2025年3月2日日曜日

およそ栄光には見えない栄光

 2025年3月2日 主の変容主日 小田原教会   江藤直純牧師

出エジプト記 34:29〜35 

コリントの信徒への手紙二 3:12〜4:2

ルカによる福音書 9:28〜36

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1.

 春と夏に甲子園を舞台に繰り広げられる全国高校野球大会には、日本中のファンが熱狂します。地方予選から甲子園での決勝戦まで熱戦を戦い抜いた優勝チームに惜しみない拍手が送られます。「雲は湧き光あふれる」で始まり「ああ栄冠は君に輝く」と歌われる古関裕而作曲の有名な「全国高校野球選手権大会の歌」は、選手は勿論ですがテレビの前で応援しているみんなの胸にも熱く響きます。栄冠、栄光、まさにその言葉にピッタリです。

 栄光と言えば、先頃日本の野球の殿堂に続いてアメリカの大リーグの野球の殿堂入りに選出されたイチローさんのことも思い起こします。プレーヤーとして数々の記録を打ち立て、人々の記憶に残る偉大な活躍をした彼がBaseball Hall of Fame直訳すれば野球の名誉、名声、栄誉の殿堂で終生いえ歴史が続く限り表彰されるのは文字通り栄冠、栄光という言葉にふさわしいことです。

 栄光、それは功なり名遂げた人、長い期間にわたって並外れた努力に努力を重ねて、偉大な業績を残した超一流の人物だけが受けるべきものなのです。広く長く人々に覚えられ、尊敬され続け、畏怖され続けるでしょう。私たちもそのような栄光の人に憧れます。

2.

 人間の中で努力と修練、修行を積み重ねて遂に偉大な業績を上げるに至った人に帰せられる栄光とは別に、ある存在が生来持っている栄光、或いは本質的に備えている栄光というものもあります。そのような存在は人間と根本的に区別されて神と呼ばれることがあります。もっとも広い世界の中には善の神と悪の神という二種の神が存在すると信じる宗教もあるようです。私たちにはいささか想像しかねますが、悪の神には栄光という言葉は不適切でしょう。永遠、絶対、聖、愛、慈しみ、正義、平和、真、善、美等々の本性を持ち、世界を創造し、支配し、悪と罪から救済する神こそは栄光に輝く存在として、人々に拝み崇められるのです。まことの神こそが栄光の神なのです。

 仏教では仏像に光輪が描かれていますし、仏や菩薩の背後からは後光が射しているのはよく見かけます。キリスト教の絵画でもキリストや聖母、天使たち、また聖人などに光輪が描かれていたり、背後から光が射していたりするのは珍しくありません。そうすることで栄光と聖なる本質を表現しようとしているのでしょう。染みも汚れもないことを表すのに純白の衣装をまとうのもよくあることです。

 その崇高な教えと癒し等の愛の奇跡的な行為の故に多くの人々が群れをなして集まり、付き従っているのがナザレのイエスと呼ばれていた一人の人です。しかし、どんなに敬われ拝まれても、人間には違いありません。勿論人間の中でも最も優れた人間と思われていたことでしょう。ですから呼びかけるときは「先生」という言葉や「主」という言葉を使っています。

 さて、ルカ福音書の第9章はイエスさまの伝道旅行のハイライトのような、公生涯の中のとても大切な出来事がぎっしりと詰まっています。イエスさまがまず十二人を福音宣教に派遣したこと、領主ヘロデがイエスさまに戸惑いを抱いたこと、イエスさまが男だけで五千人を五つのパンと魚二匹を元にして食事を与えられたこと、ペトロの信仰告白とイエスさまの死と復活の予告といった具合にどれ一つ取っても重大な出来事の後、イエスさまがペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人を連れて山に登られたときの出来事が記されています。

 この日のイエスさまの目的は何だったかと言えば、喧噪を離れ、福音宣教と癒しの業から身を退いて、静けさの中で神さまと向かい合って祈ることでした。一人での祈り無しにはどんな宗教的な人も魂が枯渇するのです。

 イエスさまが意図したことでも計画したことでもありませんでしたが、ここで驚くべきことが起こりました。「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」(ルカ9:29)のです。顔も服も光り輝いていたので「栄光に輝くイエス」(9:32)とも書かれています。弟子たちが気づくと、イエスさまは「栄光に包まれている」(9:31)モーセとエリヤと共に語り合っているのでした。旧約聖書の中で最大の人物、イスラエルの民をエジプトでの奴隷状態から脱出させ約束の地へと導いたモーセと、歴史上最も有名な預言者の一人、エリヤを左右に従えて対話しているのですから、イエスさまの立場というものがモーセやエリヤの更に上だということが自ずと分かります。おそらく神さまから託されたこの世界の支配や歴史の完成の時について語り合っていたのではないでしょうか。

 弟子たちは勿論イエスさまを偉い方と崇め、先生と呼び主と呼んで敬っていましたけれども、モーセやエリヤを従えるのは神以外にはありえないと悟ったことでしょう。三人が「雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた」(9:34)のも当然です。人は聖なる者、聖なるお方の前に出ると、己の罪深さに恐れを感じないではいられないのです。

 マタイ福音書にもマルコ福音書にも記されているこの「主の変容」の記事を読むたびに、私たちは短い公生涯の間にイエスさまが唯だ一度だけご自身の本性は神であること、地上ではただの人間であるように見えても天にあっては栄光の光り輝くお姿であることを三人の弟子たちだけに、ほとんど瞬間的に垣間見させられたのだと解釈します。「控えい、控えい。こちらにおわしますお方をどなたと心得るか」と助さん格さんが葵のご紋のついた印籠を取り出して、今の今まで越後の商人のご隠居さんだと思われていたのが実は「先の天下の副将軍、水戸光圀さまなるぞ!」と大声で言うと、そこにいた一同は黄門様の前に平伏する場面をもっと宗教的に崇高にしたものと言えるでしょうか。「主の変容」により「栄光の主」がその本質を明らかになさったのです。実際そうなのですが、今日はこの出来事に対して別な見方をしてみましょう。

3.

 福音書を読む限り、イエスさまには宗教画に描かれているような光輪も後光も感じません。語られる教えこそは神の言葉でありますが、その生涯は少しも神の子らしくはありません。そもそもクリスマスの場面からしてそうです。王宮で生まれなかったどころか、ふつうの宿屋で暖かい部屋も柔らかいベッドもなく、馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされていたと記されています。神の国の福音を宣べ伝え始めてからは巡回の伝道者と言えば聞こえはいいですが、実態は「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(9:58)だったのです。

 その最期はと言えば、畳の上で安らかに天寿を全うするどころか、その真逆で、他の死刑囚2人と共に、この上なく惨めで、苦痛に満ちた十字架上の死を味わわなければならなかったのです。数え切れない程の群衆が「追っかけ」てきて、王だ、救い主だと騒ぎ立て持ち上げ人気絶頂だったのに、裁判の時は「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」(23:16)、「十字架につけろ、十字架につけろ」(23:21)と狂ったように叫んで、総督ピラトを追い込んで死刑の判決を出させたのです。朝から6時間余りの苦しみの果てに「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(23:46)と言って地上の生を終えられたのです。

 この生涯のいったいどこが「栄光」という眩いばかりの言葉に当たるでしょうか。およそ「栄光」などという言葉とは無縁、否、正反対ではありませんか。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書を見ると、案に相違して「栄光」という言葉はほとんど出てこないのです。マタイとマルコの主の変容の記事を見ても「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(マタ17:2)、「服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」(マル8:3)という描写はあっても「栄光」という単語は用いられていません。ルカは2回「栄光」という言葉を使っているのは先ほど見たとおりですが、控え目です。

4.

 今回面白いことに気づきました。主の変容の記事はヨハネ福音書には載ってないのですが、「栄光」という単語は第1章から21章までの間に、見落としがあるかもしれませんが、見つけただけで32回も現れます。これは他の三つの福音書の10倍くらいでしょう。ヨハネ福音書の特徴です。非常な驚きです。

 しかし、単に数が多いだけではありません。その使い方が大変興味深いのです。「神の栄光」とか「あなたの栄光」という、当たり前というか自然な使い方も勿論あります。また一度だけですが、カナの婚宴で水をぶどう酒に変える奇跡の時に「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた」(ヨハ2:11)のようにイエスさまの特別な神的な力を発揮されたときに「栄光」と言う言葉を使うのも理解しやすいです。

 けれども、次のような使い方はどうでしょうか。第1章で「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」(ヨハ1:14)。言が肉となった、つまり神が人間となった、そして人間として人間のただ中で生きられたというのですから、謂わば栄光の座から降りた、離れた、もっと言えば、栄光を失った、放棄したというべき出来事が起こったときにヨハネ福音書は敢えて「わたしたちはその栄光を見た」と言っているのです。

 第12章には有名な「一粒の麦」の話がありますが、そこで「栄光」という言葉が使われています。「イエスはこうお答えになった。『人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ』」(12:24)。イエスさまは今まさに地に落ちて死のうとなさっているのです。なのに、今この時のことを「人の子が栄光を受ける時が来た」とおっしゃったのです。一粒の麦が地に落ちて死ぬことが、つまりイエスさまが十字架の死を迎えることが栄光を受けることだと言われているのです。

 さらに最後の晩餐の席でのことです。弟子の一人ユダがイエスさまを裏切り、部屋から出て行きます。その場面はこう記されています。「さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。『今や、人の子は栄光を受けた』」(13:31)と。裏切られ、その結果十字架が現実のことになろうとしたその時に「人の子は、(つまり、イエスさまご自身は、)栄光を受けた」というのです。しかも、そのことによって何が起こるかと言えば、「神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神もご自身によって人の子に栄光をお与えになる」(13:32)のです。惨め極まりない十字架の死によって父なる神さまも栄光をお受けになったと言うのです。

 逮捕、裁判、処刑の前にイエスさまがなさった長い祈りが第17章に記されていますが、その冒頭にイエスさまは天を仰いでこう祈られたのでした。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすようになるために、子に栄光を与えてください」(17:1)。「父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が創られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を」(17:5)。

 これ以上たくさんの聖句を引用することは止めます。もう十分に明らかでしょう。ヨハネ福音書にとって、栄光とはわたしたちが普段理解するような輝かしい誉、光栄、名誉、偉大さなどでもなく、聖なるお方、神にのみに帰せられている最高の栄誉とか尊さでもなく、もちろんそれに伴って内から発する輝かしい光などでもなく、およそ栄光などというものにはふさわしくないこと、いわゆる栄光からかけ離れていることが栄光なのです。

 それは、神が神であることを棄て、天の高みから下って罪にまみれたこの世に降り立つこと、栄耀栄華の正反対である貧しさや惨めさ、小ささや弱さ、苦しみや痛みを背負った人と共にいることなのです。それだけでなく、その人々を癒し、生かすこと、罪の負い目に悩む人に赦しを与えること、愛と慈しみと喜びと平和で心を満たすこと、争いと不一致を和解と共存の社会へと創り変えることなのです。そのために世にある罪を一身に引き受けること、そのために我が身を惜しまず捧げること、つまり、十字架にかかること、それが神の子イエス・キリストがなさったことなのです。それこそが神が神であることなのです。ですからヨハネ福音書は全編を通じてそれを栄光と言うのです。人間の目にはどのように見えようとも、およそ栄光などには見えなかろうとも、それこそが真の栄光なのです。

 山の上でペトロとヨハネとヤコブにごくごく短い時間に示されたキリストの栄光、その光り輝く顔を向け、真っ白な服に包まれたイエスさまの栄光の姿形、それはこの世界に下ってくる前の姿だったでしょう。また復活され御国に戻られてからの姿でしょう。しかし今や私たちは知っています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名を与えられました」(フィリピ2:6-9)ということを。

 イエスさまと弟子たちは山から下りてきました。そしてゴルゴダへの道を歩いて行ったのでした。イエスさまがこのように生きて、十字架で死んで、復活させられたことこそがキリストのキリストたる所以でした。このいのちのありようこそがキリストの栄光でした。神の子イエス・キリストの栄光はここにあったのです。このような栄光こそが神の栄光であり、神の栄光が子に与えられたのです。神が十字架にかかるまでに私たちへの愛を、そうです、この私への愛を全うなさったのです。繰り返しますが、愛と十字架、それが神の子キリストの栄光であり、神ご自身の栄光なのです。

しかも、イエスさまは最後の祈りの中でこう祈ってくださいました。「あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」(ヨハ17:22)。私たちもまた愛と十字架というキリストの栄光を、神の栄光をともに生きるようになるという栄光を与えていただいているのです。アーメン


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2025年2月2日日曜日

「選ぶ」と「選ばれる」

 2025年2月2日  小田原教会 江藤直純牧師

エレミヤ1:4-10; Ⅰコリント13:1-13; ルカ4:21-30

1.

 「預言者は故郷では敬われない」。そう言われていますし、そう思われています。なぜでしょうか。エッ、あいつが預言者だって?何言っているんだい。あたしはあの子が赤ん坊の時に濡れたおむつを替えてやったんだよ。俺はあいつが洟垂れで泣きべそだった頃のことを知っているんだ。授業中チャンと答えられなくて赤くなっていたことも、テストの成績がそれほどではなかったことも、両親のこともみんな知っているんだ。――そういう間柄だったならば、おいそれと畏れ敬うとか神秘的な感じを抱くとかはできないでしょう。そういう人がたくさんいるのが故郷です。そこでの経験が相手を評価するときに決定的に重要なのです。

 イエスさまも生まれこそベツレヘムであったにせよ、ごく小さいときからずっと育ち大人になった町がナザレでした。ナザレはガリラヤ地方と言っても、湖畔ではなく、歩けば30キロ以上は離れた内陸部の丘の上の町でした。人口は千人ぐらいだったとも言います。誰もが顔も名前も知り合っているような小さな世界でした。

 成人したイエスさまの行動をどの福音書も伝えていますが、おそらく最も詳しいのはマタイ福音書でしょう。3章に「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところに来られた。彼から洗礼を受けるためである」(3:13)とあり、そのあと、40日40夜にわたって荒れ野で悪魔から誘惑を受けた記事が続きます。それから4章にこう記してあります。「イエスは、ヨハネが逮捕されたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウム(お手許の地図ではカペナウムと記載されている)に来て住まわれた。・・そのときから、イエスは『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」(4:12以下)と。その宣教活動を総括的にこう表現しています。「イエスは、ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(4:23)。その働きがどれほど注目を浴びていたかと言えば、「こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った」(4:25)と。ものすごい評判であり、恐るべき人気の高さだったことが読み取れます。

 私たちはイエスさまの故郷はナザレだと聞いていますし、ナザレ人イエスとお呼びしますから、てっきりイエスさまの宣教活動の拠点はナザレだっただろうと勝手に思い込んでいましたが、実はそうではなかったのです。ガリラヤ地方より南のヨルダン川の付近でバプテスマのヨハネから教えを受け、多くの人々と共に洗礼を授けられたあと、彼のもとを離れ、ガリラヤに戻り、しかしナザレを離れて、ガリラヤ湖畔の漁業の盛んな町カファルナウムに居を移されたのでした。湖畔にはいくつもの町がありました。シモン・ペトロとアンデレの兄弟やゼベダイの子ヤコブとヨハネに出会い、弟子になさったのも湖畔のある町でのことです。カファルナウムを拠点にガリラヤ地方の町々村々を訪ね回って神の国の福音を宣べ伝え、安息日には会堂で教え、人々の心と体の病を癒すという奇跡的な働きをなさったのでした。

2.

 宣教を始めてからどのくらいの日数が経ったあとでしょうか、数ヶ月後でしょうか、ガリラヤ巡回の途中でイエスさま一行は活動開始以来初めてナザレに立ち寄られたのです。安息日でしたので会堂での礼拝に参加されました。当時の習慣で、礼拝で聖書を読み、話をするのは誰か一人に決まってはいなかったので、自ら手を挙げられたのでしょうか、イエスさまは前に進み出て聖書を朗読されました。朗読されたのはイザヤ書61章の冒頭でした。それは、貧しい人に福音を、囚われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を、圧迫されている人に自由を与え、主の恵みの年の告知をするために主がわたしを遣わされたという預言の言葉だったのです。

 この聖句を読むだけなら誰でもできたかもしれません。しかし、イエスさまは読み終えた後、自分の席で立ってこう言われました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(4:21)と。この解放と恵みの約束は今成就された、今日実現したとおっしゃったのです。「話し始められた」(4:21)と書いてあるので、この一言だけではなく、その言葉をもっと具体的に、もっと確かに、もっと奥行きのあるように展開なさったのです。人々には「恵み深い言葉」に聞こえたので、語るイエスさまを褒めそやし、驚いたのでした。

しかし、問題はここからです。驚きの言葉の中に「この人はヨセフの子ではないか」(4:22)という言葉がありました。それ以外にもイエスさまはここには記録されていない呟きを聞き逃されなかったと私には思えるのです。そうでないと、なぜイエスさまが突然「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うに違いない」(4:23)と言い出して、遠い昔の伝説的な預言者たち、エリヤとエリシャの話を持ち出して、結果的に人々を憤慨させ、危うく殺されそうになった出来事が起こったかということが合点がいかないのです。

 呟きの場面を想像を交えて見てみましょう。カファルナウムでやったという奇跡的な超能力をここナザレでもやってみせろ。聖書について偉そうなことをいう以上は、お前が特別の存在だという証拠を示してみろ。ナザレ育ちなんだから俺たちと同等同列のはずなんだ、それなのに預言者のような口の利き方をしてやがる。気にくわない。拝んでほしいなら奇跡の一つもやってみせろ。一部の人々はそう言ったのではないでしょうか。自分は神からの預言者だと認めてほしいなら、それにふさわしい証拠を出してみろという人々の内心の願いをイエスさまはズバリと言い当てられたのでした。自分が選び、自分が認めるためには、自分が納得できる証拠がほしい。自分の目で見て、耳で聞いて、手で触ってみないかぎり選ぶことはできないという人間の性をイエスさまは重々承知だったのです。

 復活のイエスさまが現れてくださった時に居合わせなかった弟子の一人トマスが「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしはけっして信じない」(ヨハ20:25)と言いましたが、ナザレの人々も共通した思いを持っていたのではないでしょうか。人間ですから無理からぬという気もします。自分にとって極めて大事な信仰の対象を私が選ぶと言うときに納得の行く証拠がほしいのです。

3.

 しかし、イエスさまはその願望、要求にお応えにはなりませんでした。あえて拒否なさったのです。それで人々は憤慨しナザレの「町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」(4:29)ほど怒り狂ったのでした。

 それほどまでに人々を怒らせた原因はと言えば、イエスさまが話されたところの彼らがよく知っている預言者たち、エリヤとエリシャの逸話がとんでもなく癇に障る話だったからでした。歴史上有名なあの預言者エリヤがなんとシドンのサレプタの一人のやもめに命を救ってもらった話でした(列上17)。もう一人のエリシャは、当時重い皮膚病に罹って苦しんでいた人々はイスラエルにもたくさんいたのに、なんとアラムの王の軍司令官ナアマンのその病を癒したという話でした(列下5)。やもめもナアマンもどちらも異邦人です。目の前にいる自分たちと同じ国の人、同じ民族の人の病を癒さないで、外国の人を癒したのでは、預言者として崇め敬うことなどできないではないか。外国の貧しいやもめに食物を乞い求め命を助けてもらうなんてみっともないことだ。そういう昔の話をして、今自分たちの目の前で自分たちの同胞を癒すことをしないなんてトンデモナイ野郎だ。そんな奴が預言者だなどと信じられない。つべこべぬかすな、さっさと消え失せろ――ナザレの人々の気持ちはそういうようなことではなかったでしょうか。

 しかし、ナザレの人々は肝腎なことが分かっていませんでした。それは、エリヤが異邦のサレプタのやもめに命を助けてもらったのは、彼が選んだことではなかったということです。エリヤがヨルダン川の東側、異邦の地に行くようになったのは「主の言葉がエリヤに臨んだ」(列上17:2)からでした。エリヤの行動も神が選び、神がお命じになった結果でした。エリシャが異邦人であるナアマン将軍を癒したのは、彼が「神の人」(列下5:8)だったからです。エリシャは神から託された言葉を語り、神の命令に従って神が示された人の癒しを行ったに過ぎないのです。あくまでも選んだのは神さまです。そしてエリヤやエリシャがしたことはその神の選びを受け入れたということです。

 ですから、イエスさまがいつ、どこで、だれに、どのような癒しの業をするのかということはナザレの人たちが決めることではないのです。そのようなことを厚かましく要求されたときに、イエスさまは毅然として拒否されたのです。子どもの時から知っているイエスが故郷の人の要求を呑まないなどということは、彼らの人間的・社会的常識から言えばありえないことだったのです。だから憤慨し、高い崖から突き落とそうとしたのです。

4.

 預言者という人は、或いは神の人と呼ばれる人は一体どういう人なのか。それを最も典型的に体現しているのは紀元前7世紀末から6世紀前半に活躍した預言者エレミヤだと思います。ユダヤ・イスラエルの長い歴史の中でも最も激動の時代に、それも50年以上の長きにわたって、つまり青年時代、正確には紀元前627年から晩年まで、申命記改革、バビロンによる滅亡、バビロン捕囚、神殿崩壊、エジプトへの逃亡に連行されると言った激動の時代に彼は神の言葉を語り続けました。しかしその語る言葉が神に離反する祖国を糾弾し、悔い改めを求め、さらに滅亡を告げる内容だったので同胞からはまったく受け入れられず、滅びと言う絶望の先の真の希望には誰も耳を傾けませんでした。まさに苦難の連続の生涯を送ったのです。それがエレミヤだったのです。そのエレミヤの生涯をイエスさまの生涯と対比しながら見ていきましょう。

 今朝の第1の朗読でエレミヤへの神さまからの召命の出来事が記されています。没落祭司の息子で、まだ若い彼への神からの直接の語りかけでした。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」(エレ1:5)。生まれる前から、いえ、母の胎内に造る前から私が預言者として選んでいたとのこと。それは驚くべきことです。自分が生まれてこの方、試行錯誤を重ねながら大人になってから預言者になることを選び取ったというのではないのです。自分に用意ができているとも適性があるともまったく思えないのに、いわば一方的に神の意志、神の選びによってその生涯の務めが告げられたのです。彼は戸惑いながらその選びを受け入れました。彼の預言者人生はそうやって始まりました。

 彼は神の言葉を語っても語っても同胞に受け入れられませんでしたから、たまりかねて主に切々と訴えたこともありました。「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります」(エレ20:7)と。ですから「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい」とさえ思ったほどです。しかし、彼が思いもかけず経験したことは何だったでしょうか。「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」(20:9)と告白しないではいられなくなりました。そうです。彼の意思ではなく、神の意志、神の言葉が彼を支配したのです。

 神の言葉を託された預言者エレミヤ、神の言葉自身であるイエスさま、どちらも人々に神に立ち帰ることを訴え、真の希望へと進むことを勧めましたが、彼らには受け入れられませんでした。時に軛をはめられ、時に水溜の泥の中に吊され、時に獄に囚われ、最後はエジプトに逃亡する人々に連行されてそこで死にます。ナザレでは山の上から突き落とされそうになり、最後はゴルゴタの丘の上で十字架にかけられて死んだイエスさまと共通しています。

 それだけでなく、最大の共通点は、エレミヤはそのような罪を重ねる同胞たちに向かって神の約束を告げるのです。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる」(エレ31:31)と。その契約は、かつて先祖が奴隷の地から神が導き出したときに結んだものとは違うのです。主の約束の言葉はこうです。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(31:33)。これが新しい契約です。エレミヤは神の約束を告げました。イエスさまはご自身が民との神の新しい契約そのものになられました。十字架上で流した血によって神さまは私たち罪人の神であることを明らかになさいました。救いを提供するただ一度限りの契約を結ばれたのでした。

 神さまが選ばれ、神さまが導かれる人生を生きること、どんなに困難や苦難があろうとも、それこそが恵まれた人生です。その大原則が分からないと、あのナザレの人々のように終始自分の基準、自分の常識に左右されることになります。自分中心のものの見方、価値観、人生の歩み方から、神さま中心のものの見方、価値観、人生の歩み方への方向転換のことを聖書は悔い改めと言います。

 あれほど苦難に苦難を重ね、悲しみの預言者、涙の預言者と呼ばれたエレミヤですが、その根底には次のような喜びに満ちた自己認識がありました。「あなたの言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって呼ばれている者です」(エレ15:16)。私たちも自分のことを「あなたの御名をもって呼ばれている者です」「私が選んだのではなく、あなたによって選ばれた者です」と言いたいものです。事実そうなのですから。アーメン