聖霊降臨後第4主日 2025年7月6日 小田原教会
江藤直純牧師
イザヤ書 66章10-14;
ガラテヤの信徒への手紙 6章1-20
ルカによる福音書 10章1-11, 16-20
1.
聖書にはたくさんの人が登場します。新約聖書に限ってみても、その数はいったい何人ぐらいになるでしょうか。イエスさまを別にして、ペトロを筆頭とする十二弟子、ガリラヤからずっと従って来たマグダラのマリアをはじめとする女性たち、母マリアとヨセフ、洗礼者ヨハネとその両親、親しくしていたベタニアのマルタとマリアの姉妹、その弟ラザロ。さらにはイエスさまと敵対関係にあったファリサイ派や律法学者の人たちや最高法院の議員たち、その中ではニコデモとアリマタヤのヨセフの名前が明らかにされています。大祭司やヘロデ王や総督ピラトもいました。その他にも名前こそ分かっていませんが、福音書の中に印象的に記されている、主イエスに出会い、主イエスに癒され、救われた何人もの男女がいます。これらの人たちは、映画やテレビドラマならば登場人物の名前と俳優の名前が挙げられる、一人ひとりの人物です。
もちろんのことですが、この他にも多くの人々が聖書の中には出て来ます。民衆とか群衆と呼ばれる人たちが何百、何千と現れます。映画ならばその他大勢として扱われ、劇団の人というよりもエキストラが動員されることでしょう。
それでは、今日の福音書の日課に現れる一団の人々はどうでしょうか。ペトロやヨハネのように固有名詞を持ち、その人となりも役割もはっきりしているかといえば、そうではありません。では、群衆の一部、その他大勢かといえば、そうでもありません。この一団の人々が「七十二人」だったということだけは明示されています。彼らがやった行動も書かれています。一回だけですが、台詞もあります。なによりイエスさまが彼らに真正面から向き合い、大切な役目に任命なさいました。派遣先で何をどうするかをこと細かく指示されました。ご自分が行くつもりの町々村々に予め手分けして派遣されました。しばらく間を置いてから彼らが戻ってきて、その成果を報告すると、主は彼らに向かって大事なことを語りかけられているのです。
ただ、なぜかこのエピソードはマタイ、マルコ、ヨハネ福音書には何の記述もありませんから、初代教会の誰もが聞き及んでいたのではなく、ルカが知りえた伝承にだけ語り継がれていたらしいのです。十二弟子のように全員の名前は語り伝えられていなくてもせめてその代表格の人たちだけの名前なりと分かればいいのにそれもなく、しかもルカの10章だけにしか現れず、この後の後日談も何も残っていません。ドラマチックというわけでもありません。そういうわけで、私もこの記事に、と言うか彼らに正直これまであまり深い関心を持つことはありませんでした。
しかし、イエスさまがこれほど深く関わられたのですから、彼ら七十二人の名前も性格も分からないからとか、彼らがどこの出身でこの後どうなったかが記されていないからとかが分からないからと言って、私たちが無視していいわけがありません。
2.
私がこのようなことを考えるようになったのはつい最近のことです。実は先週、たぶん一年ぶりに映画を観ました。「フロントライン」という題ですが、これは実話に基づいて作られた映画です。2020年2月3日、横浜港に入港した豪華客船ダイアモンド・プリンセス号を舞台にした、おそらく日本中の人が固唾を呑んで見守った、あのコロナ禍の最初期に起こった大きな事件です。なかなか事態の全貌が分からず、やきもきもしたものです。
3711人という乗員・乗客が未知の感染症の見えない魔の手から逃れられるか、彼らを通してこの恐ろしい病が日本中に一気に拡散するか、前例のない大事件に死に物狂いで戦った人々の実話に基づく大規模な人間ドラマでした。本来は大地震やその他の災害の際に派遣される医療者たちのチーム、人呼んでDMAT。その神奈川県DMATの責任者の医師と、彼の呼びかけにすぐに応えて乗船した医師たち看護師たちの中の現場責任者と若い医師、厚生労働省のDMAT担当の官僚、乗船していたクルーの中の一人の若い女性の五人に焦点を当てて、23日間の苦悩と使命感と人間への愛を描ききった感動的な作品でした。
言葉に尽くせない困難に向かって渾身の力を振り絞って戦い、ついに23日目に全員が無事下船できました。一人の死者も出すことなく。最後に舟から下りた人は船長だったとテロップに書いてありました。深い感動を持って見終わったのですが、そのあとでふと気づきました、3711人を無事救出するために神奈川県はもとより全国から馳せ参じた医療従事者は472人いたのだということに。素晴らしいリーダーシップを発揮した隊長と彼と一体となって働いた現場の責任者や若い医師だけでなく、病気の危険だけでなく社会の差別や偏見に負けずに戦った、数百の医療従事者たちがいたのです。不安に怯える乗客たちを流暢な英語で励ましたあの女性クルーだけでなく、一日三食を作って各客室に運んでいたキッチンのスタッフも、その他映画の中では脚光を浴びることは全くなかったけれども、顔も名前も働きも表に出ることはなかったけれども、その人たちがいなかったならばあの偉業はけっして成し遂げられなかった謂わば陰の働き人、無名の働き人がたくさんいたことに気がついたのです。それは主役の人たちの存在や働きの評価を下げるのでも何でもないですが、表に現れない働き人たちを忘れないようにしなければとの思いです。歴史に残る大きな働きの陰には、見えないところでの陰の働き人がたくさんいるということです。
3.
七十二人の弟子たちがしたことは何だったでしょうか。先週の日課に登場した三人の人たちと違う点は、この七十二人は主イエスへの服従を自分から申し出たのでもなく、またイエスさまからの招きに留保を付けたのでもないようです。10章1節に書かれていることはただ「主はほかに七十二人を任命し」「二人ずつ先に遣わされた」ということだけで、彼らの申し出とか躊躇いとかは触れられてはいません。ということは、彼らが一言も発しなかったということではなく、イエスさまのイニシアティブがすべてだったということでしょう。彼らのしたことはイエスさまの召し、派遣をただ受け容れたということです。彼らの熱心さとか能力などよりも肝腎なのはイエスさまの召しだったということです。「収穫の主に願いなさい」と祈り求める姿勢を命じられました。「わたしはあなたがたを遣わす」とおっしゃるその言葉には、さらには「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」との言葉には、主は送り出される者の弱さなど百も承知でいらっしゃること、それでも彼らのやることの全責任はイエスさまが引き受けられるということ、なによりも伝道や奉仕の主体はイエスさまご自身であることが込められています。
「財布も袋も履物も持って行くな」との指示には驚かされます。訪ねた先で「この家に平和があるように」と言えとおっしゃりながら、その挨拶が受け入れられるか否かは相手次第であって、その結果を心配するなと言われます。受け入れられたらもてなしを受け、その町の病人を癒し、またイエスさまがもたらされた肝腎の「神の国はあなたがたに近づいた」とのメッセージを宣べ伝えなさいと命じられます。たとえ、意に反してその人々が受け入れなかったとしても、気にしないでそこを去ればよい、ただし肝腎のメッセージ「神の国は近づいたことを知れ」だけはきちんと言いなさいと言われます。キリストの福音を受け入れるか入れないかは受け手の問題だから、なすべき事をなしたら、あとは遣わされた弟子たちにその責めは負わされないということです。
さらに七十二人が帰ってきてその成果をイエスさまに報告したときに、主がおっしゃったことは、私は遠くからちゃんとサタンの敗北する様子を見ていた。あなたがたに働きの成果をもたらしたのは、あなたがたの力量ではない。「敵に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授け」ておいたのだと力強く語られました。彼らは、そして実は私たちもまたイエスさまに用いられるけれど、その導きも結果への責任を負うことも全部主が引き受けてくださっていることをこの七十二人の出来事は示しているのです。そのことが大事なのであって、彼らの名前や顔形や業績の記録などが残っても残らなくてもどちらでもいいことなのです。
4.
全責任をイエスさまが引き受けてくださると申しましたが、だからと言って無名の私たちはぐうたらの無責任でいいのかというと、それは違います。そこでいう責任とは、今日の社会で耳にたこができるほど聞かされる自己責任とか結果責任とかでいうところの責任ではないのです。自己責任とか結果責任とか、要は評価されるのもされないのもみんなあなたの出来次第、努力次第といった、孤立と競争を強いられ、挙げ句の果てにヘトヘトに疲れ切って、格差が広がる一方の社会で負け組に落とされて、寂しい人生を送って終わるときに使われるあの責任ではないのです。
以前にもお話ししたかもしれませんが、責任という言葉の英語のリスポンシビリティはリスポンス(応答)とアビリティ(能力)が組み合わさった言葉です。リスポンド応答する力です。責任のドイツ語はフェアアントヴォルトゥンクですが、これまた応えること、応答することが元々の意味で、そこから責任の意味が出て来ています。応答すること、これはだれもが生まれながらに持っているはずの力です。赤ちゃんがお乳を飲み、言葉を覚え、立ち上がるのは本能のなせる業でしょうか。それもあるでしょうが、お乳を与えてくれ、微笑みと共に絶えず語りかけ、無条件で愛情を降り注いでくれる存在が在って初めて赤ちゃんはその愛に応えて成長するのではないでしょうか。堅い言い方をすれば人間の成長は育ててくれる人々の愛への応答のなせる業です。ひとりで、自力で生きて成長するのではないのです。
ですから、私たちは何に応答するか、或いはだれに応答するのか、さらにはどう応答するか、それを見つけなければなりません。あの七十二人はイエスさまの召しに応答しました。それはいうまでもなく、まるで狼の群れの前の小羊のような、自ら誇るもの、腕力や能力、学力や資金力等々なにもないのに、そのような自分に目を留め、声を掛け、無償で恵みを与え、さらには弟子にしてくださったイエスさまに応答したのです。具体的には、自分はとてもその任に非ずと思われた神の国の到来の伝道と愛と癒しの奉仕の旅に二人組で出かけて、命じられたことをすることでした。苦労もしたでしょうが、彼らはそれをやったのです。イエスさまは彼らの報告を聞いて、働きを労い、祝福してくださいました。
どう応答するかについて、いつどこで誰に対しても通用する教えとして、使徒パウロはガラテヤ書の中で端的にこう言っています。「互いに重荷を担いなさい」(ガラ6:2)、そして「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」(6:5)と。愛しなさいとか仕えなさいと言うといささか抽象的になりますが、「互いに重荷を担いなさい」「自分の重荷を担うべきです」だともっと具体的です。愛とか奉仕が実際にできているかどうかがはっきり分かる教えです。歴史に名前の残る人の働きも陰の無名の働き人もこの教えを実践したのです。
ところで、後日談も何も残されていないと言いましたあの七十二人は全く消えてしまったのでしょうか。主の復活と昇天の出来事の後に、ペトロが百二十人ほどの人々に呼びかける場面が使徒言行録1章15節以下に記されています。それはイスカリオテのユダの欠けを埋めようとの提案です。「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼の時から始まって、わたしたちを離れて天に挙げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです」(10:21-22)と言って、その結果、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を候補として、御心を訊ねるためにくじを引いてマティアが選ばれたのでした。
この二人以外にも何人も主と共にいて、寝食を共にしながら教えを受け、伝道と奉仕の働きに遣わされた経験を持ち、キリストの証人となった人たちの中には、もしかしたらあの七十二人の全員か一部かが入っていたのではないでしょうか。ルカ福音書と使徒言行録の著者は同一人物ですから、ルカ福音書の七十二人の弟子たちと使徒言行録の百二十人ほどの人々とがある程度重なっていることはありえることではないでしょうか。その推測が許されるならば、あの無名の働き人たちは信仰を持ったまま生きていて、教会の誕生のときもまた無名のままですが、なくてはならない貢献をしたことになります。恵みへの応答を続けていたのです。その名は地上の歴史書には残っていなくても、「天に書き記されている」(ルカ10:20)のです。私たちもまたその喜びに連なっているのです。アーメン