2025年1月5日日曜日

星に導かれて

 2025年1月5日  主の顕現 小田原教会

江藤直純牧師

イザヤ60:1-6; エフェソ3:1-12; マタイ2:1-12

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 キリスト教二千年の歴史の内でいろいろな十字架の形が生まれました。最も見慣れているのは縦長の十字架です。T字形のタオ十字架もあります。Xの形をしたアンデレクロスもあります。これは縦横同じで、中央のギリシャ十字の回りに四つの小さな十字架が合わされています。四つの十字架は四つの福音書を表わすとも言われますし、福音が四方に宣べ伝えられるさまを表わしているとも言われます。小さな四つの十字架はキリストの手と足の釘跡の傷を、真ん中の大きな十字架は槍で刺されたわき腹の傷を表わすとも説明されています。これはイスラエル・パレスチナの特産のオリーブの木でできています。

 この十字架は昨年の4月にパレスチナから所用で来日したヨルダン・聖地福音ルーテル教会の名誉監督、元ルーテル世界連盟議長のユナン牧師からいただいたものです。すでに4万5千人の犠牲者を出したガザの人々の、また止むことのないウクライナの侵略戦争の犠牲者たちの苦しみと悲しみとをキリストが共に苦しんでおられることをこの十字架を見るたびに思い起こします。

 その救い主イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスです。今年も私たちも全世界も祝いましたが、最初のクリスマスのときに祝いに駆けつけてくれたのは三つのグループだけだったと二つの福音書は記しています。ルカによれば、ベツレヘムの郊外から羊飼いたちがお祝いに来たのです。そしてマタイには、はるか遠く東の国からはるばる旅をしてきた博士たち、あるいは占星術の学者たちがひれ伏して、お祝いの宝物を献上したことが語られています。もう一つのグループとは、天使の群でした。

 羊飼いたちと博士たち、およそ何の共通点もない、赤の他人同士でした。マリアとヨセフとはベツレヘムの馬小屋で初めて顔を合わせるまでは何の接点もない、名前も知らなければ顔も見たことがない、完全に見ず知らずの関係だったのです。しかし、実に不思議なことに、羊飼いたちと博士たちはたしかにベツレヘムにやって来て、赤ちゃんイエスさまと相まみえたのです。

2.

 先ず羊飼いたちを見てみましょう。人種、民族はユダヤ人です。宗教はユダヤ教です。羊飼いといえばどこか牧歌的で、弱い羊を守り、世話をする優しい人たちという印象を持ちます。詩編23編には「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩23:1)と歌ってあります。少年ダビデも羊飼いでした。イエスさまは「わたしは良い羊飼いである.良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハ10:11)とおっしゃいました。しかしながら、イエスさまがお生まれになった頃、実際の羊飼いたちは「地の民」と呼ばれる社会の下の下の階層に属していました。社会的、経済的に貧しい労働者であっただけでなく、宗教的にも律法を遵守できない、だから忠実なユダヤ教徒とは見なされない、どうしようもない連中だと思われていました。不信仰だからではなく、羊という生き物、貴重な生き物、しかも獣たちや盗人から保護してやらなければならない弱い生き物の世話を託されているのですから、自分が安息日を守ることも、神殿にお詣りし祭儀を重んじることも、会堂で聖書や教えを学ぶことも、ふつうの人たちのようにはしたくてもできない境遇にありました。羊は神殿で犠牲として捧げられ、肉や乳という人々の貴重な食糧を提供し、毛皮という生活の必需品となります。羊飼いは謂わば社会にとってのエッセンシャル・ワーカーを親子代々やっているがゆえに、定められた宗教生活を守れずにいるので、宗教的指導者たちから貶まれる立場にあったのです。なんとも不合理だと思えますが、現実には社会の下層階級に位置付けられ、地の民として扱われていたのです。

 神の民として選ばれていると自負している数多のユダヤ人の中で、選りも選って最もユダヤ人らしからぬ羊飼いたちが選ばれて、主の天使から「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2:10-11)と驚くべき知らせを告げられ、天の大軍が彼に加わって歌う「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」(同14)という夜空いっぱいに響き渡る神賛美を聞いたのです。

 ユダヤ人の代表というにはおよそふさわしくないと思われていた羊飼いたちです。その彼らが「民全体」、つまり全ユダヤ人どころか全世界に住む人々のために与えられた救い主の誕生の知らせという特別に喜ばしいおとずれをユダヤ人全体いえ人類全体を代表して聞かされたのです。「あなたがたのために」救い主がお生まれになったと直接宣告されたのです。何というサプライズでしょうか。しかし、羊飼いが選ばれたのは偶然ではなく、救い主を送ると決心なさった神さまご自身のお考えだったのです。救い主は先ず第一に羊飼いのような人々のためだったのです。救い主を人間世界に送るという深い御心を表わすのにこれほど鮮やかなシナリオとふさわしい登場人物は他には考えられませんでした。

3.

 どういう人のために救い主を送られたかということの第1の答えは羊飼いが選ばれたことの中に示されています。では、マタイ福音書が記しているもう一つのグループ、東方の博士たちは一体全体どうして、どういう目的で選ばれたのでしょうか。

 マタイ福音書はユダヤ人とその伝統というものに重きを置いています。しかしながら、この博士たちはユダヤ人ではありませんでした。福音書には「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」(マタ2:1)とか、「わたしたちは東方でその方の星を見たので」(2:2)とか「東方で見た星が先立って進み」(2:9)とだけ書いてあって、どこの国かということは明示されていません。ですがユダヤ人ではないと言うことだけは確かです。つまり異邦人です。

 明治以来口語訳聖書までずっと「博士たち」という訳語が使われて来ましたが、新共同訳で初めて「占星術の学者たち」と訳されるようになりました。最新の聖書協会共同訳ではまた「博士たち」に戻りました。いろいろと調べてみますと、マゴスという言葉は東方のメディアの一部族の名前で祭司職に就いていた人々を指すとか、それとの関わりで当時の最高の科学的な営みである天文学に長じていたとか、それを用いて占星術を行っていたと言われています。自然科学、医学、また哲学、さらには神学も修めていたとも言われます。ですから、占星術の学者というのも正しいし、学問総体に通じていたという意味で博士と呼ぶのも、賢者と訳すのも妥当なのです。

 彼らのいた東の国を当時の超大国であり先進国であるペルシャと想像するのももっともです。ペルシャ人ならば、言うまでもなく異邦人ということになります。彼らの信じる宗教もペルシャの宗教だった可能性が大いにあります。聖書の宗教ではありません。

 教会の歴史の中で、この博士たちについての話はいろいろと膨れ上がっていきました。まず人数ですが、聖書には三人とは書いてありませんが、彼らが持参した宝物が三つだったことから三人だったということになりました。

 19世紀の終わりにヘンリー・ヴァン・ダイクという人が「四人目の博士」あるいはその人の名前を採って「アルタバン物語」という小説を書きました。博士は実は三人ではなくて四人だったということになっています。全くのフィクションですが、聖書の要素が多く巧みに取り入れられていて、心に響きます。しかし、この話はまたの機会に紹介しましょう。

 いつの頃からか彼らは王であるという伝承も加わってきました。そういえば、子どもの頃博士の役をする子どもたちはみな冠を被っていたことを思い出します。冠は学者のシンボルではなく王であることを表わすでしょう。

 さらにこの三人には名前もつけられていきます。西洋ではメルキオール、バルタザール、カスパールです。シリアやアルメニアやエチオピアでは別の名前で呼ばれています。彼らは老年と壮年と青年だと言われ、またアラブ、インド、ペルシャの人だとか、アジア、アフリカ、ヨーロッパの人だとか言われるようになりました。ですから三人の内の一人は黒人だと言われ、絵画にもそのように描かれることもありました。三人の博士とは三つの世代を、また三つの大陸を代表する人だと理解されたのでしょう。つまり彼らの存在は全世界に住む異邦人すべてを代表する象徴的な意味を持つようになったのです。

 新しい王に捧げるために持ってきた宝物ですが、黄金は王の象徴でした。乳香は祈りと結びつき、この方が神の本性を持つことを示しています。そして遺体に塗る没薬が受難と死とを示唆していると言われます。イエス・キリストとはどういうお方であるかがこの三つの宝物からも推察できるように思われます。

 最も関心を引くのは、博士たちが新しいユダヤ人の王がお生まれになったことを知った手掛かりが星であったという点です。天文学的な異常現象が起こったのだと想像されました。紀元前12年か11年にハレー彗星が現れたと言われています。天文学者のケプラーが提唱した一番もっともらしい説は、紀元前7年にユダヤの星である土星と王の星である木星が三連会合、3回続けてうお座で接近し輝いたが、それがベツレヘムの星であるというものです。その他いろいろあるようですが、どれも決定的なものではないようです。

4.

 もろもろの雑学的知識は知っていれば面白くはありますが、だからといって、信仰の養いになるわけではありません。私が説教の準備中にずっと考えていたのは、なぜ東方の博士たちは天文学的、占星術的観測からある発見をしたからといって、もしも彼らがバビロンに住んでいたならエルサレムまで直線距離で800キロ、ペルシャならば1500キロ、砂漠の中でオアシスに寄りながら旅をしていくならばおそらく1000キロ、2000キロの隔たりをラクダに乗って大旅行をしたはずです。なぜだったでしょうか。ものすごい時間も費用も体力も必要です。ユダヤに新しい王が生まれたからと言って、何故わざわざ宝物を携えて赤ちゃんを拝みに行く必要があったでしょうか。しかもユダヤなどはるか遠い、ごく小さい国のことです。無視してもいいではありませんか。

 旧約聖書に親しんでいる私たちはユダヤ・イスラエルの歴史は神の民の歴史としてとても重要なものだと思っていますが、中近東一帯の歴史、世界の歴史の中で見れば、全体に影響を及ぼすような国ではありませんでした。紀元前1000年にダビデが王国統一を成し遂げたにしろ僅か二代で南北に分裂し、紀元前8世紀には大国アッシリアに北イスラエルは滅ぼされ、6世紀初めには南ユダもバビロニアに滅亡させられ、半世紀のバビロン捕囚の苦しみを味わいます。紀元前6世紀半ばにペルシャのお陰で解放され、国家再建を行いしばしの独立を享受しますが、4世紀にはマケドニアから現れたアレキサンダー大王の支配下に入れられ、彼の死亡後は紀元前3世紀にはプトレマイオス朝エジプトに、やがて2世紀にはセレウコス朝シリアに支配されるようになります。強制的なギリシャ化政策に反発し紀元前2世紀半ばにはマカベヤの反乱で一時独立を回復しますが、やがて今度は紀元前1世紀にはローマ帝国の属領となってしまいます。イエスさまの誕生の時はユダヤの王国は認められていてもローマの支配下にあったのです。ユダヤ、イスラエルはいわば大国に翻弄され続けた弱小国家、弱小民族だったのです。紀元70年にはローマによってエルサレムは陥落しユダヤの国家は完全に滅亡し、それから約1900年の間、国家のない、ばらばらにされた民族でした。現在のイスラエルは第二次世界大戦の後、1948年に建国されたものです。

 そんなごくちっぽけな国に新しい王が生まれても生まれなくても世界史的に見ればどちらでもいいことだとは思いませんか。なぜ東方の博士たちはそのしるしを発見できて、はるばるお祝いに駆けつけることに拘ったのでしょうか。それよりもその結果はどうだったでしょうか。

 科学者はあくまで事実に執着します。ほかのユダヤの王の誕生の時には現れなかった星の運行の異常に拘ったのでしょう。ユダヤの歴史がどうであったかなどのこの世的な評価などにはまったく気に留めません。客観的であることを重んじたのでしょう。彼らは自分たちの宗教のみに囚われずに諸宗教の聖典をも学んでいました。その中に旧約聖書も入っており、39巻の一つひとつを学んでいたのです。公平でしたし誠実でした。真理或いは真実なことにあくまでも謙遜でした。学問や知識を通して示された事柄に忠実であろうとしました。「語りかけるお方」が自分の信じている神でなくても、そのお方に素直に頭を垂れ、心の耳を開き、従順でした。嫉妬と不安に駆られたヘロデ王やその言いなりの祭司長や律法学者たちよりも異邦人の博士たちの方が「語りかけるお方」にどれほど信仰的であり信頼をしており真実、誠実であろうとしていたことでしょうか。博士たちのそのような資質と言うか生きる姿勢が異邦人の代表として嬰児(みどりご)である救い主に相まみえる特権を享受させたのです。信仰者である私たちも見倣いたいものです。

5.

 この世的に言えば一人の赤ん坊の誕生などどうでもいいことのようでしたが、神の救いの歴史から見れば、実はそうではありませんでした。ピラトに「お前がユダヤ人の王なのか」(ヨハ18:33)と尋問を受けたとき、イエスさまは「わたしの国は、この世には属していない」(同36)と答えられました。国土も軍隊もありません。しかし主イエスは、神さまに支配を委ねられ、愛と慈しみと平和で世のすべての人々の心を治め、争いと憎しみとを根絶やしになさったのです。軍事力ではなく十字架の赦しの力によってでした。

 東方の博士たちは天体の異常を手掛かりにしたにしろ、それを通して最後的にはミカ書5章の預言に行き着いたのです。「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者」(ミカ5:1)。大きく強く権力を振りかざすような者ではなく、弱小のユダの中でもさらに「いと小さき者」なのです。そこから「わたしのためにイスラエルを治める者が出る」(同)と言われ、「彼は立って、群れを養う。主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり、その力が地の果てに及ぶからだ。彼こそ、まさしく平和である」(同3-4)。新しい王の新しさとはまさにここにあるのです。王が最も小さく弱い者と同じになったのです。彼らの救いのためにです。

 博士たちが持参して捧げた宝物が、まことの王を象徴する黄金、神の本性を示す乳香、受難と死を予想させる没薬を捧げたのは、それらが単に非常に高価な物であるというだけでなく、捧げる相手がどなたであるかを知り尽くしていたからかどうかは分かりませんけれども、みごとに最もふさわしい献げ物を選んでいたことになります。馬小屋で生まれたイエスさまとはいったいどなたであるのかと言うことを、羊飼いとはまた別の意味で、指し示す役を果たしたのです。

 博士たちはヘロデ王の許に戻ってベツレヘムで見聞きしたことをつぶさに報告することを選びませんでした。もしそうしていたら、たっぷりと褒美に与っていたでしょうに、そんな打算よりも、夢で受けたお告げに従い、「別の道を通って」(マタ2:12)自分たちの国へ帰って行ったのでした。ここでもまた彼らは「語りかけるお方」に従順でした。謙遜で忠実だったのです。その結果、彼らの思いを超えて、赤ん坊イエスさまの命を守ることに役立ったのでした。

 人間の持つ学問や知識は尊いものですが、限界はあります。それでもそれらを通してもなお「語りかけてくださるお方」に謙遜に誠実に従うときに、思いもかけない神さまのお役に立つのです。東方の博士たちがそうでした。学問とも世間の評価ともおよそ無縁の羊飼いたちもそうでした。私たちも「語りかけてくださるお方」の御声に耳を傾けるときに、なにかしらの、神さまの目から見たら大切な御用に当たらせてくださいます。私たちの生きる意味も目的もその中にあります。この年もまたそのような生き方、生かされ方をできますように祈り願います。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン