2024年10月6日日曜日

人間になくてはならないもの

 2024年10月6日 江藤直純牧師 小田原教会                   

創世記 2章18-24;

ヘブライ人への手紙 1章1-4, 2章5-12; 

マルコによる福音書 10章2-16

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 聖書に従って生きていきたいと思います。おそらくそのこと自体に異存のある方は一人もいらっしゃらないでしょう。しかし、聖書に従ってということは具体的にはどういうふうに生きていくことでしょうか。

 イスラエルの父祖、信仰の父と言われるアブラハム。彼にはサラという妻がいました。いつまでたっても子ができず高齢化していく中で、ハガルというエジプト人の女奴隷を、妻サラの勧めもあって、身籠もらせ、イシュマエルという男の子を得ました。後にトラブルの元となりましたが、ともあれこういう出来事がありました。聖書に書かれていることです。では、私たちもそうしますか。

 12の部族に分かれていたイスラエルに、サウル、そしてダビデ、またソロモンが現れ、預言者によって油を注がれ、王となり、国を統一し繁栄させました。今世界には立憲君主制の国もありますが、大統領制の国もあれば議院内閣制の国もあります。それ以外もあります。国家の統治の仕方はさまざまです。どれかを聖書的と呼び、それ以外を非聖書的と言えるでしょうか。

 人を、特に複数の人を殺めたときに課される刑罰の中でも最も重いものは死刑です。2022年現在全世界で144ヶ国が事実上の廃止を含めて死刑廃止国になっているとアムネスティ・インタナショナルは発表しています。死刑存続国の中には日本とキリスト教国と言われるアメリカが含まれています。最高裁での死刑確定から44年ぶりに実現したやり直し裁判でやっと無罪になった袴田巌さんの件を見て、改めて死刑の存続・廃止が議論されることを望みますが、残念ながらほとんど話題にはなっていません。どちらにせよこれについて聖書の中に確固とした判断根拠を見出すことは簡単ではありません。

 パウロがコリントの教会の人々に向かってこう言いました。「ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです」(Ⅰコリ11:3)。さらには、女性に向かって頭にかぶり物をしなさいと言ったり、男と女の髪の長さにまで言及したりしています。あろうことか、「婦人たちは、教会で黙っていなさい」(同14:34)とまで言っています。20世紀の後半にキリスト教の中でもフェミニズムが盛んになってきたときに、パウロは手ひどく非難されたものでした。

 聖書に従って生きると申しましたが、そうすることは聖書のあらゆる部分を一言一句すべて文字通り実生活の中で実行しなければならないという具合に受け取ると、すぐに行き詰まります。生活のあらゆる面を聖書の言葉で律することは困難です。それは時代的、社会的な背景の変化や文化の相違という問題もありますが、そもそも聖書は私たちの生活すべてのマニュアル或いは規則、ルールではないということが根底にあります。

2.

 さて、その上でさらなる難問です。人間の生活の中でも基本の一つである結婚について、更にはそれと関わる離婚について、これが本日の福音書のテーマです。旧約の日課、創世記2章もそれと大きな繋がりがあります。

 例によって、イエスさまが群衆に教えておられると、ファリサイ派の人々が離婚について教えを乞うふりをしながら難問を吹っ掛けます。難問だと言いますのは、もしもイエスさまが愛を強調して離婚など絶対にしてはいけないと言われたら、彼らはモーセの律法には離婚についてきちんと定めがあるではないかと攻撃するつもりだったことでしょう。しかし、逆に、イエスさまが離婚を堂々と認めるならば、もしかしたら彼らは創世記2章を持ち出してきて、結婚は神が定められたものであると言って、イエスさまを攻撃したかもしれません。

 人類の歴史の中では、結婚に至る過程も、結婚の形態も、結婚式のやり方もさまざまありましたが、一つだけ確かなことは結婚というものはいつの世にもあったということです。聖書の第一巻、創世記の2章には、結婚という単語こそ出ていませんが、男と女の根本的な関係が語られています。ヨハネ福音書によればイエスさまがなさった最初のしるしはカナという町での婚宴のときに水をぶどう酒に変えられた出来事でした。しかしまた、離婚というものも常にありました。洗礼者ヨハネが首を刎ねられたのはヘロデ王が弟の妻と結婚しようとしたことを彼が非難したからでした。16世紀に英国教会がカトリック教会から分離独立した背景には国王ヘンリー八世の離婚問題がありました。

 例を挙げれば枚挙に暇がありません。結婚について、そして離婚について私たちは具体的にどう考えるべきなのでしょうか。そもそも聖書は何と言っているのでしょうか。

 結婚と離婚の実態はどうでしょうか。日本では結婚の総数も割合も減少していることはご承知のとおりです。2022年の統計ではその一年間に日本で結婚した人は50万4878人で、その年に離婚した人は17万9096人。結婚した人を分母、離婚した人を分子にすると、約35%、ほぼ三組に一組となります。しかし、その見方は乱暴です。私たちの実感にも実態にもそぐいません。その年に結婚したカップルの三組に一組がその年に離婚するわけではありません。国際的な離婚率の算出方法はそうではないそうです。人口を分母、年間離婚届出件数が分子、それに1000を掛けて算出すると、日本は人口1000人につき1.69組の夫婦が離婚しているとの数字が出ています。国際比較をしてみると日本がとくに離婚が多いとは言えなくて、一時は2前後だったけど、近年はやや下がり気味だそうです。しかし、熟年離婚やDVなどいろいろ話題になっています。

 むしろ、最近の世間の関心は、非婚の増加という問題もありますが、同性同士のカップルを婚姻として認めようとの同性婚にも向けられています。性的な指向sexual orientationが異性にではなく同性に向いている人たちの人権問題として捉えられています。先週終わった朝ドラ「虎に翼」でも主人公の同級生の男性弁護士が当事者でした。ヨーロッパでは比較的オープンですが、アメリカの4分の1を占める福音派と呼ばれる人たちは非常に強く反対しています。日本では選択的別姓でさえまだまだ壁は厚いです。同性婚にも法律は開かれていません。

 私たちはそういう現実の只中を生きています。性的少数者の人々も含め、一人ひとりが自由に主体的に生き方を選び取っていくことが日本だけでなく世界の大きな潮流であるときに、私たちは今日の福音書の日課に記されているイエスさまの結婚と離婚についての教えをどのように理解したらよいでしょうか。

3.

 ファリサイ派の人々が持ち出したモーセが書いたと言い伝えられている申命記24章の離婚についての規定は、現代人にも有効で、そもそも人間は結婚をどう考え、離婚をどのように考えるべきかということを真正面から深く包括的に論じた教えではないことを先ず押さえておきましょう。1節から4節の短い段落には、離婚は男性たる夫が女性たる妻に対して、結婚した後に「妻に何か恥ずべきことを見出し、気に入らなくなったとき」に合法的に離婚するやり方が定められていると言うのです。なるほど、そのような場合だったら女性が離婚させられるのも仕方がないなと思えそうな事例だけが挙げてあり、例えば逆に男性の側が「恥ずべきこと」をした場合はどうか、どうしたら女性は夫から解放されるかといった視点というか問題意識はまるでありません。それは丁度戦前までの日本にあった姦通罪という法は女性だけを罰する規定であって、男性の浮気や不倫を咎めることは念頭になかったことと同じです。申命記には夫が暴力を振るったり扶養する義務を果たさなかったりした場合も触れられていません。

 そもそも夫と妻の対等性などという理念は見られないのです。結婚するときに互いが互いに負うべき義務があるという考えというか価値観がまったくないところでの、男性の側からの離婚の手続きが定められています。それをもってファリサイ派の人々は離婚の是非を問うているのです。イエスさまが「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」と言われた意味が分かってきます。

 そのような考え方に囚われている彼らに向かって、というか、私たちに向かって、イエスさまがおっしゃったのはもっとずっと根本的なことでした。離婚はおろか結婚という社会的な制度や法や規則についての考えや制度をもっと越えて、人間というものの在り方を根っこから、根源的に考えるように導いてくださっています。男と女と言い、夫と妻と言うから結婚の教えだと思いがちですが、そこに留まるものではありません。人間が人間であるために最も大切なことを創世記2章の言葉を引きながら、主イエスは教えようとされているのです。だからこそ、結婚、離婚、非婚、同性婚はじめどのような問題を考えるときにも出発点になるのです。そこから始めなければ、小手先の議論になってしまいます。

4.

 さて、皆さんは「ウブントゥ」という言葉を聞かれたことがありますか。私も先々週までは見たことも聞いたこともない言葉でした。「ウブントゥ」です。そもそもいったいどこの国の言葉かと言えば、アフリカ南部の言語だそうです。それに出会ったのは朝日新聞の教育の欄にあった「まなび場 天声人語 漢字ドリル」というコーナーでした。そこに教材として今年の5月10日付けの天声人語が載っていました。350年に亘った白人による黒人支配、アパルトヘイトと呼ばれた人種隔離政策がついに終わって、南アフリカで歴史上初めて全人種が参加した民主的な選挙が実施されたのです。27年間も投獄されていた反アパルトヘイト闘争の指導者ネルソン・マンデラ氏がその選挙によって初の大統領に選出されたのです。それが30年前の5月10日のことでした。今年のその日の天声人語がそれに触れていたのです。白人たちの中には今度は黒人によって自分たちが仕返しをされるのではないかという恐れを抱いている人たちがいたことがこの記事の背景です。

 天声人語の一部を紹介します。「▼だが、(マンデラは)就任演説では和解の精神を掲げた。多人種が協調できる「虹の国をつくろう」と呼びかけた。仲間を失い、ひどい仕打ちを受けた恨みを抑えられるものなのか。当時、彼を知る南アの活動家に尋ねたら「『ウブントゥ』を信じているから」という。▼ウブントゥはアフリカ南部の言語で「あなたという人間がいるから、私が人間でいられる」という意味があるそうだ。寛容さや助け合い、許しの概念を指す」。

 私はアフリカ南部の言語など全く知らないのですが、「ウブントゥ」の言葉の意味は、寛容さとか助け合い、赦しでもあるのでしょうが、私の胸に重く響いたのは「あなたという人間がいるから、私が人間でいられる」という意味です。仲間だった人だけでなく、かつて自分を虐げ迫害した人、いわば敵に当たる人にもそう言うのです。そのあなたという人間がいるからこそ、今のこの私がいると心の底から言えたなら何と素晴らしいことでしょう。あなたはもう一人の私ではないのです。あくまで私と異なる存在なのです。私と異なるそのあなたがいるからこの私がいる、あなたがいなければ私はいない。これはまことに真実です。

5.

 創造主である神さまは最初の人を一人のままにはなさいませんでした。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創2:18)とおっしゃいました。最新の聖書協会共同訳ならば「彼にふさわしい助け手を造ろう」です。パートナーとして、差し向かい合って生きる存在です。その人は何か仕事をする際の助手、補佐役、お手伝いというのではなくて、私が私でいられるためには、或いは私が私になるためにはどうしてもなくてはならない存在、その意味で私の助け手だと言うのです。その二人は「父母を離れて」(マコ10:7)、つまり、一人の独立した個人、主体的な人格として互いに向き合うのです。「神は人を男と女とにお造りになった」(同10:6)とは、もう一人の人は自分のコピーではなく、自分の思うどおりに操作できる人ではない存在として、自分と異なる存在として神はその相手を創造なさったと聖書は語るのです。異なる存在の典型として男と女と言われたのではないでしょうか。そのような相手は異性に限られるものではないでしょう。結婚という形態に限定されなくてもいいでしょう。同性であれ異性であれ友人同士の場合もありえます。

 現在、人間は男か女かのどちらかにスパッと区別できるものではないと言われるようになってきましたが、そうであっても相手は自分とは異なる存在です。同じ性の人に愛情が向くにしろ異性に向くにしろ、あくまで他者であって、もう一人の自分ではないのです。そういう存在と深い意味で共に生きていくことを通して初めて「ウブントゥ」なのです。「あなたという人間がいるから、私が人間でいられる」のです。あなたという人間がいなければ、私は人間でいられないのです。

 私たちは生物学では片仮名で「ヒト」と呼びますが、ふつうには「人」という漢字一字で表わすこともありますが、ごく自然に「人間」と言い表わします。「人」ですまさずに敢えて「人間」と呼びます。人のことを「人と人の間」或いは「人と人との間柄関係を生きる存在」という意味を込めて「人間」と呼ぶ不思議さの意味が見えてきます。人間は、好きであろうと嫌いであろうと、人と人の間柄関係を真摯に生きることをしなければ、けっして人間ではいられないし、人間にはなれないのです。そこに創造主の深い御心があるのです。そのような相手こそは「神が結び合わせてくださったもの」(同10:9)なのです。そういう人間理解がまずあって、その上で結婚という事柄も成り立つのです。結婚しない人間関係であっても誰かがその役を果たすのです。

 現実にはそのような関係であること、そういう関係になることを期待されて結婚しても、そうであってもなお、離婚ということが避けられないのが私たちです。人間の不完全さ故に、弱さ故に婚姻関係を維持継続することができなくなることがあるのです。続けたい思いはあっても負わされた傷の痛みに耐えかねることも起こりうるのです。原因がどちらの側にあるにしろ、もはや一度白紙に戻してそれぞれやり直すことしか健全に生きていく道がどうしても見つからない場合も残念ながらありえるのです。そういう選択をせざるを得ないことを互いに受け容れ、また二人を結びつけてくださった神に憐れみと赦しを乞い、再出発をするのです。

 それは申命記24章のファリサイ派的な解釈ではなく、またイエスさまの言葉の表面的な理解とも違います。イエスさまはただ杓子定規に離婚する者を断罪しておられるのではありません。離婚と姦通の話をされていますが、男性が離婚を申し出る場合だけあって、女性から離婚を申し出ることはありえなかったのがパレスチナ・ユダヤ教でしたが、ヘレニズム・ローマ世界ではありえました。こういう公平な立場に立つイエスさまがなお厳しいことをおっしゃるのは、それほど夫婦関係を、そして実は根本的には人間関係を大切にするようにとの強い願いの表れでしょう。

 しかし、そう言われるお方は、不完全で、弱く、傷つき苦しんでいる人を断罪するのではなく、受け容れ、癒し、再生へと導いてくださいます。イエスさまはそのような愛の主であることを堅く信じましょう。主は私たちに求めるだけでなく、愛を全うできない私たちに向かってもなお「ウブントゥ」、あなたという人間がいるから、私も人間でいられるとおっしゃり、身を持ってそう実践されました。不完全で、弱く、傷ついている人間に寄り添い、そのために生きたからこそ、まことの人間になられたのです。

 その主イエスを堅く信頼し、身を委ね、受け容れましょう。ちょうどあの子供たちが無邪気にイエスさまを信頼し、身を委ね、受け容れたように。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン


2024年9月1日日曜日

弱さは力、欠けは豊かさ

 2024年9月1日 聖霊降臨後第15主日 小田原教会

コリントの信徒への手紙二 12章5b-10節

江藤直純牧師


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

0.

 今日与えられた聖書の日課は急遽変更しましたが、只今読んでいただいた通りです。実は、先週日吉教会でなされた日吉・横浜両教会合同礼拝での聖句と説教を小田原の皆さまにもぜひ分かち合いたいと急に思い立ち、まことに勝手ながらそうさせていただきます。説教題は「弱さは力、欠けは豊かさ」です。

 日吉教会ではちょうど同じ時期に、この4月に天に召された花の絵とそれに添えられた詩で有名な星野富弘さんの詩画展が開催されていました.小田原教会にも案内のチラシが掲示されていました。礼拝後にみんなで40枚ほどの作品を鑑賞しました。皆さまの中にもカレンダーや書籍でご存じの方もいらっしゃることかと思います。

1.

 キリスト教の歴史は二千年に及びます。その中には数えきれないキリスト教徒がいました。有名な人も無名な人も世界中にいましたし、今もいます。今ここにもこのとおりいらっしゃいます。しかし、もしも「この人」がいなかったら、新約聖書も今のそれとは大きく違ったものになっていたでしょう。教会の姿も在り方も歴史もおそらく全くと言っていいほど異なったものになっていたでしょう。キリスト教は世界宗教とはなっていなかったかもしれません。この人とは、皆さんも良くご存じの使徒パウロです。

 いささか大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私は彼のことを初代教会最大の伝道者、最大の牧会者、最大の神学者と呼んでいます。パウロがシリアのアンティオキアの教会から招かれ、送り出されて、三度に亘る世界宣教旅行に旅立ったのは紀元40年代の後半、そのあと20数年間ひたすら小アジアからヨーロッパへとギリシャ・ローマの世界を伝道して回りました。ものすごい苦労の数々がありましたが、それに耐え、それを突破して、各地に信徒の群を起こしました。まさに最大の伝道者です。各地の教会を訪ね、あるいは手紙を書き、弟子を遣わしては愛と福音をもって信徒の魂の配慮をし、また信仰者の群を整え成長させました。最大の牧会者です。彼の書き残した書簡は新約聖書の中で一番分量が多いですが、量の問題ではありません。4-5世紀のアウグスティヌス、16世紀のルター、20世紀のバルト、日本では内村鑑三、彼らはみな信仰の危機、教会の危機に直面したときに等しく「ローマ書」を読み、研究をすることで福音の真理を示され、霊的なヴィジョンとパワーを与えられて教会の歴史、いいえ、人類の歴史に途方もない貢献をしました。そのローマ書を書いたのがパウロです。最大の神学者と呼ばずにはいられないのです。この人こそ福音信仰の大先達、キリスト教会の大指導者、世界の宗教界の巨人の一人と言えるでしょう。その業績からして人間離れした偉人だと思われて当然でしょう。

2.

 しかし、生身のパウロはどういう人だったでしょうか。さぞや雄弁な説教者、強烈なオーラを発揮する人だっただろうと想像できます。パウロの信奉者たちならきっと口を揃えてそう言ったことでしょう。けれども、彼の悪口を言う人たちは違っていました。「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」(Ⅱコリ10:10)と言っているのです。別のところでは彼は「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている」(同10:1)私、と記しています。そのような世間の悪口というか評価を書き残しているのは実はパウロ自身です。そういう印象を与えていることをパウロは否定していないのです。予想に反して、彼には伝道者に必須と思われる、人々を惹きつける雄弁さもカリスマ性もあまりなかったのかもしれません。

 人生の後半をひたすら伝道に打ち込みましたが、苦心惨憺でした。最後は裁判のためにローマへ護送されました。そんな中、人間的には恵まれず、富も権力もなくても、せめて心の安らぐ家庭生活をパウロが望み、苦労の多い伝道旅行に同伴してくれる人生のパートナーを求めたとしても少しもおかしくありません。しかし、彼はコリントの信徒たちに向かって「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟やケファのように(つまり、ペトロのように)、信者である妻を連れて歩く権利はないのですか」(Ⅰコリ9:5)と呻くように苦衷を吐露しています。キリスト教の伝道者は妻と一緒に伝道してはいけないなどという法律があるはずがありません。現にペトロもその他の使徒もそうしているのです。当時のユダヤ社会の習慣からして彼が独身だったはずもないでしょう。しかし、なぜかパウロにはこの過酷な伝道旅行に同伴してくれる、愛する妻はいなかったのです。早くに亡くなったのか、それともとうとう共通の信仰を持つことができずに共に生きることを拒まれ、その挙句、離婚したのか。パウロは手紙の中のどこにも一言も語っていませんし、伝承もありません。分かっているのはただ一つ、彼が同伴する妻を失ったことを嘆いているということだけです。

 人を惹きつける魅力や雄弁さが欠けていること、あるいは結婚相手を失ったことなどは辛くても耐えることはできるでしょう。事実彼はそれでも生涯を福音宣教に捧げました。しかし、彼が耐えられずに神に叫ぶように祈り願ったものがあります。それは健康でした。健康な体さえあれば、どんなことをもなんとか耐え忍ぶこともできるでしょうが、それが彼には決定的に欠けていたのです。その病が何だったかは聖書には明示されてはいません。テンカンだったという言い伝えはあります。しかし、何であれそれは並大抵の痛みや苦しみではなかったようです。「わたしの身に一つのとげが与えられました」(Ⅱコリ12:7)。とげだと言っています。しかもそれは「思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」(同)。サタンの使いだというくらいですから、その痛み苦しみはよほどひどかったのでしょう。「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました」(12:8)。他のどんな迫害にも苦しみにも耐えた大の男が、涙を流し悲鳴を上げて神に助けを求めたのです。しかも一度ならず、二度ならず、三度までも懇願したのです。どれほどの痛み、苦しみだったことでしょうか。さすがのパウロも自分の弱さをもろに曝け出しています。

 けれども、このパウロの哀願に対しての主イエスの答は全く意表を突くものでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12:9)。「キリストの恵みは私に対して十分ですって」、えっ、そんなの嘘でしょう。「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるですって」、それは無茶苦茶です。それは私が願っていた答ではありません。その正反対です。皆さんがその立場だったならどういう反応をしたでしょうか。私だったならと考え込みます。

 しかし、驚くべきことに、彼が発した答えは否定的なものではありませんでした。パウロの主イエス・キリストへの答はこうでした。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。なんと自分の弱さを誇りましょうですって。たしかにそう言っています。そして、さらに続けています。「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(9-10)。

 イエス様からの語りかけを聞いてパウロが即座にこう応えたのか。それは分かりません。瞬時にではなくても、一日か二日後にこう言えたのでしょうか。いいえ、もっと何か月もかかったかもしれません。何年も要したかもしれません。でも、その日は来たのです。心から「私は自分の弱さを誇ります。キリストの故に満足しています。なぜなら私は弱いときにこそ強いからです」と胸を張って告白できる日が彼に訪れたのです。

 パウロのおそらく二十年以上に及び豊かな実を結んだ福音伝道と、のちに聖書に収められる数々の牧会的な手紙の執筆、それは彼の持ち前の強さの成果ではありませんでした。ユダヤ教のエリートとしての旧約聖書の知識と宗教性と、ギリシャ文化の町タルソスで育まれたギリシャ語とギリシャの宗教と文化の素養とを併せ持った、類い稀れな異邦人伝道の適性が可能にした成果ではなかったのです。もちろんそれらは間違いなく役には立ちましたが、それらではこの豊かな成果は出なかったでしょう。それらの強さではなく、あれほど嘆いた弱さ、痛み、欠けがあったからこそ、パウロはあのような大きな、豊かな福音の花を咲かすことができたのです。なぜならば、その弱さと欠けをキリストが、キリストの十字架が、癒し、満たし、新しい命を注ぎ込み、それらを用い、パウロをとおして福音の花を美しく咲かせ愛の実を豊かに実らせてくださったのです。まさに「キリストの力がわたしの内に宿った」(12:9)ときにパウロはその弱さと欠けを受け容れることができたのでした。弱さと欠けに新しい意味を見出し、新しい命を生き始めたのでした。パウロは「わたしは弱いときにこそ強い」(12:10)と心から正直に認め、信じ、感謝することができたのでした。非常に辛い出来事でしたが、それがまことの喜びの源となったのです。パウロは「弱さの伝道者」でした。彼が信じ伝えたのは「弱さの福音」だったのです。

3.

 先週の日吉教会と横浜教会の合同礼拝は、「星野富弘展」と時を同じくして開催されています。星野富弘という名前と作品は私が44年前にシカゴに留学中に熊本の母が送ってきてくれて初めて知りました。『愛、深き淵より』という本を移民局の待合室で読んでいて、気がついたら涙を流していたことを思い出します。

 星野さんは、皆さんもご存じでしょうが、子どもの時から元気の塊だったそうです。群馬の田舎を走り回り、中学時代は陸上部、高校は器械体操部と山岳部、大学では体育を専攻し、念願叶って中学校の体育の教師になりました。それが部活の指導中の突然の不慮の事故で頸椎を損傷してしまい、なんと首から下の手も足もまったく動けなくなったのでした。手足に痛みさえ感じなくなったそうです。それはどれほど辛いことだったでしょう。大好きだった器械体操ができなくなっただけでなく、一生寝たきりを強いられることになると宣告されたのです。手紙をもらっても返事一つ、いえ文字の一つも書けなくなったのです。体操ができない、せっかくなった教師を続けられない、それどころか日常生活で身の回りの一切のこと、ご飯を食べることもトイレに行くことも何一つ自分ではできなくなったのです。これからの人生に何の希望もなくなったと思えたのです。

 自伝とも言うべき『愛、深き淵より』を読んでいて、心にグサッと来た出来事がありました。三度三度の食事の介助をする母親が富弘さんの口にスプーンで食べ物を運んでいたとき、具体的には何が起こったのかは忘れましたが、彼が突然怒り出し自分の感情を制御できなくなって口の中のものを母親の顔に吹き付けたのです。大の母親好きが、親身で看病してくれている母親に、事もあろうに、口の中の食べ物を吹き出したのです。母親は何も言わずに片付けたのでした。二度とそんなことはなかったでしょうが、一度だけであってもそんなことをした富弘さんの、人生の一切を失ったことへの、どうにも言い表わしようのない悲しみと、何の希望も持てなくなった理不尽な運命への憤りを読んでいて感じたものです。自伝のタイトル『愛、深き淵より』の「深き淵より」という言葉は詩編130編の一節を思い出させます。ほんとうにどん底もどん底、決して水面に上がり着くことのできないほどの深き淵の底に突き落とされた思いがこの一言に込められていると思います。今すぐは大怪我の治療で何もできないけど、いずれは治る、回復するという希望が持てるなら、耐え忍ぶでしょう。しかし、首から下の自由が一切奪われてしまったとき23歳の青年がどのような心の痛み、苦しみを味わったかは私たちにも少しは想像ができます。富弘さんは9年間入院した後に自宅での生活に移りました。

 星野さんは『新編 風の旅』のあとがきでこう書いていました。「大阪万博があった1970年。23歳の時、私は首から下が動かなくなるという大きな怪我をしてしまいました。絶望のあまり、『生きていても仕方ない。早く死にたい』と思いました。/しかし『死にたい』といくら思っても時間がくれば腹はへるし、心臓は正確に動いているし、身体は一生懸命生きようとしているのです。自分の意思とは違う大きな力が、私の身体を生かそうとしているのです。」と。富弘さんは「自分の意思とは違う大きな力」を感じ取り始めたのです。

 とはいえ、事故の後一瞬にしてそのような新しい何か「自分の意思とは違う大きな力」をはっきりと感じ取るようになったのではなかったのです。入院生活の中で否でも応でも見なければならない自分がありました。それはただ首から下が動かせないという身体的な不自由さだけではありませんでした。事故の後3年目の春、もう口にサインペンをくわえて字が書けるようになってきた富弘さんは病床でこうメモしています。「からだのどこかが人の不幸を笑っている。/人の幸せがにがにがしく、少し気に入らなければ、『あいつもおれみたいに動けなくなればいい』と思ったりする。心の隅にあったみにくいものが、しだいにふくらんできたような気がする。からだの不自由から生じた“ひがみ”だろうか。/自分が正しくもないのに、人を許せない苦しみは、手足の動かない苦しみをはるかに上回ってしまった」。

4.

 寝たきりで治る希望が見えない状況に置かれてこんなことを口走ったからと言って非難することはできません。でも、人間の持つ心の弱さ、醜さが見えるのは辛いものでした。しかし、星野富弘さんは病み痛んだ心が少しずつ癒され、変えられていくのにやがて気づくのです。文字だけでなく口に筆を加えて花や草の絵を書き始めてからしばらく経ってからのことです。

 「つばき」の花の絵に添えられた詩には彼の思いがこう綴られていました。「木は自分で/動きまわることができない/神様に与えられたその場所で/精一杯枝を張り/許された高さまで/一生懸命伸びようとしている/そんな木を/私は友達のように思っている」

 「はなきりん」という花にはこういう詩が添えられていました。「動ける人が動かないでいるのには/忍耐が必要だ/私のように動けないものが/動けないでいるのに忍耐など/必要だろうか/そう気づいた時/私の体を/ギリギリに/縛りつけていた/忍耐という棘のはえた縄が/“フッ”と解けたような気がした」

 動けない自分自身というものをそれまでとはまったく違った視点で見ることができたときに、そのマイナスとしか思えていなかったものがゼロにもプラスにもとらえることができるようになっていったのでした。違った視点というのは自分を生かしている「何か」に少しずつ目が開かれていったということです。

 私の大好きな「なのはな」という絵と詩をご紹介します。絵をお見せできなくて残念です。富弘さんはこう言います。「私の首のように/茎が簡単に折れてしまった/しかし菜の花はそこから芽を出し/花を咲かせた/私もこの花と/同じ水を飲んでいる/同じ光を受けている/強い茎になろう」。菜の花が飲んでいるのと同じ水、菜の花が浴びている同じ光、そこに象徴的に表わされているもの、それは神様が自分を生かそうとして降り注いでくださっている恵みのことでしょう。

 そして、その「自分の意思とは違う大きな力」「自分を生かしている何か」はやがて「神さま」という名前を持つようになりますが、それは教理を教えて伝えられたのではなく、愛としか言えない、優しさや、共に喜び共に泣きながら共に生きようとする姿勢を通してでした。母親もそうですし、教会の方もそうでした。医療者や患者仲間もそうでした。

 「はなしょうぶ」のきれいな絵の上に書かれた詩には彼の正直な思いが表わされています。「黒い土に根を張り/どぶ水を吸って/なぜきれいに咲けるのだろう/私は/大ぜいの人の/愛の中にいて/なぜみにくいことばかり/考えるのだろう」

 画面いっぱいに咲いている「れんぎょう」の花の絵の下の隅に短い三行の詩が添えられています。「わたしは傷を持っている/でもその傷のところから/あなたのやさしさがしみてくる」。ここで言う傷とは器械体操の指導中に負ってしまった一生治らない体の傷のことでしょうが、心の傷、弱さ、欠けのことも指しているのではないかと思えるのです。「その傷のところから/あなたのやさしさがしみてくる」。あなたのやさしさとは主イエス・キリストの十字架による赦し、受け容れ生かそうとする愛が、周囲の人々の愛をとおして、富弘さんに伝わり浸み込んできたのです。自伝のタイトル『愛、深き淵より』はもしかしたら自分が経験したあの「深き淵」にあって感じ取った愛、人の愛であり、なにより神の愛のことではないでしょうか。さらにはその愛は周囲の人々に、いえ、遠くの一度も会ったこともない人々に、絵と詩をとおして富弘さんが心を込めて分かち合ってきた愛ではないでしょうか。愛され受け容れられたので自分も自分の弱さも辛さも欠けも受け容れるようになりました。人を愛するようになりました。

 どれもそうですが、心に残った2つの詩を紹介します。花が二輪、蕾が三つ描かれている「ひなげし」の絵にこういう詩が書かれています。「花が上を向いて咲いている/私は上を向いて/ねている/あたりまえの/ことだけど/神様の深い愛を感じる」。

 「やぶかんぞう」の絵の隣りに添えられていた詩はこうです。「いつか草が/風に揺れるのを見て/弱さを思った/今日/草が風に揺れるのを見て/強さを知った」。

5.

 星野富弘という人は、生まれながらに持っていた強さを一瞬にして失いました。明るい将来は吹っ飛びました。しかし、その弱さと欠けは自分では作りかえたり取り去ったり埋めたりはできなかったけれども、その弱さと欠けがきっかけとなり、手掛かりとなって、その弱さと欠けが用いられて、筆を口に咥えて草花を描く画家、また詩人になりました。そして9年4ヶ月の入院生活の直後から始めて国内各地はもとよりブラジル、アメリカ、ポーランドでも花の詩画展を開き、また多くの書物やカレンダーを通して、数えきれないほど多くの人々の心に愛を届けました。この4月に亡くなった後も日吉教会をはじめとして詩画展は開催され続けています。星野富弘さんは人を愛し人を生かす神の愛のメッセンジャーなのです。

 あの大きな働きをした使徒パウロはいくつもの弱さや欠けを持っていましたが、その最大のものは、サタンから送られたと言う「一つのとげ」でした。耐えられないほどの痛みと苦しみを伴っていました。その彼にキリストは語りかけられたのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と。それを受けて、ある程度歳月を要したかもしれませんが、パウロは答えました。はっきりと答えました。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリ12:9-10)。このパウロの言葉の真実さを星野さんは身を持って証ししたのです。その信仰、その生き方に私たちも招かれています。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン