と俳優の名前が挙げられる、一人ひとりの人物です。

 もちろんのことですが、この他にも多くの人々が聖書の中には出て来ます。民衆とか群衆と呼ばれる人たちが何百、何千と現れます。映画ならばその他大勢として扱われ、劇団の人というよりもエキストラが動員されることでしょう。

 それでは、今日の福音書の日課に現れる一団の人々はどうでしょうか。ペトロやヨハネのように固有名詞を持ち、その人となりも役割もはっきりしているかといえば、そうではありません。では、群衆の一部、その他大勢かといえば、そうでもありません。この一団の人々が「七十二人」だったということだけは明示されています。彼らがやった行動も書かれています。一回だけですが、台詞もあります。なによりイエスさまが彼らに真正面から向き合い、大切な役目に任命なさいました。派遣先で何をどうするかをこと細かく指示されました。ご自分が行くつもりの町々村々に予め手分けして派遣されました。しばらく間を置いてから彼らが戻ってきて、その成果を報告すると、主は彼らに向かって大事なことを語りかけられているのです。

 ただ、なぜかこのエピソードはマタイ、マルコ、ヨハネ福音書には何の記述もありませんから、初代教会の誰もが聞き及んでいたのではなく、ルカが知りえた伝承にだけ語り継がれていたらしいのです。十二弟子のように全員の名前は語り伝えられていなくてもせめてその代表格の人たちだけの名前なりと分かればいいのにそれもなく、しかもルカの10章だけにしか現れず、この後の後日談も何も残っていません。ドラマチックというわけでもありません。そういうわけで、私もこの記事に、と言うか彼らに正直これまであまり深い関心を持つことはありませんでした。

 しかし、イエスさまがこれほど深く関わられたのですから、彼ら七十二人の名前も性格も分からないからとか、彼らがどこの出身でこの後どうなったかが記されていないからとかが分からないからと言って、私たちが無視していいわけがありません。

2.

 私がこのようなことを考えるようになったのはつい最近のことです。実は先週、たぶん一年ぶりに映画を観ました。「フロントライン」という題ですが、これは実話に基づいて作られた映画です。2020年2月3日、横浜港に入港した豪華客船ダイアモンド・プリンセス号を舞台にした、おそらく日本中の人が固唾を呑んで見守った、あのコロナ禍の最初期に起こった大きな事件です。なかなか事態の全貌が分からず、やきもきもしたものです。

 3711人という乗員・乗客が未知の感染症の見えない魔の手から逃れられるか、彼らを通してこの恐ろしい病が日本中に一気に拡散するか、前例のない大事件に死に物狂いで戦った人々の実話に基づく大規模な人間ドラマでした。本来は大地震やその他の災害の際に派遣される医療者たちのチーム、人呼んでDMAT。その神奈川県DMATの責任者の医師と、彼の呼びかけにすぐに応えて乗船した医師たち看護師たちの中の現場責任者と若い医師、厚生労働省のDMAT担当の官僚、乗船していたクルーの中の一人の若い女性の五人に焦点を当てて、23日間の苦悩と使命感と人間への愛を描ききった感動的な作品でした。

 言葉に尽くせない困難に向かって渾身の力を振り絞って戦い、ついに23日目に全員が無事下船できました。一人の死者も出すことなく。最後に舟から下りた人は船長だったとテロップに書いてありました。深い感動を持って見終わったのですが、そのあとでふと気づきました、3711人を無事救出するために神奈川県はもとより全国から馳せ参じた医療従事者は472人いたのだということに。素晴らしいリーダーシップを発揮した隊長と彼と一体となって働いた現場の責任者や若い医師だけでなく、病気の危険だけでなく社会の差別や偏見に負けずに戦った、数百の医療従事者たちがいたのです。不安に怯える乗客たちを流暢な英語で励ましたあの女性クルーだけでなく、一日三食を作って各客室に運んでいたキッチンのスタッフも、その他映画の中では脚光を浴びることは全くなかったけれども、顔も名前も働きも表に出ることはなかったけれども、その人たちがいなかったならばあの偉業はけっして成し遂げられなかった謂わば陰の働き人、無名の働き人がたくさんいたことに気がついたのです。それは主役の人たちの存在や働きの評価を下げるのでも何でもないですが、表に現れない働き人たちを忘れないようにしなければとの思いです。歴史に残る大きな働きの陰には、見えないところでの陰の働き人がたくさんいるということです。

3.

 七十二人の弟子たちがしたことは何だったでしょうか。先週の日課に登場した三人の人たちと違う点は、この七十二人は主イエスへの服従を自分から申し出たのでもなく、またイエスさまからの招きに留保を付けたのでもないようです。10章1節に書かれていることはただ「主はほかに七十二人を任命し」「二人ずつ先に遣わされた」ということだけで、彼らの申し出とか躊躇いとかは触れられてはいません。ということは、彼らが一言も発しなかったということではなく、イエスさまのイニシアティブがすべてだったということでしょう。彼らのしたことはイエスさまの召し、派遣をただ受け容れたということです。彼らの熱心さとか能力などよりも肝腎なのはイエスさまの召しだったということです。「収穫の主に願いなさい」と祈り求める姿勢を命じられました。「わたしはあなたがたを遣わす」とおっしゃるその言葉には、さらには「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」との言葉には、主は送り出される者の弱さなど百も承知でいらっしゃること、それでも彼らのやることの全責任はイエスさまが引き受けられるということ、なによりも伝道や奉仕の主体はイエスさまご自身であることが込められています。

 「財布も袋も履物も持って行くな」との指示には驚かされます。訪ねた先で「この家に平和があるように」と言えとおっしゃりながら、その挨拶が受け入れられるか否かは相手次第であって、その結果を心配するなと言われます。受け入れられたらもてなしを受け、その町の病人を癒し、またイエスさまがもたらされた肝腎の「神の国はあなたがたに近づいた」とのメッセージを宣べ伝えなさいと命じられます。たとえ、意に反してその人々が受け入れなかったとしても、気にしないでそこを去ればよい、ただし肝腎のメッセージ「神の国は近づいたことを知れ」だけはきちんと言いなさいと言われます。キリストの福音を受け入れるか入れないかは受け手の問題だから、なすべき事をなしたら、あとは遣わされた弟子たちにその責めは負わされないということです。

 さらに七十二人が帰ってきてその成果をイエスさまに報告したときに、主がおっしゃったことは、私は遠くからちゃんとサタンの敗北する様子を見ていた。あなたがたに働きの成果をもたらしたのは、あなたがたの力量ではない。「敵に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授け」ておいたのだと力強く語られました。彼らは、そして実は私たちもまたイエスさまに用いられるけれど、その導きも結果への責任を負うことも全部主が引き受けてくださっていることをこの七十二人の出来事は示しているのです。そのことが大事なのであって、彼らの名前や顔形や業績の記録などが残っても残らなくてもどちらでもいいことなのです。

4.

 全責任をイエスさまが引き受けてくださると申しましたが、だからと言って無名の私たちはぐうたらの無責任でいいのかというと、それは違います。そこでいう責任とは、今日の社会で耳にたこができるほど聞かされる自己責任とか結果責任とかでいうところの責任ではないのです。自己責任とか結果責任とか、要は評価されるのもされないのもみんなあなたの出来次第、努力次第といった、孤立と競争を強いられ、挙げ句の果てにヘトヘトに疲れ切って、格差が広がる一方の社会で負け組に落とされて、寂しい人生を送って終わるときに使われるあの責任ではないのです。

 以前にもお話ししたかもしれませんが、責任という言葉の英語のリスポンシビリティはリスポンス(応答)とアビリティ(能力)が組み合わさった言葉です。リスポンド応答する力です。責任のドイツ語はフェアアントヴォルトゥンクですが、これまた応えること、応答することが元々の意味で、そこから責任の意味が出て来ています。応答すること、これはだれもが生まれながらに持っているはずの力です。赤ちゃんがお乳を飲み、言葉を覚え、立ち上がるのは本能のなせる業でしょうか。それもあるでしょうが、お乳を与えてくれ、微笑みと共に絶えず語りかけ、無条件で愛情を降り注いでくれる存在が在って初めて赤ちゃんはその愛に応えて成長するのではないでしょうか。堅い言い方をすれば人間の成長は育ててくれる人々の愛への応答のなせる業です。ひとりで、自力で生きて成長するのではないのです。

 ですから、私たちは何に応答するか、或いはだれに応答するのか、さらにはどう応答するか、それを見つけなければなりません。あの七十二人はイエスさまの召しに応答しました。それはいうまでもなく、まるで狼の群れの前の小羊のような、自ら誇るもの、腕力や能力、学力や資金力等々なにもないのに、そのような自分に目を留め、声を掛け、無償で恵みを与え、さらには弟子にしてくださったイエスさまに応答したのです。具体的には、自分はとてもその任に非ずと思われた神の国の到来の伝道と愛と癒しの奉仕の旅に二人組で出かけて、命じられたことをすることでした。苦労もしたでしょうが、彼らはそれをやったのです。イエスさまは彼らの報告を聞いて、働きを労い、祝福してくださいました。

 どう応答するかについて、いつどこで誰に対しても通用する教えとして、使徒パウロはガラテヤ書の中で端的にこう言っています。「互いに重荷を担いなさい」(ガラ6:2)、そして「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」(6:5)と。愛しなさいとか仕えなさいと言うといささか抽象的になりますが、「互いに重荷を担いなさい」「自分の重荷を担うべきです」だともっと具体的です。愛とか奉仕が実際にできているかどうかがはっきり分かる教えです。歴史に名前の残る人の働きも陰の無名の働き人もこの教えを実践したのです。

