聖霊降臨後第七主日
2024年7月7日 小田原教会 江藤直純牧師
エゼキエル2:1-5; Ⅱコリント12:2-10; マルコ6:1-13
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
1.
「人の子よ、自分の足で立て」(エゼ2:1)。なんという力強く鋭い命令でしょうか。断固とした口調です。しかも、最初から慰めとか赦しという優しく柔らかい言葉ではなく、「立て」、それだけではなく「自分の足で立て」です。有無を言わせぬ響きで命じられています。「人の子よ、自分の足で立て。私はあなたに命じる」と。神の顕現が祭司ブジの子エゼキエルに現れたのでした。今朝の旧約の日課です。
時は紀元前6世紀、今から2600年ほど昔のこと。所は当時の超大国バビロニア帝国の首都バビロン。紀元前597年、586年、582年の三度にわたるネブカドネツァル王による攻撃でエルサレムは陥落し、ユダヤの指導者も有力有益な市民も多数がバビロンに強制的に移住させられ捕囚とされた時のことです。
その三十年目の四月五日、ケバル川の河畔で起こったこと、それがエゼキエルへの神の顕現であり、預言者への召命でした。祖国から遠く離れた外国でのことです。しかも圧政の下に置かれている状況の中で神の言葉を語れとの預言者への召命です。これがどれほど引き受けるのに困難な使命であるかは想像に難くありません。その彼に向かって神が容赦なく語り掛けられたのが「人の子よ、自分の足で立て」でした。客観的に見て、軍事的、政治的、宗教的に見て、まるで無茶な要求だと思えます。神の言葉を聴き取る能力も、それを同胞に語る勇気も持ち合わせていないとしたら、エゼキエルが恐れおののいたとしても、戸惑い逃げ出そうとしたとしても、全くおかしくはありません。この出来事が私に起こったとしたら震えあがってしまうことでしょう。
しかし、エゼキエルは、召しを受けて、立ち上がりました。バビロン捕囚という歴史的な困難な事態の中で、彼はその日を境に自分の足で立ち上がり、同胞に向かって神の言葉を取り次ぎ続けたのです。その語った神の言葉の内容は何だったか、同胞の反応はどうだったか、それらについては日を改めて学びましょう。今日皆さんにお話ししたいこと、考えていただきたいことは、エゼキエルはこういう状況の中で一体どうして自分の足で立ち上がったのかということです。なぜそれは可能だったのでしょうか。どう思われますか。
エゼキエル書の記者も当然そういう疑問を持ったことでしょう。だからこそ、2章2節にはエゼキエルの言葉をこう書き記しているのです。「彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた」と。そうなのです、エゼキエルは自分でも驚いたことでしょうが、なんと自分の足で立ったのです。そういう行為は自分の力でできたのではないことを彼は知っていたのです。そうさせたのは自分の力ではなく、神の霊だと分かったのです。だから、「霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた」(2:2)と言わないではいられなかったのです。だから彼は、預言者の働きをしている間ずっとこう自覚していました、語っている言葉は自分の考えや願望なのではなくて、神から託された言葉なのだということを。そこが真の預言者と偽預言者の違いなのです。
2.
旧約の代表的な預言者の一人がエゼキエルならば、新約の最大の使徒はパウロです。私はよく彼のことを新約聖書の中の最大の伝道者で最大の牧会者で最大の神学者だと呼びますが、けっして誇張ではないと思います。あれほどの働きをしたパウロですが、十二弟子に入っていなかったし、かつては教会の迫害者だったし、人がどれほど褒めようと自分の弱さ、また罪深さを知っていましたから、彼はうぬぼれることはありませんでした。
今日の使徒書の日課には、彼の心の底からの告白が記されています。「しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(Ⅱコリ12:5)と。その弱さとは普通考えるような精神的、心理的な弱さのことではありません。文字通り、肉体的な弱さ、悲鳴を挙げたくなるような、苦しみを伴った弱さなのです。パウロには今日の医学的な知見はなかったにせよ、分かりやすく症状を描写するなりしてくれたら、もう少し手掛かりになるでしょうが、それは敢えて書いてはいません。それでも彼の表現はその身体的な痛み、苦しみ、つまりは弱さが並大抵のものではなかったことを十分に推察させます。てんかんだったのではないかとの言い伝えもあります。
手紙の文をそのまま引用しましょう。「それで、・・わたしの身に、一つのとげが与えられました」、「それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」(12:7)。それだけでなく、その痛み、苦しみ、弱さが耐えがたいほどだったから、パウロは「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました」(12:9)。大の男が、宗教的巨人とも言える強い人間が、神さまに三度も祈り願ったと言うのです。のたうち回らんばかりの痛み、泣きたいほどの苦しみだったことでしょう。彼には肝腎の健康がなかったのです。それが自分の弱さでした。
そのさなかにパウロは主イエスの声を聴いたのでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12:9)。思いがけない言葉でした。しかし、パウロは主イエスの言葉の秘儀を受け止めることができました。だからこう言ったのです、「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(12:9)と。さらに続けます、「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(12:10)と。
「わたしは弱いときにこそ強い」、驚くべき言葉です。しかし、これは負け惜しみではありません。パウロにとっては真実だったのです。「わたしは弱いときにこそ強い」、「私にはないからこそある」。私は弱いのです、しかし、キリストの故にこそ強いのです。私には誇るべきものはないのです。しかし、キリストがいらっしゃるので私には誇るものがあるのです。これが、彼がキリスト者として、伝道者として生きていた中で確信するにいたった真実だったのでした。
エゼキエルしかり、パウロしかりです。自分の無力さを知ったときに、自分の中に霊が入って私を強め、神の働きをさせてくださるのです。自分の弱さに打ちひしがれていたときに、キリストの力が自分の内に宿り、キリストの力に生かされ、強められ、福音を証しさせてくださるのです。これこそがエゼキエルが、パウロが、そして有名無名の信仰の先人たちが身をもって経験したことでした。
3.
マルコ6章の1-13節はイエス様が故郷ナザレで受け入れられなかったことと、十二人の弟子たちを宣教に派遣なさったときのことが描かれています。故郷に錦を飾るどころか、子供の時から自分のことをよく知っている人たち、日常生活も家族関係もなにもかも知っている人たちにとっては主イエスの語る教えも、目の前でなされる癒しの業も簡単には受け容れ信じることはできませんでした。先生であるイエス様がそうだったのですから、ましてその弟子たちが何やらイエス様を真似して語ろうとしても癒しの業をしようとしても、町の人や村の人達がそうたやすく信じることはできないとしても、ありそうなことだと思われます。
そういうことを重々承知の上だったでしょうか、主イエスはあるとき十二弟子を宣教に派遣なさいます。彼らはどう思ったでしょうか。しかも、出発に当たって主は思いがけないことをおっしゃいました。「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、また下着は二枚着てはならない」(6:8-9)と。下着というのはシャツやパンツのことではなく、上着の下に着るワンピースの長い服のことです。要は杖と今着ている服と履物だけで行け、その他の食料やお金は持って行くなというのです。
知り合いがたくさんいてその好意に甘えることができるならいざ知らず、初めて訪ねる村々に行くのに言わば手ぶらで行けと言われるのです。行った先で食べるパンも泊まるための宿賃も持っていなくて一体全体どうしろというのでしょうか。彼らが人々の魂を揺さぶるような感動的な話をできて、また病気や障害を持った人を鮮やかに癒してあげて、おおいに喜ばれ感謝されて、お礼に食事をもてなされたり、宿を提供されたり、おまけに新しい服を差し出されたり、献金をもらうことが確実に期待できるのならば、心配など無用でしょう。しかし、それは保証されていることではないのです。イエス様ご自身も「あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようとしない所があったら」(6:11)と言われたように、弟子たちが拒絶されることはおおいに予想されることなのです。
弟子たちは派遣の命令を受けてビビらなかったでしょうか。しかも素手で行けと言われて、そんな無茶な、俺達にはまだ無理だよと言って怯えなかったでしょうか。きっとビビったでしょう。不安にもなったでしょう。自分の中に頼りにできるものはないと分かっていました。しかし、そうだからこそ、怯え不安になったときに、彼らは真に頼りにするべきものに気づいたのです。誰を頼りにすべきかが見えたのです。ないことが分かったときに、あるものが分かるのです。その方の力に縋るようになるのです。その時に「汚れた霊に対する霊の権能」(6:7)の必要性が分かり、感謝して受け容れたのです。その結果、驚くべきことに、人間的に言えばまだまだ未熟で頼りなかった十二弟子でも知らない村で「悔い改めさせる宣教」ができ、「多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいや」(6:12-13)すことができたのでした。
神学校の時の同級生で他教派出身の神学生から面白い話を聞きました。彼の教派の神学校では夏期伝道の実習があるのですが、ルーテルのようにどこかの教会に行って、説教をしたり聖書研究会で発表したりするのとは違っていました。彼の場合北海道までの片道の旅費をもらい、文書伝道用のパンフレットや本をたくさん持たせられて、それを知らない人々に買ってもらうのです。それが伝道だったのです。そしてそれらが売れたらその代金で帰って来いというやり方です。すごいですね。常識的に考えれば、そんな無茶なと思うでしょう。彼もそう思ったそうです。でも、自分の中にはそんなことはぜったい無理としか思えなかったときに、それを支え導くお方を信頼することが初めてできたのです。自分の中に何もないと知ったときに、あるようになったのでした。ご推察の通り、彼は北海道から無事戻ってきました。そしてさらなる勉学を求めてルーテルに来たのでした。忘れられないエピソードです。
4.
私たちは自分の持っているもので日々を送っています。健康だったり、家族や友人だったり、なにがしかの能力だったり、仕事だったり、お金だったり、いろいろなものがあるので、人生を送っています。しかし、それらのもので絶対的に確かで、いつまでもなくならないものはこの世にはないのです。健康だった人が思いがけなく大病になったり大怪我をしたりすることもあります。私の友人でずっと寝たきりになっている人が数人います。
先月亡くなった草花の絵を描き詩を添えてきたクリスチャンの星野富弘さんも健康の塊のような体育の教師だった人でしたが、事故で首から下の自由を全く失ったのでした。愛する家族、パートナーや子どもを失った経験をした人もいます。寛ぎと団欒の巣である我が家が一瞬の地震で見るも無惨に崩れてしまうこともあります。大事な使命を託されてもそれを果たす力がないことに気づくこともあります。エゼキエルもパウロも十二弟子もみなそれを骨身に沁みるほど味わったのです。
そういう時に、自分の中に自分を支えるものが何もないと知ったときに、自分の外からそれを注いでくださるお方にようやく気づくのです。その恵み、その賜物に初めて気づくのです。そのおかげで新しい務めに取り組めるのです。新しい生き方ができるようになるのです。苦しさではなく楽しさを、悲しみではなく喜びを味わうのです。星野さんは体育の教師の職は失いました。自由に動かせる手足はなくしました。しかし、新たに霊の息吹を吹き込まれて、口に絵筆をくわえては草花の絵を描き、その草花を通して見えてくる神の恵みの世界を人々に伝え続けました。数知れぬ多くの人々に四十年余りに亘っていのちの喜びを証し続けたのでした。
エゼキエルは歴史的な困難の最中に「自分の足で立って」託された神の言葉を語り続けることができました。神の霊を内に入れられたからでした。パウロはいやというほどの弱さと痛み、苦しみの中で「わたしの恵みはあなたに十分である」と語ってくださる主の言葉をアーメンと言って受け入れる体験をしたのです。だから「わたしは弱いときにこそ強い」と何のためらいもなく告白できたのです。彼は真の意味で弱さの伝道者でした。
十二弟子は皆、いみじくも人々が言ったように、「無学な普通の人」(使徒4:13)でしたが、だれもが死ぬまでキリストの恵みの証人として、福音を宣べ伝え、癒しの業、奉仕の働きをしました。出会う人一人ひとりに何を与えたのでしょうか。ペトロは施しを乞う人に言いました、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(使徒3:6)と。そうです、キリストにある新しい命を与えたのでした。
自分の中になにもないことは嘆くことではありません。ないからこそ、あるものが見えるのです。自分のものがないからこそ、キリストのものが与えられ、それに満たされるのです。エゼキエルもパウロも十二弟子もそうでした。きっと私たちもそうなのです。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン