2025年2月2日日曜日

「選ぶ」と「選ばれる」

 2025年2月2日  小田原教会 江藤直純牧師

エレミヤ1:4-10; Ⅰコリント13:1-13; ルカ4:21-30

1.

 「預言者は故郷では敬われない」。そう言われていますし、そう思われています。なぜでしょうか。エッ、あいつが預言者だって?何言っているんだい。あたしはあの子が赤ん坊の時に濡れたおむつを替えてやったんだよ。俺はあいつが洟垂れで泣きべそだった頃のことを知っているんだ。授業中チャンと答えられなくて赤くなっていたことも、テストの成績がそれほどではなかったことも、両親のこともみんな知っているんだ。――そういう間柄だったならば、おいそれと畏れ敬うとか神秘的な感じを抱くとかはできないでしょう。そういう人がたくさんいるのが故郷です。そこでの経験が相手を評価するときに決定的に重要なのです。

 イエスさまも生まれこそベツレヘムであったにせよ、ごく小さいときからずっと育ち大人になった町がナザレでした。ナザレはガリラヤ地方と言っても、湖畔ではなく、歩けば30キロ以上は離れた内陸部の丘の上の町でした。人口は千人ぐらいだったとも言います。誰もが顔も名前も知り合っているような小さな世界でした。

 成人したイエスさまの行動をどの福音書も伝えていますが、おそらく最も詳しいのはマタイ福音書でしょう。3章に「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところに来られた。彼から洗礼を受けるためである」(3:13)とあり、そのあと、40日40夜にわたって荒れ野で悪魔から誘惑を受けた記事が続きます。それから4章にこう記してあります。「イエスは、ヨハネが逮捕されたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウム(お手許の地図ではカペナウムと記載されている)に来て住まわれた。・・そのときから、イエスは『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」(4:12以下)と。その宣教活動を総括的にこう表現しています。「イエスは、ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(4:23)。その働きがどれほど注目を浴びていたかと言えば、「こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った」(4:25)と。ものすごい評判であり、恐るべき人気の高さだったことが読み取れます。

 私たちはイエスさまの故郷はナザレだと聞いていますし、ナザレ人イエスとお呼びしますから、てっきりイエスさまの宣教活動の拠点はナザレだっただろうと勝手に思い込んでいましたが、実はそうではなかったのです。ガリラヤ地方より南のヨルダン川の付近でバプテスマのヨハネから教えを受け、多くの人々と共に洗礼を授けられたあと、彼のもとを離れ、ガリラヤに戻り、しかしナザレを離れて、ガリラヤ湖畔の漁業の盛んな町カファルナウムに居を移されたのでした。湖畔にはいくつもの町がありました。シモン・ペトロとアンデレの兄弟やゼベダイの子ヤコブとヨハネに出会い、弟子になさったのも湖畔のある町でのことです。カファルナウムを拠点にガリラヤ地方の町々村々を訪ね回って神の国の福音を宣べ伝え、安息日には会堂で教え、人々の心と体の病を癒すという奇跡的な働きをなさったのでした。

2.

 宣教を始めてからどのくらいの日数が経ったあとでしょうか、数ヶ月後でしょうか、ガリラヤ巡回の途中でイエスさま一行は活動開始以来初めてナザレに立ち寄られたのです。安息日でしたので会堂での礼拝に参加されました。当時の習慣で、礼拝で聖書を読み、話をするのは誰か一人に決まってはいなかったので、自ら手を挙げられたのでしょうか、イエスさまは前に進み出て聖書を朗読されました。朗読されたのはイザヤ書61章の冒頭でした。それは、貧しい人に福音を、囚われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を、圧迫されている人に自由を与え、主の恵みの年の告知をするために主がわたしを遣わされたという預言の言葉だったのです。

 この聖句を読むだけなら誰でもできたかもしれません。しかし、イエスさまは読み終えた後、自分の席で立ってこう言われました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(4:21)と。この解放と恵みの約束は今成就された、今日実現したとおっしゃったのです。「話し始められた」(4:21)と書いてあるので、この一言だけではなく、その言葉をもっと具体的に、もっと確かに、もっと奥行きのあるように展開なさったのです。人々には「恵み深い言葉」に聞こえたので、語るイエスさまを褒めそやし、驚いたのでした。

しかし、問題はここからです。驚きの言葉の中に「この人はヨセフの子ではないか」(4:22)という言葉がありました。それ以外にもイエスさまはここには記録されていない呟きを聞き逃されなかったと私には思えるのです。そうでないと、なぜイエスさまが突然「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うに違いない」(4:23)と言い出して、遠い昔の伝説的な預言者たち、エリヤとエリシャの話を持ち出して、結果的に人々を憤慨させ、危うく殺されそうになった出来事が起こったかということが合点がいかないのです。

 呟きの場面を想像を交えて見てみましょう。カファルナウムでやったという奇跡的な超能力をここナザレでもやってみせろ。聖書について偉そうなことをいう以上は、お前が特別の存在だという証拠を示してみろ。ナザレ育ちなんだから俺たちと同等同列のはずなんだ、それなのに預言者のような口の利き方をしてやがる。気にくわない。拝んでほしいなら奇跡の一つもやってみせろ。一部の人々はそう言ったのではないでしょうか。自分は神からの預言者だと認めてほしいなら、それにふさわしい証拠を出してみろという人々の内心の願いをイエスさまはズバリと言い当てられたのでした。自分が選び、自分が認めるためには、自分が納得できる証拠がほしい。自分の目で見て、耳で聞いて、手で触ってみないかぎり選ぶことはできないという人間の性をイエスさまは重々承知だったのです。

 復活のイエスさまが現れてくださった時に居合わせなかった弟子の一人トマスが「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしはけっして信じない」(ヨハ20:25)と言いましたが、ナザレの人々も共通した思いを持っていたのではないでしょうか。人間ですから無理からぬという気もします。自分にとって極めて大事な信仰の対象を私が選ぶと言うときに納得の行く証拠がほしいのです。

3.

 しかし、イエスさまはその願望、要求にお応えにはなりませんでした。あえて拒否なさったのです。それで人々は憤慨しナザレの「町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」(4:29)ほど怒り狂ったのでした。

 それほどまでに人々を怒らせた原因はと言えば、イエスさまが話されたところの彼らがよく知っている預言者たち、エリヤとエリシャの逸話がとんでもなく癇に障る話だったからでした。歴史上有名なあの預言者エリヤがなんとシドンのサレプタの一人のやもめに命を救ってもらった話でした(列上17)。もう一人のエリシャは、当時重い皮膚病に罹って苦しんでいた人々はイスラエルにもたくさんいたのに、なんとアラムの王の軍司令官ナアマンのその病を癒したという話でした(列下5)。やもめもナアマンもどちらも異邦人です。目の前にいる自分たちと同じ国の人、同じ民族の人の病を癒さないで、外国の人を癒したのでは、預言者として崇め敬うことなどできないではないか。外国の貧しいやもめに食物を乞い求め命を助けてもらうなんてみっともないことだ。そういう昔の話をして、今自分たちの目の前で自分たちの同胞を癒すことをしないなんてトンデモナイ野郎だ。そんな奴が預言者だなどと信じられない。つべこべぬかすな、さっさと消え失せろ――ナザレの人々の気持ちはそういうようなことではなかったでしょうか。

 しかし、ナザレの人々は肝腎なことが分かっていませんでした。それは、エリヤが異邦のサレプタのやもめに命を助けてもらったのは、彼が選んだことではなかったということです。エリヤがヨルダン川の東側、異邦の地に行くようになったのは「主の言葉がエリヤに臨んだ」(列上17:2)からでした。エリヤの行動も神が選び、神がお命じになった結果でした。エリシャが異邦人であるナアマン将軍を癒したのは、彼が「神の人」(列下5:8)だったからです。エリシャは神から託された言葉を語り、神の命令に従って神が示された人の癒しを行ったに過ぎないのです。あくまでも選んだのは神さまです。そしてエリヤやエリシャがしたことはその神の選びを受け入れたということです。

 ですから、イエスさまがいつ、どこで、だれに、どのような癒しの業をするのかということはナザレの人たちが決めることではないのです。そのようなことを厚かましく要求されたときに、イエスさまは毅然として拒否されたのです。子どもの時から知っているイエスが故郷の人の要求を呑まないなどということは、彼らの人間的・社会的常識から言えばありえないことだったのです。だから憤慨し、高い崖から突き落とそうとしたのです。

4.

 預言者という人は、或いは神の人と呼ばれる人は一体どういう人なのか。それを最も典型的に体現しているのは紀元前7世紀末から6世紀前半に活躍した預言者エレミヤだと思います。ユダヤ・イスラエルの長い歴史の中でも最も激動の時代に、それも50年以上の長きにわたって、つまり青年時代、正確には紀元前627年から晩年まで、申命記改革、バビロンによる滅亡、バビロン捕囚、神殿崩壊、エジプトへの逃亡に連行されると言った激動の時代に彼は神の言葉を語り続けました。しかしその語る言葉が神に離反する祖国を糾弾し、悔い改めを求め、さらに滅亡を告げる内容だったので同胞からはまったく受け入れられず、滅びと言う絶望の先の真の希望には誰も耳を傾けませんでした。まさに苦難の連続の生涯を送ったのです。それがエレミヤだったのです。そのエレミヤの生涯をイエスさまの生涯と対比しながら見ていきましょう。

 今朝の第1の朗読でエレミヤへの神さまからの召命の出来事が記されています。没落祭司の息子で、まだ若い彼への神からの直接の語りかけでした。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」(エレ1:5)。生まれる前から、いえ、母の胎内に造る前から私が預言者として選んでいたとのこと。それは驚くべきことです。自分が生まれてこの方、試行錯誤を重ねながら大人になってから預言者になることを選び取ったというのではないのです。自分に用意ができているとも適性があるともまったく思えないのに、いわば一方的に神の意志、神の選びによってその生涯の務めが告げられたのです。彼は戸惑いながらその選びを受け入れました。彼の預言者人生はそうやって始まりました。

 彼は神の言葉を語っても語っても同胞に受け入れられませんでしたから、たまりかねて主に切々と訴えたこともありました。「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります」(エレ20:7)と。ですから「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい」とさえ思ったほどです。しかし、彼が思いもかけず経験したことは何だったでしょうか。「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」(20:9)と告白しないではいられなくなりました。そうです。彼の意思ではなく、神の意志、神の言葉が彼を支配したのです。

 神の言葉を託された預言者エレミヤ、神の言葉自身であるイエスさま、どちらも人々に神に立ち帰ることを訴え、真の希望へと進むことを勧めましたが、彼らには受け入れられませんでした。時に軛をはめられ、時に水溜の泥の中に吊され、時に獄に囚われ、最後はエジプトに逃亡する人々に連行されてそこで死にます。ナザレでは山の上から突き落とされそうになり、最後はゴルゴタの丘の上で十字架にかけられて死んだイエスさまと共通しています。

 それだけでなく、最大の共通点は、エレミヤはそのような罪を重ねる同胞たちに向かって神の約束を告げるのです。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる」(エレ31:31)と。その契約は、かつて先祖が奴隷の地から神が導き出したときに結んだものとは違うのです。主の約束の言葉はこうです。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(31:33)。これが新しい契約です。エレミヤは神の約束を告げました。イエスさまはご自身が民との神の新しい契約そのものになられました。十字架上で流した血によって神さまは私たち罪人の神であることを明らかになさいました。救いを提供するただ一度限りの契約を結ばれたのでした。

 神さまが選ばれ、神さまが導かれる人生を生きること、どんなに困難や苦難があろうとも、それこそが恵まれた人生です。その大原則が分からないと、あのナザレの人々のように終始自分の基準、自分の常識に左右されることになります。自分中心のものの見方、価値観、人生の歩み方から、神さま中心のものの見方、価値観、人生の歩み方への方向転換のことを聖書は悔い改めと言います。

 あれほど苦難に苦難を重ね、悲しみの預言者、涙の預言者と呼ばれたエレミヤですが、その根底には次のような喜びに満ちた自己認識がありました。「あなたの言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって呼ばれている者です」(エレ15:16)。私たちも自分のことを「あなたの御名をもって呼ばれている者です」「私が選んだのではなく、あなたによって選ばれた者です」と言いたいものです。事実そうなのですから。アーメン


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