 ところで、後日談も何も残されていないと言いましたあの七十二人は全く消えてしまったのでしょうか。主の復活と昇天の出来事の後に、ペトロが百二十人ほどの人々に呼びかける場面が使徒言行録1章15節以下に記されています。それはイスカリオテのユダの欠けを埋めようとの提案です。「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼の時から始まって、わたしたちを離れて天に挙げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです」(10:21-22)と言って、その結果、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を候補として、御心を訊ねるためにくじを引いてマティアが選ばれたのでした。

 この二人以外にも何人も主と共にいて、寝食を共にしながら教えを受け、伝道と奉仕の働きに遣わされた経験を持ち、キリストの証人となった人たちの中には、もしかしたらあの七十二人の全員か一部かが入っていたのではないでしょうか。ルカ福音書と使徒言行録の著者は同一人物ですから、ルカ福音書の七十二人の弟子たちと使徒言行録の百二十人ほどの人々とがある程度重なっていることはありえることではないでしょうか。その推測が許されるならば、あの無名の働き人たちは信仰を持ったまま生きていて、教会の誕生のときもまた無名のままですが、なくてはならない貢献をしたことになります。恵みへの応答を続けていたのです。その名は地上の歴史書には残っていなくても、「天に書き記されている」(ルカ10:20)のです。私たちもまたその喜びに連なっているのです。アーメン


2025年5月4日日曜日

三たび問う。三たび答える。

 復活節第三主日 2025.5.4.小田原教会 江藤直純牧師

使徒言行録 9章1-6

黙示録 5章11-14

ヨハネによる福音書 21章1-19

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 イースターの翌日、御国へと召された一人の方がいました。全世界の戦争と暴力の犠牲者、貧困の犠牲者、差別と抑圧の犠牲者たちに最後まで寄り添い続け、平和と和解と正義を訴え続け、そのために神に祈り続けた方でした。混迷の世界にとっての良心と言える方でした。ローマ教皇フランシスコ。小さき者たち、今風に言うならば小さくされた者たちのために仕え続けたアッシジの聖フランシスコから採ったとも、最初の日本への宣教師となったフランシスコ・ザビエルから採ったともいわれるその教皇の霊名が表す通り、世界中の小さくされた人々への奉仕と福音宣教のために生涯を捧げた方でした。

 大きな働きをなさった方として歴史に名を遺すでしょうが、しかし、ウクライナでもガザでも平和と和解への道はいまだ先が見えません。そういう場合に世間ではよく「志半ばで亡くなってさぞや残念な思いでしょう」と言ったりします。その人の人生を個人という立場で考えればそう言えるかもしれません。

 しかし、私は別の見方ができるだろうと思います。ローマ教皇は考えられないほど大きな責任を「一個人として」一身に背負って生きたというのではなく、使徒パウロが言うように、教会という「キリストの体」の「一つの部分として」生きたのです。ローマカトリック教会という14億人の信徒を擁する世界最大の教会の、そのまた教皇としての最高の霊的指導者という役割を与えられて生きたのですが、それでもそれはやはり「キリストの体の一部」です。もっと言えばどこまでも「細胞の一つ」です。もちろんその細胞がないと全体は困ります。なくてはならない存在です。ですが、その細胞は絶えず新陳代謝をしながら、キリストの体を形作り続け、キリストの体の働きを担い続けているのです。教皇も、そして私たちも、そのようないのちを、頭(かしら)が主イエス・キリストであるところのキリストの体の細胞といういのちを生きるようにされているのです。そうであるならば、御旨によって地上での生と役割を終えて御国に召される日が来ることは、悲しむべきこととしてではなく、感謝して受け入れるという受け止め方もあるのではないでしょうか。教皇フランシスコはそのように地上の生と死を受け止め、いのちの創造主にして救い主である神の御手にすべてを委ねて、安らかに眠りに就いたと思いたいのです。キリストの体はこれからもずっと続き、キリストの体の働きはさらにますます続いていくのです。

2.

 ところで、フランシスコ教皇はローマカトリック教会の第266代の教皇と言われていますが、では初代の教皇とされているのは誰でしょうか。フランシスコの棺が安置されていたのはバチカンのサンピエトロ大聖堂、26日に葬儀ミサが執り行われたのはその前のサンピエトロ広場ですが、この大聖堂はどうしてここに建てられているのでしょうか。

 カトリック教会は初代の教皇を使徒ペトロだと信じています。そしてサンピエトロ大聖堂――サンピエトロとはイタリア語ですが、英語ならばSaint Peter、日本語ならば聖ペトロです――が建てられている場所は紀元64年にローマの皇帝ネロの迫害によってペトロが殉教した場所、彼が葬られた所だと言われています。4世紀の皇帝コンスタンチヌスがそこに教会堂を建て、多くのキリスト者が礼拝に訪れる聖地となり、ローマ帝国の滅亡の後の中世では放置され荒廃した時期もありましたが、ルネサンス期に教皇ユリウス二世が大改築を計画し、一世紀以上の歳月をかけて1626年に完成したものが現在のサンピエトロ大聖堂です。

 サンピエトロ広場に立って目の前の壮大な大聖堂を見るとき、また中に入って荘厳な礼拝堂を見るとき、使徒ペトロのことを思い出さないではいられません。

 イエス・キリストの公生涯、神の国の福音の宣教、十字架の死と復活の出来事を描いた四つの福音書を読むとき、どの福音書にも弟子たちのことがあれこれ出て来ますが、必ずと言っていいほどいつもその輪の中心にいたのはペトロでした。多くの登場人物の中でもその言動、そのキャラクターがいちばんはっきりと描かれています。知的なとか宗教的、倫理的なとかというよりも、まことに人間味溢れる、熱い心の持ち主で、行動的な人でした。強さも弱さも併せ持った人、そして主イエスの一の弟子でした。

 今日、復活節第三主日の日課はガリラヤ湖畔での復活されたキリストの顕現です。これは三度目だということですが、そこにはキリストが大漁の奇跡の後、彼らと朝の食事をなさったことが描かれています。それに続いて15節以下にヨハネ福音書だけが記している非常に印象的なエピソードが収められています。それがイエスさまとペトロとの会話です。しかもたんなる会話ではなく、読む者にエッと思わせ、この会話の意図はいったい何だろうかと考えさせないではおかない不思議なというか意味深長な会話です。読んで意味が分からないような難しい言葉遣いがなされているわけでもありません。旧約聖書や当時の時代背景に十分通じていなければ理解できない類いの話しでもありません。僅か5節の短い会話ですが、だからと言って簡単に読み過ごすことはできない何かがあります。私たちもご一緒に読み、考え、キリストの御心に聴き入ってみましょう。

3.

 「食事が終わると」(ヨハ21:15)と書かれていますし、最初の問いの中に「この人たち以上に」という言葉がありますから、他の6人の弟子たちも近くにいたことでしょうが、「イエスはシモン・ペトロに・・言われた」と記されていますので、この会話はイエスさまとペトロの二人だけの会話だったに違いありません。ペトロにお命じになる内容を他の弟子たちにもよく聞かせようという意図をお持ちだったと想像することもできなくはないですが、私にはここはイエスさまが真剣にペトロ一人と向かい合い彼に語りかけ、ペトロもそれに負けないほど真剣にイエスさまに向かい合って必死で答えていると思えてならないのです。なぜなら、ここで交わされている会話はイエスさまにとってもペトロにとってもそれほど重要なこと、強い表現を使えば、命を懸けた内容だったからです。三度繰り返された会話はこうでした。

 最初は、「ヨハネの子シモン、(あなたは)この人たち以上にわたしを愛しているか」というのがイエスさまからの問いでした。それに対してペトロは、この問いに多少驚いたでしょうか、それでも自信をもって答えます。「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」。お尋ねになるまでもないではないですか。言うまでもないことです。私はあなたを愛しております。彼はそう答えました。そうするとイエスさまは彼の答えに満足されたとは書いてないですが、大事な務めを彼に託されます。彼の目をしっかと見詰めながらだったことでしょう、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われました。ペトロは内心おおいに喜んだことでしょう。

 第一と第二の問答の間にどれくらいの時間が空いたでしょうか。畳みかけるようにすぐに二度目の問いを発されたのでしょうか。しばしの沈黙があったでしょうか。イエスさまはもう一度尋ねられました。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と。シモンというだけでよさそうなものをヨハネの子シモンと呼びかけられているところから、イエスさまの問い掛けは親しい者同士の気の置けないやり取りというのではなく、問う側の真剣さが感じられます。なぜまた?と一瞬戸惑ったりしたかもしれませんが、ペトロもその真剣さを感じて、襟を正して答えます。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。一回目の答えと一言半句違えずに復唱します。さっき申し上げた通りです。これが私の本心です。そういう思いがこもっている、これまた真剣な口調ではないでしょうか。それを聞かれて、イエスさまは「わたしの羊の世話をしなさい」とお命じになります。小羊と羊、飼いなさいと世話をしなさいと言葉遣いに微妙な差はありますが、意味するところには何の違いもありません。ペトロはホッとし、またそう言っていただいたことに安堵し、大切な務めを与えられたことを喜んだことでしょう。依然として彼は、自分にだけ問われたこと、自分の愛の告白が受け入れられたこと、そして羊を飼うという極めて大切な務めを授けられたことに喜びと誇りを感じ取っていたことでしょう。

 それなのに、イエスさまはペトロに対して三たび問いを投げかけられます。チョットだけ間を置いたかと思いますが、三たびお尋ねになります。しかも同じ言葉、同じ内容の問いです。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と。さすがのシモンも同じ問いを三度も繰り返されては喜んではいられません。福音書記者は「ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」と記しています。ペトロならずともだれでもきっとそう感じることでしょう。もう二度も繰り返し申し上げたではありませんか、聞いておられなかったのですか、信じてはくださらないのですかとの思いを持ったことでしょうが、しかし、ペトロは悲しい気持ちを振り絞ってもう一度言います。「主よ、あなたはなにもかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」。彼のせいいっぱいの愛の告白だったでしょう。それに対して、イエスさまはもう一度言われます。「わたしの羊を飼いなさい」と。

 そもそもイエスさまはペトロが御自身を愛しているかどうか不確かだったのでこの問いを問われたのでしょうか。そうではないでしょう。ペトロをよくよくご存じの主ですから、彼がどう思っており、なんと答えるかは先刻ご承知だったはずです。そうならば、一度尋ね、一度答えれば、それで十分ではないでしょうか。イエスさまの気持ちもペトロの気持ちも明白ではありませんか。そして、そのペトロに与えられた羊を飼うようにとの命令もはっきりしています。お命じになった内容は明白です。それならば、なぜイエスさまは同じ問いを三たび繰り返されたのでしょうか。どうしてペトロに三たび愛の告白をさせられたのでしょうか。そしてなんのために羊を飼いなさいと三たびおっしゃる必要があったのでしょうか。三たびということにどういう意味が隠されているのでしょうか。

4.

 ペトロにとって「三」という数字は、忘れようにも忘れられない経験と結びついています。大の男が号泣したあの出来事です。そうです、ゲッセマネの園の近くでイエスさまが逮捕されたあと、心配で心配で大祭司の屋敷まであとを追っていき、中庭にまでは入ったけれども、そこにいた人たちに「お前はあの男の弟子の一人ではないか」と詰問されたときに、一度ならず二度ならず三度までも「知らない、全然知らない、俺はあの男なんかと関係ない」と必死で否んでしまったこと、そのときに鶏が鳴いて、イエスさまが「あなたは私を知らないと言う」とおっしゃっていたことをハタと思い出して、号泣したのでした。   

 一番弟子、愛弟子、弟子の筆頭だと自他共に認めていたペトロでしたが、我が身を守るために愛する主を否認したのです。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マコ14:31)と言った彼でしたが、三たび否みました。裏切ったユダと五十歩百歩です。彼は思いがけず弱さを曝け出し、赦されることのできない罪を犯したのです。取返しのつかない過ちを犯してしまったのです。

 ペトロに三たび「私はあなたを愛しています」と告白させてくださったのはほかでもない三たび裏切られたイエスさまです。三たび否んだペトロに自分自身の口で「私はあなたを愛しています」と告白させ、「あんな人のことは知らない、私と何の関わりもない」との三たびの否認を思い出させたうえで、その三たびの否認をその告白によって一つひとつ帳消しにしてくださったのではないでしょうか。三度も尋ねられて悲しくなったどころか、三度も愛の告白をさせていただいてありがとうございましたと言うべきところでしたが、しかし、彼は未だこの時点ではイエスさまの深いご配慮に気がついてはいませんでした。

 否認の罪、裏切りの罪を赦してくださったばかりでなく、そのような弱さも欠けも罪も抱えているペトロに、彼と同じような弱さや欠けや罪を負い、悲しみや辛さの中にある人びとの「魂の牧者」になるというこの上もなく大切な務めを託されたのです。あんなペトロであるにもかかわらずではなく、あんなペトロだからこそその人々の、その羊たちの気持ちが分かるだろう、寄り添えるだろうと言って、「魂の羊飼い」に任じられたのです。彼が三度もみごとな主イエスへの愛の告白をできたからではなく、三度も告白をして三度の否認を帳消しにしていただかなければならなかったほどの者だからこそ、主イエスはそのペトロを罪を赦し魂を養う大牧者、まことの良い羊飼いイエス・キリストの務めの担い手に任じてくださったのです。赦された者が赦された恵みの証しとしてキリストの赦しを伝える役目を、彼らの弱い魂を守り養う役目を託されたのです。

 ただし、ペトロはこの時点ではここまではっきりとイエスさまの深い御心を理解できてはいなかったでしょう。それでも良い羊飼いであるキリストはペトロがその受容、理解、深い信仰に至る前に恵みのわざをなさったのです。罪の赦しと牧会の務めを与えられたのです。それでいいのかと思われるかも知れません。その答えの鍵は日課の段落の結びにあります。イエスさまは彼を魂の羊飼いの役に任じられただけでなく、「わたしに従いなさい」とおっしゃったのでした。「わたしに従いなさい」、不十分なままですが、それでも歩き始めなさい、イエス・キリストの生き方にならって一人の小さな羊飼いとして生きなさい、主はそうおっしゃったのです。

 20世紀の殉教者の一人に数えられることもあるディートリッヒ・ボンヘッファーは『主に従う』(岸千年、徳善義和訳。森野善右衛門訳は『キリストに従う』)という書物の中でこう言っています。「信じる者だけが服従する。そして服従する者だけが信じる」と。信じたので従う、信じる者だけが従うとふつう思いますが、ボンヘッファーは同時に従う者だけが信じると言ったのです。

 ペトロもまたイエス様のみ言葉を信じ、主に従って生きていく中で、あの三たびの問いかけと三たびの愛の告白の本当の意味、つまり、自分が取返しのつかない過ちを犯していたのに三たびの愛の告白でそれを主に赦されたこと、いえ、正確に言うならば、先に主に赦されていたので三たびも愛の告白をすることを許され、それによって犯した過ちを帳消しにしていただいたことが分かっていきました。さらに三たびの「わたしの羊を飼いなさい」とのこれ以上ない貴い務めをなぜ自分に託されたのかという大きく深い御心を悟っていったのでした。いつ悟っていったのか、それは、弟子としての生き方をしている中でです。そうです。不完全でも不十分でもキリスト者として主に従う生き方をしている中でのことです。今日の日課には変化の様子は書かれていません。しかし、イエス様がペトロの殉教の死、キリストの証人としての死を予告なさっていらっしゃるのは、このあと彼が羊飼いとしての生涯を全うするということです。事実彼はそう生きて死にました。そのような弟子としての生き方、キリストの証人としての生き方、一人の小さな羊飼いとしての生き方の出発点、それがこの復活の主との会話、三たびの問いと三たびの答え、そして三たびの羊を飼うようにとの命令だったのです。この命令はキリストの体の務めです。ペトロに起こったことが私たちにも待ち受けているのです。アーメン

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン                                                            


2025年4月6日日曜日

何ともったいない

 四旬節第5主日   江藤直純牧師 2025.4.6. 小田原教会

イザヤ書 43章16-21;

フィリピの信徒への手紙 3章4b-14;

ヨハネによる福音書 12章1-8


1.

 マリアはみんなの面前で責められました。まるで世間知らずで、ひどく愚かなことをやらかしてしまったかのように大きな声で叱責されたのです。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」(ヨハ12:5)。そうすることこそがあなたが崇め奉っているイエスさまの御心に叶うことではないか。主は常日頃、貧しい人、困っている人がいたら、自分にできる愛の業をしなさいとおっしゃっているではないか。そんな大事な教えがあなたには少しもわかっていないのか。何ということをしたのだ、何というもったいないことをしたのか。――十二弟子の内でも一番知的な感じがし、グループの会計係もやっている、つまり一番権威がある印象を与えているユダが頭ごなしに彼女を叱りつけたのです。

 しっかり者の姉のマルタとは違って、ふだんから静かで控えめで年も若い妹のマリアです。それでも今日は思い切ってこの行為に及んだのです。だのに、厳しく、しかも冷たい口調で非難されたのです。この高価な香油は別な使い方をしたほうが良かったのだよ。売って、その代金を貧しい人たちに分けてあげたなら多くの人の役に立ったのだよ。そうしていたら、イエスさまもキッと喜んでくださるに違いないよ、と親切にアドバイスするといった類いの優しいものの言い方ではありませんでした。何というもったいないことをしてしまったのだ、と断罪したのです。おとなしいマリアは一瞬怯えたような顔になり、一言も口に出さずに、じっと下を見詰めてしまいました。ユダの一見正論に響く言葉に、反論の余地はなく、十字架を目前にしていらっしゃるイエスさまへの思いが理論尽くで否定されてしまい、マリアはとても悲しい気持ちになったのです。

 ナルドの香油と聞けば当時の人たちはそれがどれほど価値のあるものであるかはだれでもわかる高価なものでした。インドのヒマラヤが原産の甘松香の根から作った芳わしい香りのする香油です。ヘレニズム世界で愛用され、富裕なユダヤ人の間にも人気があったと物の本には書いてあります。旧約の雅歌の中にも二度現れています。今なら世界最高級の有名な香水みたいなものと思えばいいでしょうか。それが1リトラ、326グラムも壺に入っていたのです。まったくの想像ですが、マリアは亡くなった母親からの形見としてもらっていたのではないでしょうか。ともかく彼女の宝でした。

 何事にも機転が効き、大切なお客様の来訪とあらば召使いたちにテキパキと指図をし、自分自身先頭に立って動きまわり、最善のおもてなしをするのが姉のマルタです。両親を亡くした後、長女の彼女が家長として万事を切り盛りしているのです。それと比べてもの静かなマリアはイエスさまがいらっしゃったらいつも、すぐ隣ではないでしょうが、おそば近くにひざまづいて主の一言一言にじっと耳を傾けていました。ひたむきに聴き入っていたのです。ですから、弟子たちや姉が聞き逃していたイエスさまご自身にまさに起ころうとしていることを、密かに、しかししっかりと受け止めていたのです。そのマリアが一途に思い定めて自分の宝物であるナルドの香油を持ち出してきて、イエスさまの足に注いだところ、イスカリオテのユダに一言で否定されてしまったのでした。「何ともったいないことをしたのだ」と。

2.

 無駄なことだと一蹴されたマリアの悲しみはいかばかりだったでしょうか。無駄、この言葉はめったにいい意味では使われません。

 ここにありますエコバッグをご覧ください。たっぷり物が入ります。私は普段これをよく使います。ここに横文字でMOTTAINAIと書かれています。アフリカのある国の女性の環境大臣が日本語のもったいないという言葉がすごく気に入り、世界に広めたのです。スーパーで買い物するたびにポリ袋に入れて、それを使い捨てにすることは、一見便利そうに見えても有限な地球の資源をどんどん消費するので、そんなことは止めようと訴えました。今でこそずいぶんと省エネ意識が普及し、リデュース(減らす)、リユース(なんども使用する)、リサイクル(資源として再利用する)が生活の一部になってきました。

 そうです、無駄はいけないのです。はっきり言って罪悪なのです。もったいないことはしてはいけないのです。無駄なことは少しでも省き、そのエネルギー、資源、費用、時間をもっと別の、もっと役に立つことに振り向けるべきだというのです。イスカリオテのユダがマリアに冷酷に言い放ったことは致命的な評価だったと言ってもいいでしょう。

 それでも、彼女の行為が何かの役に立つなら、もったいないようでもまだ認められるかもしれませんが、高価な香油を注ぐことは何のいい効果も生み出さないでしょう。そうすることでイエスさまの身の安全を守るのに役立つならいいかもしれません。ナルドの香油を注ぐことで、ユダヤ社会の宗教的社会的指導者たちのイエスさまへの憎しみを減らせるなら、群衆たちの熱狂を静めることができるなら、ピラトに「この男には罪は見出せない」という総督としての判断を貫かせることができるなら、そしてユダの心にあったイエスさまを裏切ることを踏みとどまらせることができるなら、香油注ぎは無駄ではなかった、もったいないことではなかったということになるかもしれません。しかし、そんなことは全く起こりませんでした。ユダは裏切りました。そうならば、やはりマリアの行為はもったいない、無駄だという非難を浴びる以外はなかったということでしょうか。

3.

 ここでマリアの行為は、高価なナルドの香油をイエスさまの足に注ぎ、自分の長い黒髪でぬぐい、部屋中を芳しい香りで満たす行為は、果たしてユダの言うとおり「もったいないことかどうか」をめぐって論争することはひとまず措いておきたいと思います。それよりも「もったいないことをすることが悪いことかどうか」ということを考えてみましょう。それも極めつきのもったいないこと、とてつもなく無駄に見えることはしてはいけないのかどうか、それを考えてみましょう。しかも観念的にではなく、具体的に、歴史上実際あったことをめぐって考えてみましょう。

 私が考えている極めつきのもったいないことというのは、それはあるお方が歴史上実際になさったことです。あるお方とは聖書が証ししている神さまです。その神さまがなさったこととは人間への、人類への愛の関わりです。アダムとイブを創造されて以来と言ってもいいし、アブラハム以来と言ってもいいのですが、旧約聖書が記していることは、神さまがどれほど人間を愛しても、何度も契約を結んで神と人間との正しい関係の在り方をやり直そうとしても、預言者たちを繰り返し繰り返し送って御心を明らかに伝えても、神の民イスラエルも人類全体も神のもとに帰ってくることはありませんでした。ちょっと悔い改めた素振りをして帰ってきたように見えても、やがて再び元の木阿弥になるのです。自由を与えられた人間は、その自由を用いて自分の罪を悔い、神のもとに戻ってくればいいのにそうはしないのです。そうなら、神さまもいい加減人間を救うことなど諦めたらいいのにと思います。そんな人間を見限って三行半を叩きつけたらキッとせいせいとするだろうに、神はそういう選択はけっしてなさいませんでした。

 諦め見限るどころか、神さまは最後の手段として御自分の独り子をこの世界に下し、言葉を尽くして、また愛の行為、癒しと赦しの行為を実践なさいましたが、人間たちが神のもとに立ち帰ることはありませんでした。ですから、最後の最後の手段として、言葉と行為を尽くしたあと、とうとう人間たちの一切の罪を身代わりとなってご自身に引き受け、十字架の死を受け容れ、そうすることで罪人を赦し、真人間へと生き返らせ、世界を平和と正義に満ちたものに造り替えるという、ふつうなら考えることもできない途方もなく大きな犠牲を払って救いをもたらそうとなさったのです。

 しかし、その結果はどうだったでしょうか。あれから二千年経ちました。統計上は世界の人口の三分の一近くはキリスト教徒ということになりました。しかし、イスラム教徒が大半のパレスチナをこれでもかこれでもかと攻撃し続けているイスラエルはキリスト教と深い繋がりのあるユダヤ教の国です。それを政治的に支持するだけでなく軍事的にも支援し続けているのはキリスト教国と言って憚らないアメリカです。国民の多くがウクライナ正教徒であり西のほうにはカトリック教徒もいるウクライナに軍事侵攻を続けているロシアを神の名の下に開戦以来一貫して祝福してきたのがロシア正教です。建国以来自由、民主主義、人権の理想を高く掲げてきたアメリカを極端な分断と混乱に陥れている指導者を強く支持しているのは国民の4分の1を占めるキリスト教福音派です。20世紀に史上初めて、しかも一度ならず二度までも世界大戦を経験してもなお悲惨で残酷な戦争を続けているこの世界は慈愛、正義、平和、命を尊ぶキリスト教がほんとうに強い影響を及ぼしていると言えるのでしょうか。

 国とか世界、政治や社会といったレベルではなく、肝腎なのは個人だ、一人ひとりの魂が問題だ、心が清められ救われているかが問題だというかもしれません。しかし、神に愛された者として愛をなにより尊ぶ、仲間内だけでなく広く隣人を愛する、赦された者として人を赦す、敵をも愛する、そして互いに仕え合い、幸いを分かち合う、そんな生き方をする人間へと昔よりも多くの人が作り変えられているでしょうか。日本社会を見ても、こんなに多くの人が孤独に苦しみ、大人だけでなく若い人たちまでもが自ら命を落とす実情を見ても、一人ひとりが心豊かに生きているとはとても言えません。

 キリストの十字架から二千年以上を経ち、キリスト教徒が世界の多数派になっても、こんな状態が続いており、一人ひとりが以前よりも心豊かに、幸せに生きているとはけっして言えない世界が続いているならば、あの十字架の出来事はいったい何だったのでしょうか。神さまが払ったあの途方もなく大きな犠牲はいったい何だったのでしょうか。無駄だったのでしょうか。なんともったいないことでしょう。

4.

 しかし、もったいないことの何がいけないのでしょうか。まるで無駄に思える行為のどこがいけないのでしょうか。その行為とは神さまの独り子、イエス・キリストご自身の血による罪の贖いです。ナルドの香油もそれはそれは高価なものだったでしょうが、それとは比べものにならないほど高価なキリストの命がたった一人の人のためであっても無償で差し出され、それによってその人の罪が赦され、魂が贖われたならば、そしてそれによってその人に新しい命を与えられたならば、そのために流された血、与えられた命は少しも無駄ではないのです。もったいないということなど全くないのです。

 たとえどうしようもない罪人であっても、欠けており、弱く惨めな、過ちを犯すことから離れられない人間であっても、創造主なる神さまにとっては、救い主なるイエス・キリストにとっては、その人は掛け替えのない存在なのです。「わたしの目にあなたは価高く、貴い」のだ、「わたしはあなたを愛している」のだ(イザ43:4)と言わずにはおられない愛おしい存在なのです。たとえ人間的な基準で測るならば価値などないように見えても、神さまにとっては、イエス・キリストにとっては限りなく貴く愛すべき存在なのです。

 ですから、たった一人のために命を捧げることであっても、それはイエスさまにとっては無駄ではないのです。神さまにとってはもったいないなどということはけっしてないのです。神の愛には無駄などないのです。キリストの命を注ぎ出すことにはもったいないことなどないのです。それを無駄だと言うなら言うがよい。もったいないと貶むなら貶むがよい。イエスさまはそのような批判や非難など少しも意に介されないでしょう。そのような神の愛に触れ、十字架のキリストと出会った人が一人でも現れるなら、あるいは二人、三人と現れるなら、神にとっては大きな喜びなのです。そのような人が一人でも多く現れるようになるまで、神さまはどれほど長く時間がかかろうとも辛抱強く待たれているのです(ペトロ二3:9)。

こんな私のために主は命を捧げてくださることを知ったマリアは、主イエスへの感謝と愛を表現しました。彼女の場合、それは自分にとっての宝物であるナルドの香油を主の足に注ぎ、自分の髪で拭うことでした。イエスさまは優しくそれを受け入れてこうおっしゃいました。「この人のするままにさせておきなさい」(ヨハ12:7)。イエスさまはマリアのように御自分の愛に気づき、受け入れる人を心から喜ばれるのです。アーメン 

2025年3月2日日曜日

およそ栄光には見えない栄光

 2025年3月2日 主の変容主日 小田原教会   江藤直純牧師

出エジプト記 34:29〜35 

コリントの信徒への手紙二 3:12〜4:2

ルカによる福音書 9:28〜36

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 春と夏に甲子園を舞台に繰り広げられる全国高校野球大会には、日本中のファンが熱狂します。地方予選から甲子園での決勝戦まで熱戦を戦い抜いた優勝チームに惜しみない拍手が送られます。「雲は湧き光あふれる」で始まり「ああ栄冠は君に輝く」と歌われる古関裕而作曲の有名な「全国高校野球選手権大会の歌」は、選手は勿論ですがテレビの前で応援しているみんなの胸にも熱く響きます。栄冠、栄光、まさにその言葉にピッタリです。

 栄光と言えば、先頃日本の野球の殿堂に続いてアメリカの大リーグの野球の殿堂入りに選出されたイチローさんのことも思い起こします。プレーヤーとして数々の記録を打ち立て、人々の記憶に残る偉大な活躍をした彼がBaseball Hall of Fame直訳すれば野球の名誉、名声、栄誉の殿堂で終生いえ歴史が続く限り表彰されるのは文字通り栄冠、栄光という言葉にふさわしいことです。

 栄光、それは功なり名遂げた人、長い期間にわたって並外れた努力に努力を重ねて、偉大な業績を残した超一流の人物だけが受けるべきものなのです。広く長く人々に覚えられ、尊敬され続け、畏怖され続けるでしょう。私たちもそのような栄光の人に憧れます。

2.

 人間の中で努力と修練、修行を積み重ねて遂に偉大な業績を上げるに至った人に帰せられる栄光とは別に、ある存在が生来持っている栄光、或いは本質的に備えている栄光というものもあります。そのような存在は人間と根本的に区別されて神と呼ばれることがあります。もっとも広い世界の中には善の神と悪の神という二種の神が存在すると信じる宗教もあるようです。私たちにはいささか想像しかねますが、悪の神には栄光という言葉は不適切でしょう。永遠、絶対、聖、愛、慈しみ、正義、平和、真、善、美等々の本性を持ち、世界を創造し、支配し、悪と罪から救済する神こそは栄光に輝く存在として、人々に拝み崇められるのです。まことの神こそが栄光の神なのです。

 仏教では仏像に光輪が描かれていますし、仏や菩薩の背後からは後光が射しているのはよく見かけます。キリスト教の絵画でもキリストや聖母、天使たち、また聖人などに光輪が描かれていたり、背後から光が射していたりするのは珍しくありません。そうすることで栄光と聖なる本質を表現しようとしているのでしょう。染みも汚れもないことを表すのに純白の衣装をまとうのもよくあることです。

 その崇高な教えと癒し等の愛の奇跡的な行為の故に多くの人々が群れをなして集まり、付き従っているのがナザレのイエスと呼ばれていた一人の人です。しかし、どんなに敬われ拝まれても、人間には違いありません。勿論人間の中でも最も優れた人間と思われていたことでしょう。ですから呼びかけるときは「先生」という言葉や「主」という言葉を使っています。

 さて、ルカ福音書の第9章はイエスさまの伝道旅行のハイライトのような、公生涯の中のとても大切な出来事がぎっしりと詰まっています。イエスさまがまず十二人を福音宣教に派遣したこと、領主ヘロデがイエスさまに戸惑いを抱いたこと、イエスさまが男だけで五千人を五つのパンと魚二匹を元にして食事を与えられたこと、ペトロの信仰告白とイエスさまの死と復活の予告といった具合にどれ一つ取っても重大な出来事の後、イエスさまがペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人を連れて山に登られたときの出来事が記されています。

 この日のイエスさまの目的は何だったかと言えば、喧噪を離れ、福音宣教と癒しの業から身を退いて、静けさの中で神さまと向かい合って祈ることでした。一人での祈り無しにはどんな宗教的な人も魂が枯渇するのです。

 イエスさまが意図したことでも計画したことでもありませんでしたが、ここで驚くべきことが起こりました。「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」(ルカ9:29)のです。顔も服も光り輝いていたので「栄光に輝くイエス」(9:32)とも書かれています。弟子たちが気づくと、イエスさまは「栄光に包まれている」(9:31)モーセとエリヤと共に語り合っているのでした。旧約聖書の中で最大の人物、イスラエルの民をエジプトでの奴隷状態から脱出させ約束の地へと導いたモーセと、歴史上最も有名な預言者の一人、エリヤを左右に従えて対話しているのですから、イエスさまの立場というものがモーセやエリヤの更に上だということが自ずと分かります。おそらく神さまから託されたこの世界の支配や歴史の完成の時について語り合っていたのではないでしょうか。

 弟子たちは勿論イエスさまを偉い方と崇め、先生と呼び主と呼んで敬っていましたけれども、モーセやエリヤを従えるのは神以外にはありえないと悟ったことでしょう。三人が「雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた」(9:34)のも当然です。人は聖なる者、聖なるお方の前に出ると、己の罪深さに恐れを感じないではいられないのです。

 マタイ福音書にもマルコ福音書にも記されているこの「主の変容」の記事を読むたびに、私たちは短い公生涯の間にイエスさまが唯だ一度だけご自身の本性は神であること、地上ではただの人間であるように見えても天にあっては栄光の光り輝くお姿であることを三人の弟子たちだけに、ほとんど瞬間的に垣間見させられたのだと解釈します。「控えい、控えい。こちらにおわしますお方をどなたと心得るか」と助さん格さんが葵のご紋のついた印籠を取り出して、今の今まで越後の商人のご隠居さんだと思われていたのが実は「先の天下の副将軍、水戸光圀さまなるぞ!」と大声で言うと、そこにいた一同は黄門様の前に平伏する場面をもっと宗教的に崇高にしたものと言えるでしょうか。「主の変容」により「栄光の主」がその本質を明らかになさったのです。実際そうなのですが、今日はこの出来事に対して別な見方をしてみましょう。

3.

 福音書を読む限り、イエスさまには宗教画に描かれているような光輪も後光も感じません。語られる教えこそは神の言葉でありますが、その生涯は少しも神の子らしくはありません。そもそもクリスマスの場面からしてそうです。王宮で生まれなかったどころか、ふつうの宿屋で暖かい部屋も柔らかいベッドもなく、馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされていたと記されています。神の国の福音を宣べ伝え始めてからは巡回の伝道者と言えば聞こえはいいですが、実態は「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(9:58)だったのです。

 その最期はと言えば、畳の上で安らかに天寿を全うするどころか、その真逆で、他の死刑囚2人と共に、この上なく惨めで、苦痛に満ちた十字架上の死を味わわなければならなかったのです。数え切れない程の群衆が「追っかけ」てきて、王だ、救い主だと騒ぎ立て持ち上げ人気絶頂だったのに、裁判の時は「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」(23:16)、「十字架につけろ、十字架につけろ」(23:21)と狂ったように叫んで、総督ピラトを追い込んで死刑の判決を出させたのです。朝から6時間余りの苦しみの果てに「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(23:46)と言って地上の生を終えられたのです。

 この生涯のいったいどこが「栄光」という眩いばかりの言葉に当たるでしょうか。およそ「栄光」などという言葉とは無縁、否、正反対ではありませんか。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書を見ると、案に相違して「栄光」という言葉はほとんど出てこないのです。マタイとマルコの主の変容の記事を見ても「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(マタ17:2)、「服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」(マル8:3)という描写はあっても「栄光」という単語は用いられていません。ルカは2回「栄光」という言葉を使っているのは先ほど見たとおりですが、控え目です。

4.

 今回面白いことに気づきました。主の変容の記事はヨハネ福音書には載ってないのですが、「栄光」という単語は第1章から21章までの間に、見落としがあるかもしれませんが、見つけただけで32回も現れます。これは他の三つの福音書の10倍くらいでしょう。ヨハネ福音書の特徴です。非常な驚きです。

 しかし、単に数が多いだけではありません。その使い方が大変興味深いのです。「神の栄光」とか「あなたの栄光」という、当たり前というか自然な使い方も勿論あります。また一度だけですが、カナの婚宴で水をぶどう酒に変える奇跡の時に「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた」(ヨハ2:11)のようにイエスさまの特別な神的な力を発揮されたときに「栄光」と言う言葉を使うのも理解しやすいです。

 けれども、次のような使い方はどうでしょうか。第1章で「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」(ヨハ1:14)。言が肉となった、つまり神が人間となった、そして人間として人間のただ中で生きられたというのですから、謂わば栄光の座から降りた、離れた、もっと言えば、栄光を失った、放棄したというべき出来事が起こったときにヨハネ福音書は敢えて「わたしたちはその栄光を見た」と言っているのです。

 第12章には有名な「一粒の麦」の話がありますが、そこで「栄光」という言葉が使われています。「イエスはこうお答えになった。『人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ』」(12:24)。イエスさまは今まさに地に落ちて死のうとなさっているのです。なのに、今この時のことを「人の子が栄光を受ける時が来た」とおっしゃったのです。一粒の麦が地に落ちて死ぬことが、つまりイエスさまが十字架の死を迎えることが栄光を受けることだと言われているのです。

 さらに最後の晩餐の席でのことです。弟子の一人ユダがイエスさまを裏切り、部屋から出て行きます。その場面はこう記されています。「さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。『今や、人の子は栄光を受けた』」(13:31)と。裏切られ、その結果十字架が現実のことになろうとしたその時に「人の子は、(つまり、イエスさまご自身は、)栄光を受けた」というのです。しかも、そのことによって何が起こるかと言えば、「神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神もご自身によって人の子に栄光をお与えになる」(13:32)のです。惨め極まりない十字架の死によって父なる神さまも栄光をお受けになったと言うのです。

 逮捕、裁判、処刑の前にイエスさまがなさった長い祈りが第17章に記されていますが、その冒頭にイエスさまは天を仰いでこう祈られたのでした。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすようになるために、子に栄光を与えてください」(17:1)。「父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が創られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を」(17:5)。

 これ以上たくさんの聖句を引用することは止めます。もう十分に明らかでしょう。ヨハネ福音書にとって、栄光とはわたしたちが普段理解するような輝かしい誉、光栄、名誉、偉大さなどでもなく、聖なるお方、神にのみに帰せられている最高の栄誉とか尊さでもなく、もちろんそれに伴って内から発する輝かしい光などでもなく、およそ栄光などというものにはふさわしくないこと、いわゆる栄光からかけ離れていることが栄光なのです。

 それは、神が神であることを棄て、天の高みから下って罪にまみれたこの世に降り立つこと、栄耀栄華の正反対である貧しさや惨めさ、小ささや弱さ、苦しみや痛みを背負った人と共にいることなのです。それだけでなく、その人々を癒し、生かすこと、罪の負い目に悩む人に赦しを与えること、愛と慈しみと喜びと平和で心を満たすこと、争いと不一致を和解と共存の社会へと創り変えることなのです。そのために世にある罪を一身に引き受けること、そのために我が身を惜しまず捧げること、つまり、十字架にかかること、それが神の子イエス・キリストがなさったことなのです。それこそが神が神であることなのです。ですからヨハネ福音書は全編を通じてそれを栄光と言うのです。人間の目にはどのように見えようとも、およそ栄光などには見えなかろうとも、それこそが真の栄光なのです。

 山の上でペトロとヨハネとヤコブにごくごく短い時間に示されたキリストの栄光、その光り輝く顔を向け、真っ白な服に包まれたイエスさまの栄光の姿形、それはこの世界に下ってくる前の姿だったでしょう。また復活され御国に戻られてからの姿でしょう。しかし今や私たちは知っています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名を与えられました」(フィリピ2:6-9)ということを。

 イエスさまと弟子たちは山から下りてきました。そしてゴルゴダへの道を歩いて行ったのでした。イエスさまがこのように生きて、十字架で死んで、復活させられたことこそがキリストのキリストたる所以でした。このいのちのありようこそがキリストの栄光でした。神の子イエス・キリストの栄光はここにあったのです。このような栄光こそが神の栄光であり、神の栄光が子に与えられたのです。神が十字架にかかるまでに私たちへの愛を、そうです、この私への愛を全うなさったのです。繰り返しますが、愛と十字架、それが神の子キリストの栄光であり、神ご自身の栄光なのです。

しかも、イエスさまは最後の祈りの中でこう祈ってくださいました。「あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」(ヨハ17:22)。私たちもまた愛と十字架というキリストの栄光を、神の栄光をともに生きるようになるという栄光を与えていただいているのです。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2025年2月2日日曜日

「選ぶ」と「選ばれる」

 2025年2月2日  小田原教会 江藤直純牧師

エレミヤ1:4-10; Ⅰコリント13:1-13; ルカ4:21-30

1.

 「預言者は故郷では敬われない」。そう言われていますし、そう思われています。なぜでしょうか。エッ、あいつが預言者だって?何言っているんだい。あたしはあの子が赤ん坊の時に濡れたおむつを替えてやったんだよ。俺はあいつが洟垂れで泣きべそだった頃のことを知っているんだ。授業中チャンと答えられなくて赤くなっていたことも、テストの成績がそれほどではなかったことも、両親のこともみんな知っているんだ。――そういう間柄だったならば、おいそれと畏れ敬うとか神秘的な感じを抱くとかはできないでしょう。そういう人がたくさんいるのが故郷です。そこでの経験が相手を評価するときに決定的に重要なのです。

 イエスさまも生まれこそベツレヘムであったにせよ、ごく小さいときからずっと育ち大人になった町がナザレでした。ナザレはガリラヤ地方と言っても、湖畔ではなく、歩けば30キロ以上は離れた内陸部の丘の上の町でした。人口は千人ぐらいだったとも言います。誰もが顔も名前も知り合っているような小さな世界でした。

 成人したイエスさまの行動をどの福音書も伝えていますが、おそらく最も詳しいのはマタイ福音書でしょう。3章に「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところに来られた。彼から洗礼を受けるためである」(3:13)とあり、そのあと、40日40夜にわたって荒れ野で悪魔から誘惑を受けた記事が続きます。それから4章にこう記してあります。「イエスは、ヨハネが逮捕されたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウム(お手許の地図ではカペナウムと記載されている)に来て住まわれた。・・そのときから、イエスは『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」(4:12以下)と。その宣教活動を総括的にこう表現しています。「イエスは、ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(4:23)。その働きがどれほど注目を浴びていたかと言えば、「こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った」(4:25)と。ものすごい評判であり、恐るべき人気の高さだったことが読み取れます。

 私たちはイエスさまの故郷はナザレだと聞いていますし、ナザレ人イエスとお呼びしますから、てっきりイエスさまの宣教活動の拠点はナザレだっただろうと勝手に思い込んでいましたが、実はそうではなかったのです。ガリラヤ地方より南のヨルダン川の付近でバプテスマのヨハネから教えを受け、多くの人々と共に洗礼を授けられたあと、彼のもとを離れ、ガリラヤに戻り、しかしナザレを離れて、ガリラヤ湖畔の漁業の盛んな町カファルナウムに居を移されたのでした。湖畔にはいくつもの町がありました。シモン・ペトロとアンデレの兄弟やゼベダイの子ヤコブとヨハネに出会い、弟子になさったのも湖畔のある町でのことです。カファルナウムを拠点にガリラヤ地方の町々村々を訪ね回って神の国の福音を宣べ伝え、安息日には会堂で教え、人々の心と体の病を癒すという奇跡的な働きをなさったのでした。

2.

 宣教を始めてからどのくらいの日数が経ったあとでしょうか、数ヶ月後でしょうか、ガリラヤ巡回の途中でイエスさま一行は活動開始以来初めてナザレに立ち寄られたのです。安息日でしたので会堂での礼拝に参加されました。当時の習慣で、礼拝で聖書を読み、話をするのは誰か一人に決まってはいなかったので、自ら手を挙げられたのでしょうか、イエスさまは前に進み出て聖書を朗読されました。朗読されたのはイザヤ書61章の冒頭でした。それは、貧しい人に福音を、囚われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を、圧迫されている人に自由を与え、主の恵みの年の告知をするために主がわたしを遣わされたという預言の言葉だったのです。

 この聖句を読むだけなら誰でもできたかもしれません。しかし、イエスさまは読み終えた後、自分の席で立ってこう言われました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(4:21)と。この解放と恵みの約束は今成就された、今日実現したとおっしゃったのです。「話し始められた」(4:21)と書いてあるので、この一言だけではなく、その言葉をもっと具体的に、もっと確かに、もっと奥行きのあるように展開なさったのです。人々には「恵み深い言葉」に聞こえたので、語るイエスさまを褒めそやし、驚いたのでした。

しかし、問題はここからです。驚きの言葉の中に「この人はヨセフの子ではないか」(4:22)という言葉がありました。それ以外にもイエスさまはここには記録されていない呟きを聞き逃されなかったと私には思えるのです。そうでないと、なぜイエスさまが突然「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うに違いない」(4:23)と言い出して、遠い昔の伝説的な預言者たち、エリヤとエリシャの話を持ち出して、結果的に人々を憤慨させ、危うく殺されそうになった出来事が起こったかということが合点がいかないのです。

 呟きの場面を想像を交えて見てみましょう。カファルナウムでやったという奇跡的な超能力をここナザレでもやってみせろ。聖書について偉そうなことをいう以上は、お前が特別の存在だという証拠を示してみろ。ナザレ育ちなんだから俺たちと同等同列のはずなんだ、それなのに預言者のような口の利き方をしてやがる。気にくわない。拝んでほしいなら奇跡の一つもやってみせろ。一部の人々はそう言ったのではないでしょうか。自分は神からの預言者だと認めてほしいなら、それにふさわしい証拠を出してみろという人々の内心の願いをイエスさまはズバリと言い当てられたのでした。自分が選び、自分が認めるためには、自分が納得できる証拠がほしい。自分の目で見て、耳で聞いて、手で触ってみないかぎり選ぶことはできないという人間の性をイエスさまは重々承知だったのです。

 復活のイエスさまが現れてくださった時に居合わせなかった弟子の一人トマスが「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしはけっして信じない」(ヨハ20:25)と言いましたが、ナザレの人々も共通した思いを持っていたのではないでしょうか。人間ですから無理からぬという気もします。自分にとって極めて大事な信仰の対象を私が選ぶと言うときに納得の行く証拠がほしいのです。

3.

 しかし、イエスさまはその願望、要求にお応えにはなりませんでした。あえて拒否なさったのです。それで人々は憤慨しナザレの「町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」(4:29)ほど怒り狂ったのでした。

 それほどまでに人々を怒らせた原因はと言えば、イエスさまが話されたところの彼らがよく知っている預言者たち、エリヤとエリシャの逸話がとんでもなく癇に障る話だったからでした。歴史上有名なあの預言者エリヤがなんとシドンのサレプタの一人のやもめに命を救ってもらった話でした(列上17)。もう一人のエリシャは、当時重い皮膚病に罹って苦しんでいた人々はイスラエルにもたくさんいたのに、なんとアラムの王の軍司令官ナアマンのその病を癒したという話でした(列下5)。やもめもナアマンもどちらも異邦人です。目の前にいる自分たちと同じ国の人、同じ民族の人の病を癒さないで、外国の人を癒したのでは、預言者として崇め敬うことなどできないではないか。外国の貧しいやもめに食物を乞い求め命を助けてもらうなんてみっともないことだ。そういう昔の話をして、今自分たちの目の前で自分たちの同胞を癒すことをしないなんてトンデモナイ野郎だ。そんな奴が預言者だなどと信じられない。つべこべぬかすな、さっさと消え失せろ――ナザレの人々の気持ちはそういうようなことではなかったでしょうか。

 しかし、ナザレの人々は肝腎なことが分かっていませんでした。それは、エリヤが異邦のサレプタのやもめに命を助けてもらったのは、彼が選んだことではなかったということです。エリヤがヨルダン川の東側、異邦の地に行くようになったのは「主の言葉がエリヤに臨んだ」(列上17:2)からでした。エリヤの行動も神が選び、神がお命じになった結果でした。エリシャが異邦人であるナアマン将軍を癒したのは、彼が「神の人」(列下5:8)だったからです。エリシャは神から託された言葉を語り、神の命令に従って神が示された人の癒しを行ったに過ぎないのです。あくまでも選んだのは神さまです。そしてエリヤやエリシャがしたことはその神の選びを受け入れたということです。

 ですから、イエスさまがいつ、どこで、だれに、どのような癒しの業をするのかということはナザレの人たちが決めることではないのです。そのようなことを厚かましく要求されたときに、イエスさまは毅然として拒否されたのです。子どもの時から知っているイエスが故郷の人の要求を呑まないなどということは、彼らの人間的・社会的常識から言えばありえないことだったのです。だから憤慨し、高い崖から突き落とそうとしたのです。

4.

 預言者という人は、或いは神の人と呼ばれる人は一体どういう人なのか。それを最も典型的に体現しているのは紀元前7世紀末から6世紀前半に活躍した預言者エレミヤだと思います。ユダヤ・イスラエルの長い歴史の中でも最も激動の時代に、それも50年以上の長きにわたって、つまり青年時代、正確には紀元前627年から晩年まで、申命記改革、バビロンによる滅亡、バビロン捕囚、神殿崩壊、エジプトへの逃亡に連行されると言った激動の時代に彼は神の言葉を語り続けました。しかしその語る言葉が神に離反する祖国を糾弾し、悔い改めを求め、さらに滅亡を告げる内容だったので同胞からはまったく受け入れられず、滅びと言う絶望の先の真の希望には誰も耳を傾けませんでした。まさに苦難の連続の生涯を送ったのです。それがエレミヤだったのです。そのエレミヤの生涯をイエスさまの生涯と対比しながら見ていきましょう。

 今朝の第1の朗読でエレミヤへの神さまからの召命の出来事が記されています。没落祭司の息子で、まだ若い彼への神からの直接の語りかけでした。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」(エレ1:5)。生まれる前から、いえ、母の胎内に造る前から私が預言者として選んでいたとのこと。それは驚くべきことです。自分が生まれてこの方、試行錯誤を重ねながら大人になってから預言者になることを選び取ったというのではないのです。自分に用意ができているとも適性があるともまったく思えないのに、いわば一方的に神の意志、神の選びによってその生涯の務めが告げられたのです。彼は戸惑いながらその選びを受け入れました。彼の預言者人生はそうやって始まりました。

 彼は神の言葉を語っても語っても同胞に受け入れられませんでしたから、たまりかねて主に切々と訴えたこともありました。「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります」(エレ20:7)と。ですから「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい」とさえ思ったほどです。しかし、彼が思いもかけず経験したことは何だったでしょうか。「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」(20:9)と告白しないではいられなくなりました。そうです。彼の意思ではなく、神の意志、神の言葉が彼を支配したのです。

 神の言葉を託された預言者エレミヤ、神の言葉自身であるイエスさま、どちらも人々に神に立ち帰ることを訴え、真の希望へと進むことを勧めましたが、彼らには受け入れられませんでした。時に軛をはめられ、時に水溜の泥の中に吊され、時に獄に囚われ、最後はエジプトに逃亡する人々に連行されてそこで死にます。ナザレでは山の上から突き落とされそうになり、最後はゴルゴタの丘の上で十字架にかけられて死んだイエスさまと共通しています。

 それだけでなく、最大の共通点は、エレミヤはそのような罪を重ねる同胞たちに向かって神の約束を告げるのです。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる」(エレ31:31)と。その契約は、かつて先祖が奴隷の地から神が導き出したときに結んだものとは違うのです。主の約束の言葉はこうです。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(31:33)。これが新しい契約です。エレミヤは神の約束を告げました。イエスさまはご自身が民との神の新しい契約そのものになられました。十字架上で流した血によって神さまは私たち罪人の神であることを明らかになさいました。救いを提供するただ一度限りの契約を結ばれたのでした。

 神さまが選ばれ、神さまが導かれる人生を生きること、どんなに困難や苦難があろうとも、それこそが恵まれた人生です。その大原則が分からないと、あのナザレの人々のように終始自分の基準、自分の常識に左右されることになります。自分中心のものの見方、価値観、人生の歩み方から、神さま中心のものの見方、価値観、人生の歩み方への方向転換のことを聖書は悔い改めと言います。

 あれほど苦難に苦難を重ね、悲しみの預言者、涙の預言者と呼ばれたエレミヤですが、その根底には次のような喜びに満ちた自己認識がありました。「あなたの言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって呼ばれている者です」(エレ15:16)。私たちも自分のことを「あなたの御名をもって呼ばれている者です」「私が選んだのではなく、あなたによって選ばれた者です」と言いたいものです。事実そうなのですから。アーメン


2025年1月5日日曜日

星に導かれて

 2025年1月5日  主の顕現 小田原教会

江藤直純牧師

イザヤ60:1-6; エフェソ3:1-12; マタイ2:1-12

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 キリスト教二千年の歴史の内でいろいろな十字架の形が生まれました。最も見慣れているのは縦長の十字架です。T字形のタオ十字架もあります。Xの形をしたアンデレクロスもあります。これは縦横同じで、中央のギリシャ十字の回りに四つの小さな十字架が合わされています。四つの十字架は四つの福音書を表わすとも言われますし、福音が四方に宣べ伝えられるさまを表わしているとも言われます。小さな四つの十字架はキリストの手と足の釘跡の傷を、真ん中の大きな十字架は槍で刺されたわき腹の傷を表わすとも説明されています。これはイスラエル・パレスチナの特産のオリーブの木でできています。

 この十字架は昨年の4月にパレスチナから所用で来日したヨルダン・聖地福音ルーテル教会の名誉監督、元ルーテル世界連盟議長のユナン牧師からいただいたものです。すでに4万5千人の犠牲者を出したガザの人々の、また止むことのないウクライナの侵略戦争の犠牲者たちの苦しみと悲しみとをキリストが共に苦しんでおられることをこの十字架を見るたびに思い起こします。

 その救い主イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスです。今年も私たちも全世界も祝いましたが、最初のクリスマスのときに祝いに駆けつけてくれたのは三つのグループだけだったと二つの福音書は記しています。ルカによれば、ベツレヘムの郊外から羊飼いたちがお祝いに来たのです。そしてマタイには、はるか遠く東の国からはるばる旅をしてきた博士たち、あるいは占星術の学者たちがひれ伏して、お祝いの宝物を献上したことが語られています。もう一つのグループとは、天使の群でした。

 羊飼いたちと博士たち、およそ何の共通点もない、赤の他人同士でした。マリアとヨセフとはベツレヘムの馬小屋で初めて顔を合わせるまでは何の接点もない、名前も知らなければ顔も見たことがない、完全に見ず知らずの関係だったのです。しかし、実に不思議なことに、羊飼いたちと博士たちはたしかにベツレヘムにやって来て、赤ちゃんイエスさまと相まみえたのです。

2.

 先ず羊飼いたちを見てみましょう。人種、民族はユダヤ人です。宗教はユダヤ教です。羊飼いといえばどこか牧歌的で、弱い羊を守り、世話をする優しい人たちという印象を持ちます。詩編23編には「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩23:1)と歌ってあります。少年ダビデも羊飼いでした。イエスさまは「わたしは良い羊飼いである.良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハ10:11)とおっしゃいました。しかしながら、イエスさまがお生まれになった頃、実際の羊飼いたちは「地の民」と呼ばれる社会の下の下の階層に属していました。社会的、経済的に貧しい労働者であっただけでなく、宗教的にも律法を遵守できない、だから忠実なユダヤ教徒とは見なされない、どうしようもない連中だと思われていました。不信仰だからではなく、羊という生き物、貴重な生き物、しかも獣たちや盗人から保護してやらなければならない弱い生き物の世話を託されているのですから、自分が安息日を守ることも、神殿にお詣りし祭儀を重んじることも、会堂で聖書や教えを学ぶことも、ふつうの人たちのようにはしたくてもできない境遇にありました。羊は神殿で犠牲として捧げられ、肉や乳という人々の貴重な食糧を提供し、毛皮という生活の必需品となります。羊飼いは謂わば社会にとってのエッセンシャル・ワーカーを親子代々やっているがゆえに、定められた宗教生活を守れずにいるので、宗教的指導者たちから貶まれる立場にあったのです。なんとも不合理だと思えますが、現実には社会の下層階級に位置付けられ、地の民として扱われていたのです。

 神の民として選ばれていると自負している数多のユダヤ人の中で、選りも選って最もユダヤ人らしからぬ羊飼いたちが選ばれて、主の天使から「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2:10-11)と驚くべき知らせを告げられ、天の大軍が彼に加わって歌う「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」(同14)という夜空いっぱいに響き渡る神賛美を聞いたのです。

 ユダヤ人の代表というにはおよそふさわしくないと思われていた羊飼いたちです。その彼らが「民全体」、つまり全ユダヤ人どころか全世界に住む人々のために与えられた救い主の誕生の知らせという特別に喜ばしいおとずれをユダヤ人全体いえ人類全体を代表して聞かされたのです。「あなたがたのために」救い主がお生まれになったと直接宣告されたのです。何というサプライズでしょうか。しかし、羊飼いが選ばれたのは偶然ではなく、救い主を送ると決心なさった神さまご自身のお考えだったのです。救い主は先ず第一に羊飼いのような人々のためだったのです。救い主を人間世界に送るという深い御心を表わすのにこれほど鮮やかなシナリオとふさわしい登場人物は他には考えられませんでした。

3.

 どういう人のために救い主を送られたかということの第1の答えは羊飼いが選ばれたことの中に示されています。では、マタイ福音書が記しているもう一つのグループ、東方の博士たちは一体全体どうして、どういう目的で選ばれたのでしょうか。

 マタイ福音書はユダヤ人とその伝統というものに重きを置いています。しかしながら、この博士たちはユダヤ人ではありませんでした。福音書には「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」(マタ2:1)とか、「わたしたちは東方でその方の星を見たので」(2:2)とか「東方で見た星が先立って進み」(2:9)とだけ書いてあって、どこの国かということは明示されていません。ですがユダヤ人ではないと言うことだけは確かです。つまり異邦人です。

 明治以来口語訳聖書までずっと「博士たち」という訳語が使われて来ましたが、新共同訳で初めて「占星術の学者たち」と訳されるようになりました。最新の聖書協会共同訳ではまた「博士たち」に戻りました。いろいろと調べてみますと、マゴスという言葉は東方のメディアの一部族の名前で祭司職に就いていた人々を指すとか、それとの関わりで当時の最高の科学的な営みである天文学に長じていたとか、それを用いて占星術を行っていたと言われています。自然科学、医学、また哲学、さらには神学も修めていたとも言われます。ですから、占星術の学者というのも正しいし、学問総体に通じていたという意味で博士と呼ぶのも、賢者と訳すのも妥当なのです。

 彼らのいた東の国を当時の超大国であり先進国であるペルシャと想像するのももっともです。ペルシャ人ならば、言うまでもなく異邦人ということになります。彼らの信じる宗教もペルシャの宗教だった可能性が大いにあります。聖書の宗教ではありません。

 教会の歴史の中で、この博士たちについての話はいろいろと膨れ上がっていきました。まず人数ですが、聖書には三人とは書いてありませんが、彼らが持参した宝物が三つだったことから三人だったということになりました。

 19世紀の終わりにヘンリー・ヴァン・ダイクという人が「四人目の博士」あるいはその人の名前を採って「アルタバン物語」という小説を書きました。博士は実は三人ではなくて四人だったということになっています。全くのフィクションですが、聖書の要素が多く巧みに取り入れられていて、心に響きます。しかし、この話はまたの機会に紹介しましょう。

 いつの頃からか彼らは王であるという伝承も加わってきました。そういえば、子どもの頃博士の役をする子どもたちはみな冠を被っていたことを思い出します。冠は学者のシンボルではなく王であることを表わすでしょう。

 さらにこの三人には名前もつけられていきます。西洋ではメルキオール、バルタザール、カスパールです。シリアやアルメニアやエチオピアでは別の名前で呼ばれています。彼らは老年と壮年と青年だと言われ、またアラブ、インド、ペルシャの人だとか、アジア、アフリカ、ヨーロッパの人だとか言われるようになりました。ですから三人の内の一人は黒人だと言われ、絵画にもそのように描かれることもありました。三人の博士とは三つの世代を、また三つの大陸を代表する人だと理解されたのでしょう。つまり彼らの存在は全世界に住む異邦人すべてを代表する象徴的な意味を持つようになったのです。

 新しい王に捧げるために持ってきた宝物ですが、黄金は王の象徴でした。乳香は祈りと結びつき、この方が神の本性を持つことを示しています。そして遺体に塗る没薬が受難と死とを示唆していると言われます。イエス・キリストとはどういうお方であるかがこの三つの宝物からも推察できるように思われます。

 最も関心を引くのは、博士たちが新しいユダヤ人の王がお生まれになったことを知った手掛かりが星であったという点です。天文学的な異常現象が起こったのだと想像されました。紀元前12年か11年にハレー彗星が現れたと言われています。天文学者のケプラーが提唱した一番もっともらしい説は、紀元前7年にユダヤの星である土星と王の星である木星が三連会合、3回続けてうお座で接近し輝いたが、それがベツレヘムの星であるというものです。その他いろいろあるようですが、どれも決定的なものではないようです。

4.

 もろもろの雑学的知識は知っていれば面白くはありますが、だからといって、信仰の養いになるわけではありません。私が説教の準備中にずっと考えていたのは、なぜ東方の博士たちは天文学的、占星術的観測からある発見をしたからといって、もしも彼らがバビロンに住んでいたならエルサレムまで直線距離で800キロ、ペルシャならば1500キロ、砂漠の中でオアシスに寄りながら旅をしていくならばおそらく1000キロ、2000キロの隔たりをラクダに乗って大旅行をしたはずです。なぜだったでしょうか。ものすごい時間も費用も体力も必要です。ユダヤに新しい王が生まれたからと言って、何故わざわざ宝物を携えて赤ちゃんを拝みに行く必要があったでしょうか。しかもユダヤなどはるか遠い、ごく小さい国のことです。無視してもいいではありませんか。

 旧約聖書に親しんでいる私たちはユダヤ・イスラエルの歴史は神の民の歴史としてとても重要なものだと思っていますが、中近東一帯の歴史、世界の歴史の中で見れば、全体に影響を及ぼすような国ではありませんでした。紀元前1000年にダビデが王国統一を成し遂げたにしろ僅か二代で南北に分裂し、紀元前8世紀には大国アッシリアに北イスラエルは滅ぼされ、6世紀初めには南ユダもバビロニアに滅亡させられ、半世紀のバビロン捕囚の苦しみを味わいます。紀元前6世紀半ばにペルシャのお陰で解放され、国家再建を行いしばしの独立を享受しますが、4世紀にはマケドニアから現れたアレキサンダー大王の支配下に入れられ、彼の死亡後は紀元前3世紀にはプトレマイオス朝エジプトに、やがて2世紀にはセレウコス朝シリアに支配されるようになります。強制的なギリシャ化政策に反発し紀元前2世紀半ばにはマカベヤの反乱で一時独立を回復しますが、やがて今度は紀元前1世紀にはローマ帝国の属領となってしまいます。イエスさまの誕生の時はユダヤの王国は認められていてもローマの支配下にあったのです。ユダヤ、イスラエルはいわば大国に翻弄され続けた弱小国家、弱小民族だったのです。紀元70年にはローマによってエルサレムは陥落しユダヤの国家は完全に滅亡し、それから約1900年の間、国家のない、ばらばらにされた民族でした。現在のイスラエルは第二次世界大戦の後、1948年に建国されたものです。

 そんなごくちっぽけな国に新しい王が生まれても生まれなくても世界史的に見ればどちらでもいいことだとは思いませんか。なぜ東方の博士たちはそのしるしを発見できて、はるばるお祝いに駆けつけることに拘ったのでしょうか。それよりもその結果はどうだったでしょうか。

 科学者はあくまで事実に執着します。ほかのユダヤの王の誕生の時には現れなかった星の運行の異常に拘ったのでしょう。ユダヤの歴史がどうであったかなどのこの世的な評価などにはまったく気に留めません。客観的であることを重んじたのでしょう。彼らは自分たちの宗教のみに囚われずに諸宗教の聖典をも学んでいました。その中に旧約聖書も入っており、39巻の一つひとつを学んでいたのです。公平でしたし誠実でした。真理或いは真実なことにあくまでも謙遜でした。学問や知識を通して示された事柄に忠実であろうとしました。「語りかけるお方」が自分の信じている神でなくても、そのお方に素直に頭を垂れ、心の耳を開き、従順でした。嫉妬と不安に駆られたヘロデ王やその言いなりの祭司長や律法学者たちよりも異邦人の博士たちの方が「語りかけるお方」にどれほど信仰的であり信頼をしており真実、誠実であろうとしていたことでしょうか。博士たちのそのような資質と言うか生きる姿勢が異邦人の代表として嬰児(みどりご)である救い主に相まみえる特権を享受させたのです。信仰者である私たちも見倣いたいものです。

5.

 この世的に言えば一人の赤ん坊の誕生などどうでもいいことのようでしたが、神の救いの歴史から見れば、実はそうではありませんでした。ピラトに「お前がユダヤ人の王なのか」(ヨハ18:33)と尋問を受けたとき、イエスさまは「わたしの国は、この世には属していない」(同36)と答えられました。国土も軍隊もありません。しかし主イエスは、神さまに支配を委ねられ、愛と慈しみと平和で世のすべての人々の心を治め、争いと憎しみとを根絶やしになさったのです。軍事力ではなく十字架の赦しの力によってでした。

 東方の博士たちは天体の異常を手掛かりにしたにしろ、それを通して最後的にはミカ書5章の預言に行き着いたのです。「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者」(ミカ5:1)。大きく強く権力を振りかざすような者ではなく、弱小のユダの中でもさらに「いと小さき者」なのです。そこから「わたしのためにイスラエルを治める者が出る」(同)と言われ、「彼は立って、群れを養う。主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり、その力が地の果てに及ぶからだ。彼こそ、まさしく平和である」(同3-4)。新しい王の新しさとはまさにここにあるのです。王が最も小さく弱い者と同じになったのです。彼らの救いのためにです。

 博士たちが持参して捧げた宝物が、まことの王を象徴する黄金、神の本性を示す乳香、受難と死を予想させる没薬を捧げたのは、それらが単に非常に高価な物であるというだけでなく、捧げる相手がどなたであるかを知り尽くしていたからかどうかは分かりませんけれども、みごとに最もふさわしい献げ物を選んでいたことになります。馬小屋で生まれたイエスさまとはいったいどなたであるのかと言うことを、羊飼いとはまた別の意味で、指し示す役を果たしたのです。

 博士たちはヘロデ王の許に戻ってベツレヘムで見聞きしたことをつぶさに報告することを選びませんでした。もしそうしていたら、たっぷりと褒美に与っていたでしょうに、そんな打算よりも、夢で受けたお告げに従い、「別の道を通って」(マタ2:12)自分たちの国へ帰って行ったのでした。ここでもまた彼らは「語りかけるお方」に従順でした。謙遜で忠実だったのです。その結果、彼らの思いを超えて、赤ん坊イエスさまの命を守ることに役立ったのでした。

 人間の持つ学問や知識は尊いものですが、限界はあります。それでもそれらを通してもなお「語りかけてくださるお方」に謙遜に誠実に従うときに、思いもかけない神さまのお役に立つのです。東方の博士たちがそうでした。学問とも世間の評価ともおよそ無縁の羊飼いたちもそうでした。私たちも「語りかけてくださるお方」の御声に耳を傾けるときに、なにかしらの、神さまの目から見たら大切な御用に当たらせてくださいます。私たちの生きる意味も目的もその中にあります。この年もまたそのような生き方、生かされ方をできますように祈り願います。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン