2024年12月1日日曜日

約束を果たす日

 2024年12月1日   待降節第1主日 小田原教会    

江藤直純牧師

エレミヤ33:14-16 ; Ⅰテサロニケ3:9-13; ルカ21:25-36

     1.

 去年のクリスマスの時期だったでしょうか。パレスチナのガザで破壊された建物の瓦礫の上に赤ちゃんの人形が置かれていました。誰かが置いたのか、たまたまそうなったのかは分かりませんが、その場面は今まさにこの時この世界に神の子イエスさまが誕生されるならば、その場所はここに違いないと思わされました。救い主が誕生なさるのはまさしくこのような悲惨さと悲しみの只中であり、絶望の淵から救いを求めている状況にほかならないと思ったことでした。それから一年が経ち、悲劇の度合いはますます大きく深刻になっています。実は二千年前のクリスマスの出来事が起こったときもまた、「公平と正義」(エレ33:15)、愛と慈しみと和解に満ちた世界がひたすら待ち焦がれられていたのでした。なぜなら、現実はその真逆だったからです。

 二千年前だけではありません。神の民イスラエルの歴史、いえ、世界の歴史を振り返ってみますと、そこには愛と正義は満ちあふれてはいませんでした。人間の美しさや素晴らしさはあまりありませんでした。旧約聖書は創造の初めからの人間の歴史を独自の視点で、しかし極めて冷静に、数々のドラマの展開とそこに登場する人間たちの真相を描き出しています。聖書は、読まなければきっと聖なる書物に違いないと思い込み、人間の崇高さや神を信じる心の尊さを描き出していると思うでしょうが、実際はこれでもかこれでもかと人間の弱さや醜さを描き出しています。人間同士の問題はもちろんですが、神さまとの関係も嘆かわしいと思われる出来事のほうがはるかに多いのです。

     2.

 旧約聖書に載っているスキャンダルの数々を全部挙げることなどはとてもできません。できることはよく知られているエピソードを拾い集め、並べることぐらいです。

 創世記の冒頭は天地創造の物語、人間創造の物語が記されているのはご承知のとおりですが、それに続いて第3章では禁断の木の実を最初の人間とその妻が食べる話です。神にかたどり神に似せて造られた人間です。その彼らに一つだけ与えられていた禁止命令を破ったときの人間の反応はどうだったでしょうか。園に近づく神さまの足音を聞いて、園の木の間に隠れます。隠れたところで神さまにはすべてお見通しなのに、「どこにいるのか」と問われても愚かにも「恐ろしくて隠れています」と答えます。「はい、すみませんでした。ここにいます」と言って神の前に姿を現わすことをしませんでした。問いかけ、語りかける神さまに真正面から向き合い、真摯に応答するということをしませんでした。

 それだけではありませんでした。どうして禁令を破ったのかと問われて、正直に答え、お詫びをするということをしなかっただけでなく、男は女のせいにし、女は蛇のせいにしました。男は女のことを「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が」(創3: 12)と言って、自分の罪を認めずに人のせいにしただけではなく、あろうことか神さまのせいにしたのです。人間の基本的な本性である「応答責任」を全く果たさなかったのです。禁令を破ったこと以上に大きな罪でした。当然その報いを受けます。神の罰としてエデンの東に追放されました。

 4章には彼らの子どもたち、カインとアベルが生まれたことが記されています。しかし、成長した2人はなんと人類の最初の兄弟喧嘩をします。妬みと嫉みから弟殺しに至ったのです。これまた当然神の裁きを受け、その土地から追放されます。

 ノアの方舟の話を思い出してください。どうしてノアは方舟を造ったのでしょうか。「地上に人の悪が増し」、人々は「常に悪いことばかりを心に思い計って」いるようになったので、神さまが「地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められ」、ついに人も家畜も鳥もすべて「地上からぬぐい去ろう」(創6:5-6)と決心なさるまでになり、実際四十日四十夜の大雨で全地の生きとし生けるものを洗い流し滅ぼされたのです。ただノアとその家族と諸々の動物各一つがいずつだけが助けられます。

 イスラエル民族の父祖、信仰の父と呼ばれるアブラハムが神さまの召しを受けます。彼も妻もその子イサクと妻も更にその子ヤコブと妻もヨセフを含むその子どもたちの四代にわたる波瀾万丈の物語はまことに人間くさい、罪にまみれたドラマの連続です。

 更に時代はくだり、イスラエル人たちがエジプトで塗炭の苦しみを味わっていたとき、神さまはモーセを指導者として立て、出エジプトというとてつもなく大きな民族の移動を実行させられましたが、その途中に彼らは神を離れ金の子牛を作って拝むという大失態を犯してしまいました。

 それから二百数十年後、ダビデがイスラエルの全土統一という大事業をしますが、あるとき家来の妻の水浴姿を見て、心奪われ分別を失い、ついには王の権力を振りかざして夫を戦死させ、その女性を自分の妻にしてしまいます。神さまは預言者ナタンを通して英雄ダビデに厳しく己の罪を突き付けます。神の民の国造りに大きな貢献があったからといって、義なる神は人間の不義を見逃されはしませんでした。

 紀元前六世紀には神の民にふさわしい国家の在り方から離れ神から遠ざかったユダは超大国バビロニアに滅ぼされます。国の主だった人々は半世紀に亘って遠い外国の首都バビロンで捕囚の憂き目に遭います。

 これでもかこれでもかと人間の犯す過ちと罪を拾い上げればきりがありません。聞いているだけでうんざりします。しかし、旧約聖書全編は、はっきり申し上げますが、最初から最後まで人間の負の歴史のオンパレードなのです。誇張とは言えません。それが人間の歴史なのです。善い側面、美しい出来事も勿論あります。しかし、負の側面はそれらをはるかに凌駕します。だから、聖書は正直にそのような人間のありのままの姿を包み隠さず記述するのです。露悪趣味ではないのです。現実を直視しているのです。

3.

 それでも神さまはそういう人間にいたく悲しんでも怒り狂わず、深く失望しても諦めませんでした。神は優しいというような言葉では言い尽くせません。人間的な表現を使うのを許していただけるなら、神さまは期待を裏切られても決して絶望せず、何と粘り強く、したたかに、人間に関わり続け、再生の道を備え続けてくださったことでしょう。

 アダムとエバの場合は、エデンの園から追い出されましたが、その前に神さまがなさったことは「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた」(創3:21)のです。裸にして無一物で叩き出したのではなく、生きていくのに必要なものを備えられたのです。

 弟殺しのカインの場合はこうでした。彼が彷徨っているときに乱暴者に襲われないように、神さまはカインの命を保護するために「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた」(創4:15)のです。そのしるしがどういうものであったのか、詳細は分かりません。しかし、そのしるしがあるお陰でかれの命は保護されるというのです。

 ノアの時代。大水で人間も生き物も根絶なさったかに見えましたが、その前にちゃんとそれぞれの種が存続できるようにノアに方舟を造らせて、人間と生き物すべてが新しく生きるように手を打たれました。そして最初の創造の時と同じように「あなたがたは産めよ、増えよ。地に群がり、地に増えよ」(創9:7)と言われ、彼らと彼らに続く世代を祝福する「契約」を立てると約束され、その「契約のしるし」として「雲の中にわたしの虹を置く」(創9:13)と言われました。虹の契約です。人類の再出発の保証でした。

 アブラハムに対しても神さまは彼がどう転びどんなに過ちを犯しても、肝腎の務めを与え続け、常に寄り添い、守り、導くと約束なさいます。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。・・わたしは、あなたを益々繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るだろう」(創16:4-6)と。「アブラハム契約」です。

 モーセに導かれてのイスラエル民族の歴史的大ドラマ、出エジプトの真っ只中で、不安に駆られる民のためにモーセに「今、もしわたしの声に聴き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。・・あなたたちはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」(出19:5-6)と約束なさいます。民衆はどんなに安堵したことでしょう。「シナイ契約」です。さらにシナイ山の頂きに彼を呼び寄せ、いわゆる「十戒」を授けられます。待ちくたびれた民が山の下で金の子牛の像という偶像を作ったので、モーセが怒って十戒を刻んだ二枚の石の板をぶつけたあとも、再度シナイ山に招いて、戒めをもう一度与えてくださいました。考えられないほどの神の辛抱強さです。

 ダビデ王の取返しのつかない過ちのときも、神さまは一刀両断に裁いて罰してしまいませんでした。かつてイスラエルの指導者にするとの神の約束を伝えさせたナタンを通してダビデを悔い改めに導かれます。メシアはダビデの子孫から生まれるとの約束、「ダビデ契約」を反故になさることはなかったのです。

 それから四百年以上経ったバビロン捕囚の最後の頃、神さまは彼らを捕囚の地から救い出すと約束をなさり、「見よ、わたしはイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る」(エレ33:14)とおっしゃるのです。アブラハムから数えてもいったい何回赦す、救い出す、解放する、神の民を繁栄させるとの約束、契約を繰り返されることでしょう。

4.

 正義である神さまは人間の不正義に眼をつぶることはなさいません。アダムたちのように自己中心的であろうとも、カインのように妬みや嫉みで人を殺めてしまっても、出エジプトの途中の群衆が苦しみに耐えきれずに神ならぬものを神として拝んでしまっても、ダビデのように欲望に負けてしまっても、神中心の生き方から離れ軍事や経済の力に頼ってしまって国家を失ってしまったりしようとも神さまのご意志は変わりません。今私たちもやってしまいそうな、過ちを何度も何度も繰り返しても、神さまは見棄てず、裁き滅ぼすことはなさらず、罪を定かにしたあとで、赦しを差し出し、新しく生きることへと押し出されました。契約とか約束ということを何度も語り、裏切られても裏切られても自ら契約や約束を破棄することはなさいませんでした。バビロン捕囚という民族全体の最大の危機のさなかに、やがて「新しい契約」を結ぶ日が来ると言われ、「恵みの約束」を果たす日が来ると力強く語られたのでした。どんなことが起こっても、どれほど時間がかかろうとも、私たちに赦しと新生を与え、公平と正義を実現しようと決心しておられるのです。

 神さまが恵みの約束を果たす日、それがクリスマスです。新しい契約が完成する日、それがキリストが再臨なさる日です。アドベント、それは到来という意味です。救い主がやってこられる。再臨の主がやってこられる。約束を神さまが果たされるのです。アダムやカインやダビデやイスラエルの民衆たちと少しも変わらない私たちのために神さまが約束を果たされる日が来るのです。畏れつつ、感謝しつつ、その日を待ちましょう。アーメン

2024年11月3日日曜日

魂は祈り賛美する

 2024年11月3日   聖霊降臨後第24主日 小田原教会

江藤直純牧師

詩編46編 ローマ3:19-28; ヨハネ8:31-36

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 賛美歌を歌うのが好きだ。こう思っているのはおおかたの信徒の方々ばかりでなく、求道者の方、さほど信仰に深く関心を持っていない方にもいらっしゃいます。ふと気づいたら、「慈しみ深き」を口ずさんでいたとか、12月になるとクリスマスの賛美歌を声を出して歌いたくなるとか、コロナの最中に礼拝で賛美歌を歌えなかったのが寂しかったとか、自分の葬儀の時には絶対この賛美歌を歌ってくださいと決めているとか・・・、ともかく私たちは賛美歌が好きです。大好きです。

 でも、礼拝で信徒が大きな声で賛美歌を歌えるのは16世紀からのことです。宗教改革からです。ルターのお陰なのです。それ以前の中世の教会では、司祭とか専門的な訓練を受けた聖歌隊しか歌えませんでした。会衆はそれを聞いているだけでした。聖書朗読をはじめ礼拝そのものがラテン語でなされていましたから、言葉は分かりません。一般の民衆は何やらありがたそうな雰囲気は感じても、ただそれを見ているだけでした。今では考えられないことですが、それが実態でした。

 マルティン・ルターのことを宗教改革者だというのは世界の常識です。もちろん彼一人が改革者というわけではなく、その100年前のチェコのプラハで火炙りの刑に処せられたヤン・フスも先駆者です。ルターより26歳若く、スイスのジュネーブを拠点に活躍し、改革派、長老派の基礎を築いたジャン・カルヴァンも改革者と呼ばれます。が、何と言っても宗教改革という巨大な精神運動を起こし、強力に展開し、ローマ教皇を頂点とする伝統的な教会の在り方を批判し、福音主義に基づくキリスト教を再形成re-form(ation)した最大の功労者はルターその人です。

 修道士として徹底して自分の罪と向き合い、聖書の研究を通して、神の無償の赦しの恵みを確信するに至り、詩編、ローマ書、ガラテヤ書、ヘブル書他の聖書を講義し、『キリスト者の自由』をはじめ幾多の改革文書を執筆し、ローマの神学者たちと論争し、破門された後はプロテスタントの教会を生み育てました。聖書学者、神学者としての功績は甚大なものですが、しかし、この運動を多くの民衆に目で見、耳で聴き、全身で感じることで体験させ、心底得心させて賛同を得ていくのに大きな力となったのは、礼拝改革でした。中でも会衆が歌う賛美歌を作り、広めたことがとても大事なことでした。宗教改革運動が始まってから7年目の1524年に最初の福音主義賛美歌集が出版されましたから、今年がちょうど500年目になります。神学者にならなかったら音楽家になっていただろうと言うほどの音楽好きで、自らもリュートという弦楽器を奏でていたルターですが、自分が音楽好きだからというよりも、人々の間に宗教改革の教えを広め、福音主義的な教会を建てるために、彼は民衆のために自ら福音的な賛美歌を作りました。それが民衆に広く受け容れられ、知的理性的だけではなく、霊的に共感し感性に働きかける賛美歌を広めたのです。

 彼のやり方は、中世からあったラテン語やドイツ語の歌に信仰的な歌詞を付けたり、伝統的な典礼の歌だけでなく民謡などにも福音的な歌詞を付けて替え歌にしたり、自分で新たに作詞作曲をしたり、詩だけ書いて曲を付けてもらったりしました。『教会讃美歌』にはルターの作詞による賛美歌が17曲、作曲したものが11曲、その内作詞作曲したものが6曲収められています。3年前に刊行された『教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ』にはルターのコラールというものが23曲も収められています。

 今朝はその内から4曲を皆さんと一緒に賛美し、また私がお話しをいたします。

2.

 初めの歌は240番「み言葉によりて」でした。ルターは徹底してみ言葉を重んじた人でした。なぜなら、み言葉こそは神さまが私たちにご自身を現し、ご自身の思いを、心を伝える手段だからです。神が語り、人は聴く。何をか、み言葉をです。「信仰は聴くことによる」のです。究極的にはみ言葉はイエス・キリストです。そして、キリストを預言し、キリストを証言する聖書はみ言葉です。ですから、ルターは誰もがみ言葉を読めるように全精力を注いで聖書をドイツ語に翻訳しました。その聖書を語ることによって今ココデみ言葉を宣べ伝える説教を極めて大事にしました。説教もまたみ言葉です。

 「主なる神」さまはそのみ言葉によって悪を「打ち砕き」、私たちを「支えて」くださいます。「力なるイエス・キリスト」は私たちを罪から救い出し「とわに守って」くださいます。「み霊なる神」、聖霊は民を「死より命へと導き」たまいます。三位一体の神は必ずそうしてくださると、私たちは信じ信頼して、どうかそうしてくださいと祈り願うのです。

 ルターは詩編をこよなく愛していました。修道士の頃、一日に七回祈りの時がありました。そのたびに詩編を朗読し唱えました。それを一週間繰り返すと七日で150編の詩編全部を読み終えます。それを来る日も来る日もするのですから、ルターは詩編をすっかり覚えていました。その詩編の中のいたるところに弱く罪人である自分自身を見出し、詩編の中にそのような自分へ赦しと命の恵みを与えてくださる神を見出していました。ですから、彼が賛美歌を作ったときに、詩編をそのまま、あるいは下敷きにして賛美歌の歌詞をたくさん書いたのです。

 今日のみ言葉の歌として先ほど歌いました『教会讃美歌』300番は「悩みのなかよりわれは呼ばわる わが主よ憐れみ、かえりみたまえ」で始まります。1954年版の『讃美歌』258番は「貴きみかみよ、悩みの淵より 呼ばわるわが身を顧みたまえや」でした。この出だしの歌詞を聞くだけで、或いは歌うと直ぐにこの賛美歌の下敷きになっている詩編が分かりますね。そうです、詩編130編です。1-2節「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください」。さらに3節は「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです。」と続きます。ここまでが賛美歌の第1節になっています。「悩みのなかより われは呼ばわる、わが主よ憐れみ かえりみたまえ。罪あるこの身に み赦しあらずば たれかは立つをえん」。

 賛美歌の翻訳はとても難しいです。元々のドイツ語の歌詞を丁寧、正確に日本語に訳そうとすると、たぶん二倍くらいの文字数が必要になります。音符に乗せ曲に合わせるために、原詞の内容は変えないで、言葉を短くします。さらにその訳文が日本語として文学的にも美しいものにしないといけません。ですから賛美歌の翻訳はとても難しいと言ったのです。そうしてできた日本語訳の賛美歌の歌詞と元々の詩編130編とを見比べてみますとみごとに対応しています。ルターは詩編130編を賛美歌にするために新しい歌詞を作り、それを日本語に直すという二重の神業のような作業がなされた結果、この賛美歌300番は詩編130編の内容に重なり合っているのです。先ほど見比べましたように、130編の1-3節の内容はルターによって讃美歌300番の1節と一致していることが分かりました。

 続いて、詩編の130編4節「しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです」は賛美歌の2節「ゆるしのみ恵み 豊かにあれば われらのなす業 誇るにたらず み前にひれ伏し ひたすら恵みに 委ねるほかなし」という具合に少し膨らませながら、詩人の賛美と感謝の思いがルターによって謳い上げられています。詩編の5-6節は賛美歌の4節になり、詩編の7-8節は賛美歌の5節になりました。

 ところが、すでにお気付きのかたもいらっしゃるでしょうが、賛美歌300番は5節まであります。詩編130編の1-8節はすでに賛美歌の1,2,4,5節で言い表わされています。ということは、賛美歌の3節はどうなったのでしょうか。あの歌詞はどこから来たのでしょうか。3節の歌詞を読んでみましょう。「わが主の他には たのむものなく、この世の功も みまえにむなし。いのちの言葉ぞ ただわが慰め、まことのたてなり」。これは宗教改革者マルティン・ルターのオリジナルの部分です。彼が付け加えないではいられなかったところです。もちろん130編の詩人は「しかし、赦しはあなたのもとにあり」と謳って、罪の赦しを与えてくださるのは神さまだと告白しています。ルターはそのことを徹底してはっきりと福音として強調したかったのです。だから3節の詞を書き加えたのです。「わが主」、イエス・キリスト、このお方以外に救い主はいらっしゃらない。このお方以外に私が頼り縋るべきお方はいらっしゃらない。罪の赦しを獲得するためには「この世の功」、つまり、人間的に評価される宗教行為、修行も善行も知識も献金もその他一切の業も「御前に空し」、何の役にも立たないと彼は言いきっているのです。人間による行為によってではなく、無償で無代価で与えられるところの、救いをもたらすキリストの「いのちの言葉」、福音のみが「ただ我が慰め」なのです。「まことのたて」なのです。ルターはそう大声で言わないではいられなかったのです。

 詩編130編には言葉では出て来ていない十字架の救い主イエス・キリストの「恵みのみ」の福音を今一度明らかにし、感謝し、賛美しないではいられなかったのです。宗教改革的な信仰です。それを3節として挿入したので賛美歌300番は5節から成っているのです。七つの悔い改めの詩編のひとつと言われる詩編130編は、このようにして人間の悔い改めの真情を切々と謳い上げるという以上に、その罪を赦してくださる恵みの神さま、十字架のキリストへの感謝と喜びの賛美歌になったのです。ちょっと聞くと重苦しい曲調ですが、まさしく福音的な賛美歌なのです。

3.

 ルターといえばこの賛美歌、宗教改革の礼拝といえば必ず歌われる定番が教会讃美歌450番です。タンタンタンタタタンタタタンタン。高らかに、力強く神を賛美し、信仰の勝利を謳い上げている感じです。耳に残っている古い歌詞は「神は我がやぐら、我が強き盾」です。教会讃美歌では「力なる神は我が強きやぐら」です。

 19世紀にプロシャが統一ヘと民衆を駆り立てるときも、20世紀にナチスが全国民を鼓舞するときにも、この賛美歌が利用されました。まるで愛国的な勝利の行進曲のようだったのです。第二次世界大戦の後、ドイツの教会はそのことを反省をしました。

 反省したからだけではなく、その下敷きになった詩編46編やルターの賛美歌の研究が進んで、この賛美歌は範疇としては「慰め」の部に収められることになりました。ちなみに教会讃美歌は450番を信仰の戦いという部に収めています。そのようにも言えますが、この詩編は詩人が極めて困難な状況にあったときに神に向かって歌った詩なのです。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦」、これはものすごい試練や攻撃に晒されているときだからこそ、神は危険な状況にある私の避難所、敵から身を守るための砦だと言っているのです。「苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」という告白は、詩人が文字通り命の危機、存在の危機に置かれていることを表わしています。

 詩人は「地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも」と描写しています。これは現実にはあり得ない誇大妄想でしょうか。いいえ、29年前の阪神淡路大震災、13年前の東日本大震災、今年の元日の能登半島の地震や夏に起こった大雨を目の当たりに見て知っている私たちにはこの詩人と自分自身の経験が重なり合います。大地震、大津波、原発のメルトダウンが起こったのです。まさに地が姿を変え、山々が揺らぎ、海の水が騒ぎ沸き返るのは起こりうる破壊的な危険です。79年前にヒバクシャたちが経験したこともそうです。この世の地獄だったのです。ヒバクシャの方々が今日のガザやウクライナで空爆により町中一面瓦礫の山と化し死屍累々となっているのを見て、ヒロシマ、ナガサキと同じ苦しみだとノーベル平和賞の受賞決定のときに心を痛めておられました。

 ルター自身もヨーロッパの人口の三分の一が亡くなったペストの大流行も経験しましたし、実際この賛美歌を書いた1526-8年頃は彼の住むヴィッテンベルクでもまたペストが流行っていて町の人々の大半が避難したこともありました。トルコの軍隊がドイツの隣りのオーストリアのウィーンにまで迫って来て、町を包囲しようとしている危険な時期でもありました。そして、宗教改革運動も旧勢力によって押し潰されそうな窮境に陥る困難も現実のこととして味わったのです。シェルディングという町でカイザーというプロテスタントが殉教しました。このような苦難と危険に取り囲まれていてひどく不安になっていたのはなにもルターが極端な不安症だったわけではないのです。

 そのような状況にあったルターにとっての唯一の慰めは、そして唯一の希望は、詩編46編を書いた詩人が証しした「力なる神」の存在でした。「わたしたちの避けどころ、わたしたちの砦」であり、「苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」お方が、その危険と苦難のさなかにいてくださるという事実でした。この事実、この約束だけが唯一の、そして真実の慰めであり、希望だったのです。その約束に、そのことの聖書の証しにルターはどれほど深く慰められたことでしょうか。自分自身が慰められた経験があってはじめて彼はこの賛美歌の詩を46編に基づいて書いたのでした。

4.

 だからこの歌は最初に出版された1529年から「慰め」の歌に分類されていたのです。450番の1節で「悩み苦しみを防ぎ守りたもう」と日本語になっている箇所のルターの元々の詩を忠実に訳せば「神はわれわれを無代価で今われわれを襲うすべての窮乏から助けてくださる」(徳善義和『ルターと賛美歌』)でした。この文をギュッと圧縮して日本語の歌詞ができたのですが、圧縮する際にドイツ語で言えば一つの単語がなくなりました。それは「フライfrei」という単語です。英語で言えばフリーfreeです。日本語にすれば、それは「ただで、無償で、無代価で」という意味です。

 ルター学者の徳善義和先生はこの小さな言葉がなくなることを許さず、「神はわれわれを無代価で・・すべての窮乏から助けてくださる」と正確に訳されたのです。神が私たちを救うのは、それが神の仕事だからとか、私たちが救っていただくのにふさわしい者だからとかではありません。そうではなく、そうしていただくのにけっしてふさわしくもなければ、それに値しない者だということもよくよく自覚しているのです。しかし、いえ、だからこそ、神は「無代価で」救ってくださるのです。そこにいまし、救いの業をするように仕向けるのは、ただ神の愛なのです。与えないではいられない神の憐れみ、神の義なのです。今朝の第二の朗読で使徒パウロも明確にこう言っています。「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ロマ3:24)と。

 ルターは宗教改革の中心的な教え、「ただ恵みによってのみsola gratia」をこのたった一つの小さな単語「フライ」に込めたのです。ただ翻訳の都合上、もともとのドイツ語の歌詞をギュッと圧縮しなければならなかったので、残念ながら日本語の歌詞には現れていません。でも、皆さんはこの賛美歌を歌うたびに、神は私たちを、この私をフライ、ただで、無償で、無代価で悩み、苦しみ、窮乏から防ぎ、守り、助けてくださるという、言葉には尽くせないほど大きな恵みを思い出してください。そうすれば、ルターがそうだったように、私たちも深い慰めを受けることができるのです。

 今日の感謝の歌は450番です。少しゆっくりと、しかし、神の恵みへの感謝と信頼を込めて、歌ってみましょう。詩編46編の詩人の気持ち、改革者ルターの気持ちを思い起こしながら歌ってみましょう。

 詩人も改革者も世々の信仰の先達たちも、そして私たちもどんなときにも祈るのです。そして神の無代価の恵みをいただいて賛美するのです。アーメン

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2024年10月27日日曜日

他者に仕える人

  「他者に仕える人」    2024年10月20日(日)

 マルコによる福音書10章35〜45          説教:長岡 立一郎

 「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 10:45人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」 (マルコ福音書10章43b〜45節)

1.自分が何かを持つ考え方の転換

今日の説教は、 「他者に仕える人」という題を付けさせていただきました。この題を見て、皆さんは、どのような感じやイメージを持たれたでしょうか。恐らく人によっては、「他者に仕える」ということを言っているのは、余程、余裕があって時間とお金に困っていないから、そんな呑気なことを言えるのだろう。あるいは逆に、そんなことを言っているから競争社会では、社会的に活躍できず、社会の落ちこぼれになってしまうのだ、という批判の声が聞こえてきそうです。

 「他者に仕える」という言葉は、以上のような人々の声を踏まえた上で、この言葉の持つ意味は、現代に生きる私たちの心や気持ちとは逆かもしれないが、あえて取り上げているのです。

というのも、戦後、79年の間、私たち日本人は疑いもなく一生懸命、勤勉に働き、一生懸命に受験勉強に励み、学歴を身につけ、より収入のある仕事に就くため頑張ってきました。それは自分で何かを持つことに熱心で、それに物を持つことに執着し過ぎたことはなかったでしょうか。

ところが、ここ10〜20年の間に、地球温暖化問題が取り上げれるようになり、ここ数年、酷暑の夏が続いており、アメリカ東部では、100年に一度あるかないかのハリケーンが発生している状況下にあります。また、国内では、子どもたちの中には登校拒否が進行し、かつてないほど増加していることが判明しています。大人さえも対人恐怖症や離人症に悩まされ、仕事が長続きせず苦しんでいる人が多いことが報道などで指摘されています。


2.「持つことか、あることか」

 以前にもご紹介したことがありますが、エーリッヒ・フロムという社会心理学者が『生きるということ』(1976年、翻訳版、紀伊国屋書店)の中で、”To have or to Be”という大変興味深いことを書いています。それは、日本語で言うと「持つことか、あることか」ということなります。

 ここで指摘されていることは、「何かを持つ(to have」」こととは、まさに私たち日本人が何かを持つことに必死に追い求めてきたことに通じます。しかし、その跡、何が残っているのか、との問いかけがあるのです。それに対して、「あること(to be)」、つまり、それは「人間である」ということ」が、改めて問われているのです。人間であることを見失っていないか。もう少し突っ込めば、人間であるために「他者」を見失っていないか、との問いかけがあると思うのです。 


3. 「自分が何を願っているのかわかっていない」弟子たちの願いさて、今朝のみ言葉は、人間であることの根本的なあり方を示す弟子と主イエスの言葉のやりとりが語られています。弟子の中でも主イエスの身近にいたゼベダイの子ヤコブとヨハネが「先生お願いすることをかなえていただきたいのですが」(35節)とイエスに願い出た場面です。

何を願いでたか、といえば、「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」というものでした。イエスご自身は何度もご自分の受難を予告していたにも関わらず、彼らはそれを受け入れることができず、ただイエスが栄光を受けることしか考えていません。

 10:38イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 10:39彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる、と主イエスは予告をなさっているのです。それにもかかわらず、二人の弟子たちは、自分の地位、自分の名誉を得るためのことしか考えていなかったのです。自己保身的な弟子たちの姿が浮き彫りになっています。

 この「杯(さかずき)」とは、救いと喜びのシンボルです。しかし、日本語にも「苦杯をなめる」 という表現があるように、苦しみのシンボルの意味をもっています。しかし、弟子たちは、その意味するところを分からなかったのです。


4. 逆転の発想 ―偉くなりたい人は、仕える人にー

 さらに主イエスは、この世界における一般的な考え、つまり、「10:42あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 10:43しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 10:44いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」と教え諭されたのです。

 自分の利益、自分のもの、自分が上に立つこと、どうしても自分が優先するのが人の世の常でありますが、主イエスは、その反対のことをおっしゃったのです。「いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい、と。今日の説教題に則して言えば、「他者に仕える人」になりなさい、ということになります。人は自分一人では、残念ながら人間となり得ないのです。相手、他者があって人間となるのです。しかも他者を支配する形ではなく、他者(相手)に仕える形でのみ人間らしく生きることができるのです。また、そこに自由というものも与えられるのです。


5.「仕える人」、「僕になる人」ことがが豊かな神と人とのつながりになる。主イエスご自身、み言葉の最後に述べられているように、10:45「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」と。

 今日のクライマックスというべきみ言葉は、主イエスご自身がこの世界に来られた意義、その使命が明確に語られているところです。それは「他者に仕える」ために、他者を救うために、自らを献げてくださった、という出来事を示している命をかけた言葉なのです。

 「仕える人になる」「僕になる」という生き方の中にこそ、もっと豊かな神とのつながり、人とのつながりがあるのだ、ということを今日のみ言葉から聞き取りたいのです。

2024年10月6日日曜日

人間になくてはならないもの

 2024年10月6日 江藤直純牧師 小田原教会                   

創世記 2章18-24;

ヘブライ人への手紙 1章1-4, 2章5-12; 

マルコによる福音書 10章2-16

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 聖書に従って生きていきたいと思います。おそらくそのこと自体に異存のある方は一人もいらっしゃらないでしょう。しかし、聖書に従ってということは具体的にはどういうふうに生きていくことでしょうか。

 イスラエルの父祖、信仰の父と言われるアブラハム。彼にはサラという妻がいました。いつまでたっても子ができず高齢化していく中で、ハガルというエジプト人の女奴隷を、妻サラの勧めもあって、身籠もらせ、イシュマエルという男の子を得ました。後にトラブルの元となりましたが、ともあれこういう出来事がありました。聖書に書かれていることです。では、私たちもそうしますか。

 12の部族に分かれていたイスラエルに、サウル、そしてダビデ、またソロモンが現れ、預言者によって油を注がれ、王となり、国を統一し繁栄させました。今世界には立憲君主制の国もありますが、大統領制の国もあれば議院内閣制の国もあります。それ以外もあります。国家の統治の仕方はさまざまです。どれかを聖書的と呼び、それ以外を非聖書的と言えるでしょうか。

 人を、特に複数の人を殺めたときに課される刑罰の中でも最も重いものは死刑です。2022年現在全世界で144ヶ国が事実上の廃止を含めて死刑廃止国になっているとアムネスティ・インタナショナルは発表しています。死刑存続国の中には日本とキリスト教国と言われるアメリカが含まれています。最高裁での死刑確定から44年ぶりに実現したやり直し裁判でやっと無罪になった袴田巌さんの件を見て、改めて死刑の存続・廃止が議論されることを望みますが、残念ながらほとんど話題にはなっていません。どちらにせよこれについて聖書の中に確固とした判断根拠を見出すことは簡単ではありません。

 パウロがコリントの教会の人々に向かってこう言いました。「ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです」(Ⅰコリ11:3)。さらには、女性に向かって頭にかぶり物をしなさいと言ったり、男と女の髪の長さにまで言及したりしています。あろうことか、「婦人たちは、教会で黙っていなさい」(同14:34)とまで言っています。20世紀の後半にキリスト教の中でもフェミニズムが盛んになってきたときに、パウロは手ひどく非難されたものでした。

 聖書に従って生きると申しましたが、そうすることは聖書のあらゆる部分を一言一句すべて文字通り実生活の中で実行しなければならないという具合に受け取ると、すぐに行き詰まります。生活のあらゆる面を聖書の言葉で律することは困難です。それは時代的、社会的な背景の変化や文化の相違という問題もありますが、そもそも聖書は私たちの生活すべてのマニュアル或いは規則、ルールではないということが根底にあります。

2.

 さて、その上でさらなる難問です。人間の生活の中でも基本の一つである結婚について、更にはそれと関わる離婚について、これが本日の福音書のテーマです。旧約の日課、創世記2章もそれと大きな繋がりがあります。

 例によって、イエスさまが群衆に教えておられると、ファリサイ派の人々が離婚について教えを乞うふりをしながら難問を吹っ掛けます。難問だと言いますのは、もしもイエスさまが愛を強調して離婚など絶対にしてはいけないと言われたら、彼らはモーセの律法には離婚についてきちんと定めがあるではないかと攻撃するつもりだったことでしょう。しかし、逆に、イエスさまが離婚を堂々と認めるならば、もしかしたら彼らは創世記2章を持ち出してきて、結婚は神が定められたものであると言って、イエスさまを攻撃したかもしれません。

 人類の歴史の中では、結婚に至る過程も、結婚の形態も、結婚式のやり方もさまざまありましたが、一つだけ確かなことは結婚というものはいつの世にもあったということです。聖書の第一巻、創世記の2章には、結婚という単語こそ出ていませんが、男と女の根本的な関係が語られています。ヨハネ福音書によればイエスさまがなさった最初のしるしはカナという町での婚宴のときに水をぶどう酒に変えられた出来事でした。しかしまた、離婚というものも常にありました。洗礼者ヨハネが首を刎ねられたのはヘロデ王が弟の妻と結婚しようとしたことを彼が非難したからでした。16世紀に英国教会がカトリック教会から分離独立した背景には国王ヘンリー八世の離婚問題がありました。

 例を挙げれば枚挙に暇がありません。結婚について、そして離婚について私たちは具体的にどう考えるべきなのでしょうか。そもそも聖書は何と言っているのでしょうか。

 結婚と離婚の実態はどうでしょうか。日本では結婚の総数も割合も減少していることはご承知のとおりです。2022年の統計ではその一年間に日本で結婚した人は50万4878人で、その年に離婚した人は17万9096人。結婚した人を分母、離婚した人を分子にすると、約35%、ほぼ三組に一組となります。しかし、その見方は乱暴です。私たちの実感にも実態にもそぐいません。その年に結婚したカップルの三組に一組がその年に離婚するわけではありません。国際的な離婚率の算出方法はそうではないそうです。人口を分母、年間離婚届出件数が分子、それに1000を掛けて算出すると、日本は人口1000人につき1.69組の夫婦が離婚しているとの数字が出ています。国際比較をしてみると日本がとくに離婚が多いとは言えなくて、一時は2前後だったけど、近年はやや下がり気味だそうです。しかし、熟年離婚やDVなどいろいろ話題になっています。

 むしろ、最近の世間の関心は、非婚の増加という問題もありますが、同性同士のカップルを婚姻として認めようとの同性婚にも向けられています。性的な指向sexual orientationが異性にではなく同性に向いている人たちの人権問題として捉えられています。先週終わった朝ドラ「虎に翼」でも主人公の同級生の男性弁護士が当事者でした。ヨーロッパでは比較的オープンですが、アメリカの4分の1を占める福音派と呼ばれる人たちは非常に強く反対しています。日本では選択的別姓でさえまだまだ壁は厚いです。同性婚にも法律は開かれていません。

 私たちはそういう現実の只中を生きています。性的少数者の人々も含め、一人ひとりが自由に主体的に生き方を選び取っていくことが日本だけでなく世界の大きな潮流であるときに、私たちは今日の福音書の日課に記されているイエスさまの結婚と離婚についての教えをどのように理解したらよいでしょうか。

3.

 ファリサイ派の人々が持ち出したモーセが書いたと言い伝えられている申命記24章の離婚についての規定は、現代人にも有効で、そもそも人間は結婚をどう考え、離婚をどのように考えるべきかということを真正面から深く包括的に論じた教えではないことを先ず押さえておきましょう。1節から4節の短い段落には、離婚は男性たる夫が女性たる妻に対して、結婚した後に「妻に何か恥ずべきことを見出し、気に入らなくなったとき」に合法的に離婚するやり方が定められていると言うのです。なるほど、そのような場合だったら女性が離婚させられるのも仕方がないなと思えそうな事例だけが挙げてあり、例えば逆に男性の側が「恥ずべきこと」をした場合はどうか、どうしたら女性は夫から解放されるかといった視点というか問題意識はまるでありません。それは丁度戦前までの日本にあった姦通罪という法は女性だけを罰する規定であって、男性の浮気や不倫を咎めることは念頭になかったことと同じです。申命記には夫が暴力を振るったり扶養する義務を果たさなかったりした場合も触れられていません。

 そもそも夫と妻の対等性などという理念は見られないのです。結婚するときに互いが互いに負うべき義務があるという考えというか価値観がまったくないところでの、男性の側からの離婚の手続きが定められています。それをもってファリサイ派の人々は離婚の是非を問うているのです。イエスさまが「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」と言われた意味が分かってきます。

 そのような考え方に囚われている彼らに向かって、というか、私たちに向かって、イエスさまがおっしゃったのはもっとずっと根本的なことでした。離婚はおろか結婚という社会的な制度や法や規則についての考えや制度をもっと越えて、人間というものの在り方を根っこから、根源的に考えるように導いてくださっています。男と女と言い、夫と妻と言うから結婚の教えだと思いがちですが、そこに留まるものではありません。人間が人間であるために最も大切なことを創世記2章の言葉を引きながら、主イエスは教えようとされているのです。だからこそ、結婚、離婚、非婚、同性婚はじめどのような問題を考えるときにも出発点になるのです。そこから始めなければ、小手先の議論になってしまいます。

4.

 さて、皆さんは「ウブントゥ」という言葉を聞かれたことがありますか。私も先々週までは見たことも聞いたこともない言葉でした。「ウブントゥ」です。そもそもいったいどこの国の言葉かと言えば、アフリカ南部の言語だそうです。それに出会ったのは朝日新聞の教育の欄にあった「まなび場 天声人語 漢字ドリル」というコーナーでした。そこに教材として今年の5月10日付けの天声人語が載っていました。350年に亘った白人による黒人支配、アパルトヘイトと呼ばれた人種隔離政策がついに終わって、南アフリカで歴史上初めて全人種が参加した民主的な選挙が実施されたのです。27年間も投獄されていた反アパルトヘイト闘争の指導者ネルソン・マンデラ氏がその選挙によって初の大統領に選出されたのです。それが30年前の5月10日のことでした。今年のその日の天声人語がそれに触れていたのです。白人たちの中には今度は黒人によって自分たちが仕返しをされるのではないかという恐れを抱いている人たちがいたことがこの記事の背景です。

 天声人語の一部を紹介します。「▼だが、(マンデラは)就任演説では和解の精神を掲げた。多人種が協調できる「虹の国をつくろう」と呼びかけた。仲間を失い、ひどい仕打ちを受けた恨みを抑えられるものなのか。当時、彼を知る南アの活動家に尋ねたら「『ウブントゥ』を信じているから」という。▼ウブントゥはアフリカ南部の言語で「あなたという人間がいるから、私が人間でいられる」という意味があるそうだ。寛容さや助け合い、許しの概念を指す」。

 私はアフリカ南部の言語など全く知らないのですが、「ウブントゥ」の言葉の意味は、寛容さとか助け合い、赦しでもあるのでしょうが、私の胸に重く響いたのは「あなたという人間がいるから、私が人間でいられる」という意味です。仲間だった人だけでなく、かつて自分を虐げ迫害した人、いわば敵に当たる人にもそう言うのです。そのあなたという人間がいるからこそ、今のこの私がいると心の底から言えたなら何と素晴らしいことでしょう。あなたはもう一人の私ではないのです。あくまで私と異なる存在なのです。私と異なるそのあなたがいるからこの私がいる、あなたがいなければ私はいない。これはまことに真実です。

5.

 創造主である神さまは最初の人を一人のままにはなさいませんでした。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創2:18)とおっしゃいました。最新の聖書協会共同訳ならば「彼にふさわしい助け手を造ろう」です。パートナーとして、差し向かい合って生きる存在です。その人は何か仕事をする際の助手、補佐役、お手伝いというのではなくて、私が私でいられるためには、或いは私が私になるためにはどうしてもなくてはならない存在、その意味で私の助け手だと言うのです。その二人は「父母を離れて」(マコ10:7)、つまり、一人の独立した個人、主体的な人格として互いに向き合うのです。「神は人を男と女とにお造りになった」(同10:6)とは、もう一人の人は自分のコピーではなく、自分の思うどおりに操作できる人ではない存在として、自分と異なる存在として神はその相手を創造なさったと聖書は語るのです。異なる存在の典型として男と女と言われたのではないでしょうか。そのような相手は異性に限られるものではないでしょう。結婚という形態に限定されなくてもいいでしょう。同性であれ異性であれ友人同士の場合もありえます。

 現在、人間は男か女かのどちらかにスパッと区別できるものではないと言われるようになってきましたが、そうであっても相手は自分とは異なる存在です。同じ性の人に愛情が向くにしろ異性に向くにしろ、あくまで他者であって、もう一人の自分ではないのです。そういう存在と深い意味で共に生きていくことを通して初めて「ウブントゥ」なのです。「あなたという人間がいるから、私が人間でいられる」のです。あなたという人間がいなければ、私は人間でいられないのです。

 私たちは生物学では片仮名で「ヒト」と呼びますが、ふつうには「人」という漢字一字で表わすこともありますが、ごく自然に「人間」と言い表わします。「人」ですまさずに敢えて「人間」と呼びます。人のことを「人と人の間」或いは「人と人との間柄関係を生きる存在」という意味を込めて「人間」と呼ぶ不思議さの意味が見えてきます。人間は、好きであろうと嫌いであろうと、人と人の間柄関係を真摯に生きることをしなければ、けっして人間ではいられないし、人間にはなれないのです。そこに創造主の深い御心があるのです。そのような相手こそは「神が結び合わせてくださったもの」(同10:9)なのです。そういう人間理解がまずあって、その上で結婚という事柄も成り立つのです。結婚しない人間関係であっても誰かがその役を果たすのです。

 現実にはそのような関係であること、そういう関係になることを期待されて結婚しても、そうであってもなお、離婚ということが避けられないのが私たちです。人間の不完全さ故に、弱さ故に婚姻関係を維持継続することができなくなることがあるのです。続けたい思いはあっても負わされた傷の痛みに耐えかねることも起こりうるのです。原因がどちらの側にあるにしろ、もはや一度白紙に戻してそれぞれやり直すことしか健全に生きていく道がどうしても見つからない場合も残念ながらありえるのです。そういう選択をせざるを得ないことを互いに受け容れ、また二人を結びつけてくださった神に憐れみと赦しを乞い、再出発をするのです。

 それは申命記24章のファリサイ派的な解釈ではなく、またイエスさまの言葉の表面的な理解とも違います。イエスさまはただ杓子定規に離婚する者を断罪しておられるのではありません。離婚と姦通の話をされていますが、男性が離婚を申し出る場合だけあって、女性から離婚を申し出ることはありえなかったのがパレスチナ・ユダヤ教でしたが、ヘレニズム・ローマ世界ではありえました。こういう公平な立場に立つイエスさまがなお厳しいことをおっしゃるのは、それほど夫婦関係を、そして実は根本的には人間関係を大切にするようにとの強い願いの表れでしょう。

 しかし、そう言われるお方は、不完全で、弱く、傷つき苦しんでいる人を断罪するのではなく、受け容れ、癒し、再生へと導いてくださいます。イエスさまはそのような愛の主であることを堅く信じましょう。主は私たちに求めるだけでなく、愛を全うできない私たちに向かってもなお「ウブントゥ」、あなたという人間がいるから、私も人間でいられるとおっしゃり、身を持ってそう実践されました。不完全で、弱く、傷ついている人間に寄り添い、そのために生きたからこそ、まことの人間になられたのです。

 その主イエスを堅く信頼し、身を委ね、受け容れましょう。ちょうどあの子供たちが無邪気にイエスさまを信頼し、身を委ね、受け容れたように。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン


2024年9月1日日曜日

弱さは力、欠けは豊かさ

 2024年9月1日 聖霊降臨後第15主日 小田原教会

コリントの信徒への手紙二 12章5b-10節

江藤直純牧師


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

0.

 今日与えられた聖書の日課は急遽変更しましたが、只今読んでいただいた通りです。実は、先週日吉教会でなされた日吉・横浜両教会合同礼拝での聖句と説教を小田原の皆さまにもぜひ分かち合いたいと急に思い立ち、まことに勝手ながらそうさせていただきます。説教題は「弱さは力、欠けは豊かさ」です。

 日吉教会ではちょうど同じ時期に、この4月に天に召された花の絵とそれに添えられた詩で有名な星野富弘さんの詩画展が開催されていました.小田原教会にも案内のチラシが掲示されていました。礼拝後にみんなで40枚ほどの作品を鑑賞しました。皆さまの中にもカレンダーや書籍でご存じの方もいらっしゃることかと思います。

1.

 キリスト教の歴史は二千年に及びます。その中には数えきれないキリスト教徒がいました。有名な人も無名な人も世界中にいましたし、今もいます。今ここにもこのとおりいらっしゃいます。しかし、もしも「この人」がいなかったら、新約聖書も今のそれとは大きく違ったものになっていたでしょう。教会の姿も在り方も歴史もおそらく全くと言っていいほど異なったものになっていたでしょう。キリスト教は世界宗教とはなっていなかったかもしれません。この人とは、皆さんも良くご存じの使徒パウロです。

 いささか大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私は彼のことを初代教会最大の伝道者、最大の牧会者、最大の神学者と呼んでいます。パウロがシリアのアンティオキアの教会から招かれ、送り出されて、三度に亘る世界宣教旅行に旅立ったのは紀元40年代の後半、そのあと20数年間ひたすら小アジアからヨーロッパへとギリシャ・ローマの世界を伝道して回りました。ものすごい苦労の数々がありましたが、それに耐え、それを突破して、各地に信徒の群を起こしました。まさに最大の伝道者です。各地の教会を訪ね、あるいは手紙を書き、弟子を遣わしては愛と福音をもって信徒の魂の配慮をし、また信仰者の群を整え成長させました。最大の牧会者です。彼の書き残した書簡は新約聖書の中で一番分量が多いですが、量の問題ではありません。4-5世紀のアウグスティヌス、16世紀のルター、20世紀のバルト、日本では内村鑑三、彼らはみな信仰の危機、教会の危機に直面したときに等しく「ローマ書」を読み、研究をすることで福音の真理を示され、霊的なヴィジョンとパワーを与えられて教会の歴史、いいえ、人類の歴史に途方もない貢献をしました。そのローマ書を書いたのがパウロです。最大の神学者と呼ばずにはいられないのです。この人こそ福音信仰の大先達、キリスト教会の大指導者、世界の宗教界の巨人の一人と言えるでしょう。その業績からして人間離れした偉人だと思われて当然でしょう。

2.

 しかし、生身のパウロはどういう人だったでしょうか。さぞや雄弁な説教者、強烈なオーラを発揮する人だっただろうと想像できます。パウロの信奉者たちならきっと口を揃えてそう言ったことでしょう。けれども、彼の悪口を言う人たちは違っていました。「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」(Ⅱコリ10:10)と言っているのです。別のところでは彼は「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている」(同10:1)私、と記しています。そのような世間の悪口というか評価を書き残しているのは実はパウロ自身です。そういう印象を与えていることをパウロは否定していないのです。予想に反して、彼には伝道者に必須と思われる、人々を惹きつける雄弁さもカリスマ性もあまりなかったのかもしれません。

 人生の後半をひたすら伝道に打ち込みましたが、苦心惨憺でした。最後は裁判のためにローマへ護送されました。そんな中、人間的には恵まれず、富も権力もなくても、せめて心の安らぐ家庭生活をパウロが望み、苦労の多い伝道旅行に同伴してくれる人生のパートナーを求めたとしても少しもおかしくありません。しかし、彼はコリントの信徒たちに向かって「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟やケファのように(つまり、ペトロのように)、信者である妻を連れて歩く権利はないのですか」(Ⅰコリ9:5)と呻くように苦衷を吐露しています。キリスト教の伝道者は妻と一緒に伝道してはいけないなどという法律があるはずがありません。現にペトロもその他の使徒もそうしているのです。当時のユダヤ社会の習慣からして彼が独身だったはずもないでしょう。しかし、なぜかパウロにはこの過酷な伝道旅行に同伴してくれる、愛する妻はいなかったのです。早くに亡くなったのか、それともとうとう共通の信仰を持つことができずに共に生きることを拒まれ、その挙句、離婚したのか。パウロは手紙の中のどこにも一言も語っていませんし、伝承もありません。分かっているのはただ一つ、彼が同伴する妻を失ったことを嘆いているということだけです。

 人を惹きつける魅力や雄弁さが欠けていること、あるいは結婚相手を失ったことなどは辛くても耐えることはできるでしょう。事実彼はそれでも生涯を福音宣教に捧げました。しかし、彼が耐えられずに神に叫ぶように祈り願ったものがあります。それは健康でした。健康な体さえあれば、どんなことをもなんとか耐え忍ぶこともできるでしょうが、それが彼には決定的に欠けていたのです。その病が何だったかは聖書には明示されてはいません。テンカンだったという言い伝えはあります。しかし、何であれそれは並大抵の痛みや苦しみではなかったようです。「わたしの身に一つのとげが与えられました」(Ⅱコリ12:7)。とげだと言っています。しかもそれは「思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」(同)。サタンの使いだというくらいですから、その痛み苦しみはよほどひどかったのでしょう。「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました」(12:8)。他のどんな迫害にも苦しみにも耐えた大の男が、涙を流し悲鳴を上げて神に助けを求めたのです。しかも一度ならず、二度ならず、三度までも懇願したのです。どれほどの痛み、苦しみだったことでしょうか。さすがのパウロも自分の弱さをもろに曝け出しています。

 けれども、このパウロの哀願に対しての主イエスの答は全く意表を突くものでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12:9)。「キリストの恵みは私に対して十分ですって」、えっ、そんなの嘘でしょう。「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるですって」、それは無茶苦茶です。それは私が願っていた答ではありません。その正反対です。皆さんがその立場だったならどういう反応をしたでしょうか。私だったならと考え込みます。

 しかし、驚くべきことに、彼が発した答えは否定的なものではありませんでした。パウロの主イエス・キリストへの答はこうでした。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。なんと自分の弱さを誇りましょうですって。たしかにそう言っています。そして、さらに続けています。「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(9-10)。

 イエス様からの語りかけを聞いてパウロが即座にこう応えたのか。それは分かりません。瞬時にではなくても、一日か二日後にこう言えたのでしょうか。いいえ、もっと何か月もかかったかもしれません。何年も要したかもしれません。でも、その日は来たのです。心から「私は自分の弱さを誇ります。キリストの故に満足しています。なぜなら私は弱いときにこそ強いからです」と胸を張って告白できる日が彼に訪れたのです。

 パウロのおそらく二十年以上に及び豊かな実を結んだ福音伝道と、のちに聖書に収められる数々の牧会的な手紙の執筆、それは彼の持ち前の強さの成果ではありませんでした。ユダヤ教のエリートとしての旧約聖書の知識と宗教性と、ギリシャ文化の町タルソスで育まれたギリシャ語とギリシャの宗教と文化の素養とを併せ持った、類い稀れな異邦人伝道の適性が可能にした成果ではなかったのです。もちろんそれらは間違いなく役には立ちましたが、それらではこの豊かな成果は出なかったでしょう。それらの強さではなく、あれほど嘆いた弱さ、痛み、欠けがあったからこそ、パウロはあのような大きな、豊かな福音の花を咲かすことができたのです。なぜならば、その弱さと欠けをキリストが、キリストの十字架が、癒し、満たし、新しい命を注ぎ込み、それらを用い、パウロをとおして福音の花を美しく咲かせ愛の実を豊かに実らせてくださったのです。まさに「キリストの力がわたしの内に宿った」(12:9)ときにパウロはその弱さと欠けを受け容れることができたのでした。弱さと欠けに新しい意味を見出し、新しい命を生き始めたのでした。パウロは「わたしは弱いときにこそ強い」(12:10)と心から正直に認め、信じ、感謝することができたのでした。非常に辛い出来事でしたが、それがまことの喜びの源となったのです。パウロは「弱さの伝道者」でした。彼が信じ伝えたのは「弱さの福音」だったのです。

3.

 先週の日吉教会と横浜教会の合同礼拝は、「星野富弘展」と時を同じくして開催されています。星野富弘という名前と作品は私が44年前にシカゴに留学中に熊本の母が送ってきてくれて初めて知りました。『愛、深き淵より』という本を移民局の待合室で読んでいて、気がついたら涙を流していたことを思い出します。

 星野さんは、皆さんもご存じでしょうが、子どもの時から元気の塊だったそうです。群馬の田舎を走り回り、中学時代は陸上部、高校は器械体操部と山岳部、大学では体育を専攻し、念願叶って中学校の体育の教師になりました。それが部活の指導中の突然の不慮の事故で頸椎を損傷してしまい、なんと首から下の手も足もまったく動けなくなったのでした。手足に痛みさえ感じなくなったそうです。それはどれほど辛いことだったでしょう。大好きだった器械体操ができなくなっただけでなく、一生寝たきりを強いられることになると宣告されたのです。手紙をもらっても返事一つ、いえ文字の一つも書けなくなったのです。体操ができない、せっかくなった教師を続けられない、それどころか日常生活で身の回りの一切のこと、ご飯を食べることもトイレに行くことも何一つ自分ではできなくなったのです。これからの人生に何の希望もなくなったと思えたのです。

 自伝とも言うべき『愛、深き淵より』を読んでいて、心にグサッと来た出来事がありました。三度三度の食事の介助をする母親が富弘さんの口にスプーンで食べ物を運んでいたとき、具体的には何が起こったのかは忘れましたが、彼が突然怒り出し自分の感情を制御できなくなって口の中のものを母親の顔に吹き付けたのです。大の母親好きが、親身で看病してくれている母親に、事もあろうに、口の中の食べ物を吹き出したのです。母親は何も言わずに片付けたのでした。二度とそんなことはなかったでしょうが、一度だけであってもそんなことをした富弘さんの、人生の一切を失ったことへの、どうにも言い表わしようのない悲しみと、何の希望も持てなくなった理不尽な運命への憤りを読んでいて感じたものです。自伝のタイトル『愛、深き淵より』の「深き淵より」という言葉は詩編130編の一節を思い出させます。ほんとうにどん底もどん底、決して水面に上がり着くことのできないほどの深き淵の底に突き落とされた思いがこの一言に込められていると思います。今すぐは大怪我の治療で何もできないけど、いずれは治る、回復するという希望が持てるなら、耐え忍ぶでしょう。しかし、首から下の自由が一切奪われてしまったとき23歳の青年がどのような心の痛み、苦しみを味わったかは私たちにも少しは想像ができます。富弘さんは9年間入院した後に自宅での生活に移りました。

 星野さんは『新編 風の旅』のあとがきでこう書いていました。「大阪万博があった1970年。23歳の時、私は首から下が動かなくなるという大きな怪我をしてしまいました。絶望のあまり、『生きていても仕方ない。早く死にたい』と思いました。/しかし『死にたい』といくら思っても時間がくれば腹はへるし、心臓は正確に動いているし、身体は一生懸命生きようとしているのです。自分の意思とは違う大きな力が、私の身体を生かそうとしているのです。」と。富弘さんは「自分の意思とは違う大きな力」を感じ取り始めたのです。

 とはいえ、事故の後一瞬にしてそのような新しい何か「自分の意思とは違う大きな力」をはっきりと感じ取るようになったのではなかったのです。入院生活の中で否でも応でも見なければならない自分がありました。それはただ首から下が動かせないという身体的な不自由さだけではありませんでした。事故の後3年目の春、もう口にサインペンをくわえて字が書けるようになってきた富弘さんは病床でこうメモしています。「からだのどこかが人の不幸を笑っている。/人の幸せがにがにがしく、少し気に入らなければ、『あいつもおれみたいに動けなくなればいい』と思ったりする。心の隅にあったみにくいものが、しだいにふくらんできたような気がする。からだの不自由から生じた“ひがみ”だろうか。/自分が正しくもないのに、人を許せない苦しみは、手足の動かない苦しみをはるかに上回ってしまった」。

4.

 寝たきりで治る希望が見えない状況に置かれてこんなことを口走ったからと言って非難することはできません。でも、人間の持つ心の弱さ、醜さが見えるのは辛いものでした。しかし、星野富弘さんは病み痛んだ心が少しずつ癒され、変えられていくのにやがて気づくのです。文字だけでなく口に筆を加えて花や草の絵を書き始めてからしばらく経ってからのことです。

 「つばき」の花の絵に添えられた詩には彼の思いがこう綴られていました。「木は自分で/動きまわることができない/神様に与えられたその場所で/精一杯枝を張り/許された高さまで/一生懸命伸びようとしている/そんな木を/私は友達のように思っている」

 「はなきりん」という花にはこういう詩が添えられていました。「動ける人が動かないでいるのには/忍耐が必要だ/私のように動けないものが/動けないでいるのに忍耐など/必要だろうか/そう気づいた時/私の体を/ギリギリに/縛りつけていた/忍耐という棘のはえた縄が/“フッ”と解けたような気がした」

 動けない自分自身というものをそれまでとはまったく違った視点で見ることができたときに、そのマイナスとしか思えていなかったものがゼロにもプラスにもとらえることができるようになっていったのでした。違った視点というのは自分を生かしている「何か」に少しずつ目が開かれていったということです。

 私の大好きな「なのはな」という絵と詩をご紹介します。絵をお見せできなくて残念です。富弘さんはこう言います。「私の首のように/茎が簡単に折れてしまった/しかし菜の花はそこから芽を出し/花を咲かせた/私もこの花と/同じ水を飲んでいる/同じ光を受けている/強い茎になろう」。菜の花が飲んでいるのと同じ水、菜の花が浴びている同じ光、そこに象徴的に表わされているもの、それは神様が自分を生かそうとして降り注いでくださっている恵みのことでしょう。

 そして、その「自分の意思とは違う大きな力」「自分を生かしている何か」はやがて「神さま」という名前を持つようになりますが、それは教理を教えて伝えられたのではなく、愛としか言えない、優しさや、共に喜び共に泣きながら共に生きようとする姿勢を通してでした。母親もそうですし、教会の方もそうでした。医療者や患者仲間もそうでした。

 「はなしょうぶ」のきれいな絵の上に書かれた詩には彼の正直な思いが表わされています。「黒い土に根を張り/どぶ水を吸って/なぜきれいに咲けるのだろう/私は/大ぜいの人の/愛の中にいて/なぜみにくいことばかり/考えるのだろう」

 画面いっぱいに咲いている「れんぎょう」の花の絵の下の隅に短い三行の詩が添えられています。「わたしは傷を持っている/でもその傷のところから/あなたのやさしさがしみてくる」。ここで言う傷とは器械体操の指導中に負ってしまった一生治らない体の傷のことでしょうが、心の傷、弱さ、欠けのことも指しているのではないかと思えるのです。「その傷のところから/あなたのやさしさがしみてくる」。あなたのやさしさとは主イエス・キリストの十字架による赦し、受け容れ生かそうとする愛が、周囲の人々の愛をとおして、富弘さんに伝わり浸み込んできたのです。自伝のタイトル『愛、深き淵より』はもしかしたら自分が経験したあの「深き淵」にあって感じ取った愛、人の愛であり、なにより神の愛のことではないでしょうか。さらにはその愛は周囲の人々に、いえ、遠くの一度も会ったこともない人々に、絵と詩をとおして富弘さんが心を込めて分かち合ってきた愛ではないでしょうか。愛され受け容れられたので自分も自分の弱さも辛さも欠けも受け容れるようになりました。人を愛するようになりました。

 どれもそうですが、心に残った2つの詩を紹介します。花が二輪、蕾が三つ描かれている「ひなげし」の絵にこういう詩が書かれています。「花が上を向いて咲いている/私は上を向いて/ねている/あたりまえの/ことだけど/神様の深い愛を感じる」。

 「やぶかんぞう」の絵の隣りに添えられていた詩はこうです。「いつか草が/風に揺れるのを見て/弱さを思った/今日/草が風に揺れるのを見て/強さを知った」。

5.

 星野富弘という人は、生まれながらに持っていた強さを一瞬にして失いました。明るい将来は吹っ飛びました。しかし、その弱さと欠けは自分では作りかえたり取り去ったり埋めたりはできなかったけれども、その弱さと欠けがきっかけとなり、手掛かりとなって、その弱さと欠けが用いられて、筆を口に咥えて草花を描く画家、また詩人になりました。そして9年4ヶ月の入院生活の直後から始めて国内各地はもとよりブラジル、アメリカ、ポーランドでも花の詩画展を開き、また多くの書物やカレンダーを通して、数えきれないほど多くの人々の心に愛を届けました。この4月に亡くなった後も日吉教会をはじめとして詩画展は開催され続けています。星野富弘さんは人を愛し人を生かす神の愛のメッセンジャーなのです。

 あの大きな働きをした使徒パウロはいくつもの弱さや欠けを持っていましたが、その最大のものは、サタンから送られたと言う「一つのとげ」でした。耐えられないほどの痛みと苦しみを伴っていました。その彼にキリストは語りかけられたのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と。それを受けて、ある程度歳月を要したかもしれませんが、パウロは答えました。はっきりと答えました。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリ12:9-10)。このパウロの言葉の真実さを星野さんは身を持って証ししたのです。その信仰、その生き方に私たちも招かれています。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン


2024年8月18日日曜日

天来の恵み

 聖霊降臨後第13主日  長岡立一郎牧師

2024年8月18日(日)

ヨハネによる福音書 6章51〜58

 「私は、天から降って来た生けるパンである。このパンを食べる ならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンは、世を生かすために与える私の肉である。」(ヨハネ福音書6章51)

1.所与の人生

 昔から人は、いのちが与えられたことを授かりものと言ってきました。「授かる」という表現は中々、含蓄のある表現だと思います。誰でも自分で生まれてこようと思って産まれてきた人はいません。気づいてみたら、この世に生を受け、生きていることに気づいて今がある、と言えます。このように人生の根本的なこととしての「いのち」の誕生に授かるということは象徴的な表現だと思います。

 この「授かる」と言う以上、誰からか与えられたわけです。聖書的に言えば、神様の恵みとして、私たちすべての人のいのちは与えられたものであり、」所与の人生ということができます。これが、この世界におけるすべての事柄の出発点です。これがないと何事も始まりません。


2.上昇思考からの脱却 そして下降思考への気づき

 ところが、中世のルネッサンス(文芸復興)以降、人間回復、人道主義的な考え方が推し進められる中で、いつの間にか神様から与えられるとか、授かるという発想がなくなって、あたかも自分の人生は自分の力で生きているかのような錯覚に陥ってしまったと言えないでしょうか。しかも人は自分の力で上へ上へと積み上げ、実績、功績を積み上げることによって自分を誇ろうし、自己栄光の道を辿ろうしてきたように思えます。これが21世記を生きている人間の現実ではないでしょうか。その結果、何が起こっているかと言えば、世界が混沌とし、出口なしの状況に人類は直面しているのではないでしょうか。でも一歩、静かに立ち止まり、単なる上昇思考ではなく、全く逆の発想、つまり、下降思考(天から与えられているという考え方)からいのち、人生、この世界を見ることに気づき、心の目を向けることが大切さだと思うのですが。

 ヨハネによる福音書は、はじめから劇的な表現で書き出しています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1:1)と。これがヨハネ福音書のメッセージが凝縮された一節なのです。すべてのはじまりに言があった、しかも神の言であり、事柄が動き始める。ここに真の命があることを証言しているのです。


3.天来の恵みとしての主イエスの到来

 今朝のヨハネによる福音書6章51節に「私は、天から降って来た生けるパンである。このパンを食べる ならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンは、世を生かすために与える私の肉である。」と主イエスが言われた言葉から始まっています。ここ数回の日曜日には5000人の人々が5つのパンと2匹の魚で養われた奇跡から始まり、繰り返し、「わたしはいのちのパンである」との主イエスの言葉を聞いてきました。今日の箇所は、そのクライマックスにあたるところなのです。

 この最初の「私は、天から降って来た生けるパンである。」との言葉に、当時のユダヤ人たちも驚き、戸惑いを感じて「つぶやき」(6:41,43)始めたとあります。つまり多くの人々は目に見える人間の姿に固執し、イエスがこの世に来られた神的、霊的な意義を受け止めることができなかった、ということです。ですから、彼らはつぶやきかつ躓いたのです。冒頭に述べましたように、「いのち」が授かりものであるように、それ以上に、主イエスの到来は、「天から降ってきた」というように特別の選びと顕現によって示されているのです。しかも「生けるパン」としてお出でくださったのです。まさに「天来の恵み」としか言えないような出来事として主の到来はあるのです。しかし、私たちはさらに語られたみ言葉に戸惑いを隠すことができません。

 6章54節以下にある「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである。」(6:43〜55)、この「血を飲む者」は旧約聖書のレビ記17章に記されていますが、モーセに導かれ、約束の地に赴く民が祭壇を築き、動物を生贄(いけにえ)として献げる習慣があったのですが、その際に血を抜く必要があり、その血を土に注いだという伝承が書き記されています。そして、どのような場合でも、「動物、生き物の血を飲んではならない、血を飲むものは断たれる」という決まりごとがあったのです。ですから当然、人々は「血を飲む者は、永遠の命を得」という言葉に拒絶反応があり、戸惑いを禁じ得なかったのです。しかし、主イエスの到来によって、その意味内容は、大きく変えられ、イエス・キリストの体と血による贖いの事柄として福音書記者は私たちに伝えてくれているのです。教会の歴史と伝統の中で、礼拝において聖餐(聖体拝領)を行う際に、「これは、わたしのパンである。わたしの血である」という言葉が宣言されます。 これは、今も尚、主イエスが、あなたの内に共に生き、共に生きてくださっているとの天来の恵みの授受する出来事なのであり、永遠に至るいのちへの招きなのです。


4.W.W.J.Dの意味するもの

 最後に、天来の恵みを受けて、その御心を受け止めて日々歩もうとしている人々が模索している事例をご紹介して、メッセージを結びます。

 それは、アメリカのNBA、プロのバスケットボール選手たちのことです。彼らは日々厳しい練習と試合に臨んでいます。あるテレビの放映中に選手たちがプレイしている中で、選手たちのリストバンドに何かが書かれている、それはW.W,J.Dと書かれていたそうです。その意味は何か、とある視聴者が調べたところ、次のような言葉の頭文字をそのリストバンドに刻んでいたそうです。

 W.W.J.D、それは、What would Jesus do? という言葉の頭文字だったそうです。

つまり、「イエスだったらどうするだろう。」、「神様だったらどうするだろう。」という言葉だったのです。厳しい戦い、挫折し、困難にあったとき、常に想い起こす言葉、困ったときに「イエスだったらどうされるのだろう」と思い返し、いつも試合に臨み、神の御心を訪ね求め、永続する力を得て歩んでいる、というのです。彼らは、そのことによって勇気をもらい、力を頂いているのだ、というのです。

2024年8月4日日曜日

下から見る平和

平和の主日 2024.8.4   小田原教会 江藤直純牧師

ミカ書 4章1-5

エフェソの信徒への手紙 2章13-18

ヨハネによる福音書 15章9-12

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 7月26日、セーヌ川と歴史と文化の町パリでオリンピック大会の非常に印象的な開会式が催されました。それ以来連日連夜さまざまな競技が繰り広げられています。オリンピックはいろいろな呼ばれ方をされますが、広く受け入れられている名称が「平和の祭典」です。世界中の各国・各地域から人種、民族、性別、年齢、思想信条、身体的条件、言語や国家、その他さまざまな属性の違いを超えて、IOCと各種目のルールにのみ従って、選手たちはひたすら競い合い、観衆は夢中で応援し合い、試合が終わったなら、結果がどうであれ、選手たちは互いに、また観衆はこぞって選手たちを称え合います。関わる全ての人々が熱く深い感動を覚えます。そこには、日常には見られない「平和」が実現しているように思われます。過去にはオリンピック休戦というものもあったのです。

 しかし、ひとたび目をパリの外にやれば、ガザでは何の罪も無い市民も子どもたちも無慈悲なミサイルの攻撃に晒されており、昨秋以来の死者は4万人に達しようとしています。半分近くは子どもたちです。つい先日ハマスの最高指導者が外国にいるところを襲われ殺害されました。これでは停戦も和平もおよそ期待できません。はや二年半になるウクライナでの戦闘も犠牲もとどまるところを知りません。その二つに比べると報道もあまり目立ちませんが、ミャンマーでもスーダンでも内戦状態は果てしなく続いています。あそこでもここでも平和の気配などおよそ見えないのです。たとえ戦闘が停まっても、破壊され尽くした町や村で人々はこれからどうやって生きて行けというのでしょうか。

 こういう時代を生きていると、平和とはいったい何かと正面切って問うてみたくなります。平和とは「暴力と戦争の無い状態」だという定義が無条件で受け入れられそうです。「安心安全に暮らせること」とも言えるでしょうか。それははなはだもっともです。とりわけ暴力と戦争の被害者たちは異口同音にそう言うでしょう。

 しかし、奇妙に思われるかも知れませんが、暴力を振るい戦争を遂行しようとしている指導者たち、権力者たちも自分たちは戦争がない状態を実現するために戦争をしているのだと言います。自分たちの安全安心を求めて戦争をしていると言って憚らないのです。

そういう中で、一体どうやったら真の平和が叶うのでしょうか。「平和を切望する」ということは「暴力と戦争のない状態を切望する」ことだと言っても、そのために戦争をせざるを得ないという考えが支配的ならば、この平和の問題はいったいどうしたら解決できるでしょうか。

    2.

 最近の世界の情勢を語ることは、ある意味、気が楽です。戦争の話、とりわけ悲劇的な惨状を聞き、心を痛めながら、気が楽というのはおよそ不届きですが、しかし、自分の領土が軍事侵攻を受けているのでもないし、自分も家族も犠牲の血を流しているわけでもありませんから、その意味では正直のところ、幾分気が楽です。

 しかし、日本の歴史、とくに91年前、昭和6年からの15年間を振り返ってみれば、そこで起こったこと、起こしたこと、つまり日本にとっての平和と安全と繁栄を求めての暴力と戦争の出来事を気楽に振り返ることはできません。すでに明治以来韓国を併合し、台湾を支配下に収め、さらに昭和に入ってから大陸に進出して現在の中国の東北部、当時の満州に進出し、権益を確保し、満州国という傀儡国家を作ったのです。日中戦争は15年間、太平洋戦争は4年間続きました。この4年間の戦争で日本人も数多く戦死者・戦没者を出しました。ある研究によれば310万人が命を落としたということです。軍人軍属230万人、民間人80万人という数字も出されています。私たちは毎年6月23日の沖縄戦終結の日、8月の広島、長崎の原爆投下の日、そして終戦の日或いは敗戦の日にそれぞれ犠牲者を悼み、慰霊し、平和を誓います。そのとき天皇陛下のお言葉には必ず触れられているのに、総理大臣のスピーチには出てこないのが、日本人以外の犠牲者のことです。東京都は毎年関東大震災の慰霊祭を行いますが、混乱の中で日本人によって虐殺された多くの朝鮮韓国人の犠牲者を悼む集会に都知事が挨拶を送らなくなって8年が過ぎました。

 そうなのです、私たちは太平洋戦争の中で死んだ日本人のことは悼みますけれども、日本人以外の犠牲者にはほとんど目を向けないのです。中国人1000万人、インドネシア人400万人、ベトナム人200万人、フィリピン人111万人、その他の国の人々を合わせると2000万人と推察されています。もしも、たとえ国と国との関係が悪かろうと、日本が強いられてではなく自発的に、誠実に、謙遜に、心からのお詫びの思いを込めて、この戦後79年の間2000万人の犠牲者を追悼してきていたら、戦争の相手国、戦争に巻き込まれた国で犠牲になった人々を偲んできていたら、日本は旧敵国をはじめ世界の国々から敬意をもって認められてきたことでしょう。和解と友好は確かなものになっていたことでしょう。

      3.

 私は先月一冊の本をいただきました。本と言っても絵本です。これです。タイトルは『おいしいね』、げんあん:きたおいちろう、え・ぶん:かげやまゆうこ。きたおいちろうとは小田原教会の皆さんも説教に来ていただいて懐かしくまた親しい引退牧師の北尾一郎先生です。絵を描き文と書いたかげやまゆうこさんは先生の娘さんです。優子さんは「まえがき」に、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとハマスの軍事衝突に心を痛めながら、お父様の戦争体験をもとにして絵本で平和への願いを表現したと書いていらっしゃいます。

 北尾先生の戦争体験とは、満州鉄道にお勤めだったお父様に連れられて満州で小さいときから育ち、幸せな家庭生活を送っていたのに、やがて戦争が始まり、そのうちお父様が徴兵され、食べ物もどんどん少なくなり、空腹を味わわされます。仲良しのケンちゃんは空腹で死んでしまいました。『おいしいね』という書名から分かりますように、この絵本は、今の私たちには当たり前のようなこと、毎日ちゃんと食べ物があり、家族揃って、笑顔で食べる日常を送れることに「平和」というものを象徴的に表わしているのです。やさしいタッチの絵がそのメッセージを読む子どもや大人の心に伝えてくれます。

 絵本だけでは分からないかもしれませんが、北尾先生が日頃話されまた書かれるものからは、先生が、いわば第一の故郷である満州国は領土と権益の拡大を図る大日本帝国が造り出した傀儡政権であったこと、そこでは日本人が中国人の上に立っていたこと、つまりは日本が中国を侵略していたことを深い痛みをもって捉えていらっしゃることが分かります。さらには、侵略と戦争は歴史的な過ちであったことを日本人の一人として肝に銘じておられること、なによりも平和とそこに住む人々の人格と人権と生活とが重んじられ守られなければならないことをこの時代を生きた者の一人として心に刻み、後世に語り継がなければならないと強く思っていらっしゃることがはっきり伝わってきます。先生はしばしば遺言という言葉をさえ使われます。

 このような歴史観はどうやって身につけられたのでしょうか。もちろん書物もたくさん読まれたことでしょうが、なによりもご自身が満州で経験なさったことすべてを、「子どもの目線」でしっかりと捉えていらっしゃるからこそ、大人としては到底受け入れたくないこと、祖国の負の遺産を素直に認め、人間にとって一番大切なものを一番大切だと心の底から思えるようになられたのだと思います。

 原爆の出来事を政治家や軍人の目線ではなく、ヒバクシャの目線で捉えること、日本人だけでなくその場に居合わせざるを得なくされて死んだ韓国朝鮮の人の目線で捉えることも忘れてはなりません。英霊として祀られている兵士たちのほとんどすべては、戦争を計画し推進した軍人ではなく、普通の市民だったけれども徴兵され戦死した人々です。その人たちの9割は1944年以後、つまりもはや日本の敗戦は避けられない状態になってからの無謀な戦いの犠牲者だと言われています。上からの目線ではなく、その人たちの目線で戦争を捉えてみれば、戦死した兵士たちを英霊と呼び、あの戦争を美化することの愚かしさに誰もが気づくでしょう。

 パレスチナに住むアラブ人たちは、紀元70年にエルサレムがローマによって陥落させられ、ユダヤという国が滅亡したあと、営々としてその地に生きてきた人々です。しかもその地に残ったユダヤ人たちとも共存してきた人々です。しかし、あの600万人とも言われるホロコーストを経験した後、生存のために自分の国をと願うユダヤ人によって、またユダヤ人迫害に負い目を持つヨーロッパの国々によって支持されて、1948年に現在のイスラエルは建国されました。しかしそれを承認した国連がつけた条件はイスラエルとパレスチナの二国共存でした。それから76年間、ついぞパレスチナの独立は認められてきませんでした。難民キャンプで生まれ難民キャンプで育ち難民キャンプで死んでいく人が何百万といるのです。現在に至るこれまでの力づくの暴力的抑圧をどう捉えるかは、誰の目線で見るかにかかっています。上からの目線で歴史と社会と平和というものを見るのか、下からの目線で見るのかでまったく変わってきます。

      4.

 今日の三つの聖書日課を思い起こしましょう。

 ミカは紀元前8世紀の預言者です。彼は神様に召されて、支配階級に抑圧されている人たちの苦しみに共感し、横暴な人たちの不正を糾弾しました。「終わりの日」に起こること、それは「もろもろの民が大河のように」「主の神殿の山」に集められてくることです。「主はわたしたちに道を示され」ます。「主は多くの民の争いを裁き」「強い国々を戒められる」のです。虐げられてきた小さく弱い多くの民が生きるようになること、それを神は願われるのです。「下から見た平和」、それが神の望みです。その結果、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(ミカ4:1-3)。ただ戦争がなくなるだけでなく、民族も宗教も国も異なっていても、もはや戦わないのです。鋤と鎌で地を耕し、穀物を育て、いのちを支え合い、共存共栄を謳歌するようになるのです。これは単なる夢や願望ではなく、神様のご意志なのです。人間が妨げてはならないし、妨げることはできないのです。

 使徒パウロはエフェソの信徒たちに向かってこう言います。「あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです」。こうも言っています。「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェ2:13, 15)。

平和とか一体化、和解、敵意を滅ぼすこととまさに私たちが乞い願うものが与えられるというのです。けれども、忘れてはいけません。この短い二つの文の中には「キリストの血」が一回、「十字架」が二回出て来ます。和解も平和も呪いや魔法によってはできないのです。神の側の大きな痛み、苦しみ、犠牲によって初めて実現するのです。憎しみや争いの気持ちや支配欲などのもろもろの欲望から逃れられない人間たちのために自ら下に降りて、私たちの骨の髄まで浸み込んでいる欲望をキリストの血によって洗い流し、罪人を贖い取ってくださるのです。「隔ての壁を取り壊し」(同2:14)てくださったのです。

そうなると、もはや私たちは人間同士で争うことも戦うことも必要なくなるのです。神が人間の間に降る、世界の下の下である十字架にかかる、血を流す、罪を赦す。そこに真の平和の礎が置かれたのです。もはや争い戦うことはなくなるのです。まさに下からの平和です。

そしてヨハネによる福音書は主イエスの最後の説教、まさに遺言の一節を私たちに伝えるのです。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハ15:9)。わたしはあなたがたを愛してきた。それも極みまで愛してきた。あなたがたはわたしに愛されてきた、今も愛されているのです。愛されている者はもはや憎むことをしない。争うことをしない。たどたどしくはあっても愛することしかしない。愛することしかできない。それが平和なのです。天の高みから下に降ってきて、神が人間を愛することで創り出す人間同士の愛です。平和です。下からの平和です。それが真の平和なのです。神に愛されること、そして互いに愛すること、もはや憎み争うことはしないで平和に生きること、迂遠なようであっても、気が遠くなるほどまどろっこしく思えても、これが真実の平和な世界を造り出す唯一の道です。山の上で主イエスは宣言されました、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2024年7月7日日曜日

何もないからこそ

聖霊降臨後第七主日                

2024年7月7日 小田原教会 江藤直純牧師

エゼキエル2:1-5; Ⅱコリント12:2-10; マルコ6:1-13


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


1.

 「人の子よ、自分の足で立て」(エゼ2:1)。なんという力強く鋭い命令でしょうか。断固とした口調です。しかも、最初から慰めとか赦しという優しく柔らかい言葉ではなく、「立て」、それだけではなく「自分の足で立て」です。有無を言わせぬ響きで命じられています。「人の子よ、自分の足で立て。私はあなたに命じる」と。神の顕現が祭司ブジの子エゼキエルに現れたのでした。今朝の旧約の日課です。

 時は紀元前6世紀、今から2600年ほど昔のこと。所は当時の超大国バビロニア帝国の首都バビロン。紀元前597年、586年、582年の三度にわたるネブカドネツァル王による攻撃でエルサレムは陥落し、ユダヤの指導者も有力有益な市民も多数がバビロンに強制的に移住させられ捕囚とされた時のことです。

 その三十年目の四月五日、ケバル川の河畔で起こったこと、それがエゼキエルへの神の顕現であり、預言者への召命でした。祖国から遠く離れた外国でのことです。しかも圧政の下に置かれている状況の中で神の言葉を語れとの預言者への召命です。これがどれほど引き受けるのに困難な使命であるかは想像に難くありません。その彼に向かって神が容赦なく語り掛けられたのが「人の子よ、自分の足で立て」でした。客観的に見て、軍事的、政治的、宗教的に見て、まるで無茶な要求だと思えます。神の言葉を聴き取る能力も、それを同胞に語る勇気も持ち合わせていないとしたら、エゼキエルが恐れおののいたとしても、戸惑い逃げ出そうとしたとしても、全くおかしくはありません。この出来事が私に起こったとしたら震えあがってしまうことでしょう。

 しかし、エゼキエルは、召しを受けて、立ち上がりました。バビロン捕囚という歴史的な困難な事態の中で、彼はその日を境に自分の足で立ち上がり、同胞に向かって神の言葉を取り次ぎ続けたのです。その語った神の言葉の内容は何だったか、同胞の反応はどうだったか、それらについては日を改めて学びましょう。今日皆さんにお話ししたいこと、考えていただきたいことは、エゼキエルはこういう状況の中で一体どうして自分の足で立ち上がったのかということです。なぜそれは可能だったのでしょうか。どう思われますか。

 エゼキエル書の記者も当然そういう疑問を持ったことでしょう。だからこそ、2章2節にはエゼキエルの言葉をこう書き記しているのです。「彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた」と。そうなのです、エゼキエルは自分でも驚いたことでしょうが、なんと自分の足で立ったのです。そういう行為は自分の力でできたのではないことを彼は知っていたのです。そうさせたのは自分の力ではなく、神の霊だと分かったのです。だから、「霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた」(2:2)と言わないではいられなかったのです。だから彼は、預言者の働きをしている間ずっとこう自覚していました、語っている言葉は自分の考えや願望なのではなくて、神から託された言葉なのだということを。そこが真の預言者と偽預言者の違いなのです。

2.

 旧約の代表的な預言者の一人がエゼキエルならば、新約の最大の使徒はパウロです。私はよく彼のことを新約聖書の中の最大の伝道者で最大の牧会者で最大の神学者だと呼びますが、けっして誇張ではないと思います。あれほどの働きをしたパウロですが、十二弟子に入っていなかったし、かつては教会の迫害者だったし、人がどれほど褒めようと自分の弱さ、また罪深さを知っていましたから、彼はうぬぼれることはありませんでした。

 今日の使徒書の日課には、彼の心の底からの告白が記されています。「しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(Ⅱコリ12:5)と。その弱さとは普通考えるような精神的、心理的な弱さのことではありません。文字通り、肉体的な弱さ、悲鳴を挙げたくなるような、苦しみを伴った弱さなのです。パウロには今日の医学的な知見はなかったにせよ、分かりやすく症状を描写するなりしてくれたら、もう少し手掛かりになるでしょうが、それは敢えて書いてはいません。それでも彼の表現はその身体的な痛み、苦しみ、つまりは弱さが並大抵のものではなかったことを十分に推察させます。てんかんだったのではないかとの言い伝えもあります。

 手紙の文をそのまま引用しましょう。「それで、・・わたしの身に、一つのとげが与えられました」、「それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」(12:7)。それだけでなく、その痛み、苦しみ、弱さが耐えがたいほどだったから、パウロは「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました」(12:9)。大の男が、宗教的巨人とも言える強い人間が、神さまに三度も祈り願ったと言うのです。のたうち回らんばかりの痛み、泣きたいほどの苦しみだったことでしょう。彼には肝腎の健康がなかったのです。それが自分の弱さでした。

 そのさなかにパウロは主イエスの声を聴いたのでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12:9)。思いがけない言葉でした。しかし、パウロは主イエスの言葉の秘儀を受け止めることができました。だからこう言ったのです、「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(12:9)と。さらに続けます、「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(12:10)と。

 「わたしは弱いときにこそ強い」、驚くべき言葉です。しかし、これは負け惜しみではありません。パウロにとっては真実だったのです。「わたしは弱いときにこそ強い」、「私にはないからこそある」。私は弱いのです、しかし、キリストの故にこそ強いのです。私には誇るべきものはないのです。しかし、キリストがいらっしゃるので私には誇るものがあるのです。これが、彼がキリスト者として、伝道者として生きていた中で確信するにいたった真実だったのでした。

エゼキエルしかり、パウロしかりです。自分の無力さを知ったときに、自分の中に霊が入って私を強め、神の働きをさせてくださるのです。自分の弱さに打ちひしがれていたときに、キリストの力が自分の内に宿り、キリストの力に生かされ、強められ、福音を証しさせてくださるのです。これこそがエゼキエルが、パウロが、そして有名無名の信仰の先人たちが身をもって経験したことでした。

3.

 マルコ6章の1-13節はイエス様が故郷ナザレで受け入れられなかったことと、十二人の弟子たちを宣教に派遣なさったときのことが描かれています。故郷に錦を飾るどころか、子供の時から自分のことをよく知っている人たち、日常生活も家族関係もなにもかも知っている人たちにとっては主イエスの語る教えも、目の前でなされる癒しの業も簡単には受け容れ信じることはできませんでした。先生であるイエス様がそうだったのですから、ましてその弟子たちが何やらイエス様を真似して語ろうとしても癒しの業をしようとしても、町の人や村の人達がそうたやすく信じることはできないとしても、ありそうなことだと思われます。

 そういうことを重々承知の上だったでしょうか、主イエスはあるとき十二弟子を宣教に派遣なさいます。彼らはどう思ったでしょうか。しかも、出発に当たって主は思いがけないことをおっしゃいました。「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、また下着は二枚着てはならない」(6:8-9)と。下着というのはシャツやパンツのことではなく、上着の下に着るワンピースの長い服のことです。要は杖と今着ている服と履物だけで行け、その他の食料やお金は持って行くなというのです。

 知り合いがたくさんいてその好意に甘えることができるならいざ知らず、初めて訪ねる村々に行くのに言わば手ぶらで行けと言われるのです。行った先で食べるパンも泊まるための宿賃も持っていなくて一体全体どうしろというのでしょうか。彼らが人々の魂を揺さぶるような感動的な話をできて、また病気や障害を持った人を鮮やかに癒してあげて、おおいに喜ばれ感謝されて、お礼に食事をもてなされたり、宿を提供されたり、おまけに新しい服を差し出されたり、献金をもらうことが確実に期待できるのならば、心配など無用でしょう。しかし、それは保証されていることではないのです。イエス様ご自身も「あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようとしない所があったら」(6:11)と言われたように、弟子たちが拒絶されることはおおいに予想されることなのです。

 弟子たちは派遣の命令を受けてビビらなかったでしょうか。しかも素手で行けと言われて、そんな無茶な、俺達にはまだ無理だよと言って怯えなかったでしょうか。きっとビビったでしょう。不安にもなったでしょう。自分の中に頼りにできるものはないと分かっていました。しかし、そうだからこそ、怯え不安になったときに、彼らは真に頼りにするべきものに気づいたのです。誰を頼りにすべきかが見えたのです。ないことが分かったときに、あるものが分かるのです。その方の力に縋るようになるのです。その時に「汚れた霊に対する霊の権能」(6:7)の必要性が分かり、感謝して受け容れたのです。その結果、驚くべきことに、人間的に言えばまだまだ未熟で頼りなかった十二弟子でも知らない村で「悔い改めさせる宣教」ができ、「多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいや」(6:12-13)すことができたのでした。

 神学校の時の同級生で他教派出身の神学生から面白い話を聞きました。彼の教派の神学校では夏期伝道の実習があるのですが、ルーテルのようにどこかの教会に行って、説教をしたり聖書研究会で発表したりするのとは違っていました。彼の場合北海道までの片道の旅費をもらい、文書伝道用のパンフレットや本をたくさん持たせられて、それを知らない人々に買ってもらうのです。それが伝道だったのです。そしてそれらが売れたらその代金で帰って来いというやり方です。すごいですね。常識的に考えれば、そんな無茶なと思うでしょう。彼もそう思ったそうです。でも、自分の中にはそんなことはぜったい無理としか思えなかったときに、それを支え導くお方を信頼することが初めてできたのです。自分の中に何もないと知ったときに、あるようになったのでした。ご推察の通り、彼は北海道から無事戻ってきました。そしてさらなる勉学を求めてルーテルに来たのでした。忘れられないエピソードです。

4.

 私たちは自分の持っているもので日々を送っています。健康だったり、家族や友人だったり、なにがしかの能力だったり、仕事だったり、お金だったり、いろいろなものがあるので、人生を送っています。しかし、それらのもので絶対的に確かで、いつまでもなくならないものはこの世にはないのです。健康だった人が思いがけなく大病になったり大怪我をしたりすることもあります。私の友人でずっと寝たきりになっている人が数人います。

 先月亡くなった草花の絵を描き詩を添えてきたクリスチャンの星野富弘さんも健康の塊のような体育の教師だった人でしたが、事故で首から下の自由を全く失ったのでした。愛する家族、パートナーや子どもを失った経験をした人もいます。寛ぎと団欒の巣である我が家が一瞬の地震で見るも無惨に崩れてしまうこともあります。大事な使命を託されてもそれを果たす力がないことに気づくこともあります。エゼキエルもパウロも十二弟子もみなそれを骨身に沁みるほど味わったのです。

 そういう時に、自分の中に自分を支えるものが何もないと知ったときに、自分の外からそれを注いでくださるお方にようやく気づくのです。その恵み、その賜物に初めて気づくのです。そのおかげで新しい務めに取り組めるのです。新しい生き方ができるようになるのです。苦しさではなく楽しさを、悲しみではなく喜びを味わうのです。星野さんは体育の教師の職は失いました。自由に動かせる手足はなくしました。しかし、新たに霊の息吹を吹き込まれて、口に絵筆をくわえては草花の絵を描き、その草花を通して見えてくる神の恵みの世界を人々に伝え続けました。数知れぬ多くの人々に四十年余りに亘っていのちの喜びを証し続けたのでした。

 エゼキエルは歴史的な困難の最中に「自分の足で立って」託された神の言葉を語り続けることができました。神の霊を内に入れられたからでした。パウロはいやというほどの弱さと痛み、苦しみの中で「わたしの恵みはあなたに十分である」と語ってくださる主の言葉をアーメンと言って受け入れる体験をしたのです。だから「わたしは弱いときにこそ強い」と何のためらいもなく告白できたのです。彼は真の意味で弱さの伝道者でした。

 十二弟子は皆、いみじくも人々が言ったように、「無学な普通の人」(使徒4:13)でしたが、だれもが死ぬまでキリストの恵みの証人として、福音を宣べ伝え、癒しの業、奉仕の働きをしました。出会う人一人ひとりに何を与えたのでしょうか。ペトロは施しを乞う人に言いました、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(使徒3:6)と。そうです、キリストにある新しい命を与えたのでした。

 自分の中になにもないことは嘆くことではありません。ないからこそ、あるものが見えるのです。自分のものがないからこそ、キリストのものが与えられ、それに満たされるのです。エゼキエルもパウロも十二弟子もそうでした。きっと私たちもそうなのです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2024年6月2日日曜日

誰への愛か 江藤直純牧師

 2024年6月2日  聖霊降臨後第2主日 小田原教会

申命記 5:12-15;

コリントの信徒への手紙二 4:5-12

マルコによる福音書 2:23-3:6

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 この人の言うとおりにしたい、この人が願うとおりの人間でありたい――私たちがそう思うときはどんなときでしょうか。どういう方と出会ったときでしょうか。それは、その方のことが心底好きで、愛しているとき、あるいは心から尊び敬まっているとき、揺るぎない信頼を抱いているとき、またその方に従って行くこと、その方に仕えることこそが喜びであり生き甲斐であると感じるとき・・。そういう方と出会い、向き合い、その方の思いに適った生き方をしたいと思えるならば本当に幸いなことです。深く愛する人、尊敬してやまない人、とことん信頼する人、ももちろんそうですが、最も強くそう思えるお方は神さまですね。私を愛し、命を与え、贖い取ってくださった神さまですから、その御心というものに適うようにして日々を過ごしたい、生涯を全うしたいと思います。

 では、その神さまの御心というものはいったいどうやって知ることができるのでしょうか。イスラエルの人々はそれを最初はモーセに与えられた十戒を通して、のちにそれと共にさまざまな律法を通して神の御心を知らされていったのでした。今朝の旧約の日課は申命記5章の12節からですが、1節から5節を読むと、十戒が与えられたときの状況がよく分かります。こう記されています。

 「モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい。我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。主は、山で、火の中からあなたたちと顔と顔を合わせて語られた。わたしはそのとき、主とあなたたちの間に立って主の言葉を告げた。あなたたちが火を恐れて山に登らなかったからである」(申命5:1-5)。

 この出だしに続いて、6節以下で今に至るまで連綿と語り継がれてきた十戒をモーセは宣べ伝えるのです。十戒の1つが安息日を守ることでした。

2.

 ホレブの山で主なる神は先ず我々の先祖と、そして今生きている我々全部の者たちと「契約」を結ばれたとモーセは語ります。十戒を契約と表現しているのです。命令とは言っていません。私たちは日常生活の中で、あるいはもろもろの政治や外交、また経済活動や社会活動の中で、契約を結びます。結婚も愛し合う2人の間で取り交わす、人の一生を左右する重大な契約です。国と国との間では平和条約とか通商条約とかいろいろな条約を取り交わします。企業と企業の間でもそうです。それらは、建前としては、対等な者同士の間で交わす重い約束です。そうでない場合は例えば国と国の間では不平等条約と呼ばれて何とかして対等、平等な関係の条約に改定しようと必死になります。大企業と中小企業の間であっても中小企業が不利益を蒙ることのないようにしなければなりません。

 そういう私たちの経験から、契約というと対等な者同士が結ぶものだという観念が頭にこびりついています。両者は対等でなければならないと。しかし、神と神の民との間の契約は果たしてそうでしょうか。十戒の場合が典型的にそうですが、人間の側が求めて契約に至ったのではありませんでした。神の側が、ある意味一方的にお与えになったものでした。人間の側はただ受け身一方のように見えます。それでも対等と言えるでしょうか。

 しかし、実は人間にも主体性も積極性も自由も出る幕はあるのです。人間は自ら進んで「はい、あなたの御心を受け入れます。喜んで実行します」と誓うことができます。いえ、それだけではなく、「いいえ、わたし(たち)は、あなたの御心を受け入れません」と拒否することもできるのです。そういう意味では、神と神の民との間の契約は対等とも言えるでしょう。神は契約を守ることを望み、求めておられますが、だからと言って、力尽くでご自分の意思を守るように人間に強制なさることはないのです。そういう自由を人間に与えたばっかりに人間が罪を犯してしまうのだ、罪など犯さないように人間を造っておけばよかったのに、人間が罪を犯すのは神の創造の失敗だ、と人間の罪を神のせいにする人もいます。この理屈は明らかに誤りですが、それについての議論は日を改めていたしましょう。

 それはさておき、では契約だと言うのならば、いったいぜんたいどうしたら人間は神の御心である律法を守ることができるでしょうか。ノーと言って拒絶せずに、受け入れる。今日の日課に関して言えば、どうやったら安息日を守ることができるのでしょうか。

3.

 私は律法を守るためには、2つのことがとても大事だと思っています。それらがあれば私たちは喜んで律法を守るでしょうし、それらが欠けていれば律法を守ることは難しくなるでしょう。それらの2つとは、「律法の正しい理解」が1つです。内容を間違って捉えていれば、それをいそいそと守る気にはなれないでしょう。もう1つは「律法を与えられるお方がどなたであるか」ということをよく知って、その方を心底好きで、心の底から愛しており、尊び敬い、信頼しているかどうかです。一言で言えば、「その相手を真実愛しているか」どうかです。好きでもなく、尊敬もしていない相手からこれを守れと言われても、そうは簡単に心は動きません。相手への恐れだけではそうすることは起こりえません。

 一つずつ見ていきましょう。まず、第一の「律法の正しい理解」です。律法と言い、掟や法と言われると、どうしても堅苦しく重たく感じます。上からの命令、強制の響きがあります。実際十戒を読んでみると、○○スベシ、○○スベカラズという実行命令や禁止命令ばかりだという印象です。そうすると、はい、私は喜んで受け入れます、従いますという気持ちが萎えてきます。

 旧約の日課は「安息日を守って、これを聖別せよ」(5:12)という十戒の1つを取り上げており、「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」(5:14)と続いています。でも、実際はもっと書いてあるのです。何のためなのか、その目的が語られているのです。「あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い出さねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」(5:15)。この日は、主がしてくださった解放の業、救いの業を思い出すための安息日なのです。

 出エジプト、これは、自分たちイスラエルの民の歴史的原点です。あの出エジプトという解放の御業を神が起こしてくださらなかったならば、今日の私たちはないのです。たとえ貧しかろうと小さかろうとしっかりと自由と尊厳をもった私たちは今いないのです。依然として奴隷状態のままだったでしょう。ですから、私たちのアイデンティティを、自分たちは何者かということを確かめるために、自分のいのちと存在とがどうして今ここにあるのか、何のためにあるのか、自分はどう生きるのかという根本的なこと、つまり人生の土台を再確認するために、この日が与えられたのです。それほど大事なことですからほんとうは毎日そうしたほうがいいでしょうが、日々の暮しがあります。それを成り立たせるためになすべき仕事が山ほどあります。頭はいっぱいなのです。だから、せめて週に一度だけでいいから、そのための想起の日、原点回帰の日、次の一週間への出発点となる日を神が与えてくださったのです。ですから、まさに恵みの日なのです。喜びの日なのです。

 私たちは年に一度、誕生日を祝います。そうするのは自分がこの世に生を享けたことを改めて確認し、過ぐる一年間を無事に送れたことを感謝し、新しい一年間のお守り、お導きを祈り願うためです。誰に感謝するのか、誰に願い祈るのか。それは普段はついつい忘れがちな創造主、いのちの主に対してです。そのお方に感謝し、祈り願うのです。結婚記念日もまたそうです。親の命日もそうでしょう。そのような節目の日は、恵みを与えられたという事実を想起する日、原点回帰の日、アイデンティティの確認の日なのです。しかも、それを神との関わりで思い起こすのです。もしそれをしなければ、もしもその手掛かりとなるその日がなければ、私たちは忙しさにかまけていつのまにか精神的な根無し草になってしまうことでしょう。安息日の意味とはこれなのです。

 原語で安息日とは休み、安らぎ、平穏の日という意味ですが、神が六日間の創造の業を終えて休まれたその日に、私たちにもまた安らぎの日を与えて存在の原点を思い起こす機会を備えてくださったのです。ですから礼拝へと招かれているのです。

 もう一つ、安息日を守るように命じられたときに、主はこうもおっしゃっています。「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる」(5:14)。安息日の定めがなかったなら、来る日も来る日も誰もが休みなく働きづめになってします。明治になるまで日本でも週に一度の、社会全体の休みの日という制度はありませんでした。武士に非番の日はときどきあったでしょう。町人には藪入りといってお盆と正月に奉公人が自宅に帰る日はあったでしょう。しかし、毎週の休日はありませんでした。奴隷も含めて、寄留の他国人も含めて、社会の構成員みんなが休める日が定められていたということはすべての人の健康や福祉にとってどれほどすばらしい制度だったことでしょう。そこにも安息日を守るようにと定められたお方の愛と慈しみに富んだ御心をうかがい知ることができます。

 こうしてみると、安息日を守るという戒めを与えられたお方の意図、御心と、その戒めの内容がはっきり分かり、納得ができるではありませんか。

4.

 そうであるならば、この神への愛さえあれば、躊躇うことなく戒めを守ろうという思いになるでしょう。しかし、福音書の日課で紹介された2つの事例を見れば、私たちの実態はそうではないことが分かります。ある安息日に弟子たちが麦の穂を摘み始めたとき、ファリサイ派の人々がイエスさまを非難しました。麦の穂を摘むという労働の一種をしたからです。別の安息日には会堂で片手の萎えた人をイエスさまが癒すかどうかを人々が注目していました。癒しの業を行ったらただちに非難するためでした。これもまた禁じられていました。安息日が定められた意図、安息日の意味が正しく理解されていなかっただけではなく、安息日を定められたお方への愛がなかったことが伺えます。

 どういうことかと言えば、最初の麦の穂を摘んだ事例では、ダビデの故事を引きながらイエスさまがピシャリとおっしゃった「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マコ2:27)という言葉が核心を衝いています。彼らは「人は安息日のためにある」と、イエスさまの考えとは真逆に思っていたことが暴露されました。なぜそういうふうに理解していたのでしょうか。そうすることが神を敬い、愛することだと思い込んでいたのでしょうか。彼ら自身はそう思い込んでいたかもしれませんが、私はそうではないと思います。文字通りに、額面通りに戒めを守りさえすれば、律法に忠実だと神に評価してもらえる、神に喜んでもらえる、自分は救いに近づけると考えていたからこそ、神の気持ちもなにも考えずに、額面通りに律法厳守との判断をし、行動をとったのです。自分がよく見られるために、律法遵守に拘っていたのです。簡単に言えば、神を愛したのではなくて、自分を愛したのでした。

 二つ目の片手の萎えた人の癒しの事例でも、安息日が定められた神の意図も、神は何を喜ばれるかということも考えずに、安息日にすべての業は禁止されている、だから癒しという業も当然してはいけないとその場にいた人々は機械的に考えていたのです。安息日の戒めを四角四面に、字面を守ることだけが心を占めていたのです。それは神を愛するが故でもなく、ましてや癒しを求めている隣人を愛するが故でもなく、要は自分を愛するが故の判断であり、行動だったのです。

 でも、彼らはほんとうに安息日に自分の子どもが死にそうな状態になったら、今日は安息日だからと言って、命を救うこと、癒しの業をすることをしないでしょうか。それほど冷酷無比でガチガチ頭で雁字搦めに律法に縛り付けられていたでしょうか。おそらくイザとなれば必死で助けるでしょう。しかし、私は場合によっては律法を破ることもいたしますと大勢の人々が見ている前で言う勇気が無かったのでしょう。それだから、日頃から律法を守ることが何より大事だ、破るイエスはケシカランと言ってきた自分の面子は丸潰れになることを恐れ、イエスさまから安息日に善を行うことと悪を行うこと、命を救うことと殺すことのどちらが大事かと鋭く問われたときに「彼らは黙っていた」(マコ3:4)のでした。自分の身を守るためには黙っているしかなかったのです。神を愛すること、真理を愛すること、人を愛することを何より重んじることを第一にできず、自分の面目を第一にしたのです。

 だから、イエスさまは「怒って人々を見回」されました。神への愛より、隣人への愛よりも自分を愛する人々、自己保身に走る人々に怒りを覚えられました。でも、だからといって彼らを怒り退けるのではなく、「彼らのかたくなな心を悲しま」(3:5)れたのです。情けない彼らを見棄てず、悲しまれました。彼らを憐れんでおられたのです。それが主イエスの愛の表現でした。

 もちろん、片手の萎えた人へのイエスさまの愛がその人を癒し、その手を再び伸ばすことができるようになさったのです。忘れてならないのは、その人への愛と同じ愛がイエスさまを取り囲み、自己愛に囚われていた人々へも向けられ、彼らのかたくなな心をもきっと癒してくださるでしょう。彼らが自分に向けられたイエスさまの愛を受け入れるのにはもう少し時間がかかるかもしれません。しかし、間違いなく彼らへも主イエスの愛は向けられています。安息日の本当の意味も安息日を定められた神さまの真意もきっと分からせてくださいます。主のみ言葉と十字架にまで至る行いによって語り続けられます。

 その安息日は私たち一人ひとりにも与えられています。モーセは言いました。「主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた」(申命5:3)と。安息日のほんとうの意味と、安息日をお与えになった神さまの御心とを今日受け止めましょう。イエスさまによって癒しを受け、健やかにされて、イエスさまがなさったように隣人に向かって「善を行う」ことと「命を救う」ことへと進み出ましょう。使徒パウロはそのことを違う表現で言っています。「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために」(Ⅱコリ4:10)と。これが私たちのアイデンティティです。神さまとの関わりでの私たちの真の姿であり、招かれている生き方です。そのことを再確認するために、私たちにも安息日が与えられています、今日も、来週も、その次の週も。主に感謝。アーメン

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2024年5月5日日曜日

愛の連鎖の始まり  江藤直純牧師

使徒言行録 10:44-48; ヨハネの手紙一 5:1-6; ヨハネによる福音書15:9-17

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 すっかり日本語に定着していると思われる言葉の一つに「愛」「愛する」というものがあります。「えっ、どうして定着などと言うのかな?」と思われるでしょう。なぜなら、当然昔からあった言葉に違いないと思われるからです。たしかにありました。使われていました。親子関係、男女の関係は昔も今もあったのですから。

 しかし、日本で長いこと支配的な道徳であった儒教の教えではその徳目に愛という言葉は余り出て来ません。南総里見八犬伝の八つの玉が表わす八つの徳目は、仁義礼智忠孝信悌でしたし、五倫とは父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信です。五常とは父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝だそうです。今やほとんど聞くことのない徳目で、目指された社会秩序も今とは異なります。だから、愛という言葉がここにないのは驚くに足りません。

 それだけではなく、江戸時代の仏教の教えでは、愛は愛欲とか渇愛(水を欲しがるような強い欲望)といった熟語が示しているように、愛とは対象に対する強い欲望或いは執着のことで、迷いの根源とみられていました。そうなると、愛という言葉にポジティブな意味合いを感じ取ることはできないことになります。

 だからでしょうか、キリシタンの時代に宣教師たちが選んだ愛(アガペー)に当たる言葉は、意外に思われるかもしれませんが、「御大切」でした。大切に思うという当時あった言葉です。神の人間に対する愛であり、キリストが身を持って示した愛、私たちの生き方として勧めた愛を表わすのが「御大切に」でした。1600年に長崎で出版された教理書「どちりな・きりしたん」には、あの有名なマタイ福音書22章にある「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」という最も重要な教えを「万事をこえてデウス(神)をご大切に思ひ奉る事と、我が身を思ふ如くポロシモ(隣人)となる人を大切に思ふ事、これなり」と当時の日本語で語られています。「神を愛する」ことを「デウスをご大切に思ひ奉る」と言い、「隣人を愛する」ことを「隣人となる人を大切に思ふ」と言っていることから、「ご大切に思う」という言葉が「愛する」ということだということは明らかです。なぜ、愛という語が選ばれなかったのか。それは愛という当時あった日本語にはネガティブな響きがあり、キリスト教が伝えたい愛、神の愛を表現するのには適切でないと思われたからだと思われます。

 しかし、明治になって文語訳聖書が作られたときには、キリスト教的、聖書的な意味でアガペの愛を表わす日本語として「愛」が選ばれたのです。その代表例が「汝の隣り人を愛せよ」です。明治初期のキリスト教指導者たちは武士の階級の出身が多かったのです。ですから日本文化の伝統の中にあったニュアンスを承知の上のことだったでしょうに、西洋文明に触れ、キリスト教を広めたいと願った彼らは言語学にも優れた宣教師たちと共に敢えて、大胆に「愛」という言葉を使ったのです。漢訳聖書も参考にしたでしょうが、詳しい研究は私も今はまだ不十分です。現在では広辞苑にも明解国語辞典にも載っていない「隣り人」という日本語を隣人に当て嵌めたのも聖書翻訳者たちや当時のキリスト教指導者たちだったと思われますが、その新鮮な言葉を用いて「汝の隣り人を愛せよ」と訴えたことはどれほどインパクトが強かったことでしょうか。

2.

 その愛ですが、私たちは愛というものは一人ひとりの心の中の思いなので、謂わば各人の意思とか主体性とか感情の問題だと考えがちです。愛するのは愛そうという意思があるからとか、愛そうという感情が豊かにあるからという具合に、その人の責任とか資質と結びつけてしまいます。でも、はたして常識とも思えるその考えは正しいでしょうか。

 今では毎日その言葉を聞かない日はないほどに普及しているDV、ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)ですが、大人同士の場合も、つまり夫と妻ないしパートナー同士の場合もありますが、親子の場合も少なくありません。DVは肉体的な暴力だけでなく、言葉による精神的心理的な暴力もあれば、育児における無視・無関心・否定的な関わりつまりネグレクト、さらには憎しみなどの暴力もあるのです。親ならば子どもを愛するのは当たり前だろう、人間だって動物だって母性とか父性が備わっているだろうと長いこと思われてきました。しかし、実際はそうではありませんでした。先天的に持っていると思われてきた親としての愛情がない、子どもへの愛に満ちた接し方が分からないというDVの親は少なくないのです。いいえ、それどころか調べてみると、加害者つまりDVする親のうち自分自身がDVされた犠牲者だった人はかなり多いのです。子どもの時にDVされているので、つまり愛されていないので、今度は自分が愛する立場になってもいったいどうやったらいいか分からない、どう関わりどう接することが愛することなのか分からないというのです。そうこうしているうちに相手や子どもが思い通りにならずにDVをしてしまうのです。愛するという力は先天的なもの、遺伝的なものだけっでは十分に育ちません。自分が愛されてはじめて人は他者を愛することができるようになるのです。

 「三つ子の魂百までも」と言われてきました。三歳になるまでに、おむつが濡れて不快なときに泣けば新しいおむつに替えてくれて気持ちよくなり、お腹が空いたときに泣けばおっぱいをもらえてお腹は満たされる、それだけではなく、自分の存在を大切にしてもらい、かわいがられ、愛されることを日々の生きる経験の中でしっかりと身に着けることができたら、その子はそれからの長い人生を、人に信頼し、人を愛し、周囲の人々の中で安心して生きていくことができるようになるのです。

「愛された者だけが愛することができる」という言葉は真実だと思います。別な言葉で言えば、「愛は連鎖する」ものだと思うのです。

3.

 ところで、本日の福音書の日課では聖書の中心的な教え、愛に関わる教えが二度も繰り返されています。どなたもが一度や二度どころか、何十回何百回と聞いてこられたあの教えです。12節では「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」、そして17節にもう一度、「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」と念を押すように繰り返されています。実は13章の34節にもイエス様は同じことをおっしゃっています。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。しかも、ここにはこの掟は「新しい掟」だと言われているのです。

 さて、皆さん。この教えのいったいどこが「新しい」のでしょうか。ご存じのように旧約聖書の中に極めて大切な教えが二つ含まれていて、その二つをイエス様ご自身も弟子たちにもまたファリサイ派や律法学者たちにも教えておられます。その二つですが、一つは申命記6章の5-6節です。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたがたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」です。そしてもう一つはレビ記19章18節です。「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」、これです。神を愛することと隣人を愛することはこのように聖書に一貫しているのです。

 そして、後者の隣人愛の教えには「互いに」という言葉は出ていませんが、私が隣人を愛する、その人もまた隣人である私を愛する、そうすると、「互いに」に愛することになるではありませんか。そうすると、あの二つの中心的な教え、神を愛することと隣人を愛することは神を愛することと互いに愛し合うこととも言えることになります。そうであるならば、この互いに愛し合うようにとの昔からの教えのいったいどこが「新しい」のでしょうか。そこを考えてみましょう。

 一つは、ここで言う愛は人間の生まれ持った自然の情、男女や家族のうちの情愛と言ったものや、かわいらしいもの美しいものを愛でる心ではないということです。400年以上前に宣教師や日本人の伝道者たちが「御大切」と呼んだものは、そのような自然の優しい感情以上のものでした。相手を、その人の人格や命、生活、人生を、あるいは心、からだ、魂をどこまでも大切にすることでした。相手への好き嫌いの感情とは無関係にどこまでも無条件で相手を受け入れ、認め、生かし、尊ぶことでした。そのために相手の欠けや喪失、痛みや嘆きや悲しみ、苦しみがあればそれを自分を捨てて、自分自身に引き受けてでも、その人を少しでも癒し、補い、助け、救い出すのです。罪の束縛からの解放は中でも大きいものでした。

 日本中のおおかたの子どもたちが大好きなアンパンマンを思い出してくださいますか。アンパンマンは困っている人を救うために何をしますか。テレビや本の世界には悪と戦い悪人をやっつけるいろんなヒーローが登場しますが、アンパンマンには彼らとの大きな違いがあります。決定的な違いがあります。相手が誰であれ、困っていたら、お腹が空いていたら、アンパンマンは自分の顔を惜しみなく食べさせるのです。彼の頭はあんパンでできているのです。それを食べさせるのです。自分が持っているものをではなく、自分自身を差し出すのです。言うならば自己犠牲です。

 原作者のやなせたかしはクリスチャンなのだと耳にしたことがありますが、ちょっと調べたくらいでは証拠は見つかりませんでした。お墓はお寺にあるそうです。やなせたかしがクリスチャンであるにしろないにしろ、アンパンマンの精神、彼の生き方はまさに聖書的です。自己を無にして相手を救うのです。相手を御大切にするために我が身を惜しまず相手に差し出すのです。キリストの愛、キリストを遣わされた父なる神の愛は相手を生かすために、相手を救うために、自分を投げ出す愛、差し出す愛でした。神が私たちのために人となり、十字架にかかるという愛でした。ヨハネ福音書が伝えているキリストの言葉、「私があなたがたを愛したように」というのはどのようにかと言えば、見返りを求めず、無代価で、相手の価値などには一切無関係に、ただひたすらに相手のために自分を、自分の命さえも差し出したようにということでした。このような愛の質こそが何よりキリストの愛の「新しさ」なのです。

4.

 もう一つの「新しさ」、それは私たちの愛には連鎖がありますが、その連鎖の始まりを明確にしている点です。DVの例で申し上げたことですが、私たち人間の愛の連鎖は強固ではありません。悲しいことですが、愛の連鎖はもろく、途絶えることがあります。しかし、愛されたら愛するようになるのです。愛の連鎖が始まるのです。

 三つ子の魂百までもという諺も、愛された者だけが愛することができるという言葉も紹介しました。自分は愛されている、そしてそれゆえに自分は愛していくのだというその信念、確信、価値観があれば多くの困難にも耐えていけます。しかし、余りに大きい困難に襲われると、愛されているという確信が損なわれ、愛する力が萎えさせられるのです。生きていく力が失われることさえ起こるのです。DVに見られる悲劇はさらなる悲劇を生みます。程度はともかく私たちは愛の連鎖が弱ったり切れたりするときに人生の生きづらさを味わいます。

 そういうときにイエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と命じられます。ここで「わたしがあなたがたを愛したように」の「・・ように」に注目すると、「どのように」愛するのかという愛し方を手本を示しながら教えようとしていらっしゃるように聞こえます。もちろんこれはどのようにということも含みますが、ここで注目すべきは何よりも、イエス様が私たちを愛されたという事実そのものです。と言うことは、他の誰が愛してくれていなくても、イエス様は、イエス様だけはこの私を愛してくださったという事実です。私にとっての愛の連鎖の始まりは、大元は、根源はイエス様だということです。

 今日の福音書の日課の冒頭、9節には「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた」とおっしゃっています。そのことを別の箇所ではもっと力強くこう言われています。16節です。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」のだと。まず私があなたがたを選んだ、先ず私があなた方を愛した、まず私があなたがたを御大切にした。その挙げ句、ご自分を捨てて十字架にかかり、そうです、そうやって私の命を贖ってくださったのです。これ以上の御大切にする方法はありません。

 人間の間でだれ一人私を愛してくれる人がいなくても、イエス様は愛してくださったのです。愛してくださっているのです。そして、その結果、その関係は愛する者同士のこれ以上ない親しい、対等な、全く新しい間柄になったのだと宣言なさったのです。「あなたがたはわたしの友である。もはやわたしはあなたがたを僕とは呼ばない」(14)と。

 愛とは心の中の思い、情緒的なものにとどまるものではありません。愛は命の営みに現れてきます。生き方にならない愛はありません。ヨハネはイエス様の次の言葉を書きとどめないではいられなかったのです。「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように」(16)に、そのため主は私たちを任命なさいました。外に出て行って愛の実を結ぶようにする。愛の実が残るようにする。実からまた新しい命が生まれてくる。芽が出てくる。花を咲かせる。実を成らせる。そうです、愛の連鎖が続いていきます。

 「互いに愛し合いなさい」、二度重ねて言われたこの言葉は最初は「掟」、二度目は「命令」と言われています。しかし、この掟にも命令にもそれを守れなかったら罰せられるという恐ろしい響きは全くありません。これは愛する者に対しての新しい生き方への喜ばしい「招き」なのです。今日の第二の朗読の少し前、ヨハネの第1の手紙の4章には招き、呼びかけということがはっきり分かるように書かれています。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」(Ⅰヨハ4:7)。「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」(4:11)。福音書記者ヨハネはイエス様の言葉だけを書き記していて、それに対する弟子たちの応答は書き残してはいません。しかし、私は確信しています。今日の日課に記されているイエス様の語りかけ、呼びかけ、招きを聞いた弟子たちは間違いなく異口同音にこう言ったことでしょう。「アーメン、まことにその通りです。私たちはそういたします」と。私たちもまた弟子たちと共に応えましょう。「アーメン、まことにその通りです。私たちもまたそういたします」と。アーメン

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2024年4月7日日曜日

釘  跡  と  指

 2024年4月7日 小田原教会 江藤直純牧師

使徒言行録 4:32-35

詩編 133 

ヨハネの手紙一 1:1-2:2; 

ヨハネによる福音書 20:19-31

1.

 多くの読者に愛された小説家、遠藤周作が亡くなって今年で28年になります。私が高校三年生の夏に読んで大きな衝撃を受けた『沈黙』と絶筆となった『深い河』、その間に書いた、人間の真相を描き出した純文学の小説やユーモア溢れる『おばかさん』や「ぐうたら」シリーズ、そして『イエスの生涯』や『死海のほとり』など聖書を題材にした作品等々、どれもこれも読者の心を打ち、人生を考えさせる作家でした。

 カトリックの信者であることを公言していた遠藤は、文庫本にもなっている『日本人のための聖書入門 私のイエス』という本も書きました。その中にこういう一節がありました。小見出しは「信仰とは『99%の疑いと1%の希望』である』というものです。出だしは、キリスト教の歴史には十字軍だったり魔女裁判のような明らかにキリスト者の過ちもあったこと、信者の中には偽善者と言われるような人もいることなどの反省を述べた上で、「ところで、かく言う私自身を振り返ってみますと、皆さんと同じように、キリスト教に対する先に述べた誤解や偏見にとらわれ、ずいぶん懐疑的になったり悩んだことがあります」と述べ、さらに、「それどころか、もっと本質的な問題である『神の存在』について、現在にいたるまでも、『神はまったくいないのではないか』、という恐ろしい疑いにとらわれることがないとは、言い切れないのです」とまで告白しています。

 その上で、遠藤はこう言います。「しかし、私は神の存在に疑問を抱いたからといって、それがキリスト者として間違った態度だとは考えていません。信仰というものはそういうものであって、99%の疑いと1%の希望なのですから」と。信仰とは95%の確信と5%の疑いであるとでも言うのならば、そうかもしれないと思えるのですが、なんと遠藤は「信仰とは、99%の疑いと1%の希望である」と言うのです。この大変気になる言葉を心に止めながら、今朝の聖書に聴いていきましょう。

2.

 主がその日の早朝復活なさった日曜日の夕方、弟子たちが一軒の家に身を潜めていました。外の者から身を隠すために、扉には鍵が掛けてあったと記されています。どれほど不安いえ恐怖に打ちひしがれていたかが想像できます。それだけに、彼らは復活の主の顕現に大喜びしました。しかし、何の用事だったのか、その場にいなかったトマスはどれほど残念がったことでしょうか。自分もあの日あの時あの場所に居さえしたら、皆と同じように復活の主を信じることができたのに。そう思っては悔しがったことでしょう。彼だって信じたかったのです。ありえない主の復活という奇跡を信じたかったのです。信じたいのに、理性が、常識が邪魔をするのです。トマスの口から出た言葉は、素直な願望の言葉ではありませんでした。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしはけっして信じない」(20:25)。

 幸いなことにその一週間後、次の日曜日の夕方、主イエスは再び弟子たちの真ん中に現われてくださいました。しかも、今度はトマスもその場に居合わせたのです。たまたま今度はトマスも居合わせたというよりも、トマスがいる時を見計らって主は現われてくださったのでしょう。それが証拠に、主イエスは一同への平和の挨拶の後、ただちに、戸惑うトマスに向かって語りかけられるのです。一週間前トマスが言ったことを主イエスの方が先手を打ってあのことをするようにと仰るのです。「トマスよ、あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」(20:27)と。気が済むまで何度でも指で、手で傷跡を調べなさい、と言われたのです。科学的に、実証的にあなたの目の前のキリストは紛れもなく十字架のイエスが復活なさった方だということを証明するために調べ尽くしなさいと申し出てくださったのです。これは疑いを晴らす絶好の機会です。疑いから信仰へと変わる掛け替えのないチャンスです。ですが、トマスは折角のこのチャンスを生かしませんでした。自ら放棄しました。そして、なんと「わたしの主、わたしの神よ」との信仰告白をしたのです。

 なぜでしょう。主イエスの申し出とトマスの驚くべき信仰告白の間にいったい全体何が起こったのでしょうか。ここに焦点を当てて御言葉に聴いていきましょう。

3.

 もしトマスが、手とわき腹の傷跡に近づいてよく観察しなさい、ルーペを持ってきてしっかり見なさい、指を入れて調べなさいと言われたならば、彼の疑いを解く姿勢は相手を対象として客観的に、科学的に、実証的に見据えて、距離をおいて観察したり、分析し検査をする、近代人、現代人である私たちのものの見方に通じるでしょう。それは物事への一つのアプローチの仕方でしょう。しかし、そこからは「わが主、わが神よ」という全実存をかけての、主体的な信仰告白が出て来ることは決してないでしょう。

 トマスはどこまで深く考えていたのかは分かりませんが、願ったこと、一週間前に口走ったことは「あなたの手の釘跡に私の指を入れてみる」「あなたのわき腹の槍の傷跡に私の手を入れてみる」ことでした。そして、それを主イエスは許し、二度目の顕現の時に自らトマスにそうするように申し出られたのでした。

 皆さんは子どもの時に手や足に血が出る怪我をして、数日して薄くかさぶたができているところをうっかり触ってしまってかさぶたが破れてしまった思い出はありませんか。今はバンドエイドなどが普及していますから、そんなことは先ずないでしょうが、私も昔は赤チンを塗っただけの簡単な手当をしてまた遊びに出て、かさぶたが破ける痛い思いをしたことがありました。下手すればまた血が出ます。また怪我をしたことになります。

 それなんです。トマスが主イエスに「さあ、いいから、あなたがやりたいことをやってみなさい」と言われたこと、それは、残酷な描写になりますが、主イエスの手の釘の跡に指を突っ込むことは、言うならば、もう一度手に釘を打つことでした。わき腹の槍の傷跡に手をさし入れようとすることは、言うならば、もう一度わき腹に槍を刺すことでした。

 そのことに気づいたとき、トマスはハッともう一つのことに気づいたのでした。それはゴルゴタの丘の上で十字架につけて主イエスを死に至らしめたのは、ローマの兵士でもなく、ピラトでもなく、ユダヤの宗教指導者たちでもなく、ましてや群衆でもなく、実はこの私だったのだとトマスは気づいたのでした。私が、私の罪が主イエスを十字架上で死なせてしまった、そのことにハタと気がついたのです。

 それだけではありませんでした。十字架の死が死で終わっていたならば、トマスは死ぬまで主を死に至らしめたことの負い目を背負い続けなければならなかったことでしょう。しかし、神さまは十字架の主イエスを死んだままで終わらせることはなさいませんでした。主イエスを甦らせることによって、死を死なせて、永遠の命を与えられることによって、十字架の死ヘと導いたトマスとその罪を、神さまはお赦しになったのです。主イエスを復活させられたことにより、トマスは赦され、新しいいのちへと導かれたのです。

 この十字架と復活の秘儀が「さあ、あなたの指を私の手の釘跡に入れてみなさい。あなたの手を私のわき腹の槍の傷跡に入れてみなさい」とのお言葉により、一瞬にしてトマスに明きらかにされたのでした。あなたは私の罪を赦す方、あなたは私の古い命を滅ぼし新しい命を与えてくださる方、だからあなたこそが「私の主、私の神です」と思わず告白しないではいられなかったのです。私の罪、十字架、復活、罪の赦し、新しいいのち、信仰告白、これらが一つとなってトマスに示され、彼は感謝の叫びを上げたのでした。

4.

 トマスは教会の歴史の中で長いこと「疑いのトマス」「疑い深いトマス」と呼ばれてきました。近代人の理性的、合理的な思考法に近い人間だとも思われてきたかも知れません。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書ではトマスの名前は十二使徒のリストの中にしか登場しない地味な存在ですが、ヨハネ福音書ではこの箇所を含めて三度も表れるのです。一つはヨハネ11章で、ベタニアのラザロが死にそうになったとき、いえ、主イエスがラザロは死んだのだと仰ったとき、トマスはエルサレムに近づくのを恐れていた仲間たちに「私たちも行って、一緒に死のうではないか」(11:16)と言います。彼は見当外れというか的を射てはいないのですが、熱い血の通った、積極的な人間だという気がしませんか。

 同じく14章では、主イエスがあなたがたのために場所を用意しに行くと仰ったときにも、彼はその意味を正しく理解できません。しかし、だから黙ってしまうのではなく、イエスさまに食らいついて質問をします。「主よ、あなたがどこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか」(14:5)。この質問もトマスが主イエスへの信仰の核心には至っていないことを示しています。しかし、なんとしてもイエスさまのことを知りたいと思えばこそ、この質問をしたのです。そして、その質問はした甲斐があったのです。イエスさまはこのトマスの問いをきっかけにあの極めて大事なメッセージを話されたのです。「わたしは道であり、真理であり、命である」と。さらに続けて、「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない、云々」と言って、キリスト教信仰のもっとも肝腎な、父なる神と子なるイエス・キストと私たちの関係を明らかになさったのです。

 三度目の登場で、復活のキリストを直ぐに受け入れ信じることを否むかのような、強い言葉で疑っているかのようなトマスの言葉はまたもや十字架と復活の秘儀を明らかにするのに役立だったのです。その結果が「わが主、わが神よ」という信仰告白でした。

 「信仰とは『99%の疑いと1%の希望』である」との遠藤周作の言葉を思い出します。トマスのエピソードを聞き、また私たちの経験を振り返って、私は疑いというものには実は二種類あるのではないかと思うようになりました。あることを疑うことによって、疑いを徹底することによって、あることを「否定」する、そのような場合があります。行き着く答えはすでにあるのです。それはあることの否定です。そのために必要なプロセスとして疑うのです。否定のためのステップなのです。もう一つは、あることを「肯定」するためのプロセスとしての疑いです。その疑いを消し去ることができたなら、願っているあるものを受け入れ、肯定することができるのです。今目の前にいるあなたは、ほんとうに十字架上で死んだイエスさまなのか。そうであってほしいと思うけど、そう簡単には信じられない。でも、信じたい。あなたはほんとうに十字架上で死んで、墓に葬られ、復活したキリスト・イエスなのか。そうならば、釘跡に私の指を入れさせてくれ、わき腹の槍の傷跡に手を入れさせてくれ。無茶苦茶な要求のようです。信仰とは正反対の疑いの心そのもののようです。しかし、違うのです。彼は何とかして復活の主イエスを「肯定」するために疑いの声をあげないではいられなかったのです。

 イエスさまはご自分からトマスに向かって釘跡を示し、わき腹の傷を見せて、さあ指を入れなさい、手を入れなさいと言われました。しかし、トマスは指を入れませんでした。手を入れませんでした。指を入れて、手を入れて信じたのではありませんでした。もしそうしたのだったら、もしかしたら次に別の注文、別の疑いを持ち出して、十字架上で死んだイエスだと証明することを求めたかもしれません。理性的な、科学的な、実証的な、いわゆる客観的な証明方法に頼ろうとするかぎり、疑いは際限なく出て来ることでしょう。

 しかし、トマスはこの主イエスとの問答の中で、それとは全く違った、疑いの克服を経験したのです。釘跡に指を入れてみなさいと言われたとき、わき腹に手を入れてみなさいと言われたとき、トマスは気がついたのです。そうすることは主イエスにあの手に釘を打ち付けることと同じ痛みをもう一度与えること、わき腹に槍を刺すことと同じ痛みをまた与えることだと気がついたのです。いいえ、それだけでなく、ゴルゴタの丘で主イエスの手に釘を打ち付けたのも、わき腹を槍で刺したのも、それは自分自身だったということに思い至ったのです。その罪のために主は死なれ、その罪を赦すために主はよみがえらされたのだという十字架と復活の秘儀を神さまから知らされたのです。キリストが身を持って語りかけてくださったのです。これが聖霊の働きだったのです。

 トマスにはこれ以上の疑いもそれを解くための証明や説明ももはや要りませんでした。でも、彼がこの信仰の核心にたどり着くためにはあの疑いが必要でした。信仰に至るためのプロセスとして疑いは必要でした。ただ、その疑いを解く鍵は、客観的な、科学的な証明ではなく、全く別な気づきでした。十字架と復活の見方、理解の仕方は全く変わったのです。繰り返しますが、そこに至り着くためには、あの疑いが必要でした。疑いから解き放たれるための、否定ではなく確かな肯定に行き着くための疑いは私たちにも必要です。99%が疑いでもいいのです。1%の希望がありさえすれば。その希望が疑いを肯定に導いてくれるのです。そうです、疑いのトマスと呼ばれてきたトマスが、福音書の中で最も単純明快な、最も真実な信仰告白へと、「わが主、わが神よ」との主イエス・キリストへの信仰告白へと導かれたのです。私たちにも神さまはそうしてくださいます。アーメン

2024年3月31日日曜日

礼拝メッセージ「キリストの復活」

 2024年03月31日(日) 主の復活 

使徒言行録:10章34~43 

コリントの信徒への手紙一:15章1~11 

ヨハネによる福音書:20章1~18

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵と平安とが、皆さま方にありますように。アーメン

「ご復活、おめでとうございます。」「主キリストは生きておられる、ハレルヤ!」。今朝はその喜びを共に分かち合いたいと願っています。

 主の復活の朝の出来事を、ヨハネ福音書は伝えています。朝早く、まだ暗いうちに、墓を塞いでいた大石が取りのけてあるのを見たマグダラのマリアは、ペトロや弟子たちに、「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わかりません」(ヨハネ20:2)と告げました。他の福音書にあるように、ほかの女性たちもそう伝えたのですが、弟子たちは信じません。しかし、マグダラのマリアは譲りません。「彼らは私の主を取り去りました」と必死に訴え続けました。

 彼女の訴えが尋常でないと感じた、ペトロとヨハネは急いで墓に向かいました。ヨハネが先に着き、墓の中に「亜麻布が置いてあるのを見ました」(6)。続いて到着したペトロが墓に入ると、イエスの頭と体を覆っていた亜麻布が頭の方と足の方にそれぞれ丸めて置かれていた。ヨハネも墓に入って「見て、信じた」(8)とあります。

二人は主イエスの遺体がないことを確認しました。マグダラのマリアが言うように、きっとユダヤ人の仕業に違いないと考えたでしょう。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」(9)という聖書の言葉は思い浮かばなかった。この事態を信仰ではなく理性で受け止めた彼らは帰って行きます。

彼らは他の弟子たちと、誰が遺体を取り去ったのか、ユダヤ人か、ピラトかと論議したことでしょう。主が復活されたという考えは微塵もなかったに違いありません。

 弟子たちも、女性たちも、みんなが帰ってしまっても、ただ一人墓に残った者がいました。マグダラのマリアです。復活の主イエスとマリアとの出会いは聖書中で最も美しい情景の一つですね。ここは聖書から味わいたいと思います。

 マリアは墓の外に立って泣きくれていた。身をかがめて墓の中を見ると、遺体を安置する台座だけが見えた。身も世もなく泣きながら台座の方を見ると、白銀の衣をつけた天の使いが二人、一人は頭の方に、もう一人は足の方にイエスの遺体の置いてあった場所にいるのが見えた。

白銀に輝く者は驚き恐れるマリアにこう言いました。「女よ、何故泣く」。マリアは取り乱しきっていました。「私の主を何者かがどこかへ奪ってしまいました」。そう言いながらマリアはなにかの気配を後ろに感じて振り返りました。背後にはいつの間にか人が立っていました。その人が朝日の輝きを背にしていたためでしょうか、マリアはそれが主だとわからず墓地の園丁だと思いました。その人はさり気なくたずねます。

「なぜ泣いている。誰を探している。」マリアは丁寧に答えます。「もし、あなた様があの方の遺骸をお移しになったのなら、その場所をお教えくださいませ。わたくしが参って、お引取いたしますから」。マリアは精いっぱい知恵を働かせます。

 マリアがこう言ったのは、主イエスが亡くなった金曜日の夕刻は誰も気がせいていましたし、その上、苦悩のさなかで誰も墓地管理者への手続きのことなど考えも及ばないまま、総督ピラトから許可をもらうや、そのまま墓に納めてしまったからです。ですから手続きが正式に終わるまでの間、園庭が遺体を保管しているのなら、引き渡しを許可してくれるだろう。マリアはそのように考えたわけです。

男性中心が当たり前であった当時の社会において、マグダラのマリアは、弱く小さくされた人たちの代表です。中でも、主イエス一行の世話をしてきたマグダラのマリアを始め幾人かの女性たちはゴルゴタの丘の処刑場にひしひしと迫ってくる恐ろしさやむごたらしさ、居丈高な祭司達や律法学者達という権威者の集団にもひるまず、男の弟子たちが近づき得なかった十字架近くに、ただ信仰と愛だけを力にしてたたずみ続けたのでした。私たちはこの女性たちのうちに愛の強さを見ます。主キリストはまずこうした女性たちの代表であるマグダラのマリアに現れ、彼女に復活の最初の証人の栄誉を与えました。

 主は「マリア」と彼女の名を呼びました。これまでに聞き慣れた、あのなつかしい声で、マリアはその人が主イエスだとわかりました。

マリアはじめは驚愕し、それから歓喜が彼女を包み込みました。「ラボニ!」。マリアは思わず両手を差し伸べて叫びました。 

 ところで新約聖書の原典はギリシア語で書かれていますが、「ラボニ」は、ヘブライ語です。そして16節に「先生という意味だ」という注釈がついています。「マリア」と呼ばれ、「ラボニ!」と叫ぶ。本当に美しい魂の響き合いです。

 嬉しさのあまり、主の足にすがりつこうとするマリアに、主はこう言います。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。私の兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『私の父であり、あなたがたの父である方、また、私の神であり、あなたがたの神である方のところへ私は上る』と。」(20:17)

恐らくマリアは、ラボニが、復活以前の命、つまりこの世の命に戻られ、また今までどおりになられたと考えたのですが、主キリストは、それを否定されました。そして、今からは友人たちの間におけるような、触れ合いはもうなくなると示されました。キリストとこの世の間には、仕切りができた。しかし、仕切りはあるけれども主が共におられるということは変わらないのです。

主は「私にさわってはいけない」と言い、そして、彼女に「私の兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい」と告げました。

 イエス・キリストは死に、葬られ、死人の中から復活し、今やこの世の命

からは離れています。死んだということは、もはや、この世のつながりからは断ち切れているということです。「私にさわってはいけない」とは、それを言っておられるのです。

ところが、触ってはいけないと言われたその次に、主キリストは「私の兄弟たちに伝えなさい」とマリアにおっしゃいます。

「私の兄弟」とは弟子たちのことです。ここには、天上のことと地上のこととが結び合わされているに違いありません。ルターは「あなたがたは、私の兄弟だ」と言われた主キリストの言葉に注意を払うべきだと言っています。弟子ではなく兄弟だ。あなた方はご自分と同じく天の父を父として慕い、そして従う「神の子」だと言っておられるということです。

主が兄弟姉妹であると言われるとき、旧約の兄弟関係と異なり、現代の法律が定めるように、兄弟は誰もが同等の権利をもっています。お互いに同等であり、上下の関係はありません。「私の兄弟たちのところへ行って伝えなさい」というこの主の言葉は私たちを誇らしくしてくれます。

主に命じられ、マリアは走り出しました。泣きながら笑い、笑いながら泣き、そして走りました。「ラボニは、『あなた方は私の兄弟だ』と伝えなさいとおっしゃられた。この恵みの言葉、救いの言葉を一刻も早く伝えよう。十字架から逃げ出して、自分を責めているあの人たちに今すぐ伝えよう。「ああ嬉しい!なんて嬉しい!」彼女は心の中でこう何度も、何度も繰り返し叫びながらひた走りました。

ところでこの間に主は「父のみもとに上り終えた」ようです。なぜなら、この後で、主は戸が閉まっているのに現れ、トマスに手と脇腹の傷を示されるからです。四福音書を総合すると、ヨハネ福音書が最後に書かれるまでの約60年の間に各福音書が補完しあいながら主イエスの死から昇天までの各段階が踏まれていることが見てとれます。

一人の歴史的な人物としての主イエスと、コリント書に見られるように、天的で霊的な主キリストをつないでいるのが福音書と使徒言行録に記されている弟子たちのイエス・キリスト証言だと言えます。

最後になりますが、私は、復活の主を思うとき、「主イエスは生きている」と信じ、またそのことを病気や引越しの日々の中でも実感しています。それはきっと信仰告白と似たものです。「今も実在している主イエス」こそが、私が皆さんと分かちあいたい復活の主です。

この11年の間、この温かな主、あなたを愛し抜いておられる主、あなたを大好きな主、責めずに忍耐して回心を信じて待ち、共に生き、深く憐れんでくださり、どこまでも赦してくださる主。皆さんと共にこの主の恵みにあずかって来られた幸いをここに深く感謝します。天への希望をもって、この主と共に生きていまいりましょう。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなた方に満たし、聖霊の力によって、あなた方を望みに溢れさせてくださいますように。アーメン


2024年3月17日日曜日

礼拝メッセージ「復活に向かって」

2024年03月17日(日)四旬節第5主日  岡村博雅

エレミヤ書:31章31〜34 

ヘブライ人への手紙:5章5〜10 

ヨハネによる福音書:12章20〜33

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵と平安とが、皆さま方にありますように。アーメン 

 今日の福音書箇所は私たちにとても大切な主イエスの真理を示してくれます。それは主イエスがご自身を完全な犠牲として神にささげられるということです。というのはエルサレム神殿で行われてきた昔ながらのやり方では、祭司が犠牲の動物の頭に手を置いて、人間の罪をその動物に移し、その動物を屠って焼き尽くすことで自分の罪が赦されるというものです。ユダヤ人はモーセの律法に遡るそういう形ばかりの贖罪を続け、その一方で「神の家」を金儲けの場所にしていました。

 しかし心あるユダヤ人たちは詩編51編17-19節のように真実の祈りを捧げてきました。「わが主よ、私の唇を開いてください。/この口はあなたの誉れを告げ知らせます。あなたはいけにえを好まれません。/焼き尽くすいけにえを献げても/あなたは喜ばれません。神の求めるいけにえは砕かれた霊。/神よ、砕かれ悔いる心をあなたは侮りません」。このようにその昔から、神の求めるいけにえは砕かれた霊であり、神は砕かれ悔いる心を喜んでくださる方なのに、主イエスの時代には神殿礼拝はもはや形ばかりとなって完全に腐敗していました。

 神殿を本来の神の家の姿に立ち返らせるため、神殿商人たちを激しく追い出した主イエスに対して、ユダヤ人たちは、主イエスが宮きよめをする権威があることを示す「しるし」を求めました。それに対して主イエスは「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言われたことを私たちは読んできました。今日は主イエスがおっしゃる「新しい神殿」、「まことの神殿」について聞いていきたいと思います。

 この神殿について、第一朗読で神は、「その日が来る」、「彼らは皆、私を知る」、「私は彼らの過ちを赦し、もはや彼らの罪を思い起こすことはない」と言われています。すごい恵みです。

 そして第二朗読では、「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみを通して従順を学ばれました」。キリストは「完全な者とされ、ご自分に従うすべての人々にとって、永遠の救いの源となった」と高らかに宣言しています。

 今日の福音書箇所に入っていきましょう。まず注目するのは24節です。「よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」とあります。

 「麦が死ねば」とありますが、現代人の見方からすれば、地に落ちた麦はもちろん死ぬわけではありません。しかし、麦粒が麦粒のままでいようとすれば、1つの麦粒のままです。麦粒が畑に撒かれ、自分を壊し、養分や水分を受け入れ、ほかのものとつながってこそ、豊かないのちが育っていきます。

 ここで主イエスはご自分を麦の種にたとえています。種は、まかれると種そのものは壊れてしまう。その時種は自分の中に閉じこもって、自分を守ろうとするのではなく、自らを壊して、新しいいのちに育っていきます。この種の譬え、それは主イエスのいのちのあり方そのものではないでしょうか。主イエスは、死を超えて、神とのつながり、人とのつながりに生きようとなさいました。

 そこにまことのいのち、永遠なるいのちが芽生えて、やがて想像を絶するほどの多くの実を結びます。種の中がすべてと思っていたときからは想像もつかないような、栄光の世界、復活の世界、神の国の世界が現れてきます。

 ではこの種は私だと思ってみてはどうでしょうか。新しいいのちのことは、種が種のままでいたら分からない。ここから永遠のいのちが生まれて、そこに、本当の私が誕生していくのだということは分からないでしょう。永遠のいのちの誕生を知らないままに、いくら種の中で考えても、種の意味など何も見いだせないということが、分からないわけです。

 昨日たまたま、ALSやパーキンソン病の方の報道番組を見たのですが、たとえば「もう死にたい」と言っているのは、「こんな種はもういやだ」と言っているようなものだと思いました。「死ぬのが怖い」と言っているのは、「この種が失われるのが怖い」と言ってるようなものです。

 どちらも、種の中の話に過ぎません。その種を脱ぎ捨てて、神さまのまぶしい栄光の世界に生まれ出て行ったときのことを考えずに。暗い種の中で、種の中のことしか考えてない。私たちっておうおうにしてそんな日々を送っているといえないでしょうか。

 またヨハネ12章32節で、主イエスが「私は地から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」と言っておられますね。

 主が「すべての人」っておっしゃるのですから、千人いたら千人、万人いたら万人、「ひとりも残さず」です。「ひとり残らず、自分のもとへ引き寄せよう」というのが、イエスさまの約束です。この主イエスの約束をこころに受け入れて信じるのがキリスト者です。

 「地から上げられるとき」というのは、つまり、「十字架と復活のとき」ですね。主イエスは真っ暗な夜、凍った冬をくぐり抜けて、そして、桜が満開のような喜びの日々を、私たちにもたらしてくださいました。私たちは、この希望を新たにします。

 「すべての人を」、「みんな引き寄せよう」と言われる。本当にありがたいです。

 「ああ、一人こぼれた」とか「一人落ちたようだけれど、まあいいか」とか、そんなことは、あり得ないわけです。「すべての人を、もれなく、主のもとに引き寄せてくださる。神がなさること、主イエスがなさることですから漏れも抜かりもありません。

 信仰って、単純なことなんですね。シンプルなものなんです。あんまり複雑にしてはいけないものです。私たちはちょっと考え過ぎる悪い傾向があって、恐れたり、悩んだり、いろいろ考えていろいろ言いますけど、「素直に」でいきましょう。私もこの14日にこれまで検査を受けてきた結果が出て、正式に「パーキンソン病」という診断が出ました。でも。大丈夫、大先輩方が前を歩いてくれていますし、何しろイエスさまがいつも一緒にいてくださり、一番いいことをしてくださる。とはいうものの人間としての不安は消えませんが、聖霊の助けがあり、力づけてくださいます。主を信じて安心しておまかせしようと思います。

 神は愛そのものですし、主イエスは、すべての人を、どんなダメな人でも、ご自分のもとに引き寄せてくださる。それはもう、「その人のあらゆる条件を超えて」です。もちろん、人間である私たちは、どうしてももっといい人になろうとか、もっと上手にやろうとか考えますが、それはそれでよしとしましょう。でも、そういう行いとか努力とかいった一切のことを圧倒的に超えた「神さまの愛の大きさ」っていうものを、素直に受け止めましょう。

 私たちは、「主イエスは復活した。神はすべての人を復活させてくださる。私たちもみんなで、天の国で喜びあえる」と、そういう本質を素直に信じましょう。確かに今はまだ、戦争の悲惨の中にいて忍耐している人々がいる、飢餓の中で助けを求めながら忍耐している子どもたちがいる、自然災害の困難な生活の中で忍耐している人々がいる。私たちもそれぞれなにか忍耐していることがあるんじゃないでしょうか。気候にしても、ちょっと寒かったり、ちょっとつらかったりしますけれど、それは、やがて復活の栄光の世界がくるっていうことのしるしです。

 今日はこの後で二見茜さんの召天後1年記念の祈りを行います。1年前の2月末に病床で洗礼を受けた茜さんは、いのちの神秘を悟って、3月17日に永遠のいのちを信じて召されました。そして今日は茜さんの記念の祈りのあと、茜さんが作ってくれたきっかけで湯河原教会に通い始めたお母様の二見美保子さんの洗礼式を行います。このように母と娘が同じ日に天の祝福を受けることになりました。この日は神が備えてくださったもの、天からの祝福です。

 最後に私のことも付け加えさせていただくなら、今日は私が湯河原教会の牧師として、引退前の最後の説教をさせていただいた日です。この日を洗礼式で締めくくれる。このような破格の恵みを主は与えてくださいました。主イエスの父なる神さまは、まことに、恵みの神、憐れみと慈しみの愛の神です。皆さん、この神を信じて決して間違いはありません。感謝です。本当に感謝です。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなた方に満たし、聖霊の力によって、あなた方を望みに溢れさせてくださいますように。アーメン

 

2024年3月10日日曜日

礼拝メッセージ「圧倒的な愛」

2024年03月10日(日)四旬節第4主日   岡村博雅

民数記:21章4〜9 

エフェソの信徒への手紙:2章1〜10 

ヨハネによる福音書:3章14〜21

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵と平安とが、皆さま方にありますように。アーメン 

 「聖書の中であなたが最も大切にしている聖句は何ですか」と聞かれたら、私は迷わずに今日の福音書箇所、中でも3章16節をあげます。それは父親が私に信仰の手ほどきをしてくれた思い出に遡るみ言葉だからです。

 私は中学からあるキリスト教主義学校に入学しました。毎朝礼拝から始まり、週1コマの聖書の授業がありました。ある夜の団らんで、父は私にこう言いました。「英語を習っているんだろう?John three sixteen.て言えるかい?」「簡単だよ」と私が応じると、父は「John three sixteen. John three sixteen.」とゆっくりと繰り返し、「ヨハネ3章16節だ、小聖書と言われている箇所だ、ヨハネさん、ていうところが面白いだろ、ヨハネ3の16」とほほ笑みました。私は「John three sixteen、ヨハネ3の16」とまるで呪文のように、得意な思いでくりかえしました。この光景を思い出すたびに、あのゆっくりとした父の声音が聞こえてきます。私にとっての信仰の原風景です。

 後になってですが、この聖句は「信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」という神さまの思いを徹底して強調している。「主イエスは一人残らず救う。その主イエスを全面的に信じる」ということこそが福音の鍵だと思うようになりました。

 私は神学校に入る前に一つ気になっていることがありました。それは「主を裏切ったユダは永遠に救われないのか」ということです。主イエスを裏切ったのは他の弟子たちも同じです。主が陰府にくだったのは、陰府にいる人々の霊を救うためではないのか。特に神学校で学んだ期間に、神が「一人残らず救う」ということを、心から信じたいと思っていました。というのは、一人残らず救われるのでなければ、この自分は救われないのではないかという思いがあったからです。

 今でこそ、「私は絶対救われます」という顔をして話していますし、実際、今はホントにそう信じています。最近、自分がパーキンソン病らしいということが分かって、診断が出るのは来週なんですが、すぐにではないだろうけれど、自分は天国に行くんだなということが現実感覚になりました。皆さんは、どう思いますか?天国を信じていますか? 

 言うまでもなく、皆さんも私も天国に入ります。もう主イエスの救いのみわざにおいて天国に入り始めておられるし、最終的には神さまが、みんな入れてくださいます。皆さまとも、いずれあちらでお会いしましょう、ということですね。

 けれども、神学校に入る前後は、そこを信じきることができなかった。自分はホントに救われるんだろうかと、不安でした。自分はご都合主義で人への思いやりが足りないし、愛のうすい自分を呪ったり、それまで身につけてきた、上から目線がちっとも変わっていかないし、それは本当は自分が弱いからだと、自分をはかなんだりしました。

 ですから、祈って、もっと頑張ろう、もっと立派な人間になろう、もっといい人間になろうともがいたけれど、これが、そうなれないわけです。自分でいうのもなんですが、私は、わりあいそういうところを純粋に頑張ったりするたちなんですが、そうなれない。変わらない。いつまでもおんなじ弱さ、おんなじ自分かわいさ、おんなじ冷たさが心に巣食っている。表面は取り繕おうとしても、ああ自分は愛がないなあ、自分は弱い人間だなあと思わされるばかりです。神学生当時はそういう自分と日々向かい合っていました。

 実際、いろいろなことがありましたが、わが身の弱さとか、自分のずるさとか汚さとか、そんなことばかりだったと思い出されます。でも隠したり、無視したりしていたそういう自分自身を少しずつですが明らかに認識できていきました。神学生時代ってそこが重要だったと思います。必死にきれいになりたい、立派になりたいと願いながらも、ぜんぜんそうならない自分というものに、やっぱり、苦しんでいたわけです。恐れてもいたわけです。

 そんな自分でも、神さまは、牧師として使ってくださるんじゃないかと期待して、ともかくがんばれば少しは進歩するだろうと思い込んで神学校にしがみついていたものの、ちっとも本質的には成長しない。そんな自分にとって、最大のテーマは「一人残らず救われる」という、救いの普遍性だったわけです。主イエスがおっしゃるところの、この「一人も滅びないで」というところを最後の砦にして、そこにすがっていないと、自分が救われないわけです。

 そんな日々が、懐かしいといえば、懐かしいです。こんな自分が神学校にホントに入れるだろうかと思った時があり、入ってからはこんな自分がホントに牧師になれるだろうかと思ったこともたびたびでした。牧師への道が閉ざされてしまいそうで、口には出せませんでしたが、私も救われるんだろうか、という思いがありました。もし99人が救われて一人が滅びるんであれば、その一人は自分だろうな、という思いです。

 しかし、もし100人救われるんであれば、こんな安心なことはないわけで、宣教研修に3度挑戦して、なんとか神学校にいる間に、ついに私はそれを信じることができました。主イエスこそは100人全員を救う方だ、最後の一人をも必ず救う方だ。神はそれを望んでいるからこそ、主イエスを遣わしてくださったはずだと、信じることができました。

 というか、もう信じる以外に何もなくなってしまいました。そのことで思い悩んで格闘して、いろんな体験もして、そして卒業前に間に合いました。私は「一人残らず神が救う」ということを確信できました。確信して教職受任按手を受けました。

 さて今日の第一朗読、民数記21章4-9節を踏まえて福音箇所の14節に「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」とあります。この話ですが、紀元前13世紀、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、荒れ野の厳しい生活に耐え切れず、神とモーセに不平を言った。その時「炎の蛇」が民を噛み、多くの死者が出て、民はようやく回心した。「主はモーセに言われた。『あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る』と。モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」というのです。

 蛇は古代の人々にとって、不思議な力を持つ存在で、人間を害するもの=罪や悪のシンボルでした。しかし、モーセの青銅の蛇以後は、同時に、いやしと救いのシンボルにもなりました。この2面性が十字架の2面性と通じています。十字架もまた、のろいと死のシンボルでしたが、キリスト者にとっては救いといのちのシンボルになりました。

 主はこの故事を踏まえて、ご自分も十字架にあげられなければならない。そのことによってすべての人が救われるのだとおっしゃいます。

 真の愛には条件なんてありえません。主イエスの愛は真の愛であって、主はすべての人を救うためにこの世にこられて十字架を背負われた。もう人種とか宗教とか、あるいは良い人とか悪い人とか、どれだけ理解したとか、していないとか、そういうことを十字架の愛は超越しています。神は、すべての人を必ず救います。問題は、そのことを信じているかどうかです。主イエスは神の愛そのものですから「イエスを信じる」というのは、まさにそれを自分自身が信じるかどうかです。

みんなが必ず救われます。主イエスはすべての人の救い主です。それを信じることが、救いです。

 もしここに信じない人がいるとしたら、「そうは言っても私は駄目かもしれない」と疑う人がいたら、その疑いがあなた自身を裁いてしまっているということを、今、ヨハネの福音書で読みました。その疑い、その恐れが、すでに裁きになっているというところです。

 ただどれだけそう語ったり宣言したりしても、人の中には恐れの気持ちというのがあって、そうは言っても私は駄目かもしれないとか、でも、あの人は無理でしょうとか、みんないろんなこと言い出します。

でも、第2朗読の8,9節、パウロの言い方でいうならば、「神は恵みによって私たちを救う。それは私たちの行いによるのではない」。つまり救いは人間の考えによらないのです。「あなたのことが大好きだ、あなたを愛している」というその神の恵み、憐れみ、圧倒的な神の愛、その愛を信じて生きていこうというのです。まさにルターが言うように救いは「恵みのみ」ですね。

 あなたも私も、そして全ての人が主イエスによって救われています。

お祈りします。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなた方に満たし、聖霊の力によって、あなた方を望みに溢れさせてくださいますように。アーメン

 

2024年3月4日月曜日

拝む前にすべきこと

 2024年3月3日 四旬節第3主日 小田原教会 

江藤直純牧師

出エジプト20:1-17;Ⅰコリント1:18-25;ヨハネ福音書2:3-22

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 宗教とは何かーーいざ正面切ってこう問われたら、あなたはどうなさいますか。なにかしらの宗教を持っている人も自分は無宗教だと思っている人も、宗教とは何かと即座に簡潔に答えるのはおそらく容易ではないでしょう。学者なら一つの論文、一冊の書物が書けるかもしれません。そういう議論や研究はさておき、ほとんどどの宗教にも共通して見られる要素の一つに、人はそこで拝むという行為をするということがあります。私たちは体で表現する行為としてだけでなく、心の行為或いは姿勢として拝むということをするのです。拝む、自分より、人間よりも優れた存在に尊崇の念を抱き、自ずと頭を下げ、そればかりでなく背を曲げ、腰をかがめ、時に跪くことさえあります。五体投地という全身を地面に投げ出すこともあるのです。拝むこと、これは宗教と切っても切り離せない行為の一つです。

 日本人ならだれもがお馴染みの神社仏閣へのお詣りの際に、そのやり方には二礼二拍手一礼もあれば、型にはまらずにただお辞儀をするだけの場合もあるでしょうが、とにかく拝みます。イスラム教の信者は一日に五回礼拝の時を持ちます。インドネシアに行ったとき、朝の5時でしたか突然近くのモスクの塔の上のスピーカーからコーランの朗読が聞こえてきて驚きましたが、人々はそれを聞きながらそこで跪いて拝みます。ある時国際線の飛行機に乗っていたら、一人の人が機内の一番後ろのちょっとスペースがあるところに小さなカーペットを敷き、そこでイスラム式に拝み始めました。聖地メッカのほうを向いているということでした。

 キリスト教、とくにプロテスタントではあまり拝むという言葉を使わないかもしれません。むしろ礼拝という言葉を好みます。礼拝という言葉を辞書で引いてみましたら、キリスト教やイスラム教で神を拝むことと書いてありましたので、何だ要は同じではないかと思ったことでした。礼拝の拝は拝むことです。漢和辞典で「拝(拝む)」を引けば、テヘンにコツの組み合わせで、両手を平行に前に出し、頭をそこまで下げる礼の仕方だと説明されていました。

 礼という漢字の旧字体はシメスヘンに豊かというツクリの組み合わせです。豊の下半分は豆に見えますが、これはもともと高坏、供え物を載せる台です。その上にうず高く物を積み上げた形です。禮とは神にお供えをすること。お供えをするのは、神をたよりにして、幸福を招こうとすることで、そこから頼る、足がかりにする、さらには手順を尽くすこととなり、踏み行うべき道というようになってきたと説明されています。

 いささかマニアックな説明だったかもしれませんが、拝むとか礼拝するということの意味を、自分よりも優れた存在への尊崇の念の表現だと私は申しましたが、漢字の起こりから探っていけば、人間の幸福のために神に頼ろうという思いの表現だったということになります。その幸福は現世利益とか物質的なものの場合もあれば――この方が多いのですが――もっと精神的な場合もあるでしょう。しかし、突き詰めれば自分のためにする神に向けられた思いであり行為ということになるでしょうか。それのどこが悪いか、自分が自分のために生きて何が悪いのか、それが人間だと開き直ることもできるでしょう。

2.

 人間は不完全な存在です。万事が思うどおりにうまく行くわけではないし、怪我や病気もします。苦労もあれば不幸だと思うことも経験します。自分自身ではなく親しい者のために願いごとをすることもあります。その苦境から脱するために神仏を頼り拝むことをするのは当然だと思います。自力の限界を知り、神に頼り、願いごとをすることは当たり前です。しかし、そこで気をつけなければならないのは、いつのまにか人間が神を利用してはいないか、神を人間に仕えさせることになってはいないか、ということです。

 エジプトでの奴隷状態からの解放をと切に願い、神に聞き入れられて脱出、出エジプトの夢が叶えられたけれども、荒れ野での苦難が続いたときについに辛抱しきれなくなったイスラエルの民がやってしまったことは、金の小牛を作ってそれを拝むことでした。自分の願いを叶えてもらうために、自分たちの思い通りになる神を作ったわけです。それを拝み礼拝したわけです。出エジプト記32章に記されているこの出来事は四千年経った今も本質的には似たようなことが宗教の中に、と言うか私たちの生き方の中にあるのではないでしょうか。

 そのことを念頭に置いて、今朝の福音書の日課を見てみましょう。神殿でイエスさまが「縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し」そこで商売をしている者たちに激しい叱責の言葉を浴びせられたのです。イエスさまと言えば優しい愛の方だと思っているので、この力ずくのと言うか暴力的な振る舞いには正直度肝を抜かれます。しかし、その行動の是非を論じ始めると、ここでのイエスさまの憤り、怒りの原因、批判が向けられた事柄について考えることから逸れてしまいますので、気にはなっても、力の行使の問題はしばらく脇へおいておきましょう。

 イスラエルには宗教施設として二種類がありました。イエスさまご自身も子どもの時からそこで育ち聖書に親しみ教育を受け、成人して福音宣教を始められてからも安息日の礼拝の時に聖書の説き明かしをなさったのは町々村々にあったシナゴーグと呼ばれた会堂でした。安息日の礼拝では聖書が朗読され、誰かが説き明かしをします。祈りや詩編の讃美もなされたことでしょう。でも、そこではなされずに、エルサレムにある神殿でだけなされることがありました。それは、礼拝の時には動物の犠牲や穀物などが献げることでした。ユダヤの伝統で特に重視されたのは動物の犠牲、いけにえでした。清い動物とされた牛、羊、山羊が捧げられましたが、貧しい者は山鳩や家鳩を献げました。赤ちゃんイエスを主に献げるときには山鳩一つがいか家鳩の雛二羽だったとルカは記しています。その犠牲を献げる場がエルサレムの神殿の一角にありました。新共同訳聖書の訳語では、焼き尽くす献げ物、贖罪の献げ物、和解の献げ物、賠償の献げ物とされています。

 地方から都エルサレムに出て来たときに犠牲にする動物を連れてくるのは大ごとですから、神殿で買い求めることができるなら便利です。賽銭も流通していたローマの硬貨は神殿にふさわしくないので、ユダヤの硬貨に両替をしてもらうのが必要でした。ですから犠牲のための動物を買ったり、ユダヤの貨幣に両替をしてくれたりする商人たちの存在は必要と思われていました。たとえ、彼らが神殿当局と裏で通じて不当に儲けていたとしても、です。それが宗教でした。でも、それは人間の宗教です。人間が作り上げた宗教なのです。

 旧約聖書のあちこちに、たとえばアモス書の5章(22-24節)やイザヤ書の1章(11-17節)には、神が人間の犠牲を嫌って、むしろ倫理的な生き方をこそ求めていることが明確に語られています。詩編51編には詩人が真摯にこう謳い上げています。「もしいけにえがあなたに喜ばれ/焼き尽くす献げ物が御旨にかなうなら/わたしはそれをささげます。しかし、神の求めるいけには打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません」(詩51:18-19)。

 私たちは自分の願いごとを聞き入れてもらうことにばかり気を取られて、肝腎要の祈り願う当の相手がいったいどのような方であるのかをつい忘れてしまっているのです。礼拝すると言い拝むと言いながら、実は自分の願望という眼鏡を通してしか相手を見ていないのです。いやそもそも相手がどなたであるかを見ようとしていないのです。自分は何が得られるかが唯一最大の関心事なのです。だから、自分がする礼拝の仕方、犠牲の献げ方にばかり目が行ってしまい、あくどい輩はそんな宗教心につけ込んでそのような宗教的な人を商売の種にし、利益を貪っているのです。イエスさまが神殿で目にされたのはそのような悲しい人間の性でした。怒り、憤りは悲しさの裏返しです。

3.

 そのような私たちがなすべきことは何でしょうか。いったいどのようにしたら当の拝み礼拝するお方を知ることができるのでしょうか。その手掛かりとして今朝の旧約と使徒書の日課が与えられています。まずは出エジプト記20章です。神が語りかけられます。出だしはこうです。「わたしは主、あなたの神」(20:2)。神が私は神だ、主だと意味もなく繰り返しているのではありません。「私は主」であるということは誰かがそう認めたから主なのではない。人間がどう言おうと、認めようと認めまいと、信じようと信じまいと、私は主なのだ。あなたの支配者、保護者、導き手、どこまでもあなたに責任を持つ者であると自ら宣言なさるのです。そして続けて「あなたの神」であると言い切ります。抽象的な神でも一般的な神でもなく、あなたは私の子、私はあなたの神、あなたの命を造り罪と困難から救済した者なのだ。だから、十把一絡げにではなく、あなたに向かって「あなた」「だれそれよ」と親しく名前で呼び、人格的な交わりを求める神なのだと言われるのです。それだけでなく、あなたと歴史の中ではっきりとした関わりを持ったあの神だと名乗られます。「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と。想い出せ、あの出来事を、私があの神なのだ、と声を掛けられるのです。

 その上で十戒を授けられますが、その一番目は「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」です。汝我ノホカ何者ヲモ神トスベカラズ、と文語調で言えばなおのこと厳しく響きます。厳格な禁止命令のようです。しかし、ここはよくよく注意してこの語りかけを聞かなければなりません。ベカラズ、スベカラズばかり並んでいる印象ですが、十の戒めを語る前に神はそもそも自分がどのような神であるか、イスラエルの民とはどのような関係であるかを簡潔に語っています。私はあなたを奴隷状態から救出、解放したあの神だと言うのです。つまり、恵みの神、慈しみの神、あなたを救い出さないではいられない愛の神であることを思い起こさせるのです。だからあの第一戒は、私のほかにだれか別の神を拝むなという単なる禁止命令ではなく、あなたにはこのような私がいるのだから、あなたはもはや私以外の他の神を捜し求め、拝みひれ伏すなど全く必要はないのだと優しく諭しているのです。心を他の神に向けようとする者への怒りとか妬み嫉みなどから厳しい禁止命令を発しているのではなく、この神の本性を知れば、この神と自分との関係を想い出せば、他の神々などあなたの人生に出番はないはずだと気づかせようとしているのです。残りの九つの戒めも、宗教、倫理、道徳の集大成という受け取り方をするのではなく、愛の神が愛して止まない自分の子らに、愛されている者にふさわしい、自由で愛に満ちた生き方、在り方へと招いている言葉だと理解したいものです。願いごとを胸いっぱいに携えて、拝みひれ伏し犠牲を献げようとしている者たちに、先ずはその当の相手がいったいどのようなお方であるかを聞くことを旧約の日課は示しています。

 使徒書の日課は、イエス・キリストがどなたであるかということを使徒パウロの証言という形で私たちに明らかにしています。パウロはキリストのことを端的に「神の力、神の知恵」(Ⅰコリ1:24)と言います。キリストについて語られた言葉、いえ、それだけでなく、キリストが語られた言葉、突き詰めれば、キリストご自身という言葉を「十字架の言葉」(同1:18)だと言います。キリストの生涯と教えを凝縮すれば十字架なのです。だから使徒は「十字架につけられたキリストを宣べ伝えてい」(1:23)るのです。人間的に見るならば、惨めな敗北のしるし、屈辱と弱さそのものにしか見えない十字架、「ユダヤ人にはつまづかせるもの、異邦人には愚かなもの」(1:23)である十字架、しかしその十字架とは、それによってのみ私たちを救うことを決意され、御子によって実行された「神の力、神の知恵」なのです。私たちの理解を超える関わりをしてくださるのがこの神なのです。

 こういうことは私たちが外側から見るだけでは分からないことです。外観から判断できることではないのです。人間同士のことに置き直して考えてみましょう。あの人きれいだなとか、見てくれが悪いなとか、こちらからの観察、判断では相手の人の本当の姿、本質的なことまでは分かりません。相手が心を開いて、口を開いて、自分の思いや考え、とくに私に対する心情を語ってもらわないと、その方のほんとうの姿、本質は分からないのと同じです。神もまたそうです。私という神はこういう者だ、キリストという方の真の姿はこういうものだというのはあちら側から語ってもらい、それに耳を澄ませ、心の耳で聴き取ってはじめて、相手がどういう存在かが分かるのです。

 十字架は単に政治犯への処刑の道具としか受け取れず、ゴルゴダの丘での悲劇は残酷だなとか可哀想だなとしか思えなかったのが、神さまがイエスさまを死から復活させてはじめてそれが私たちを罪から救い出すための唯一の手段だったことが分かったのです。人間が作り上げた宗教では決して分からないこと、人間の想像を超えた神の思いと行動は唯だ聴くことから始まります。熱心ではあっても闇雲に拝む前に、まず神の言葉を聴こうではありませんか。心を開いて十字架の言葉に耳を傾け、語ってくださっているのがどなたなのかを知ることができるようにしていただこうではありませんか。アーメン

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン